昨日、清志郎のHPで「クイズでゲット!」の更新があったので、見てみると、前回の当選者の名前の中に、私が入っていました。キャ〜!!昨年6月に当たって狂喜して、もう2回とないと思っていたので、本当にうれしい。しかも、今回の当選者はたった二人だったのに、よくぞ当たったと思う。これって奇跡的。
そして今日、早々とポストに入っていました。キャ〜!「ナニワサリバンショー 感度サイコー!!!」のポストカード。普通のハガキよりずっと大きめ。オーティス栗原が葉巻を持ってる後ろに、映画のいろんな場面が並んでるゴキゲンな絵柄。この映画、2回行ったもんね。
とにかく、この幸先のよさは奇跡的。今年はいい年になるのかも。今ちょっと躁かもしれないけど、キャ〜!です。
2012年01月27日
2012年01月24日
サラの鍵
1942年7月16日、パリ。弟とじゃれあっていたいつもどおりの朝、家に突然警察が踏み込んできた。危険を感じた少女サラ(メリュジーヌ・マヤンス)は、すぐに戻ってきて助けるつもりで、弟を戸棚の中に隠して鍵をかけ、両親とともに連行された。
バスに詰め込まれて着いた屋内競輪場ヴェルディヴには、パリ中からつれてこられたおびただしいユダヤ人がひしめいていた。息苦しい暑さのなか、食物も水もなく、トイレもない状態に置かれた人々。壁で用を足す人の足元に広がっている汚物。絶望して飛び降りた若い女性。次第に弱っていくサラの心から、弟のことが離れない。
その後、トラックに詰められてバラックの並ぶ臨時収容所へ。まず男と家族が離され、その次には小さい子供が母親から離された。無理やり引き離されて、泣き叫びつかまえ合う母子に、容赦なく水が浴びせられる。父とも母とも別れたサラは、ひとり鍵を握り締めた。
2009年のパリ。アメリカ人のジャーナリストで、フランス人の夫ベルトラン(フレデリック・ピエロ)と娘のゾーイと幸せに暮らすジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)は、夫の祖母から譲り受けたアパートを観に行った。そこはかつてユダヤ人が多く住んでいた地区。雑誌の仕事でヴェルディヴ事件を担当することになった彼女は、祖母から、そのアパートに引っ越したのは1942年の8月だったと聞いて、同じ年に起こった一斉検挙との関連を疑った。
一方、2度の流産を経験していたジュリアは、待望の第二子の妊娠に気づくが、喜んでいるのは自分
だけで、夫はもう歳だからと、父親になることを拒否。辛い決断を前に揺れる気持ちを抱える彼女は、取材に訪れたホロコースト記念館で、無数の子供の写真を眼にする。そして、統計や数だけを問題にするのではなく、彼ら一人ひとりに名前を与える作業を続けているという館長に、祖母のアパートの住所を告げ、元の住人だった家族の中にサラを見つけた。
弟を救うため、収容所からの脱走を決意したサラは、友達になった女の子と行動に出る。鉄条網から逃げ出そうとした瞬間、見張りの警官に見つかるが、彼女に自分の名を呼ばれ、サラだと名乗られた警官は、思わず二人を逃がしてくれた。彼は、リンゴを拾おうとしたサラを見逃してくれた人物。リンゴを踏みつけていた靴を上げたように、良心を秘めていた。その彼には、突然自分に対して名乗った少女が、塊や群れとしてのユダヤ人でなく、意志と感情をもつ一人の人間として映り、彼女が勇気を出したように、自分も勇気を出して良心に従ったのだろうと思う。
草原を駆け、森を抜けて、ようやくたどり着いた村で、二人は村人のジュール・デュフォール(ニエル・アレストリュプ)に助けられる。
第二次世界大戦中の占領下、フランスはナチに手を貸して、自国のユダヤ人をアウシュビッツに送った。彼らを逮捕してヴェルディヴに連行したのも、臨時収容所を管理していたのも、フランス警察だった。それは仏史の汚点のはずだ。事件の舞台だったヴェルディヴが取り壊されているのも、若い編集者が事件を知らないのも、フランス人たちが忘れ去ってしまいたい事実だからだろう。ジュリアがアメリカ人だからこそ、事件に率直に向き合えるのかもしれない。
ジュリアの動きを知った義父は、彼女に過去のことは触れないでくれと釘をさす。祖母にとっては60年の人生が詰まった場所なのだ。ベルトランがいうように、真実を暴くことは誰も幸せにしないかもしれない。だが、ジュリアは、サラのその後をどうしても突き止めようとする。
それは単なる好奇心ではないし、正義感だけでもない。同じ年頃の子供をもつ親として、殺すという選択をしなければならない胎児を宿している身として、切実に一人の少女が迫ってきたからだろう。そしておそらく、少女の名を知ったから。
サラは、警官に逃がしてもらい、農場主にかくまわれて育てられた。心あるフランス人がユダヤ人を救っていた。ベルトランの祖父が、彼女を助けた一人だったことも分かる。国家が迫害に加担した一方で、自分の身の危険を冒して、サラを助ける人たちの存在は救いだ。
だが、意志の強い果敢なサラの姿は、弟が待っているはずのアパートにたどり着いたところで消える。悲劇を生き延びたのにもかかわらず、彼女が人生を全うできなかったのは、弟に対する深い罪悪感のためだろう。ジュリアがようやくたどり着いたサラの息子ウィリアム(エイダン・クイン)は、母親の本当の名を知らなかった。サラは子供のときの恐怖体験とともに生き、息子を同じ危険から守ろうとしたのだった。
父から本当のことを聞かされたウィリアムは、再びジュリアに会う。ウィリアムがジュリアの二人めの子供の名を教えられて泣く場面は、サラが警官に名を告げる場面と同じく、この映画のなかで最も美しい心を打つシーンだ。ウィリアムは母の真の人生を心に刻むだろう。ジュリアの娘も将来、母が出会った少女と、その名に託した思いを知ることになるのだろう。
バスに詰め込まれて着いた屋内競輪場ヴェルディヴには、パリ中からつれてこられたおびただしいユダヤ人がひしめいていた。息苦しい暑さのなか、食物も水もなく、トイレもない状態に置かれた人々。壁で用を足す人の足元に広がっている汚物。絶望して飛び降りた若い女性。次第に弱っていくサラの心から、弟のことが離れない。
