2017年06月04日

光と影のバラード

 赤軍が勝利を収めたものの、まだ内戦状態が続いていた、ロシア革命直後のソ連。困窮する市民への援助要請を受けて、モスクワへ金塊を送ることが決定されるが、その金塊をめぐって、敵である白軍や無政府主義者たちが入り乱れて、争奪戦を繰り広げることとなる。

 建物の中で、請求書を読み上げる者、無為をむさぼる者、報告を待つ者。雑然とする中、通信が読みあげられると、突然会議が始まり、組織が動き出す。複雑な緩急で進む画面が、思い切り自由な感じ。
 公安委員会や党という、重苦しい言葉が飛び交うが、登場人物たちがいるのは、広大な草原の中の粗末な建物。車を牛の大群がさえぎったり、建物の前に大量の洗濯物がはためいたり、風景が美しく牧歌的。
 そして、官僚体制がまだ出来上がっていないのか、もと戦友だった彼らの間には、身分の上下がそれほど感じられない。彼らには、ともに戦った深い絆があるはずなのだ。

 だが、組織が恐れたとおりに裏切りが起こり、発端となった殺人の黒幕が誰なのか、ミステリーが明かされていく過程と、まるで西部劇のようなアクション満載の追跡劇がからんでいく。

 拷問の跡を残して惨殺された仲間の死体が発見される場面や、列車が襲われて機関士や乗客が撃ち殺される場面など、突然で無残な死の描写が迫真。陰謀や災難が日常であるかのように、人々が次々と死んでいく。

 金塊を運ぶはずだったフーロスは、何者かに意識を奪われて不在だった3日間を、仲間に疑われて拘束される。だが、護送の途中に脱走し、金塊のゆくえを追って、列車強盗のブロイエフと渡り合う。
 この物語の美しさは、フーロスが自分を疑った仲間を恨まず、出会った敵をむやみに殺さず、正しいことをするために奮闘する姿だ。金塊のありかを他言するかもしれない村人を助け、負傷した裏切り者のレノケを背負って、どこまでも歩いていく。彼は理想を信じ、仲間との記憶を胸にたぎらせているのだ。

 映画の冒頭、赤軍の勝利に感極まって抱き合う男たちが映されるが、その素朴で美しいシーンが、見事に重なるラストが、とても感動的だった。 
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2017年05月07日

午後8時の訪問者

 体調を崩した先輩医師の代わりに、小さな診療所に勤務していた若いジェニー。研修生のジュリアンを指導しながら患者を診終わり、診療時間がとうに過ぎた8時過ぎに、ドアのベルが鳴った。応対しようとしたジュリアンを制止したジェニーだったが、翌日、診療所近くで身元不明の少女の遺体が見つかったと知らされ、それはベルを押した人物だと分かる。

 ジェニーはジュリアンに、患者の痛みに感情移入しすぎると注意していた。冷静さや患者との適度な距離は、確かに医者として必要なこと。一方、診療所を去る彼女との別れを惜しんだ患者が歌をプレゼントするほど、彼女は患者に寄り添ってきた。指導する立場として、上下関係を見せようとして、訪れた人を受け入れたいという自分の思いを抑えたのだった。
 助けを求めた少女を見殺してしまったという罪悪感に襲われたジェニーは、少女の死に取り憑かれたかのように、その真相に迫ろうとする。

 携帯に取り込んだ少女の写真を、自分が代理をした医師や、ジュリアンや、患者たちに見せてまわるが、誰も知らないという。ところが、ブライアンという少年を往診した時、脈が急に速くなったことで、彼が彼女を知っていると気付くのだった。どうしても口を割ろうとしない彼から、やっとき聞き出せたことは、少女が娼婦かもしれない、ということだった。

 ブライアンはずっと胃の痛みを訴えてる。それは、彼が目撃し隠していることと関係しているのだろう。情事の場所としてトレーラーを貸していた男性の父親も、ジェニーに問われると、急に胸の痛みを訴える。ブライアンをかばってジェニーに抗議に訪れた彼の父親も、話しているうちに心臓の激痛に襲われる。皆、心の痛みや葛藤が、体の反応として表れているのだ。

