夫を亡くした高齢のエヴァ(シャーリー・マクレーン)。その葬儀のシーンからもう笑える。大泣きしてくれる親友のマディ(ジェシカ・ラング)だが、涙の原因は、実は彼女の夫が浮気相手同伴で参列していたこと。次々とあいさつしていく人の中に、早くも家を売る算段をしている娘が連れてきたリフォーム業者がまぎれていて、カーテンだの壁紙だのとまくしたてる。極めつけは、エヴァの元生徒が、やもめになった自分の父親とエヴァをくっつけようと画策してくる。
だが、本当のビックリはここからで、5万ドルだったはずの夫の保険金が、500万ドルも入ってくる。保険会社に電話するも通じず、銀行の審査もなぜか通って、イケナイとは思いながらも、スイスイいってしまう現実の波に身をまかせることに。何より、余命何か月というマディの告白に、エヴァは、手にした金を思い切りやりたいことに使おうと決心するのだった。
カナリヤ諸島に飛んだ二人は、高級ホテルのスイートに泊まり、ドレスを買いこんでオシャレし放題。派手なドレスを堂々と着こなしたエヴァは、ゴージャスで綺麗。元々美人のマディも負けてない。
そんな二人に、レーシーと名乗る老人が近づいてくる。紳士然としてるけど手が早そうで、もしかしたら認知症かもしれない彼と、エヴァは何とデキてしまう。
新しい体験を前におずおずのエヴァとは対照的に、マディの肉食系ぶりがおもしろかった。20代から60代という広い射程で、ハンサムで体格のいい男を自分の近くに案内するよう、メイドにチップを渡すと、思い切り若い男が横にきて、「卒業」を知っているかとマディに尋ねる。青年はマディに、その映画のミセス・ロビンソンを重ねていて、二人はすぐにベッドイン。何の迷いもないマディの、キラキラ生き生きがまぶしい。
重大ミスに気付いた保険会社の調査員と、事情を知った娘夫婦が、エヴァとマディを追ってやって来る後半は、二人の向こう見ずな大胆さが、さらにパワーアップして、地元民が恐れる詐欺グループの本拠地で大騒ぎに。
いろいろあっても懲りないエヴァとマディは、ラストにはさらにハッピーになってる。マディが余命いくばくなんて、本当にウソのよう。お茶目なエヴァが素敵だった。年を取るのが怖くなくなる映画でした。
2017年07月16日
2017年07月10日
セールスマン
アパートが倒壊の危機に見舞われ、新しい住居を探さなければならなくなった若い夫婦のエマッドとラナ。演劇仲間のババクが紹介してくれた物件に引っ越した二人だったが、終演後に検閲官に合うエマッドを残して先に帰ったラナは、呼び鈴を夫と間違えて施錠を降ろし、侵入者に襲われてしまう。
倒壊騒ぎの近くでは、ショベルカーがで地下深くを掘っていて、二人が住むテヘランの乱開発が伺える。建物の壁ばかりが見える風景はどこか殺伐としている。彼らの新居も、壁がはがれ、一部では雨漏りも。そして、前の住人の大量の私物が残されているのだった。
けがを負ったラナは、最初はショックで無表情。そして、次には恐怖や不安が押し寄せる。事件のせいで夜は夫を拒否する一方、昼には、仕事に行こうとする彼にそばにいて欲しいと頼む。警察に行こうというエマッドに対し、ラナはそれを拒否。ただ忘れたいと言いつつ、感情を乱す彼女に対し、エマッドは困惑をつのらせていく。
実は前の住人が娼婦だった、と知らされた二人。劇団仲間の小さな子供を預かって、ラナとエマッドが久しぶりに囲んだ楽しい食卓が、一瞬で暗転するシーンが怖かった。料理のためにラナが使った金が、犯人が残したものだと気付いたエマッドは、3人の食事を中断させる。妻の身に実際何が起こったのか、暗い確信と復讐心が立ち上がり、自ら犯人捜しをしていたエマッドの行動が、ここから加速していく。
だが、状況には不可解な点が多いと思った。エマッドは、犯人が残した車のキーから、車を見つけ出し、ついには犯人を捜し出すのだが、金を残す余裕があった犯人が、なぜキーを部屋に忘れて帰ったのだろう。足にけがを負ったまま。それに、ついに現れた犯人は、レイプと結びつけるには、あまりに老いぼれているではないか。
登場人物たちがつく少しずつのウソが、彼らの間に溝を作っていく。ラナは、犯人の顔を見ていないといいながら、上演中に男の眼を思い出して取り乱した。前の住人のことを二人に告げなかったババク。留守電には、彼が娼婦に話す親しげなメッセージが残っていた。
アーサー・ミラーの「セールスマンの死」の舞台が、何度もはさみ込まれるが、現実には何とか抑えられているラナの激しい恐怖や、エマッドのババクに対する軽蔑や怒りが、演じているはずの舞台上で吹き出すのが印象的だった。
最も大きくウソをつくのは犯人だ。だがなぜ彼は、自分がキーを忘れた場所に、犯行に使った車で出かけてきたのだろう。ガードの固い何食わぬ顔の老人は、エマッドの激しい追及の前に、次第に抵抗を失くしていく。そして、絶望にうなだれる老人を前に、許したいと願うラナと、復讐に燃えるエマッドの思いが対立するのだ。ラナには、家族の前で、すべてを失ってしまうだろう老人は、あまりに無力で哀れだったのだろう。
映画の終わりまで、前の住人だった娼婦は、まだ部屋が見つかっていない。それなら、なぜ彼女は部屋を出ていったのだろうか。最後まで姿を見せず、詳しいことは描かれない彼女。ラナもエマッドも、誰も気にかけない彼女は、小さな子供をつれて、どこにいるのだろう。謎の多い、不条理劇を観たような気分になった。
倒壊騒ぎの近くでは、ショベルカーがで地下深くを掘っていて、二人が住むテヘランの乱開発が伺える。建物の壁ばかりが見える風景はどこか殺伐としている。彼らの新居も、壁がはがれ、一部では雨漏りも。そして、前の住人の大量の私物が残されているのだった。
けがを負ったラナは、最初はショックで無表情。そして、次には恐怖や不安が押し寄せる。事件のせいで夜は夫を拒否する一方、昼には、仕事に行こうとする彼にそばにいて欲しいと頼む。警察に行こうというエマッドに対し、ラナはそれを拒否。ただ忘れたいと言いつつ、感情を乱す彼女に対し、エマッドは困惑をつのらせていく。
実は前の住人が娼婦だった、と知らされた二人。劇団仲間の小さな子供を預かって、ラナとエマッドが久しぶりに囲んだ楽しい食卓が、一瞬で暗転するシーンが怖かった。料理のためにラナが使った金が、犯人が残したものだと気付いたエマッドは、3人の食事を中断させる。妻の身に実際何が起こったのか、暗い確信と復讐心が立ち上がり、自ら犯人捜しをしていたエマッドの行動が、ここから加速していく。