その後、トラックに詰められてバラックの並ぶ臨時収容所へ。まず男と家族が離され、その次には小さい子供が母親から離された。無理やり引き離されて、泣き叫びつかまえ合う母子に、容赦なく水が浴びせられる。父とも母とも別れたサラは、ひとり鍵を握り締めた。
2009年のパリ。アメリカ人のジャーナリストで、フランス人の夫ベルトラン(フレデリック・ピエロ)と娘のゾーイと幸せに暮らすジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)は、夫の祖母から譲り受けたアパートを観に行った。そこはかつてユダヤ人が多く住んでいた地区。雑誌の仕事でヴェルディヴ事件を担当することになった彼女は、祖母から、そのアパートに引っ越したのは1942年の8月だったと聞いて、同じ年に起こった一斉検挙との関連を疑った。
一方、2度の流産を経験していたジュリアは、待望の第二子の妊娠に気づくが、喜んでいるのは自分
だけで、夫はもう歳だからと、父親になることを拒否。辛い決断を前に揺れる気持ちを抱える彼女は、取材に訪れたホロコースト記念館で、無数の子供の写真を眼にする。そして、統計や数だけを問題にするのではなく、彼ら一人ひとりに名前を与える作業を続けているという館長に、祖母のアパートの住所を告げ、元の住人だった家族の中にサラを見つけた。
弟を救うため、収容所からの脱走を決意したサラは、友達になった女の子と行動に出る。鉄条網から逃げ出そうとした瞬間、見張りの警官に見つかるが、彼女に自分の名を呼ばれ、サラだと名乗られた警官は、思わず二人を逃がしてくれた。彼は、リンゴを拾おうとしたサラを見逃してくれた人物。リンゴを踏みつけていた靴を上げたように、良心を秘めていた。その彼には、突然自分に対して名乗った少女が、塊や群れとしてのユダヤ人でなく、意志と感情をもつ一人の人間として映り、彼女が勇気を出したように、自分も勇気を出して良心に従ったのだろうと思う。
草原を駆け、森を抜けて、ようやくたどり着いた村で、二人は村人のジュール・デュフォール(ニエル・アレストリュプ)に助けられる。
第二次世界大戦中の占領下、フランスはナチに手を貸して、自国のユダヤ人をアウシュビッツに送った。彼らを逮捕してヴェルディヴに連行したのも、臨時収容所を管理していたのも、フランス警察だった。それは仏史の汚点のはずだ。事件の舞台だったヴェルディヴが取り壊されているのも、若い編集者が事件を知らないのも、フランス人たちが忘れ去ってしまいたい事実だからだろう。ジュリアがアメリカ人だからこそ、事件に率直に向き合えるのかもしれない。
ジュリアの動きを知った義父は、彼女に過去のことは触れないでくれと釘をさす。祖母にとっては60年の人生が詰まった場所なのだ。ベルトランがいうように、真実を暴くことは誰も幸せにしないかもしれない。だが、ジュリアは、サラのその後をどうしても突き止めようとする。
それは単なる好奇心ではないし、正義感だけでもない。同じ年頃の子供をもつ親として、殺すという選択をしなければならない胎児を宿している身として、切実に一人の少女が迫ってきたからだろう。そしておそらく、少女の名を知ったから。
サラは、警官に逃がしてもらい、農場主にかくまわれて育てられた。心あるフランス人がユダヤ人を救っていた。ベルトランの祖父が、彼女を助けた一人だったことも分かる。国家が迫害に加担した一方で、自分の身の危険を冒して、サラを助ける人たちの存在は救いだ。
だが、意志の強い果敢なサラの姿は、弟が待っているはずのアパートにたどり着いたところで消える。悲劇を生き延びたのにもかかわらず、彼女が人生を全うできなかったのは、弟に対する深い罪悪感のためだろう。ジュリアがようやくたどり着いたサラの息子ウィリアム(エイダン・クイン)は、母親の本当の名を知らなかった。サラは子供のときの恐怖体験とともに生き、息子を同じ危険から守ろうとしたのだった。
父から本当のことを聞かされたウィリアムは、再びジュリアに会う。ウィリアムがジュリアの二人めの子供の名を教えられて泣く場面は、サラが警官に名を告げる場面と同じく、この映画のなかで最も美しい心を打つシーンだ。ウィリアムは母の真の人生を心に刻むだろう。ジュリアの娘も将来、母が出会った少女と、その名に託した思いを知ることになるのだろう。
2012年01月15日
今夜、列車は走る
昨日、みんぱくワールドシネマで、2004年のアルゼンチン映画「今夜、列車は走る」を観た。アルゼンチン映画は、「瞳の奥の秘密」とこれしか知らないけれど、レベルが高いなあ、と思った。
働く喜びにあふれ、仲間とともに頑張った職場。それが理不尽にも突然奪われる。路線が廃止され、自主退職を迫られた鉄道員たちは、はじめは抵抗したものの、次々とサインを余儀なくされていく。
映画では、時代や場所が特定されていないが、上映後の講演によると、アルゼンチンでは、1989年に成立したメネム政権下で、新自由主義が推進されて、鉄道をはじめ、石油、郵便、ガス、水道などが次々と民営化されていったそうだ。鉄道民営化では、収益の少ない路線が次々と廃止に追い込まれ、鉄道の距離が激減するとともに、85%という大量の離職者を出したという。
日本の国鉄民営化とほぼ同じ時期。仕事を失くした人々の群れは、現在の窮乏とも重なって見えた。
組合の代表として交渉に苦労したあげく、無力感にさいなまれて、息子のアベルに遺書を残して自殺したアンヘル。
アンヘルの兄カルロスは、弟の死を悔やみながらも職探しをするが、本物の仕事がしたいという願いとは裏腹に、説明会に行った先はマルチ商法の健康食品販売。しかも家は立ち退きを迫られる。
天蓋孤独のゴメスは、娼婦のカルメンとなじみだが、金がなくなって会いにいけない。街角でサンドイッチマンになった姿は、かつての豪快さが消えている。
若いダニエルには、喘息の幼い息子がいるが、保険が切れてしまって酸素吸入器が買えず、危ない仕事に就こうとする。
気のいいアティリオは、タクシー運転手になるが、道も分からずに、強盗にあったり苦労しながら日銭をかせぐ毎日。
そして、断固としてサインを拒むブラウリオは、一人修理工場に住み続ける。
彼らの閉塞したやりきれない日常を、丁寧に追うカメラは、ドキュメンタリーのよう。ユーモアもあり、ぎくしゃくしながらもつながりを求める家族の姿が温かかった。