 ジュリアンが去って一人で働くジェニーは、受付や看護師の仕事も含め、すべて一人でやっている。往診すれば、介護士のよう。福祉事務所との連絡を取ったり、一人ひとりへの丁寧な対応は、予約制だからだろうか。医師との対面がたった数分の日本とは、格段の差を感じてしまう。生きている時間のすべてを捧げるように医療に従事しながら、ねばり強い聞き込みを続けるジェニー。そんな彼女も、疲れや焦燥感が、ニコチン中毒という症状となっているかのようだ。

 だが、ジェニーに問われた彼らは、葛藤の中で変化を見せていく。ブライアンの父は自分と向き合う。ネットカフェで偶然写真を見せられた少女の姉も、自分の思いに気付く。そしてそれが、少女の死の謎と彼女の身の上を明かしていくことにつながっていく。

 そして、ジェニー自身も、少女を探す中、自分の生き方が定まっていく。就職が決まっていた大きな病院を断り、人々に近い小さな病院が自分の居場所だと気付くのだ。

 死んでしまった少女は、黒人の移民だった。彼女が誰かを探す中、ジェニーは組織に脅迫されるが、それだけで少女が生きていた過酷な状況が想像される。
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2017年04月10日

汚れたミルク

 1994年のパキスタン。国産の薬のセールスマンのアヤン(イムラン・ハシュミ)は、病院で門前払いを受けるばかり。医師たちは、多国籍企業の薬が国産のそれより5倍も高価で、貧しい人たちが買えないことは無視して、前者を採用していた。家族を養えずに困ったアナンは、妻ザイナブ(ギータンジャリ)の助言で、粉ミルクを売る多国籍企業に応募する。

 医師とのパイプ強調して採用されたアナンだったが、上司のビラル(アディル・フセイン)は軍の上官みたいで、倫理や社会貢献とは無縁に、販売拡大ばかりが強調される。そして、ターゲットにした医師を、金品で釣るよう指導されるのだった。

 看護師たちに粗品を配って、医師の趣味など情報を聞きだし、まき金プラス好きな音楽のカセットを渡したり、医師たちのパーティーの飲食代をもったり。そんな無節操な買収活動で、自社の製品を乳児に処方するよう働きかけるのだ。製品の優秀さを信じていたアナンは、非常に有能なセールスマンだった。

 だが、3年後、アナンは友人の医師ファイズ(サティヤディーブ・ミシュラ)から、自社の製品のせいで大勢の赤ん坊が死んでいる、という事実を知らされる。下水道の整備がない中、不潔な水で溶いたミルクで下痢を起こしたり、高価なミルクを買い続けられないために、薄いミルクで栄養不良に陥ったり。深刻な事態にショックを受けたアナンだったが、恐ろしいことに、会社は事態をとうに知っていたばかりか、「金品の授与を禁じた書類を渡していた」というのだ。守らせるつもりのないルールは、会社の逃げ道のために作ったものなのだろう。

 アナンは、会社をやめただけでなく、販売中止を求める告発状を会社に送り、それを無視されると、WHOに通報した。重い状況を引き起こした当事者として、やむにやまれない思いで行動したのだ。

 そんなアナンに、一斉攻撃が始まる。医師たちもアナンを責め、ビランたち会社は、アナンを監視しし続ける。そして、懇意にしていた軍医の大佐は、「告発を続けると家族の命はない」と脅迫。否定した彼をすぐさま拘置所につないでしまう。企業の悪事を裁くべき国が、企業の側につくのは、やはり金がらみだろう。小さな国を買いたたけるほど、多国籍企業の力は強大なのだ。

 アナンに協力して助けたのは、人権組織の職員マギー(マリアム・ダボ)。彼が保管していた大量の領収書が、不正の動かぬ証拠だった。国内では無理なため、海外での反響を期待して、ドイツでドキュメンタリー番組を作ることになるが、敵が強大な分、訴訟のリスクを考えて、スタッフが非常に慎重だ。それでも撮影が順調に進んで、企業の悪事を暴く雑誌も完成。だが、企業側から、アナンが会社をゆすった証拠が送られてきて、企画は間際でとん挫するのだった。悪賢い、驚くほど巧妙なワナ。だが、たとえアナンに過ちがあったのが本当でも、会社の悪事が消えたわけではない。それなのに、ジャーナリズムの追求がそこで止んでしまうのは、相手が強大とはいえ、本当にはがゆい。