だが、状況には不可解な点が多いと思った。エマッドは、犯人が残した車のキーから、車を見つけ出し、ついには犯人を捜し出すのだが、金を残す余裕があった犯人が、なぜキーを部屋に忘れて帰ったのだろう。足にけがを負ったまま。それに、ついに現れた犯人は、レイプと結びつけるには、あまりに老いぼれているではないか。
登場人物たちがつく少しずつのウソが、彼らの間に溝を作っていく。ラナは、犯人の顔を見ていないといいながら、上演中に男の眼を思い出して取り乱した。前の住人のことを二人に告げなかったババク。留守電には、彼が娼婦に話す親しげなメッセージが残っていた。
アーサー・ミラーの「セールスマンの死」の舞台が、何度もはさみ込まれるが、現実には何とか抑えられているラナの激しい恐怖や、エマッドのババクに対する軽蔑や怒りが、演じているはずの舞台上で吹き出すのが印象的だった。
最も大きくウソをつくのは犯人だ。だがなぜ彼は、自分がキーを忘れた場所に、犯行に使った車で出かけてきたのだろう。ガードの固い何食わぬ顔の老人は、エマッドの激しい追及の前に、次第に抵抗を失くしていく。そして、絶望にうなだれる老人を前に、許したいと願うラナと、復讐に燃えるエマッドの思いが対立するのだ。ラナには、家族の前で、すべてを失ってしまうだろう老人は、あまりに無力で哀れだったのだろう。
映画の終わりまで、前の住人だった娼婦は、まだ部屋が見つかっていない。それなら、なぜ彼女は部屋を出ていったのだろうか。最後まで姿を見せず、詳しいことは描かれない彼女。ラナもエマッドも、誰も気にかけない彼女は、小さな子供をつれて、どこにいるのだろう。謎の多い、不条理劇を観たような気分になった。
2017年06月29日
オリーブの樹は呼んでいる
冒頭、すし詰めの鶏たちにエサをまきながら死骸を無造作に拾っては捨てる、養鶏場のシーンが殺伐としている。そこでの労働が、20歳のアルマの日常だ。
無機質な養鶏場と対照的に、近くに広がる明るいオリーブ園。そこには樹齢千年を超える大木が、赤茶の大地に根を張っていて、アルマの祖父が大事にしていた古木もあったのに、父が反対を押し切って売ってしまったのだった。
祖父に連れられた幼いアルマが、古木に登って遊ぶシーンが、何度もフラッシュバックされる。アルマにとっては、祖父との思い出そのものであり、祖父にとっては、自分の生きた証であり、祖先から受け継ぎ次代に渡すべき遺産だった。泣きじゃくるアルマと、彼女を抱きながら為すすべのない祖父の前で、その樹が切られる場面は、胸が痛かった。
呆けたように口がきけなくなった祖父を救うために、樹を取り戻そうと決意するアルマ。変わり者の叔父アンティチョークと、同僚のラファを巻き込んで、樹が売られたドイツまでを旅して行くが、道続きのヨーロッパで、トラックが軽々と国境を越えて行くのが印象的だった。その道中、家族のその後が明らかになっていく。
好景気の折り、オリーブの樹は大金となって、一時家族をうるおしたものの、父はレストラン経営に失敗し、今はまた貧しさの中。祖父から大事なものを奪った父もまた、娘の信頼を含め、すべてを失った人間なのだ。
アンティチョークが盗んで壊す自由の女神は、個人の家の前にあると、ひどく趣味の悪い置物に見えた。そして、ドイツの大企業のロビーに飾られたオリーブの古木も、多分それだけを見れば巨大な盆栽のような立派なオブジェに思えたかもしれないが、農園での自然な姿を見た後では、同じく奇妙な悪趣味でしかない。経済の非情さや、市場の傲慢さの象徴のよう。
気性の激しいアルマが、取り憑かれたように起こす行動は、まったく無謀だが、SNSでのやり取りがドイツの人々の共感を呼んで、座り込みを続けるアルマたちに加勢がやってくる。孤独な闘いに希望が見えるシーンがよかった。アルマが持ち帰った接ぎ木は、オリーブの強い生命力と、彼女の時代につなぐ故郷の歴史が込められていると思う。
無機質な養鶏場と対照的に、近くに広がる明るいオリーブ園。そこには樹齢千年を超える大木が、赤茶の大地に根を張っていて、アルマの祖父が大事にしていた古木もあったのに、父が反対を押し切って売ってしまったのだった。
祖父に連れられた幼いアルマが、古木に登って遊ぶシーンが、何度もフラッシュバックされる。アルマにとっては、祖父との思い出そのものであり、祖父にとっては、自分の生きた証であり、祖先から受け継ぎ次代に渡すべき遺産だった。泣きじゃくるアルマと、彼女を抱きながら為すすべのない祖父の前で、その樹が切られる場面は、胸が痛かった。
呆けたように口がきけなくなった祖父を救うために、樹を取り戻そうと決意するアルマ。変わり者の叔父アンティチョークと、同僚のラファを巻き込んで、樹が売られたドイツまでを旅して行くが、道続きのヨーロッパで、トラックが軽々と国境を越えて行くのが印象的だった。その道中、家族のその後が明らかになっていく。
好景気の折り、オリーブの樹は大金となって、一時家族をうるおしたものの、父はレストラン経営に失敗し、今はまた貧しさの中。祖父から大事なものを奪った父もまた、娘の信頼を含め、すべてを失った人間なのだ。
アンティチョークが盗んで壊す自由の女神は、個人の家の前にあると、ひどく趣味の悪い置物に見えた。そして、ドイツの大企業のロビーに飾られたオリーブの古木も、多分それだけを見れば巨大な盆栽のような立派なオブジェに思えたかもしれないが、農園での自然な姿を見た後では、同じく奇妙な悪趣味でしかない。経済の非情さや、市場の傲慢さの象徴のよう。
気性の激しいアルマが、取り憑かれたように起こす行動は、まったく無謀だが、SNSでのやり取りがドイツの人々の共感を呼んで、座り込みを続けるアルマたちに加勢がやってくる。孤独な闘いに希望が見えるシーンがよかった。アルマが持ち帰った接ぎ木は、オリーブの強い生命力と、彼女の時代につなぐ故郷の歴史が込められていると思う。
2017年06月04日
光と影のバラード
赤軍が勝利を収めたものの、まだ内戦状態が続いていた、ロシア革命直後のソ連。困窮する市民への援助要請を受けて、モスクワへ金塊を送ることが決定されるが、その金塊をめぐって、敵である白軍や無政府主義者たちが入り乱れて、争奪戦を繰り広げることとなる。
建物の中で、請求書を読み上げる者、無為をむさぼる者、報告を待つ者。雑然とする中、通信が読みあげられると、突然会議が始まり、組織が動き出す。複雑な緩急で進む画面が、思い切り自由な感じ。
公安委員会や党という、重苦しい言葉が飛び交うが、登場人物たちがいるのは、広大な草原の中の粗末な建物。車を牛の大群がさえぎったり、建物の前に大量の洗濯物がはためいたり、風景が美しく牧歌的。