元鉄道員たちを傷つけるのは、生活の困窮だけでなく、周囲の無関心や無理解だ。ダニエルは、保険がなくなったことを、病院の窓口で相談するが、「自主退職だ」といわれ、やむなく追い込まれたことを分かってもらえない。カルロスをインタビューした司会者も、廃線は線路が老朽化したためだ、と無邪気に信じている。
そして、アンヘルに代わって組合代表だったアントニオは、上層部に内通して裕福になっているが、汚い裏切りを知った仲間たちの怒りも、ただ空回りするだけ。
そんななか、追い詰められたゴメスは、ついにスーパーに強盗に入る。
そして、それが偶然、家族同然だったのに今はバラバラになったかつての仲間を、一瞬に同じ場面に結びつける。ゴメスを乗せてスーパーに向かったアティリオは、車がエンコして修理工場に飛び込み、そこで倒れたブラウリオを発見。それをカルロスに電話で知らせるが、そのカルロスはテレビでゴメスの事件を見ていた。そして、ゴメスが入ったスーパーには、ダニエルがいた。
そして、そのとき、彼らの前を、一列の列車が走っていく。それを動かしているのは、アベルとその仲間たち。三人の若者が雨の中を修理工場に走り、「運命は変えられるのだろうか」というアベルの独白が重なる場面は、映画の冒頭につながっていて美しい。車体には「列車は僕たちのもの」の横断幕が。それをテレビカメラが追い、現場にいる大人たちや画面に見入る人たちが見つめる。
アベルたちは、大人たちがあきらめていたことを実行し、、父親が見つけられなかった出口を探そうとする。走り去る列車は、誇り高い意思表示。希望のように輝いて見えた。
働く喜びにあふれ、仲間とともに頑張った職場。それが理不尽にも突然奪われる。路線が廃止され、自主退職を迫られた鉄道員たちは、はじめは抵抗したものの、次々とサインを余儀なくされていく。
映画では、時代や場所が特定されていないが、上映後の講演によると、アルゼンチンでは、1989年に成立したメネム政権下で、新自由主義が推進されて、鉄道をはじめ、石油、郵便、ガス、水道などが次々と民営化されていったそうだ。鉄道民営化では、収益の少ない路線が次々と廃止に追い込まれ、鉄道の距離が激減するとともに、85%という大量の離職者を出したという。
日本の国鉄民営化とほぼ同じ時期。仕事を失くした人々の群れは、現在の窮乏とも重なって見えた。
組合の代表として交渉に苦労したあげく、無力感にさいなまれて、息子のアベルに遺書を残して自殺したアンヘル。
アンヘルの兄カルロスは、弟の死を悔やみながらも職探しをするが、本物の仕事がしたいという願いとは裏腹に、説明会に行った先はマルチ商法の健康食品販売。しかも家は立ち退きを迫られる。
天蓋孤独のゴメスは、娼婦のカルメンとなじみだが、金がなくなって会いにいけない。街角でサンドイッチマンになった姿は、かつての豪快さが消えている。
若いダニエルには、喘息の幼い息子がいるが、保険が切れてしまって酸素吸入器が買えず、危ない仕事に就こうとする。
気のいいアティリオは、タクシー運転手になるが、道も分からずに、強盗にあったり苦労しながら日銭をかせぐ毎日。
そして、断固としてサインを拒むブラウリオは、一人修理工場に住み続ける。
彼らの閉塞したやりきれない日常を、丁寧に追うカメラは、ドキュメンタリーのよう。ユーモアもあり、ぎくしゃくしながらもつながりを求める家族の姿が温かかった。
元鉄道員たちを傷つけるのは、生活の困窮だけでなく、周囲の無関心や無理解だ。ダニエルは、保険がなくなったことを、病院の窓口で相談するが、「自主退職だ」といわれ、やむなく追い込まれたことを分かってもらえない。カルロスをインタビューした司会者も、廃線は線路が老朽化したためだ、と無邪気に信じている。
そして、アンヘルに代わって組合代表だったアントニオは、上層部に内通して裕福になっているが、汚い裏切りを知った仲間たちの怒りも、ただ空回りするだけ。
そんななか、追い詰められたゴメスは、ついにスーパーに強盗に入る。
そして、それが偶然、家族同然だったのに今はバラバラになったかつての仲間を、一瞬に同じ場面に結びつける。ゴメスを乗せてスーパーに向かったアティリオは、車がエンコして修理工場に飛び込み、そこで倒れたブラウリオを発見。それをカルロスに電話で知らせるが、そのカルロスはテレビでゴメスの事件を見ていた。そして、ゴメスが入ったスーパーには、ダニエルがいた。
そして、そのとき、彼らの前を、一列の列車が走っていく。それを動かしているのは、アベルとその仲間たち。三人の若者が雨の中を修理工場に走り、「運命は変えられるのだろうか」というアベルの独白が重なる場面は、映画の冒頭につながっていて美しい。車体には「列車は僕たちのもの」の横断幕が。それをテレビカメラが追い、現場にいる大人たちや画面に見入る人たちが見つめる。
アベルたちは、大人たちがあきらめていたことを実行し、、父親が見つけられなかった出口を探そうとする。走り去る列車は、誇り高い意思表示。希望のように輝いて見えた。
2012年01月13日
幕末太陽傳
年末に観に行くはずだった映画をやっと観ました。1957年の日活映画。めっちゃよかった〜。
カラフルで華やかなチラシだったので、始まったとたん白黒の画面にびっくりした。そして、時代劇のはずが線路や自動車が走る道路が写ってまたびっくり。そこは赤線が廃止される直前の東京・品川。今とは全く違う古い風景。そして、その場面が、あと二年で明治になるという、幕末の品川宿にワープする。
たくさんの人が往来する街道を志士たちが駆け抜け、その一人が落とした懐中時計を、不敵な顔の佐平次(フランキー堺)が拾う。先ほどの本物の過去の映像の続きに、そのもっと昔の本物の映像を観ているような、細部まで生き生きとした世界だった。
女郎屋・相模屋のさまざまな客たち、そして、彼らを相手に店の廊下を渡っていく女郎。帳場で奉公人を叱りつける女将(山岡久乃)、忙しく働く女中たち、金を催促してバタバタ出入りする男たち。あわただしいけど雑でなく、計算されつくした細かい描写。女郎が客の部屋に入る時にする習いや、下足札を玄関に撒いたり盛り塩をする習慣、遊郭で使う特殊な言葉など、当時の風俗が細かく再現されていて、ものすごいリキが入った作りに眼を見張った。