 映画は、ドキュメンタリーの撮影に協力するアナンの証言を再現する、という形をとっているが、この映画あ自体、リスクのために、撮影開始直後の2007年に中断したという。公開はなぜか日本が世界初。アヤンの命がけの告発が届くのに、随分時間がかかった。映画が映す悲惨な現実が2013年であり、今も続いていることが恐ろしい。
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2017年04月04日

感謝の日 VOL.8

 忌野清志郎の誕生日の2日、愛知県新城市のほうらいパークで開かれた「感謝の日」のイベントに行ってきた。清志郎の死後、三宅伸治が、東京で毎年開いていたそうで、今回初めて、清志郎が愛した奥三河で開催。2年前に彼の写真展が開かれたのと同じ土地。また来れたのが本当にうれしかった。

 前日は雨だったのに、きれいな晴天。前乗りして11時の開場より1時間も早く着いたのに、もうたくさんの人が並んでいて、タイマーズの秘蔵映像上映会の時にヘルメットを貸してくれた人が、ギターを弾いて歌って盛り上げていた。チケットをレインボーのリストバンドと引き換えると、みんな次々に広い会場に駆けて行った。

 清志郎が定宿にしていた「はず」の女将と、梅津和時の温かいMCの後、三宅伸治が「今まで東京のライブハウスでやっていた時は地下だったので、空が遠かったけど、今日は空がすぐ近く。きっとボスがそばで聴いてくれてると思う」と言って、NICE MIDDLE WITH NEW BLUE DAY HORNSをバックに歌いだした。「シェイク」、「涙のプリンセス」、「分からず屋総本舗」はコメディのノリ、「いいことばかりはありゃしない」、「ボスのソウル」はずっと清志郎の近くにいた心情が迫って、切なかった。

 2番手は石塚英彦で、「上を向いて歩こう」、「よそ者」、「雑踏」。真摯に清志郎へのリスペクトが伝わってきた。力強く自信満々だったのに、退場する時は、すみませんって感じだったのが可愛いかった。

 次は間慎太郎。ハンサムだけど、お父さんにそっくり。「ダンスミュージックあいつ」、清志郎の歌の中で一番大好きといって「ラプソディー」。高音がよくとおるきれいな声。「ラン寛平ラン」のあと、予想どおり寛平ちゃんが登場。会場はすごく広いけど、みんな舞台の前に集まっていて、規制線もないので、歌い手と聴衆がすごく近く。寛平ちゃんは、お客の声に応えて「血ぃ吸うたろうか」や「かい〜の」をたっぷりサービス。歌が始まる前に「アメママンの歌」を歌いだして、大笑いになった。それからやっと、親子で「誇り高く生きよう」。

 竹原ピストルは、全然知らない人だったけど、歌がすごく上手かった。小さい頃から、姉の部屋から流れてくる清志郎の歌を聴いていたそうで、「まぼろし」と「500マイル」を聴かせてくれた。

 浅野忠信が登場すると、「ベイビー逃げるんだ」のあと、「キモチE」と自分の歌を3回ずつ、実質3曲で計7曲分の時間を取って、お客を煽りに煽っていたけど、あんまりしつこ過ぎて辟易。清志郎のしつこさには、どんな場面でも全く幸せな思いだったのになあ。でも、清志郎を愛してくれているのは、超ウレシイ。

 懐かしいイントロが流れて、なんとタイマーズが登場。トッピはもちろん三宅だけど、ゼリー役は次々と交代。でもヘルメットにサングラスだから、初めは誰だか分かりにくかった。竹原ピストルが「偉い人」、山崎まさよしが「あこがれの北朝鮮」、浅野忠信が「ロックン仁義」、「宗教」。金子マリが「企業で作業」、「税」、「イモ」。あ〜、こんなメンバーでタイマーズ復活ってすごい。