そして、官僚体制がまだ出来上がっていないのか、もと戦友だった彼らの間には、身分の上下がそれほど感じられない。彼らには、ともに戦った深い絆があるはずなのだ。
だが、組織が恐れたとおりに裏切りが起こり、発端となった殺人の黒幕が誰なのか、ミステリーが明かされていく過程と、まるで西部劇のようなアクション満載の追跡劇がからんでいく。
拷問の跡を残して惨殺された仲間の死体が発見される場面や、列車が襲われて機関士や乗客が撃ち殺される場面など、突然で無残な死の描写が迫真。陰謀や災難が日常であるかのように、人々が次々と死んでいく。
金塊を運ぶはずだったフーロスは、何者かに意識を奪われて不在だった3日間を、仲間に疑われて拘束される。だが、護送の途中に脱走し、金塊のゆくえを追って、列車強盗のブロイエフと渡り合う。
この物語の美しさは、フーロスが自分を疑った仲間を恨まず、出会った敵をむやみに殺さず、正しいことをするために奮闘する姿だ。金塊のありかを他言するかもしれない村人を助け、負傷した裏切り者のレノケを背負って、どこまでも歩いていく。彼は理想を信じ、仲間との記憶を胸にたぎらせているのだ。
映画の冒頭、赤軍の勝利に感極まって抱き合う男たちが映されるが、その素朴で美しいシーンが、見事に重なるラストが、とても感動的だった。
建物の中で、請求書を読み上げる者、無為をむさぼる者、報告を待つ者。雑然とする中、通信が読みあげられると、突然会議が始まり、組織が動き出す。複雑な緩急で進む画面が、思い切り自由な感じ。
公安委員会や党という、重苦しい言葉が飛び交うが、登場人物たちがいるのは、広大な草原の中の粗末な建物。車を牛の大群がさえぎったり、建物の前に大量の洗濯物がはためいたり、風景が美しく牧歌的。
そして、官僚体制がまだ出来上がっていないのか、もと戦友だった彼らの間には、身分の上下がそれほど感じられない。彼らには、ともに戦った深い絆があるはずなのだ。
だが、組織が恐れたとおりに裏切りが起こり、発端となった殺人の黒幕が誰なのか、ミステリーが明かされていく過程と、まるで西部劇のようなアクション満載の追跡劇がからんでいく。
拷問の跡を残して惨殺された仲間の死体が発見される場面や、列車が襲われて機関士や乗客が撃ち殺される場面など、突然で無残な死の描写が迫真。陰謀や災難が日常であるかのように、人々が次々と死んでいく。
金塊を運ぶはずだったフーロスは、何者かに意識を奪われて不在だった3日間を、仲間に疑われて拘束される。だが、護送の途中に脱走し、金塊のゆくえを追って、列車強盗のブロイエフと渡り合う。
この物語の美しさは、フーロスが自分を疑った仲間を恨まず、出会った敵をむやみに殺さず、正しいことをするために奮闘する姿だ。金塊のありかを他言するかもしれない村人を助け、負傷した裏切り者のレノケを背負って、どこまでも歩いていく。彼は理想を信じ、仲間との記憶を胸にたぎらせているのだ。
映画の冒頭、赤軍の勝利に感極まって抱き合う男たちが映されるが、その素朴で美しいシーンが、見事に重なるラストが、とても感動的だった。
2017年05月07日
午後8時の訪問者
体調を崩した先輩医師の代わりに、小さな診療所に勤務していた若いジェニー。研修生のジュリアンを指導しながら患者を診終わり、診療時間がとうに過ぎた8時過ぎに、ドアのベルが鳴った。応対しようとしたジュリアンを制止したジェニーだったが、翌日、診療所近くで身元不明の少女の遺体が見つかったと知らされ、それはベルを押した人物だと分かる。
ジェニーはジュリアンに、患者の痛みに感情移入しすぎると注意していた。冷静さや患者との適度な距離は、確かに医者として必要なこと。一方、診療所を去る彼女との別れを惜しんだ患者が歌をプレゼントするほど、彼女は患者に寄り添ってきた。指導する立場として、上下関係を見せようとして、訪れた人を受け入れたいという自分の思いを抑えたのだった。
助けを求めた少女を見殺してしまったという罪悪感に襲われたジェニーは、少女の死に取り憑かれたかのように、その真相に迫ろうとする。
携帯に取り込んだ少女の写真を、自分が代理をした医師や、ジュリアンや、患者たちに見せてまわるが、誰も知らないという。ところが、ブライアンという少年を往診した時、脈が急に速くなったことで、彼が彼女を知っていると気付くのだった。どうしても口を割ろうとしない彼から、やっとき聞き出せたことは、少女が娼婦かもしれない、ということだった。
ブライアンはずっと胃の痛みを訴えてる。それは、彼が目撃し隠していることと関係しているのだろう。情事の場所としてトレーラーを貸していた男性の父親も、ジェニーに問われると、急に胸の痛みを訴える。ブライアンをかばってジェニーに抗議に訪れた彼の父親も、話しているうちに心臓の激痛に襲われる。皆、心の痛みや葛藤が、体の反応として表れているのだ。
ジュリアンが去って一人で働くジェニーは、受付や看護師の仕事も含め、すべて一人でやっている。往診すれば、介護士のよう。福祉事務所との連絡を取ったり、一人ひとりへの丁寧な対応は、予約制だからだろうか。医師との対面がたった数分の日本とは、格段の差を感じてしまう。生きている時間のすべてを捧げるように医療に従事しながら、ねばり強い聞き込みを続けるジェニー。そんな彼女も、疲れや焦燥感が、ニコチン中毒という症状となっているかのようだ。
だが、ジェニーに問われた彼らは、葛藤の中で変化を見せていく。ブライアンの父は自分と向き合う。ネットカフェで偶然写真を見せられた少女の姉も、自分の思いに気付く。そしてそれが、少女の死の謎と彼女の身の上を明かしていくことにつながっていく。
そして、ジェニー自身も、少女を探す中、自分の生き方が定まっていく。就職が決まっていた大きな病院を断り、人々に近い小さな病院が自分の居場所だと気付くのだ。
死んでしまった少女は、黒人の移民だった。彼女が誰かを探す中、ジェニーは組織に脅迫されるが、それだけで少女が生きていた過酷な状況が想像される。
ジェニーはジュリアンに、患者の痛みに感情移入しすぎると注意していた。冷静さや患者との適度な距離は、確かに医者として必要なこと。一方、診療所を去る彼女との別れを惜しんだ患者が歌をプレゼントするほど、彼女は患者に寄り添ってきた。指導する立場として、上下関係を見せようとして、訪れた人を受け入れたいという自分の思いを抑えたのだった。