佐平次は、一文無しのくせに仲間と相模屋でさんざん飲み食いしたあげく、仲間を全員家に帰して、一人いつまでもい続ける。支払いの催促も口八丁で悠々と切り抜け、ついには働きで返すといって、ちゃっかり店にいついてしまう。
そして、うるさい客をうまくあしらい、客と女郎のトラブルもあっという間に解決し、他の使用人たちのやっかみも丸め込んで、いつの間にか皆に頼りにされる存在になっていく。厚かましく、抜け目なく、器用に、才覚ひとつで切り抜けていく彼の姿が痛快だった。
選り好みの激しさから客足が遠のいて、借金がかさんだおそめ(左幸子)。待たせてある客から客へ、忙しく渡り歩く売れっ子のこはる(南田洋子)。おそめは心中で浮名を流そうと、貸本屋の男をそそのかすが、いざという時に自分目当ての客が来たと知って一人店に引き返す。こはるは、彼女に起請文をもらった親子が鉢合わせし、そこにこはるが来て大騒ぎに。ここに、刃物を抜いた佐平次が3人目の客のフリをして飛び込み、身上をなげいて二人を静める場面もおもしろかった。
おそめもこはるも、悲しい境遇に泣く哀れな女というより、身勝手さも意地もあるパワフルな職業人。相模屋の主人も女将も、計算高い商売人であると同時に、道楽息子に手を焼く哀れな親であり、その息子の徳三郎も、わがまま放題かと思うと、父親の借金のかたに女中のおひさ(芦川いずみ)を女郎にしようとする両親の非道に心を痛める優しい面もあり、人を食ったずる賢い奴のはずが、おひさを助けようとしてまんまと佐平次にだまされる。人々のさまざまな顔を、同情とは無縁にドライに活写するのが、バルザックの世界のようだと思った。
相模屋には、高杉晋作(石原裕次郎)や志道聞多(二谷英明)ら勤皇の志士たちも逗留し、異人館の襲撃を策謀。血気盛んな彼らが、襲撃の是非を激論したあげく、結局じゃんけんで決めるさまが笑えた。佐平次は彼らの部屋にも出入りし、時計の修理で重宝がられるが、焼玉を炭取りに始末したことから、計画に気づいたのではと疑われて、命を狙われる。
だが、佐平次はそんな危機もものともせずに、逆に利用し、というか、初めから筋書きを読んでいたかのように、おひさの父に持ってこさせた異人館の見取り図と引き換えに、おひさと徳三郎を志士たちの船に乗せて逃がしてやる。何手も先を読んでの佐平次の行動は、フィルムを逆にたどりたいと思うほど見事。
だが、すべて金勘定でちゃっかり切り抜けてきた佐平次が、おひさの願いに仏心を出して二人を逃がしたことから、彼は相模屋にいられなくなり、彼が舞台から消えていくのと同時に物語は終わる。
肺病にかかり、咳き込む音がだんだん大きくなっていた佐平次は、この先長くないかもしれない。だが、街道に向けて走り去る姿は、どこまでも胸がすいた。
カラフルで華やかなチラシだったので、始まったとたん白黒の画面にびっくりした。そして、時代劇のはずが線路や自動車が走る道路が写ってまたびっくり。そこは赤線が廃止される直前の東京・品川。今とは全く違う古い風景。そして、その場面が、あと二年で明治になるという、幕末の品川宿にワープする。
たくさんの人が往来する街道を志士たちが駆け抜け、その一人が落とした懐中時計を、不敵な顔の佐平次(フランキー堺)が拾う。先ほどの本物の過去の映像の続きに、そのもっと昔の本物の映像を観ているような、細部まで生き生きとした世界だった。
女郎屋・相模屋のさまざまな客たち、そして、彼らを相手に店の廊下を渡っていく女郎。帳場で奉公人を叱りつける女将(山岡久乃)、忙しく働く女中たち、金を催促してバタバタ出入りする男たち。あわただしいけど雑でなく、計算されつくした細かい描写。女郎が客の部屋に入る時にする習いや、下足札を玄関に撒いたり盛り塩をする習慣、遊郭で使う特殊な言葉など、当時の風俗が細かく再現されていて、ものすごいリキが入った作りに眼を見張った。
佐平次は、一文無しのくせに仲間と相模屋でさんざん飲み食いしたあげく、仲間を全員家に帰して、一人いつまでもい続ける。支払いの催促も口八丁で悠々と切り抜け、ついには働きで返すといって、ちゃっかり店にいついてしまう。
そして、うるさい客をうまくあしらい、客と女郎のトラブルもあっという間に解決し、他の使用人たちのやっかみも丸め込んで、いつの間にか皆に頼りにされる存在になっていく。厚かましく、抜け目なく、器用に、才覚ひとつで切り抜けていく彼の姿が痛快だった。
選り好みの激しさから客足が遠のいて、借金がかさんだおそめ(左幸子)。待たせてある客から客へ、忙しく渡り歩く売れっ子のこはる(南田洋子)。おそめは心中で浮名を流そうと、貸本屋の男をそそのかすが、いざという時に自分目当ての客が来たと知って一人店に引き返す。こはるは、彼女に起請文をもらった親子が鉢合わせし、そこにこはるが来て大騒ぎに。ここに、刃物を抜いた佐平次が3人目の客のフリをして飛び込み、身上をなげいて二人を静める場面もおもしろかった。
おそめもこはるも、悲しい境遇に泣く哀れな女というより、身勝手さも意地もあるパワフルな職業人。相模屋の主人も女将も、計算高い商売人であると同時に、道楽息子に手を焼く哀れな親であり、その息子の徳三郎も、わがまま放題かと思うと、父親の借金のかたに女中のおひさ(芦川いずみ)を女郎にしようとする両親の非道に心を痛める優しい面もあり、人を食ったずる賢い奴のはずが、おひさを助けようとしてまんまと佐平次にだまされる。人々のさまざまな顔を、同情とは無縁にドライに活写するのが、バルザックの世界のようだと思った。
相模屋には、高杉晋作(石原裕次郎)や志道聞多(二谷英明)ら勤皇の志士たちも逗留し、異人館の襲撃を策謀。血気盛んな彼らが、襲撃の是非を激論したあげく、結局じゃんけんで決めるさまが笑えた。佐平次は彼らの部屋にも出入りし、時計の修理で重宝がられるが、焼玉を炭取りに始末したことから、計画に気づいたのではと疑われて、命を狙われる。
だが、佐平次はそんな危機もものともせずに、逆に利用し、というか、初めから筋書きを読んでいたかのように、おひさの父に持ってこさせた異人館の見取り図と引き換えに、おひさと徳三郎を志士たちの船に乗せて逃がしてやる。何手も先を読んでの佐平次の行動は、フィルムを逆にたどりたいと思うほど見事。
だが、すべて金勘定でちゃっかり切り抜けてきた佐平次が、おひさの願いに仏心を出して二人を逃がしたことから、彼は相模屋にいられなくなり、彼が舞台から消えていくのと同時に物語は終わる。