 このあと、山崎まさよしが一人で「トランジスタ・ラジオ」と「ヒッピーに捧ぐ」。金子マリが出てきて、一緒に「ドカドカうるさいロックンロール・バンド」。彼女一人で「エンジェル」。清志郎、金子マリが歌ってくれて喜んでただろう。

 アンコールで三宅伸治が現れると、会場中の人が飛び上がって「ジャンプ」。それから、ドラゴンズの川俣選手も登場し、出演者全員で「スローバラード」と「雨あがりの夜空に」。みんなが手をつないでの最後のあいさつも、清志郎の舞台のままで、温かかった。
 最後は三宅伸治と金子マリが二人で「約束はしないけど」。しんみりと、寂しさと温かさが心に沁みた。また来年も来れたらいいな。
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2017年03月30日

わたしは、ダニエル・ブレイク

 心臓病を抱え、医師に働くことを禁じられている初老の大工ダニエル・ブレイク(デイヴ・ジョーンズ)。傷病手当を申請するが、役所からの電話による審査は、奇妙奇天烈なものだった。心臓が悪いという申請内容は全く無視し、50メートル以上歩けるか、とか、腕は頭の位置以上あげられるか、とか。日常生活もままならない状態でないと通さない、ということなのだろう。認定者は、米国の多国籍企業。政府は、自国の大事なセイフティネットの入り口を、そんなところに丸投げしているのだ。

 受給の資格なし、の結果に抗議をしようにも、役所の電話に誰も出ない。やっと通じた電話では、「義務的再申請が必要だが、その前に認定者の電話を受けねばならず、その電話がいつかかってくるかは分からない」という、シュールな返事が返ってきた。
 困ったダニエルは求職手当の申請にかかるが、ここでも制度は、とことんふざけたものだった。意欲をそぐような履歴書の書き方講座を何時間も受けさせ、過重な時間の就職活動を課す。ダニエルは1社から合格をもらうが、病気のために断ることしかできない。そんな不合理な目に耐えても、報告の面接では、全然活動が足らない、と面罵されるのだ。

 効率の悪いたらい回しでの疲弊に加え、職員の冷たく威圧的な対応も、ダニエルの自尊心を傷つける。ミスともいえない小さなことで違反を取って、申請者を脅す。切り捨てという脅かしは、苛立つ申請者をおとなしくさせるためだけでなく、実際に簡単に切られるカードだ。

 そんななか、ダニエルはロンドンから越してきたばかりのケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)に出会う。子連れで道に迷い、約束の時間に遅れたというだけで、給付を断られた彼女。彼女は、雨漏りに文句を言ったためにアパートを追い出され、福祉施設に2年も住んだ後だった。ケイティの窮状に心を痛めたダニエルは、家を修繕するなどで彼女を助け、子供たちも次第に落ち着いていく。

 だが、ケイティの状況は逼迫していた。フードバンクを訪れた彼女は、缶詰をその場で開けて食べてしまい、自分の行いにショックを受ける。子供たちに食事をさせるために自分は我慢を重ね、餓えていたのだ。フードバンクになかった生理用品をスーパーで盗んでしまったあと、警備員から、助けたいからと電話番号を渡される。破れた靴のためにいじめられたと娘から聞かされたケイティは、その番号に連絡。役所の対応が違えば解決できるわずかな金のために、ケイティは身を落とすのだ。

 一方、ハードルを上げるばかりで冷酷な対応にキレたダニエルは、役所の壁に「わたしは、ダニエル・ブレイク」と落書きする。正当な救いを要求しただけなのに、なぜ人間らしい扱いを拒否されるのか。自分の尊厳を主張するぎりぎりの行動だった。だが、逮捕・保釈後の彼は、病気を悪化させて弱っていく。