助けを求めた少女を見殺してしまったという罪悪感に襲われたジェニーは、少女の死に取り憑かれたかのように、その真相に迫ろうとする。
携帯に取り込んだ少女の写真を、自分が代理をした医師や、ジュリアンや、患者たちに見せてまわるが、誰も知らないという。ところが、ブライアンという少年を往診した時、脈が急に速くなったことで、彼が彼女を知っていると気付くのだった。どうしても口を割ろうとしない彼から、やっとき聞き出せたことは、少女が娼婦かもしれない、ということだった。
ブライアンはずっと胃の痛みを訴えてる。それは、彼が目撃し隠していることと関係しているのだろう。情事の場所としてトレーラーを貸していた男性の父親も、ジェニーに問われると、急に胸の痛みを訴える。ブライアンをかばってジェニーに抗議に訪れた彼の父親も、話しているうちに心臓の激痛に襲われる。皆、心の痛みや葛藤が、体の反応として表れているのだ。
ジュリアンが去って一人で働くジェニーは、受付や看護師の仕事も含め、すべて一人でやっている。往診すれば、介護士のよう。福祉事務所との連絡を取ったり、一人ひとりへの丁寧な対応は、予約制だからだろうか。医師との対面がたった数分の日本とは、格段の差を感じてしまう。生きている時間のすべてを捧げるように医療に従事しながら、ねばり強い聞き込みを続けるジェニー。そんな彼女も、疲れや焦燥感が、ニコチン中毒という症状となっているかのようだ。
だが、ジェニーに問われた彼らは、葛藤の中で変化を見せていく。ブライアンの父は自分と向き合う。ネットカフェで偶然写真を見せられた少女の姉も、自分の思いに気付く。そしてそれが、少女の死の謎と彼女の身の上を明かしていくことにつながっていく。
そして、ジェニー自身も、少女を探す中、自分の生き方が定まっていく。就職が決まっていた大きな病院を断り、人々に近い小さな病院が自分の居場所だと気付くのだ。
死んでしまった少女は、黒人の移民だった。彼女が誰かを探す中、ジェニーは組織に脅迫されるが、それだけで少女が生きていた過酷な状況が想像される。
2017年04月10日
汚れたミルク
1994年のパキスタン。国産の薬のセールスマンのアヤン(イムラン・ハシュミ)は、病院で門前払いを受けるばかり。医師たちは、多国籍企業の薬が国産のそれより5倍も高価で、貧しい人たちが買えないことは無視して、前者を採用していた。家族を養えずに困ったアナンは、妻ザイナブ(ギータンジャリ)の助言で、粉ミルクを売る多国籍企業に応募する。
医師とのパイプ強調して採用されたアナンだったが、上司のビラル(アディル・フセイン)は軍の上官みたいで、倫理や社会貢献とは無縁に、販売拡大ばかりが強調される。そして、ターゲットにした医師を、金品で釣るよう指導されるのだった。
看護師たちに粗品を配って、医師の趣味など情報を聞きだし、まき金プラス好きな音楽のカセットを渡したり、医師たちのパーティーの飲食代をもったり。そんな無節操な買収活動で、自社の製品を乳児に処方するよう働きかけるのだ。製品の優秀さを信じていたアナンは、非常に有能なセールスマンだった。
だが、3年後、アナンは友人の医師ファイズ(サティヤディーブ・ミシュラ)から、自社の製品のせいで大勢の赤ん坊が死んでいる、という事実を知らされる。下水道の整備がない中、不潔な水で溶いたミルクで下痢を起こしたり、高価なミルクを買い続けられないために、薄いミルクで栄養不良に陥ったり。深刻な事態にショックを受けたアナンだったが、恐ろしいことに、会社は事態をとうに知っていたばかりか、「金品の授与を禁じた書類を渡していた」というのだ。守らせるつもりのないルールは、会社の逃げ道のために作ったものなのだろう。
アナンは、会社をやめただけでなく、販売中止を求める告発状を会社に送り、それを無視されると、WHOに通報した。重い状況を引き起こした当事者として、やむにやまれない思いで行動したのだ。
そんなアナンに、一斉攻撃が始まる。医師たちもアナンを責め、ビランたち会社は、アナンを監視しし続ける。そして、懇意にしていた軍医の大佐は、「告発を続けると家族の命はない」と脅迫。否定した彼をすぐさま拘置所につないでしまう。企業の悪事を裁くべき国が、企業の側につくのは、やはり金がらみだろう。小さな国を買いたたけるほど、多国籍企業の力は強大なのだ。
アナンに協力して助けたのは、人権組織の職員マギー(マリアム・ダボ)。彼が保管していた大量の領収書が、不正の動かぬ証拠だった。国内では無理なため、海外での反響を期待して、ドイツでドキュメンタリー番組を作ることになるが、敵が強大な分、訴訟のリスクを考えて、スタッフが非常に慎重だ。それでも撮影が順調に進んで、企業の悪事を暴く雑誌も完成。だが、企業側から、アナンが会社をゆすった証拠が送られてきて、企画は間際でとん挫するのだった。悪賢い、驚くほど巧妙なワナ。だが、たとえアナンに過ちがあったのが本当でも、会社の悪事が消えたわけではない。それなのに、ジャーナリズムの追求がそこで止んでしまうのは、相手が強大とはいえ、本当にはがゆい。
映画は、ドキュメンタリーの撮影に協力するアナンの証言を再現する、という形をとっているが、この映画あ自体、リスクのために、撮影開始直後の2007年に中断したという。公開はなぜか日本が世界初。アヤンの命がけの告発が届くのに、随分時間がかかった。映画が映す悲惨な現実が2013年であり、今も続いていることが恐ろしい。
医師とのパイプ強調して採用されたアナンだったが、上司のビラル(アディル・フセイン)は軍の上官みたいで、倫理や社会貢献とは無縁に、販売拡大ばかりが強調される。そして、ターゲットにした医師を、金品で釣るよう指導されるのだった。
看護師たちに粗品を配って、医師の趣味など情報を聞きだし、まき金プラス好きな音楽のカセットを渡したり、医師たちのパーティーの飲食代をもったり。そんな無節操な買収活動で、自社の製品を乳児に処方するよう働きかけるのだ。製品の優秀さを信じていたアナンは、非常に有能なセールスマンだった。
だが、3年後、アナンは友人の医師ファイズ(サティヤディーブ・ミシュラ)から、自社の製品のせいで大勢の赤ん坊が死んでいる、という事実を知らされる。下水道の整備がない中、不潔な水で溶いたミルクで下痢を起こしたり、高価なミルクを買い続けられないために、薄いミルクで栄養不良に陥ったり。深刻な事態にショックを受けたアナンだったが、恐ろしいことに、会社は事態をとうに知っていたばかりか、「金品の授与を禁じた書類を渡していた」というのだ。守らせるつもりのないルールは、会社の逃げ道のために作ったものなのだろう。