肺病にかかり、咳き込む音がだんだん大きくなっていた佐平次は、この先長くないかもしれない。だが、街道に向けて走り去る姿は、どこまでも胸がすいた。
2012年01月08日
スウィッチ
怖そうだったので、フランス映画じゃなかたったら観なかったかもしれない。これも先月に観たけど書いてなかった映画。12月はとにかく体調が不調でした。
仕事も男運も不調なソフィ・マラテール(カリーヌ・ヴァナッス)は、イラストを持ち込んだものの担当者が不在だった出版社で、編集者のクレールから、住居交換サイトの存在を聞かされ、気分を一新しようとそのサイトにアクセスする。そして、パリのベネディクト・セルトーと契約を交わしてパリに飛び、パリ観光に心を躍らせて、優雅な一日を終えた。が、異様に重い頭を抱えて目覚めた翌朝、突然男性惨殺事件の容疑者として逮捕される。
凶器には自分の指紋がついており、アパートで発見されたパスポートには自分の写真が貼られていて、ソフィは、事件の犯人として疑われるのみならず、全く別の見知らぬ他人にすり替わられていたのだった。ダミアン・フォルジャ警部(エリク・カントナ)に、自分はベネディクトではなくソフィだと説明しても、旅客機の乗客名簿からは自分の名前が消えていて、登録したサイトもなくなっていた。身元確認のために頼んだ作業も次々と裏返り、無実を証明できないどころか、陰謀の周到さとワナの深さは絶望的だった。
黒いサングラスをかけ、頭からスカーフをかぶって歩くベネディクトの姿は、オゾンの「海を見る」の犯人が現場から立ち去るシーンを思い出した。
彼女はハッキングによってソフィをワナにかけ、自分の犯罪を彼女になすりつけて、自分は彼女になりすます。一見完全犯罪だが、一方で、自殺未遂を繰り返し、二重人格で盲想癖だと診断された、彼女自身の過去は残ったままだ。インターポールにも記録が残っており、ハッカーだということも分かっている。そして、遺体をズタズタにして、切断した頭部を持ち出して儀式をしたり、ソフィを陥れただけでは収まらない猟奇性がバケモノだ。こうしたベネディクトの素顔と、ソフィの印象の違いが、フォルジャ警部に疑念を抱かせることになる。
尋問で泣いて、トイレで何度も吐いていたソフィだが、精神病院送りになることを知ると、状況から逃れるため、思い切った行動に出る。
医師を人質にしてフォルジャから銃を奪って病院から逃走。ここからは、普通の繊細な女の子が、一瞬の機転をきかしながら、運動神経と体力をフル回転させて、包囲網をくぐり、逃走劇を繰り広げていく。
直接・間接にソフィを助けることになる人々に共通しているのは、フォルジャと同じく、人を見抜く力だろう。下町の雑貨屋の主人は、彼女に着替えや時計を売りながら、ワケありと気づいて励ます。ソフィに車とバッグを奪われた日本人女性は、ソフィが傷つきやす印象で、まるで被害者に見えた、と話す。その一方、パリに来た日に電話番号をくれたイラン人男性は、優しげな風貌とは裏腹に、かくまうと見せてソフィを裏切る。
捜査網をかいくぐりながら、ついにフォルジャに見つかって、家や庭や狭い下り坂の通路を走って逃げる場面は迫力だった。ベネディクトの母親の髪の毛からのDNA採取や、ベネディクトのアパートの地下室での血痕発見や、遺体の再調査から死亡時間が修正されるなどで、捜査が真実に向かって方向を変えていくのと、ソフィが警察から逃げながら犯人に近づいていくのが平行し、真犯人が分かるのと、ソフィの絶対絶命の危機が同時に起きていく。
ベネディクトの犯罪の動機も同時に解明されていくが、それは思いもよらないものだった。家の近所の住民に聞き取りをしても、ベネディクトがソフィとではないと分からなかった理由も、ここにつながっている。とにかく犯人像も犯罪も、ぞっとする恐ろしい話だ。
仕事も男運も不調なソフィ・マラテール(カリーヌ・ヴァナッス)は、イラストを持ち込んだものの担当者が不在だった出版社で、編集者のクレールから、住居交換サイトの存在を聞かされ、気分を一新しようとそのサイトにアクセスする。そして、パリのベネディクト・セルトーと契約を交わしてパリに飛び、パリ観光に心を躍らせて、優雅な一日を終えた。が、異様に重い頭を抱えて目覚めた翌朝、突然男性惨殺事件の容疑者として逮捕される。
凶器には自分の指紋がついており、アパートで発見されたパスポートには自分の写真が貼られていて、ソフィは、事件の犯人として疑われるのみならず、全く別の見知らぬ他人にすり替わられていたのだった。ダミアン・フォルジャ警部(エリク・カントナ)に、自分はベネディクトではなくソフィだと説明しても、旅客機の乗客名簿からは自分の名前が消えていて、登録したサイトもなくなっていた。身元確認のために頼んだ作業も次々と裏返り、無実を証明できないどころか、陰謀の周到さとワナの深さは絶望的だった。
黒いサングラスをかけ、頭からスカーフをかぶって歩くベネディクトの姿は、オゾンの「海を見る」の犯人が現場から立ち去るシーンを思い出した。
彼女はハッキングによってソフィをワナにかけ、自分の犯罪を彼女になすりつけて、自分は彼女になりすます。一見完全犯罪だが、一方で、自殺未遂を繰り返し、二重人格で盲想癖だと診断された、彼女自身の過去は残ったままだ。インターポールにも記録が残っており、ハッカーだということも分かっている。そして、遺体をズタズタにして、切断した頭部を持ち出して儀式をしたり、ソフィを陥れただけでは収まらない猟奇性がバケモノだ。こうしたベネディクトの素顔と、ソフィの印象の違いが、フォルジャ警部に疑念を抱かせることになる。
尋問で泣いて、トイレで何度も吐いていたソフィだが、精神病院送りになることを知ると、状況から逃れるため、思い切った行動に出る。
医師を人質にしてフォルジャから銃を奪って病院から逃走。ここからは、普通の繊細な女の子が、一瞬の機転をきかしながら、運動神経と体力をフル回転させて、包囲網をくぐり、逃走劇を繰り広げていく。
直接・間接にソフィを助けることになる人々に共通しているのは、フォルジャと同じく、人を見抜く力だろう。下町の雑貨屋の主人は、彼女に着替えや時計を売りながら、ワケありと気づいて励ます。ソフィに車とバッグを奪われた日本人女性は、ソフィが傷つきやす印象で、まるで被害者に見えた、と話す。その一方、パリに来た日に電話番号をくれたイラン人男性は、優しげな風貌とは裏腹に、かくまうと見せてソフィを裏切る。