 ごく普通の善良な人々が、弱い立場に陥った途端、深刻に人生を破壊される。システムの非情さや切り捨ての実態に、怒りがこみ上げた。
 だが、重い内容にもかかわらず、心に温かさが広がるのは、ダニエルとケイティが励まし支え合う以外にも、人々の優しさが描かれているからだろう。役所の官僚主義とは正反対に、ちまたの人々は人間的だ。フードバンクの職員は親身で温かい。ダニエルが抗議の落書きをした時も、道行く人たちは、ダニエルを称えて警察に抗議した。彼らも社会の底辺にいるような感じを漂わせているが、いがみ合いや分断ではなく、共感や連帯が根を張っている希望。彼らの気高さは、トランプ支持とは相いれないはずだ。 
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2017年03月21日

お嬢さん

 1939年、日本統治下の朝鮮半島。盗賊団に育てられた孤児のスッキ(キム・テリ)は、藤原伯爵を名乗る男(ハ・ジョンウ)に依頼され、上月伯爵の姪・秀子(キム・ミニ)の侍女となった。藤原伯爵は、実は朝鮮人の詐欺師で、スッキに協力させて秀子を籠絡し、彼女が相続する莫大な財産を奪おうというのだった。

 人里離れた上月家の屋敷。書院造りの日本家屋と、ヴィクトリア式の洋館が合体した屋敷は、広大すぎて屋敷というより宮殿のよう。広い書斎や地下室は、暗くて堅牢な牢獄のようだ。
 主人である上月(チョ・ジヌン)も朝鮮人で、成り上がるために日本人女性と結婚していた。秀子はその女性の姪で、両親を失くした幼い秀子を、女性が上月家に引き取ったのだった。だが、叔母は自殺し、秀子は天涯孤独の身となっていた。

 屋敷を一歩も出たことのない秀子を、スッキは扱いやすい相手と見るが、美しさに驚き惹かれつつ、次第に彼女の孤独に同情していく。そして、藤原の求愛にとまどい、信じていいのか迷う秀子に助言しているうちに、思わず彼女と深い仲になってしまう。だが、少々心が揺らいでも、スッキの目的はあくまで金だった。ところが、藤原の手先として、秀子をうまくだましているつもりのスッキは、実は秀子にだまされていたのだった。

 幼い頃から叔父に春本を読まされていた秀子。大人になった彼女は、叔母がそうしていたように、名士たちを集めた客間で、卑猥な物語を朗読させられる。ずばり性器を指す言葉や、生殖器の状態の微に入り細に入る描写を、日本語で聞くのは衝撃だった。だが、サド風の描写を真に迫って朗読していても、秀子は人形のようで、彼女がエロスを感じているようには見えない。彼女はいわば、男たちの性的な妄想の生贄で、彼女自身の感情や自由は抑圧されているのだ。叔父は、幼い頃から折檻と恐怖で彼女を支配していた。がんじがらめの境遇から逃げたい秀子は、上月と組んで、自分の身代わりを探していたのだ。

 互いに騙し合い、相手を陥れるつもりのスッキと秀子。物語は3部構成で、1部はスッキの視点で、2部は秀子の視点で描かれる。同じ出来事が、まったく違う様相を帯びてくるのが、おぞましくもスリリング。最後は
藤原の視点に移るのだが、手慣れた誘惑者のはずの彼が、実際には秀子の心身を全く手に入れられないまま、もがき続けるのが滑稽だ。何度もどんでん返しが起こり、先の読めないストーリーの果て、彼は自分が想像もしなかったワナに落ちる。

 浴槽につかっている秀子の口に、スッキが指を入れて歯を削るシーンなど、若い二人の間には、初めからエロスが匂い立っていた。危うげな雰囲気から一転、全裸のあからさまなレズシーンは強烈。幼い頃から性的な搾取を受けていた秀子にとって、スッキとの関係は、やっと手に入れた性の解放だったろう。ゆがんだ敗退的な男たちの妄想に比べて、二人の姿は健康な力にあふれていると思う。
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2017年03月12日

ショコラ 君がいて、僕がいる

 19世紀末の北フランス。人気の落ちた道化師フティット(ジェームス・ティエレ)は、黒人カナンガ(オマール・シー)に目をつけてコンビを組む。サーカスに採用されると、息の合ったダイナミックな芸でたちまち人気者に。評判を聞いた興行師に引き抜かれてパリの名門ヌーヴォー・シルクに「フティットとショコラ」として登場すると、大勢の観客を魅了して、二人の名前はパリ中に知れ渡っていった。