アナンは、会社をやめただけでなく、販売中止を求める告発状を会社に送り、それを無視されると、WHOに通報した。重い状況を引き起こした当事者として、やむにやまれない思いで行動したのだ。
そんなアナンに、一斉攻撃が始まる。医師たちもアナンを責め、ビランたち会社は、アナンを監視しし続ける。そして、懇意にしていた軍医の大佐は、「告発を続けると家族の命はない」と脅迫。否定した彼をすぐさま拘置所につないでしまう。企業の悪事を裁くべき国が、企業の側につくのは、やはり金がらみだろう。小さな国を買いたたけるほど、多国籍企業の力は強大なのだ。
アナンに協力して助けたのは、人権組織の職員マギー(マリアム・ダボ)。彼が保管していた大量の領収書が、不正の動かぬ証拠だった。国内では無理なため、海外での反響を期待して、ドイツでドキュメンタリー番組を作ることになるが、敵が強大な分、訴訟のリスクを考えて、スタッフが非常に慎重だ。それでも撮影が順調に進んで、企業の悪事を暴く雑誌も完成。だが、企業側から、アナンが会社をゆすった証拠が送られてきて、企画は間際でとん挫するのだった。悪賢い、驚くほど巧妙なワナ。だが、たとえアナンに過ちがあったのが本当でも、会社の悪事が消えたわけではない。それなのに、ジャーナリズムの追求がそこで止んでしまうのは、相手が強大とはいえ、本当にはがゆい。
映画は、ドキュメンタリーの撮影に協力するアナンの証言を再現する、という形をとっているが、この映画あ自体、リスクのために、撮影開始直後の2007年に中断したという。公開はなぜか日本が世界初。アヤンの命がけの告発が届くのに、随分時間がかかった。映画が映す悲惨な現実が2013年であり、今も続いていることが恐ろしい。
2017年04月04日
感謝の日 VOL.8
忌野清志郎の誕生日の2日、愛知県新城市のほうらいパークで開かれた「感謝の日」のイベントに行ってきた。清志郎の死後、三宅伸治が、東京で毎年開いていたそうで、今回初めて、清志郎が愛した奥三河で開催。2年前に彼の写真展が開かれたのと同じ土地。また来れたのが本当にうれしかった。
前日は雨だったのに、きれいな晴天。前乗りして11時の開場より1時間も早く着いたのに、もうたくさんの人が並んでいて、タイマーズの秘蔵映像上映会の時にヘルメットを貸してくれた人が、ギターを弾いて歌って盛り上げていた。チケットをレインボーのリストバンドと引き換えると、みんな次々に広い会場に駆けて行った。
清志郎が定宿にしていた「はず」の女将と、梅津和時の温かいMCの後、三宅伸治が「今まで東京のライブハウスでやっていた時は地下だったので、空が遠かったけど、今日は空がすぐ近く。きっとボスがそばで聴いてくれてると思う」と言って、NICE MIDDLE WITH NEW BLUE DAY HORNSをバックに歌いだした。「シェイク」、「涙のプリンセス」、「分からず屋総本舗」はコメディのノリ、「いいことばかりはありゃしない」、「ボスのソウル」はずっと清志郎の近くにいた心情が迫って、切なかった。
2番手は石塚英彦で、「上を向いて歩こう」、「よそ者」、「雑踏」。真摯に清志郎へのリスペクトが伝わってきた。力強く自信満々だったのに、退場する時は、すみませんって感じだったのが可愛いかった。
次は間慎太郎。ハンサムだけど、お父さんにそっくり。「ダンスミュージックあいつ」、清志郎の歌の中で一番大好きといって「ラプソディー」。高音がよくとおるきれいな声。「ラン寛平ラン」のあと、予想どおり寛平ちゃんが登場。会場はすごく広いけど、みんな舞台の前に集まっていて、規制線もないので、歌い手と聴衆がすごく近く。寛平ちゃんは、お客の声に応えて「血ぃ吸うたろうか」や「かい〜の」をたっぷりサービス。歌が始まる前に「アメママンの歌」を歌いだして、大笑いになった。それからやっと、親子で「誇り高く生きよう」。
竹原ピストルは、全然知らない人だったけど、歌がすごく上手かった。小さい頃から、姉の部屋から流れてくる清志郎の歌を聴いていたそうで、「まぼろし」と「500マイル」を聴かせてくれた。
浅野忠信が登場すると、「ベイビー逃げるんだ」のあと、「キモチE」と自分の歌を3回ずつ、実質3曲で計7曲分の時間を取って、お客を煽りに煽っていたけど、あんまりしつこ過ぎて辟易。清志郎のしつこさには、どんな場面でも全く幸せな思いだったのになあ。でも、清志郎を愛してくれているのは、超ウレシイ。
懐かしいイントロが流れて、なんとタイマーズが登場。トッピはもちろん三宅だけど、ゼリー役は次々と交代。でもヘルメットにサングラスだから、初めは誰だか分かりにくかった。竹原ピストルが「偉い人」、山崎まさよしが「あこがれの北朝鮮」、浅野忠信が「ロックン仁義」、「宗教」。金子マリが「企業で作業」、「税」、「イモ」。あ〜、こんなメンバーでタイマーズ復活ってすごい。
このあと、山崎まさよしが一人で「トランジスタ・ラジオ」と「ヒッピーに捧ぐ」。金子マリが出てきて、一緒に「ドカドカうるさいロックンロール・バンド」。彼女一人で「エンジェル」。清志郎、金子マリが歌ってくれて喜んでただろう。
アンコールで三宅伸治が現れると、会場中の人が飛び上がって「ジャンプ」。それから、ドラゴンズの川俣選手も登場し、出演者全員で「スローバラード」と「雨あがりの夜空に」。みんなが手をつないでの最後のあいさつも、清志郎の舞台のままで、温かかった。
最後は三宅伸治と金子マリが二人で「約束はしないけど」。しんみりと、寂しさと温かさが心に沁みた。また来年も来れたらいいな。
前日は雨だったのに、きれいな晴天。前乗りして11時の開場より1時間も早く着いたのに、もうたくさんの人が並んでいて、タイマーズの秘蔵映像上映会の時にヘルメットを貸してくれた人が、ギターを弾いて歌って盛り上げていた。チケットをレインボーのリストバンドと引き換えると、みんな次々に広い会場に駆けて行った。
清志郎が定宿にしていた「はず」の女将と、梅津和時の温かいMCの後、三宅伸治が「今まで東京のライブハウスでやっていた時は地下だったので、空が遠かったけど、今日は空がすぐ近く。きっとボスがそばで聴いてくれてると思う」と言って、NICE MIDDLE WITH NEW BLUE DAY HORNSをバックに歌いだした。「シェイク」、「涙のプリンセス」、「分からず屋総本舗」はコメディのノリ、「いいことばかりはありゃしない」、「ボスのソウル」はずっと清志郎の近くにいた心情が迫って、切なかった。