捜査網をかいくぐりながら、ついにフォルジャに見つかって、家や庭や狭い下り坂の通路を走って逃げる場面は迫力だった。ベネディクトの母親の髪の毛からのDNA採取や、ベネディクトのアパートの地下室での血痕発見や、遺体の再調査から死亡時間が修正されるなどで、捜査が真実に向かって方向を変えていくのと、ソフィが警察から逃げながら犯人に近づいていくのが平行し、真犯人が分かるのと、ソフィの絶対絶命の危機が同時に起きていく。
ベネディクトの犯罪の動機も同時に解明されていくが、それは思いもよらないものだった。家の近所の住民に聞き取りをしても、ベネディクトがソフィとではないと分からなかった理由も、ここにつながっている。とにかく犯人像も犯罪も、ぞっとする恐ろしい話だ。
2012年01月06日
源氏物語 千年の謎
クリスマス前に観たのに、咳と熱でダウンして、書いていなかった映画。
藤原道長(東山紀之)は、自分の娘障子の元に帝を長く留めるために、障子の女房であった紫式部(
中谷美紀)に、おもしろい物語を作るように命じる。そして、「源氏物語」を書く式部の現在と、物語の内容が交差しながら話が展開していく。
冒頭、寺の境内で、いきなり道長が紫式部を襲い、しかも一時の気まぐれだったかのように、その後二人の間に男女の関係はない。だが状況の乱暴さとは裏腹に、式部は道長を思い続け、「源氏物語」を書くことによって、自分の娘に天皇の子を産ませたい、という彼の野望をかなえさせる。
道長は物語の主人公を「光」にせよ、といい、明らかに自分と重ねている。光(生田斗真)は若く、自信満々の道長と違って、寄る辺なく繊細そうだが、女性をモノにするときの大胆さと乱暴さは全く同じで、紫式部は、道長が自分に言った「あきらめなさい、私は何をしても許される人間なのだ」という言葉を、光源氏に言わせている。これって、眠狂四郎の「炎情剣」で雷蔵が中村玉緒に向かっていうセリフを思い出した。
夕顔が扇に歌を書いてよこした以外、光源氏は誰とも和歌のやり取りをしていないし、勝手に御簾を上げてずかずか中に入って行き、あとはほとんど力ずく。相手の女が光の美しさにメロメロになっているから何とか犯罪になっていないきわどいものだ。
夕顔といい葵の上といい、どんな人なのか分からない、ほとんど没個性で、彼女たちに嫉妬して生霊となって苦しめに来る、六条御息所だけが目立っていた。彼女は「危険な情事」のオカルト版って感じ。
冷静でいつも笑みを浮かべている紫式部だが、実は道長を思うあまり、心に修羅を抱いていて、安部清明(窪塚洋介)がそれに感づく。そして、その心を投影しているのが、実は六条御息所。実際の式部がどうだったか知らないし、道長との関係もフィクションだろうけど、この解釈は新鮮。
武芸も達者な道長はかっこよくて貫禄だったけど、教養高い人格者だったはずの藤原行成は、ただのぼんくらにしか見えなかったし、窪塚洋介もせっかくの演技力が全然感じられなかった。源氏は54丁もあるから、その途中まででも長くなるのは仕方ないけど、やけに長く感じられた。
ラスト、橋の上で光源氏と紫式部がすれ違う。不義の子を産んだことで苦しんだ藤壷が出家してしまい、追って行ったのに最後の別れもかなわなかった光源氏が、とぼとぼと歩いていた。式部は彼に、「あなたは多くの人から愛される分、苦しみを背負う人生を歩むのです」といい、それを聞かされた光は振り返って笑う。
この場面、なぜ「フフフ」なんだろう。そんな軽い笑いより、ここは狂ったような絶望の笑いになるべきでは?それとも、光源氏は紫式部の思惑に縛られず、このあとも好き勝手に生きていく、ということなのだろうか。
藤原道長(東山紀之)は、自分の娘障子の元に帝を長く留めるために、障子の女房であった紫式部(
中谷美紀)に、おもしろい物語を作るように命じる。そして、「源氏物語」を書く式部の現在と、物語の内容が交差しながら話が展開していく。
冒頭、寺の境内で、いきなり道長が紫式部を襲い、しかも一時の気まぐれだったかのように、その後二人の間に男女の関係はない。だが状況の乱暴さとは裏腹に、式部は道長を思い続け、「源氏物語」を書くことによって、自分の娘に天皇の子を産ませたい、という彼の野望をかなえさせる。
道長は物語の主人公を「光」にせよ、といい、明らかに自分と重ねている。光(生田斗真)は若く、自信満々の道長と違って、寄る辺なく繊細そうだが、女性をモノにするときの大胆さと乱暴さは全く同じで、紫式部は、道長が自分に言った「あきらめなさい、私は何をしても許される人間なのだ」という言葉を、光源氏に言わせている。これって、眠狂四郎の「炎情剣」で雷蔵が中村玉緒に向かっていうセリフを思い出した。
夕顔が扇に歌を書いてよこした以外、光源氏は誰とも和歌のやり取りをしていないし、勝手に御簾を上げてずかずか中に入って行き、あとはほとんど力ずく。相手の女が光の美しさにメロメロになっているから何とか犯罪になっていないきわどいものだ。
夕顔といい葵の上といい、どんな人なのか分からない、ほとんど没個性で、彼女たちに嫉妬して生霊となって苦しめに来る、六条御息所だけが目立っていた。彼女は「危険な情事」のオカルト版って感じ。
冷静でいつも笑みを浮かべている紫式部だが、実は道長を思うあまり、心に修羅を抱いていて、安部清明(窪塚洋介)がそれに感づく。そして、その心を投影しているのが、実は六条御息所。実際の式部がどうだったか知らないし、道長との関係もフィクションだろうけど、この解釈は新鮮。
武芸も達者な道長はかっこよくて貫禄だったけど、教養高い人格者だったはずの藤原行成は、ただのぼんくらにしか見えなかったし、窪塚洋介もせっかくの演技力が全然感じられなかった。源氏は54丁もあるから、その途中まででも長くなるのは仕方ないけど、やけに長く感じられた。
ラスト、橋の上で光源氏と紫式部がすれ違う。不義の子を産んだことで苦しんだ藤壷が出家してしまい、追って行ったのに最後の別れもかなわなかった光源氏が、とぼとぼと歩いていた。式部は彼に、「あなたは多くの人から愛される分、苦しみを背負う人生を歩むのです」といい、それを聞かされた光は振り返って笑う。