 小屋のようなサーカスから、豪華な会場でのショーへ。客も、素朴な村人からパリの名士へ。貧しかった二人は、高いギャラをもらい、身なりも生活も変わっていく。コインの表裏のように一体の彼ら。だが、芸のことばかりを考えて禁欲的なフティットとは対照的に、ショコラは女たちを次々と口説き、酒やギャンブルにのめり込んでいく。

 元奴隷で、逃げ出したあとも転々としながら苦労を重ねたショコラにとって、放埓さは、成功したからこその証で、自由を謳歌する姿だったろう。一方で、黒人であることは、当時はまだひどい差別の対象で、人気者となってさえ受ける屈辱が、彼をより酒やギャンブルに向かわせてしまう。
 身分証がないために逮捕されると、タワシで体中をこすられる拷問を受け、息絶え絶えに。黒人が有名人なら、よけいに思い知らせるような残虐な目に合わされるのだ。釈放後も、植民地博覧会で、アフリカ人が”展示”されているのを目撃してショックを受ける。そして、それらの度に思い出すのは、犬のように白人に仕えていた父の姿だった。

 そして、芸人としての葛藤もあった。フティットは本名なのに、ショコラは黒人としてのあだ名のようなもの。ふたりのユーモラスな出し物は、いろんな場面設定の多彩なものなのに、ショコラがフティットに尻を蹴られるシーンばかりが強調され、彼らの芸の代名詞のように語られた。

 どんな時にもショコラの味方だったフティット。だが、おそらく世間が思っている社会の位置が違うことで、次第に対立が生まれていく。フティットは、ショコラの才能を見抜いたからこそ彼とコンビを組んだ。だが、受けるために、観客が思い描く白人と黒人の上下関係を、芸に反映させる。口角の下がった意地悪な化粧は、黒人への軽蔑にも見える。だが実際は、練習をさぼるショコラへの不満や、コンビとしての不安や、彼自身の孤独を表していたのだろう。

 コンビを解消し、一人のアーティストとして認められたいと願い、「オセロ」の黒人役を演じたショコラを苦難が襲う。才能にあふれながら、当時の社会状況の中、彼は多分早く生まれ過ぎた人物だったのだろう。だが、黒人の芸人として、まぎれもないパイオニアだ。病院で子供たちの慰問を続けた優しい精神とともに、彼の苦悩や戦いに、再び光が当てられてよかったと思う。 
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2017年02月26日

たかが世界の終り

 自分の余命が少ないことを知り、パリから12年ぶりに実家に帰ってきた脚本家のルイ(ギャスパー・ウリエル)。母(ナタリー・バイ)と、兄アントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)と彼の妻カトリーヌ(マリオン・コティアール)、妹シュザンヌ(レア・セドゥ)の出迎えを受けるが、再会を喜ぶ一方で、待ち受けた家族の間では早くも火花が散り出す。「タクシーで来るなら車を出したのに」と言うシュザンヌと同じ言葉を母が言うと、シュザンヌは怒り出す。家族が同じ意見を持つのは和やかなことのはずなのに、「シュザンヌがいうように」の一言がないのは、彼女の言葉を聞いていなかったか、無視したかのようにも取れる。こんな言葉の行き違いによる、不毛なやりきれなさが、ずっと続いていくのだ。

 長く離れていたために、ルイとカトリーヌは初対面。カトリーヌが子供の名前について、なぜルイと同じ名前かを話し始めると、突然アントワーヌが、「そんな話はルイは退屈してる」と横ヤリを入れる。だが、初対面の身内に家族の話をできないのなら、何を話せばいいのだろう。家族の中では、場にふさわしいかとか、相手の興味に合っているかなど、いちいち考えないでいるものだ。だが、それらを意識した途端、すべては意味のない空回りに思われる。