2番手は石塚英彦で、「上を向いて歩こう」、「よそ者」、「雑踏」。真摯に清志郎へのリスペクトが伝わってきた。力強く自信満々だったのに、退場する時は、すみませんって感じだったのが可愛いかった。
次は間慎太郎。ハンサムだけど、お父さんにそっくり。「ダンスミュージックあいつ」、清志郎の歌の中で一番大好きといって「ラプソディー」。高音がよくとおるきれいな声。「ラン寛平ラン」のあと、予想どおり寛平ちゃんが登場。会場はすごく広いけど、みんな舞台の前に集まっていて、規制線もないので、歌い手と聴衆がすごく近く。寛平ちゃんは、お客の声に応えて「血ぃ吸うたろうか」や「かい〜の」をたっぷりサービス。歌が始まる前に「アメママンの歌」を歌いだして、大笑いになった。それからやっと、親子で「誇り高く生きよう」。
竹原ピストルは、全然知らない人だったけど、歌がすごく上手かった。小さい頃から、姉の部屋から流れてくる清志郎の歌を聴いていたそうで、「まぼろし」と「500マイル」を聴かせてくれた。
浅野忠信が登場すると、「ベイビー逃げるんだ」のあと、「キモチE」と自分の歌を3回ずつ、実質3曲で計7曲分の時間を取って、お客を煽りに煽っていたけど、あんまりしつこ過ぎて辟易。清志郎のしつこさには、どんな場面でも全く幸せな思いだったのになあ。でも、清志郎を愛してくれているのは、超ウレシイ。
懐かしいイントロが流れて、なんとタイマーズが登場。トッピはもちろん三宅だけど、ゼリー役は次々と交代。でもヘルメットにサングラスだから、初めは誰だか分かりにくかった。竹原ピストルが「偉い人」、山崎まさよしが「あこがれの北朝鮮」、浅野忠信が「ロックン仁義」、「宗教」。金子マリが「企業で作業」、「税」、「イモ」。あ〜、こんなメンバーでタイマーズ復活ってすごい。
このあと、山崎まさよしが一人で「トランジスタ・ラジオ」と「ヒッピーに捧ぐ」。金子マリが出てきて、一緒に「ドカドカうるさいロックンロール・バンド」。彼女一人で「エンジェル」。清志郎、金子マリが歌ってくれて喜んでただろう。
アンコールで三宅伸治が現れると、会場中の人が飛び上がって「ジャンプ」。それから、ドラゴンズの川俣選手も登場し、出演者全員で「スローバラード」と「雨あがりの夜空に」。みんなが手をつないでの最後のあいさつも、清志郎の舞台のままで、温かかった。
最後は三宅伸治と金子マリが二人で「約束はしないけど」。しんみりと、寂しさと温かさが心に沁みた。また来年も来れたらいいな。
2017年03月30日
わたしは、ダニエル・ブレイク
心臓病を抱え、医師に働くことを禁じられている初老の大工ダニエル・ブレイク(デイヴ・ジョーンズ)。傷病手当を申請するが、役所からの電話による審査は、奇妙奇天烈なものだった。心臓が悪いという申請内容は全く無視し、50メートル以上歩けるか、とか、腕は頭の位置以上あげられるか、とか。日常生活もままならない状態でないと通さない、ということなのだろう。認定者は、米国の多国籍企業。政府は、自国の大事なセイフティネットの入り口を、そんなところに丸投げしているのだ。
受給の資格なし、の結果に抗議をしようにも、役所の電話に誰も出ない。やっと通じた電話では、「義務的再申請が必要だが、その前に認定者の電話を受けねばならず、その電話がいつかかってくるかは分からない」という、シュールな返事が返ってきた。
困ったダニエルは求職手当の申請にかかるが、ここでも制度は、とことんふざけたものだった。意欲をそぐような履歴書の書き方講座を何時間も受けさせ、過重な時間の就職活動を課す。ダニエルは1社から合格をもらうが、病気のために断ることしかできない。そんな不合理な目に耐えても、報告の面接では、全然活動が足らない、と面罵されるのだ。
効率の悪いたらい回しでの疲弊に加え、職員の冷たく威圧的な対応も、ダニエルの自尊心を傷つける。ミスともいえない小さなことで違反を取って、申請者を脅す。切り捨てという脅かしは、苛立つ申請者をおとなしくさせるためだけでなく、実際に簡単に切られるカードだ。
そんななか、ダニエルはロンドンから越してきたばかりのケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)に出会う。子連れで道に迷い、約束の時間に遅れたというだけで、給付を断られた彼女。彼女は、雨漏りに文句を言ったためにアパートを追い出され、福祉施設に2年も住んだ後だった。ケイティの窮状に心を痛めたダニエルは、家を修繕するなどで彼女を助け、子供たちも次第に落ち着いていく。
だが、ケイティの状況は逼迫していた。フードバンクを訪れた彼女は、缶詰をその場で開けて食べてしまい、自分の行いにショックを受ける。子供たちに食事をさせるために自分は我慢を重ね、餓えていたのだ。フードバンクになかった生理用品をスーパーで盗んでしまったあと、警備員から、助けたいからと電話番号を渡される。破れた靴のためにいじめられたと娘から聞かされたケイティは、その番号に連絡。役所の対応が違えば解決できるわずかな金のために、ケイティは身を落とすのだ。
一方、ハードルを上げるばかりで冷酷な対応にキレたダニエルは、役所の壁に「わたしは、ダニエル・ブレイク」と落書きする。正当な救いを要求しただけなのに、なぜ人間らしい扱いを拒否されるのか。自分の尊厳を主張するぎりぎりの行動だった。だが、逮捕・保釈後の彼は、病気を悪化させて弱っていく。
ごく普通の善良な人々が、弱い立場に陥った途端、深刻に人生を破壊される。システムの非情さや切り捨ての実態に、怒りがこみ上げた。
だが、重い内容にもかかわらず、心に温かさが広がるのは、ダニエルとケイティが励まし支え合う以外にも、人々の優しさが描かれているからだろう。役所の官僚主義とは正反対に、ちまたの人々は人間的だ。フードバンクの職員は親身で温かい。ダニエルが抗議の落書きをした時も、道行く人たちは、ダニエルを称えて警察に抗議した。彼らも社会の底辺にいるような感じを漂わせているが、いがみ合いや分断ではなく、共感や連帯が根を張っている希望。彼らの気高さは、トランプ支持とは相いれないはずだ。
受給の資格なし、の結果に抗議をしようにも、役所の電話に誰も出ない。やっと通じた電話では、「義務的再申請が必要だが、その前に認定者の電話を受けねばならず、その電話がいつかかってくるかは分からない」という、シュールな返事が返ってきた。