この場面、なぜ「フフフ」なんだろう。そんな軽い笑いより、ここは狂ったような絶望の笑いになるべきでは?それとも、光源氏は紫式部の思惑に縛られず、このあとも好き勝手に生きていく、ということなのだろうか。
2011年12月10日
アンダー・コントロール
原発廃止へ向かうドイツの今を追ったドキュメンタリー。
冒頭、四方八方に散る放射能の白い筋、銀色の円筒の燃料集合体。それからカメラは、原発施設に近づき、くまなく内部を映し出す。
もと修道院の所有地だったというグローンデの原発。河川に近く、広大で、政治的に原発に好意的という条件に合っていることで選ばれた。
原発施設のとてつもない大きさが、そこに動く人間の小ささから分かる。巨大なドーム、真上から見る炉心。こんな巨大なものを操っていることには、一種の陶酔があるのかもしれない。
だがとにかく、川が流れ、木々がそよぐ周囲の風景と同じく、原発それ自体も、静謐といっていいほど緊張感に張り詰めて美しい映像が驚きだ。作業員が粛々と作業着に着替える場面も、白い光に照らされて、寡黙で美しい。それが、内部の複雑な配管や安全盤や貯蔵プールを写すに従って、禍々しさが増していく。
映像美に圧倒される一方で、始終不気味だったのは音だ。初めは効果音なのかと思ったけれど、自然に聞こえている音のよう。機械のさまざまな摩擦音、ごぼごぼと深い水の音。神経をさかなでるいろんな音が、すべて警告音のように思えた。
この映画にナレーションはなく、インタビュアーの声さえ入っていない。原発に働く技術者や、廃棄物処理に携わる人、IAEAの役人たちが自分の仕事や状況を説明する。
向かってくる飛行機に備えて(つまりテロのことか)煙幕を発生させる装置があるのには驚いた。でも、煙幕があってもなくても、突っ込んでくるものは来るだろうに。制御室にある大きな安全盤。系統に起こる事故を順次知らせるという。人間よりまず機械が危険を感知するということ。もしすべての音が鳴ったら、対応できるのだろうか。
毎日行われる不具合の報告会。こんなにたくさんあちこちがおかしくなっているんだ、と思った。だが、安全神話に乗っかっていた日本よりも、ずっと誠実な姿に感じられた。
低・中濃度の廃棄物収納所の高い放射線量。結局ドラム缶の群れには行き場がない。
プルトニウムは毒性が高く、100万分の1グラムを吸い込むと肺がんを起こす。つまりわずか1グラムで100万人が肺がんになる計算だ。
原発を支えている人たちが、当たり前のこととしてニュートラルに語る内容が、そのまま怒りを表さない告発になっているのが興味深かった。
高速増殖炉が廃止され、冷却塔の上で回る空中ブランコの風景は、ものすごくシュールだ。この高速増殖炉は、完成していたのに廃止が決められた。だが、稼動前だったからこそ、遊園地に転用できたのであって、一回でも動かしていれば放射能に汚染されて、核廃棄物になっていたはず。完成していたものをよくぞ廃止の決断ができたな、と思う。天文学的な金をつぎ込んで、今なお廃止が決まっていない日本とは大きな違いだ。
建設途中で置かれた配管むき出しのぼろぼろの原発。一見爆発の後のよう。使っていた原発を廃炉にするための除染や解体の地道な作業。科学者たちが見た無謀な夢の後始末は、末端の労働者が、被爆の危険を冒しながらしなければいけない。原発から去るのも本当に大変なことだ。それでも、作ってしまった放射能は消えず、気の遠くなるような管理の時間が残される。
冒頭、四方八方に散る放射能の白い筋、銀色の円筒の燃料集合体。それからカメラは、原発施設に近づき、くまなく内部を映し出す。
もと修道院の所有地だったというグローンデの原発。河川に近く、広大で、政治的に原発に好意的という条件に合っていることで選ばれた。
原発施設のとてつもない大きさが、そこに動く人間の小ささから分かる。巨大なドーム、真上から見る炉心。こんな巨大なものを操っていることには、一種の陶酔があるのかもしれない。
だがとにかく、川が流れ、木々がそよぐ周囲の風景と同じく、原発それ自体も、静謐といっていいほど緊張感に張り詰めて美しい映像が驚きだ。作業員が粛々と作業着に着替える場面も、白い光に照らされて、寡黙で美しい。それが、内部の複雑な配管や安全盤や貯蔵プールを写すに従って、禍々しさが増していく。
映像美に圧倒される一方で、始終不気味だったのは音だ。初めは効果音なのかと思ったけれど、自然に聞こえている音のよう。機械のさまざまな摩擦音、ごぼごぼと深い水の音。神経をさかなでるいろんな音が、すべて警告音のように思えた。
この映画にナレーションはなく、インタビュアーの声さえ入っていない。原発に働く技術者や、廃棄物処理に携わる人、IAEAの役人たちが自分の仕事や状況を説明する。
向かってくる飛行機に備えて(つまりテロのことか)煙幕を発生させる装置があるのには驚いた。でも、煙幕があってもなくても、突っ込んでくるものは来るだろうに。制御室にある大きな安全盤。系統に起こる事故を順次知らせるという。人間よりまず機械が危険を感知するということ。もしすべての音が鳴ったら、対応できるのだろうか。
毎日行われる不具合の報告会。こんなにたくさんあちこちがおかしくなっているんだ、と思った。だが、安全神話に乗っかっていた日本よりも、ずっと誠実な姿に感じられた。
低・中濃度の廃棄物収納所の高い放射線量。結局ドラム缶の群れには行き場がない。
プルトニウムは毒性が高く、100万分の1グラムを吸い込むと肺がんを起こす。つまりわずか1グラムで100万人が肺がんになる計算だ。
原発を支えている人たちが、当たり前のこととしてニュートラルに語る内容が、そのまま怒りを表さない告発になっているのが興味深かった。
高速増殖炉が廃止され、冷却塔の上で回る空中ブランコの風景は、ものすごくシュールだ。この高速増殖炉は、完成していたのに廃止が決められた。だが、稼動前だったからこそ、遊園地に転用できたのであって、一回でも動かしていれば放射能に汚染されて、核廃棄物になっていたはず。完成していたものをよくぞ廃止の決断ができたな、と思う。天文学的な金をつぎ込んで、今なお廃止が決まっていない日本とは大きな違いだ。