 小さい頃に別れたため、成長を見なかった妹。シュザンヌはルイへの憧れを語るが、簡単な手紙しかもらえずに経ってしまった歳月への不満を、つい口にする。
 理解できないが愛している、と言ってくれた母。だが、明るい会話を望むあまり、泣き言をいう時ではないとルイに言い、結局ルイは、二人きりで話した相手のどちらにも、自分はもうじき死ぬのだ告白する機会を与えられない。

 家のあちこちを移動するカトリーヌと、ルイは何度も不意に二人きりになる。不器用で自信なさげな、他人である彼女ひとりが、実はルイの不安定な心情を、最も敏感に感じ取る。彼女はいわば家族とのルイの媒体だが、彼女の配慮は結局実を結ばない。

 誰との会話でも常に聞き役で、何も話していなかったルイが、饒舌になるのはアントワーヌとの車の中。空港から家までの道程を細かく話すルイに、アントワーヌは下らないと怒り出す。だが、家族の会話とは、そういうどうでもいいことの堆積ではないのか。
 アントワーヌは、ルイは自分たちに話すべきことを何も話していない、と不満な反面、それを聞くのは怖いのだろう。彼には多分、昔から弟への嫉妬や、自分への無関心に対する怒りがあって、抑えきれない感情が吹き出して状況を破壊してしまうのだ。

 拒否されて宙に浮く言葉、中断される会話。それでも激しくけたたましい言葉の数々の裏で、本当に聞きたいこと、話さなければならないことは押し込められたまま。その中で、息苦しいほどの緊迫感がずっと立ち込めている。たった一日がひどく長く、消耗的だ。

 やっと告白を決心したルイだったが、ふとした言葉の応酬にアントワーヌが激昂し、せっかくの帰郷は突然終わってしまう。すがってくる母や妹。それは家族だからこその強烈な愛情だ。家族だからこそ、最後に会いに帰ってきた。そして、家族だからこそ、居場所のなさがいたたまれない。とうに孤独だったはずのルイが、帰ってきたばかりに深い孤独に沈むラストが悲しすぎる。
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2017年02月17日

未来を花束にして

 1912年のロンドン。洗濯工場で働く21歳のモード・ワッツ(キャリー・マンガン)は、同僚のバイロレット・ミラー(アンヌ・マリー=ダフ)に誘われて行った公聴会で、思いがけずバイオレットに代わって発言したことをきっかけに、女性参政権を求める活動に関わるようになる。

 当時の女性の境遇に驚く。モードが洗濯工場で働き出したのは、7歳から。母親も子供の頃から同じ工場で働いていた。賃金は、男性が19シリング、女性は13シリングしかないのに、労働時間は女性の方が3時間も多かった。労働の過酷さから洗濯女の寿命は短く、モードの母は彼女を産んだ4年後に死んでいる。学問も与えられない中、洗濯女の子供は洗濯女にしかなれないのだった。

 そして当時の女性には、子供の親権も財産の管理権もなかった。政治参加も許されず、父親や夫が代弁すればいいとされていた。そんななか、女性参政権は状況をうち破る大きな希望だった。モードは、当たり前のように耐えてきた理不尽な不平等から、違う生き方を求めて運動に惹かれていく。

 女性たちの思いを束ねたリーダーは、エメリン・パンクハースト夫人。労働者階級の女たちと、中産階級の女たちが、身分を越えて運動を進めていった。エメリン役のメルリ・ストリープが屋敷の窓下に集まった大勢に貫禄たっぷりに演説するシーンは、先日の授賞式でのトランプ批判を思い出した。
 
 参政権を求める女性たちは危険視され、公聴会で意見を聞くパーフォーマンスの一方で、活動家たちには写真による監視がなされていた。
 修正案却下に抗議し、議会前に集まった女たちを、取り囲んだ警官隊が殴りかかる。逮捕されたモードたちがハンストをすると、数人で押さえつけて、鼻からチューブで流動食を流し込むという拷問が待っていた。警察の徹底した弾圧の酷さは、どれほど彼女たちを恐れていたかということでもあるだろう。

 彼女たちの手段も過激で、「言葉よりも行動を」のスローガンのもと、誰も傷つけないよう早朝に郵便ポストを爆破したり、通信手段を切断したり、政府要人の別荘を破壊したり。それでも新聞が無視すると、ついに国王への直訴を思いつく。