困ったダニエルは求職手当の申請にかかるが、ここでも制度は、とことんふざけたものだった。意欲をそぐような履歴書の書き方講座を何時間も受けさせ、過重な時間の就職活動を課す。ダニエルは1社から合格をもらうが、病気のために断ることしかできない。そんな不合理な目に耐えても、報告の面接では、全然活動が足らない、と面罵されるのだ。
効率の悪いたらい回しでの疲弊に加え、職員の冷たく威圧的な対応も、ダニエルの自尊心を傷つける。ミスともいえない小さなことで違反を取って、申請者を脅す。切り捨てという脅かしは、苛立つ申請者をおとなしくさせるためだけでなく、実際に簡単に切られるカードだ。
そんななか、ダニエルはロンドンから越してきたばかりのケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)に出会う。子連れで道に迷い、約束の時間に遅れたというだけで、給付を断られた彼女。彼女は、雨漏りに文句を言ったためにアパートを追い出され、福祉施設に2年も住んだ後だった。ケイティの窮状に心を痛めたダニエルは、家を修繕するなどで彼女を助け、子供たちも次第に落ち着いていく。
だが、ケイティの状況は逼迫していた。フードバンクを訪れた彼女は、缶詰をその場で開けて食べてしまい、自分の行いにショックを受ける。子供たちに食事をさせるために自分は我慢を重ね、餓えていたのだ。フードバンクになかった生理用品をスーパーで盗んでしまったあと、警備員から、助けたいからと電話番号を渡される。破れた靴のためにいじめられたと娘から聞かされたケイティは、その番号に連絡。役所の対応が違えば解決できるわずかな金のために、ケイティは身を落とすのだ。
一方、ハードルを上げるばかりで冷酷な対応にキレたダニエルは、役所の壁に「わたしは、ダニエル・ブレイク」と落書きする。正当な救いを要求しただけなのに、なぜ人間らしい扱いを拒否されるのか。自分の尊厳を主張するぎりぎりの行動だった。だが、逮捕・保釈後の彼は、病気を悪化させて弱っていく。
ごく普通の善良な人々が、弱い立場に陥った途端、深刻に人生を破壊される。システムの非情さや切り捨ての実態に、怒りがこみ上げた。
だが、重い内容にもかかわらず、心に温かさが広がるのは、ダニエルとケイティが励まし支え合う以外にも、人々の優しさが描かれているからだろう。役所の官僚主義とは正反対に、ちまたの人々は人間的だ。フードバンクの職員は親身で温かい。ダニエルが抗議の落書きをした時も、道行く人たちは、ダニエルを称えて警察に抗議した。彼らも社会の底辺にいるような感じを漂わせているが、いがみ合いや分断ではなく、共感や連帯が根を張っている希望。彼らの気高さは、トランプ支持とは相いれないはずだ。
2017年03月21日
お嬢さん
1939年、日本統治下の朝鮮半島。盗賊団に育てられた孤児のスッキ(キム・テリ)は、藤原伯爵を名乗る男(ハ・ジョンウ)に依頼され、上月伯爵の姪・秀子(キム・ミニ)の侍女となった。藤原伯爵は、実は朝鮮人の詐欺師で、スッキに協力させて秀子を籠絡し、彼女が相続する莫大な財産を奪おうというのだった。
人里離れた上月家の屋敷。書院造りの日本家屋と、ヴィクトリア式の洋館が合体した屋敷は、広大すぎて屋敷というより宮殿のよう。広い書斎や地下室は、暗くて堅牢な牢獄のようだ。
主人である上月(チョ・ジヌン)も朝鮮人で、成り上がるために日本人女性と結婚していた。秀子はその女性の姪で、両親を失くした幼い秀子を、女性が上月家に引き取ったのだった。だが、叔母は自殺し、秀子は天涯孤独の身となっていた。
屋敷を一歩も出たことのない秀子を、スッキは扱いやすい相手と見るが、美しさに驚き惹かれつつ、次第に彼女の孤独に同情していく。そして、藤原の求愛にとまどい、信じていいのか迷う秀子に助言しているうちに、思わず彼女と深い仲になってしまう。だが、少々心が揺らいでも、スッキの目的はあくまで金だった。ところが、藤原の手先として、秀子をうまくだましているつもりのスッキは、実は秀子にだまされていたのだった。
幼い頃から叔父に春本を読まされていた秀子。大人になった彼女は、叔母がそうしていたように、名士たちを集めた客間で、卑猥な物語を朗読させられる。ずばり性器を指す言葉や、生殖器の状態の微に入り細に入る描写を、日本語で聞くのは衝撃だった。だが、サド風の描写を真に迫って朗読していても、秀子は人形のようで、彼女がエロスを感じているようには見えない。彼女はいわば、男たちの性的な妄想の生贄で、彼女自身の感情や自由は抑圧されているのだ。叔父は、幼い頃から折檻と恐怖で彼女を支配していた。がんじがらめの境遇から逃げたい秀子は、上月と組んで、自分の身代わりを探していたのだ。
互いに騙し合い、相手を陥れるつもりのスッキと秀子。物語は3部構成で、1部はスッキの視点で、2部は秀子の視点で描かれる。同じ出来事が、まったく違う様相を帯びてくるのが、おぞましくもスリリング。最後は
藤原の視点に移るのだが、手慣れた誘惑者のはずの彼が、実際には秀子の心身を全く手に入れられないまま、もがき続けるのが滑稽だ。何度もどんでん返しが起こり、先の読めないストーリーの果て、彼は自分が想像もしなかったワナに落ちる。
浴槽につかっている秀子の口に、スッキが指を入れて歯を削るシーンなど、若い二人の間には、初めからエロスが匂い立っていた。危うげな雰囲気から一転、全裸のあからさまなレズシーンは強烈。幼い頃から性的な搾取を受けていた秀子にとって、スッキとの関係は、やっと手に入れた性の解放だったろう。ゆがんだ敗退的な男たちの妄想に比べて、二人の姿は健康な力にあふれていると思う。
人里離れた上月家の屋敷。書院造りの日本家屋と、ヴィクトリア式の洋館が合体した屋敷は、広大すぎて屋敷というより宮殿のよう。広い書斎や地下室は、暗くて堅牢な牢獄のようだ。
主人である上月(チョ・ジヌン)も朝鮮人で、成り上がるために日本人女性と結婚していた。秀子はその女性の姪で、両親を失くした幼い秀子を、女性が上月家に引き取ったのだった。だが、叔母は自殺し、秀子は天涯孤独の身となっていた。
屋敷を一歩も出たことのない秀子を、スッキは扱いやすい相手と見るが、美しさに驚き惹かれつつ、次第に彼女の孤独に同情していく。そして、藤原の求愛にとまどい、信じていいのか迷う秀子に助言しているうちに、思わず彼女と深い仲になってしまう。だが、少々心が揺らいでも、スッキの目的はあくまで金だった。ところが、藤原の手先として、秀子をうまくだましているつもりのスッキは、実は秀子にだまされていたのだった。