 職場や近所の冷たい目。優しかった夫も、言うことを聞かない妻を冷笑され、モードを家から追い出し、息子とも会えなくなってしまう。子供を思う母の切なさ。平等や当たり前の生き方を求めようとして、彼女が払った犠牲はあまりにも大きい。
 弾圧にも別離にも、心折れながら決して負けずに、命がけで闘った彼女たち。私たちが当然のように行使している権利は、彼女たちが流した血と涙の結晶なのだ。遠い歴史がずっしりと重いと思った。
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2017年01月22日

アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男

 1950年代後半。フランクフルトのヘッセン州検事長フリッツ・バウアー(ブルクハルト・クラウスナー)は、ナチスによる戦争犯罪の告発に執念を燃やしていたが、真剣に取り組んでいるのは組織の中で彼ひとり。部下たちはやる気がなく、オフィスから度々事件のファイルが盗まれる始末で、戦後10年が経っても捜査は進んでいなかった。
 そんな中、ユダヤ人の強制収容所への輸送を指揮したアイヒマンが、アルゼンチンに潜伏しているという情報が、バウアーにもたらされる。

 当時の西ドイツは、ナチの残党が政府の中枢に居座っていて、官房長官のゲロプケは、ユダヤ人から公民権を奪った「ニュンベルグ法」に関わった人物。警察内部も同様で、連邦刑事局のゲープハルトは元親衛隊少尉、上席検事のクライスラーも元親衛隊員だった。不都合な事実の封印が解かれるのを恐れる彼ら。権力をもち、妨害のためにあらゆる手段を駆使できる強力な敵に囲まれながら、バウアーは、恐れることなく自らの信念を貫いていく。

 ユダヤ人のバウアーを、周囲は復讐の鬼だと見ていたが、彼の信念はもっと深い洞察に支えられていた。復興に邁進するなか集団忘却に陥っていた祖国に対し、忌まわしい過去に向き合うことなしには、真に民主主義の社会を築くことはできない、と考えていたのだ。そのためには、どうしても戦犯をドイツの法廷で裁かなければならないと。そして、今後を背負う若い世代に、過去と向き合う勇気と希望を託していた。

 自分に共鳴した若い検事カール・アンガーマン(ロナルト・ツァルフェルト)を右腕にして、捜査を始めたバウアー。だが、インターポールも、国際裁判所も、政治犯には関知しないという。当時の国際状況も壁として立ちはだかり、冷戦の時代、西ドイツ政府が弱体化するのを嫌がったアメリカも、協力を渋っていた。
 状況を打開すべく、バウアーは、イスラエルの情報機関モサドに情報を伝えて協力を依頼する。だが、それは国家反逆罪に触れることだった。

 モサドが対象をアイヒマンではないと疑ったことから、バウアーが第2の証拠を掴むまでの過程が、サスペンスのようだった。本当に味方なのか分からない、ジャーナリストのモアラッハ。彼が、アルゼンチンでアイヒマンをインタビューした記者から、テープを入手する。「私の罪は、1030万人のユダヤ人を絶滅できなかったことだ。それが達成されていたら、すべての問題を解決できた」と話すアイヒマンの断固とした口調は、後の裁判でただ命令に従っただけだと言った彼とは、隔絶の感があると思った。

 バウアーは、自分の組織を欺くためにガセ情報を発表し、モサドとともにアイヒマンを追い詰めていく。バウアーを国家反逆罪に問うために手を回す内部の敵との闘いも、とてもサスペンスフルだった。

 物語で大きなカギを握るのは、同性愛。バウアーは同性愛者で、亡命先での買春で逮捕歴があった。ナチは、ユダヤ人や障害者とともに同性愛者を強制収容所に送ったが、1950年代のドイツでも、男性同性愛は刑法173条により犯罪だった。ナチの数々の悪法も、刑法173条も、少数者に対する社会の反感や排除を表している。人権を抑圧する法律が、当たり前のように適応される社会の恐ろしさを改めて思った。
posted by HIROMI at 10:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記