幼い頃から叔父に春本を読まされていた秀子。大人になった彼女は、叔母がそうしていたように、名士たちを集めた客間で、卑猥な物語を朗読させられる。ずばり性器を指す言葉や、生殖器の状態の微に入り細に入る描写を、日本語で聞くのは衝撃だった。だが、サド風の描写を真に迫って朗読していても、秀子は人形のようで、彼女がエロスを感じているようには見えない。彼女はいわば、男たちの性的な妄想の生贄で、彼女自身の感情や自由は抑圧されているのだ。叔父は、幼い頃から折檻と恐怖で彼女を支配していた。がんじがらめの境遇から逃げたい秀子は、上月と組んで、自分の身代わりを探していたのだ。
互いに騙し合い、相手を陥れるつもりのスッキと秀子。物語は3部構成で、1部はスッキの視点で、2部は秀子の視点で描かれる。同じ出来事が、まったく違う様相を帯びてくるのが、おぞましくもスリリング。最後は
藤原の視点に移るのだが、手慣れた誘惑者のはずの彼が、実際には秀子の心身を全く手に入れられないまま、もがき続けるのが滑稽だ。何度もどんでん返しが起こり、先の読めないストーリーの果て、彼は自分が想像もしなかったワナに落ちる。
浴槽につかっている秀子の口に、スッキが指を入れて歯を削るシーンなど、若い二人の間には、初めからエロスが匂い立っていた。危うげな雰囲気から一転、全裸のあからさまなレズシーンは強烈。幼い頃から性的な搾取を受けていた秀子にとって、スッキとの関係は、やっと手に入れた性の解放だったろう。ゆがんだ敗退的な男たちの妄想に比べて、二人の姿は健康な力にあふれていると思う。
2017年03月12日
ショコラ 君がいて、僕がいる
19世紀末の北フランス。人気の落ちた道化師フティット(ジェームス・ティエレ)は、黒人カナンガ(オマール・シー)に目をつけてコンビを組む。サーカスに採用されると、息の合ったダイナミックな芸でたちまち人気者に。評判を聞いた興行師に引き抜かれてパリの名門ヌーヴォー・シルクに「フティットとショコラ」として登場すると、大勢の観客を魅了して、二人の名前はパリ中に知れ渡っていった。
小屋のようなサーカスから、豪華な会場でのショーへ。客も、素朴な村人からパリの名士へ。貧しかった二人は、高いギャラをもらい、身なりも生活も変わっていく。コインの表裏のように一体の彼ら。だが、芸のことばかりを考えて禁欲的なフティットとは対照的に、ショコラは女たちを次々と口説き、酒やギャンブルにのめり込んでいく。
元奴隷で、逃げ出したあとも転々としながら苦労を重ねたショコラにとって、放埓さは、成功したからこその証で、自由を謳歌する姿だったろう。一方で、黒人であることは、当時はまだひどい差別の対象で、人気者となってさえ受ける屈辱が、彼をより酒やギャンブルに向かわせてしまう。
身分証がないために逮捕されると、タワシで体中をこすられる拷問を受け、息絶え絶えに。黒人が有名人なら、よけいに思い知らせるような残虐な目に合わされるのだ。釈放後も、植民地博覧会で、アフリカ人が”展示”されているのを目撃してショックを受ける。そして、それらの度に思い出すのは、犬のように白人に仕えていた父の姿だった。
そして、芸人としての葛藤もあった。フティットは本名なのに、ショコラは黒人としてのあだ名のようなもの。ふたりのユーモラスな出し物は、いろんな場面設定の多彩なものなのに、ショコラがフティットに尻を蹴られるシーンばかりが強調され、彼らの芸の代名詞のように語られた。
どんな時にもショコラの味方だったフティット。だが、おそらく世間が思っている社会の位置が違うことで、次第に対立が生まれていく。フティットは、ショコラの才能を見抜いたからこそ彼とコンビを組んだ。だが、受けるために、観客が思い描く白人と黒人の上下関係を、芸に反映させる。口角の下がった意地悪な化粧は、黒人への軽蔑にも見える。だが実際は、練習をさぼるショコラへの不満や、コンビとしての不安や、彼自身の孤独を表していたのだろう。
コンビを解消し、一人のアーティストとして認められたいと願い、「オセロ」の黒人役を演じたショコラを苦難が襲う。才能にあふれながら、当時の社会状況の中、彼は多分早く生まれ過ぎた人物だったのだろう。だが、黒人の芸人として、まぎれもないパイオニアだ。病院で子供たちの慰問を続けた優しい精神とともに、彼の苦悩や戦いに、再び光が当てられてよかったと思う。
小屋のようなサーカスから、豪華な会場でのショーへ。客も、素朴な村人からパリの名士へ。貧しかった二人は、高いギャラをもらい、身なりも生活も変わっていく。コインの表裏のように一体の彼ら。だが、芸のことばかりを考えて禁欲的なフティットとは対照的に、ショコラは女たちを次々と口説き、酒やギャンブルにのめり込んでいく。
元奴隷で、逃げ出したあとも転々としながら苦労を重ねたショコラにとって、放埓さは、成功したからこその証で、自由を謳歌する姿だったろう。一方で、黒人であることは、当時はまだひどい差別の対象で、人気者となってさえ受ける屈辱が、彼をより酒やギャンブルに向かわせてしまう。
身分証がないために逮捕されると、タワシで体中をこすられる拷問を受け、息絶え絶えに。黒人が有名人なら、よけいに思い知らせるような残虐な目に合わされるのだ。釈放後も、植民地博覧会で、アフリカ人が”展示”されているのを目撃してショックを受ける。そして、それらの度に思い出すのは、犬のように白人に仕えていた父の姿だった。
そして、芸人としての葛藤もあった。フティットは本名なのに、ショコラは黒人としてのあだ名のようなもの。ふたりのユーモラスな出し物は、いろんな場面設定の多彩なものなのに、ショコラがフティットに尻を蹴られるシーンばかりが強調され、彼らの芸の代名詞のように語られた。
どんな時にもショコラの味方だったフティット。だが、おそらく世間が思っている社会の位置が違うことで、次第に対立が生まれていく。フティットは、ショコラの才能を見抜いたからこそ彼とコンビを組んだ。だが、受けるために、観客が思い描く白人と黒人の上下関係を、芸に反映させる。口角の下がった意地悪な化粧は、黒人への軽蔑にも見える。だが実際は、練習をさぼるショコラへの不満や、コンビとしての不安や、彼自身の孤独を表していたのだろう。
コンビを解消し、一人のアーティストとして認められたいと願い、「オセロ」の黒人役を演じたショコラを苦難が襲う。才能にあふれながら、当時の社会状況の中、彼は多分早く生まれ過ぎた人物だったのだろう。だが、黒人の芸人として、まぎれもないパイオニアだ。病院で子供たちの慰問を続けた優しい精神とともに、彼の苦悩や戦いに、再び光が当てられてよかったと思う。