建設途中で置かれた配管むき出しのぼろぼろの原発。一見爆発の後のよう。使っていた原発を廃炉にするための除染や解体の地道な作業。科学者たちが見た無謀な夢の後始末は、末端の労働者が、被爆の危険を冒しながらしなければいけない。原発から去るのも本当に大変なことだ。それでも、作ってしまった放射能は消えず、気の遠くなるような管理の時間が残される。
2011年12月08日
ナニワ・サリバン・ショー 〜感度サイコー!!!〜
過去3回行われた「ナニワ・サリバン・ショー」の映像と、現在の共演者たちの演技を組み合わせた、面白い趣向だった。
矢野顕子と清水ミチコがマイクを握る宣伝カーが大阪の街を走って、同じ頃、間寛平が通天閣から、ショー会場の大阪城ホール目指して走り出す。
トータス松本や宮藤官九郎やハナレグミや仲井戸麗市らがDJとなって、ショーを進行しつつ、過去の映像の中で清志郎と一緒に歌っていく。片や、ラジオから流れる音楽を、大阪のおっちゃんになってる藤井裕と木村充輝が立ち飲み屋や公園で聞いている。
うどん屋では、店員の斉藤和義と石田が「こんな昼にうどんを食べれるなんて」と歌って、店に入ってきた寛平の注文を無視。寛平は先客の息子慎太郎に「汁吸うたろか」(笑)。
Charaがママさんをやってるお店に高橋ロックミーベイベーが酔っ払って入ってくる。ゆずの二人は落ち込んでる客と励ます店員になって、元気になった北川が店を駆け出して行く。
そして、お笑い芸人みたいになってる人たちも、次々と清志郎と一緒に映ってる。
2001年の「ナニワ・サリバン・ショー」も、2004年の「続」も2006年の「新」も、みんな行ったのですごく懐かしかった。
「後ろのやつらのために、オレはここに来た〜」と客席後方のステージで歌って、続いて山崎まさよしと一緒に山崎バージョンの「トランジスタラジオ」。
斉藤和義と「空がまた暗くなる」。彼は3回全部のナニサリに参加してた人。どんどん洗練されて、貫禄がついていった気がする。昔の映像では単髪だけど、今の長髪の方が似合ってるよね。
トータス松本が「いつも僕たちに勇気をくれる忌野清志郎に敬意を表して」と言って歌い出した「すべてはALRIGHT」。トータス松本、若かったなあ。清志郎の曲はみんな知ってるつもりだったけど、この曲を知ったのは、彼が歌ってくれた最初のナニサリだった。
ハナレグミと「君が僕を知ってる」、ゆずの北川と「ごきらく亭」。
宮藤官九郎とは「ナニワ・サリバン・ショーのテーマ」。確か「続」ではクドカンは演出をやっていて、清志郎は何度も「クドカン!」と連発してうれしそうだったけど、私はその頃まだ彼を知らず、ステージの後ろの客席にいたせいで、クドカンの顔が見えず、一体何者なんだろう、と思ってたっけ。
Charaと「Oh!Baby」途中で歌詞を少しだけ忘れ、高音も苦しそう。なのに、一緒に歌ってる清志郎は、いつもよりキーを下げているから不思議。
矢野顕子と「ひとつだけ」。演奏する前にアッコちゃんが小声で「ステキ」と言ったのも、二人で手をつないでおじきしていたのも、懐かしい二人の姿だ。アッコちゃんは、DJの時、ステージとよく似た黒いドレスを着てて、そこから舞台に呼ばれて出て行く、という演出をしてた。この歌、彼女は5月の3回忌のライブでも歌ってくれたんだよね。
それから木村充輝と「上を向いて歩こう」。この歌、本当にステキ。
大画面で迫力の清志郎を、観て聴ける幸せ。ショーではみんな総立ちで叫んでたのに、今は座ってしみじみ見てるのがさみしい。それでもやっぱり、彼の歌に圧倒される。
過去の映像に映ってる共演者たちは、みな幸せそうで興奮に沸いているけど、今映っている人たちは、いくらはっちゃけてても、ユーモアが楽しくても、どこかさみしげに見えた。
夜も暮れた頃、寛平が大阪城ホールに到着。だが、彼の視線の先は、明かりが灯るだけで人気のないホール。「早く、みんなが待ってますよ」と急かす松たか子に、寛平は「ライブは逃げへんから」と返す。本当にショーをやってるみたいに振舞わないところが、やっぱり好きだな、と思う。
続く映像は、アメママンが登場して「雨上がりの夜空に」をみんなで歌う「新」のラスト。清志郎が幸せそう。このあと、チャボと「夜の散歩をしないかね」。二人で舞台を去っていく姿に、思わず「清志郎、帰ってきて」と言いそうになった。
上映後にパンフレットを買おうとしたら、何と売れ切れ。これって、まるでライブのあとのグッズ販売みたいと思った。
矢野顕子と清水ミチコがマイクを握る宣伝カーが大阪の街を走って、同じ頃、間寛平が通天閣から、ショー会場の大阪城ホール目指して走り出す。
トータス松本や宮藤官九郎やハナレグミや仲井戸麗市らがDJとなって、ショーを進行しつつ、過去の映像の中で清志郎と一緒に歌っていく。片や、ラジオから流れる音楽を、大阪のおっちゃんになってる藤井裕と木村充輝が立ち飲み屋や公園で聞いている。
うどん屋では、店員の斉藤和義と石田が「こんな昼にうどんを食べれるなんて」と歌って、店に入ってきた寛平の注文を無視。寛平は先客の息子慎太郎に「汁吸うたろか」(笑)。
Charaがママさんをやってるお店に高橋ロックミーベイベーが酔っ払って入ってくる。ゆずの二人は落ち込んでる客と励ます店員になって、元気になった北川が店を駆け出して行く。
そして、お笑い芸人みたいになってる人たちも、次々と清志郎と一緒に映ってる。
2001年の「ナニワ・サリバン・ショー」も、2004年の「続」も2006年の「新」も、みんな行ったのですごく懐かしかった。
「後ろのやつらのために、オレはここに来た〜」と客席後方のステージで歌って、続いて山崎まさよしと一緒に山崎バージョンの「トランジスタラジオ」。
斉藤和義と「空がまた暗くなる」。彼は3回全部のナニサリに参加してた人。どんどん洗練されて、貫禄がついていった気がする。昔の映像では単髪だけど、今の長髪の方が似合ってるよね。
トータス松本が「いつも僕たちに勇気をくれる忌野清志郎に敬意を表して」と言って歌い出した「すべてはALRIGHT」。トータス松本、若かったなあ。清志郎の曲はみんな知ってるつもりだったけど、この曲を知ったのは、彼が歌ってくれた最初のナニサリだった。
ハナレグミと「君が僕を知ってる」、ゆずの北川と「ごきらく亭」。
宮藤官九郎とは「ナニワ・サリバン・ショーのテーマ」。確か「続」ではクドカンは演出をやっていて、清志郎は何度も「クドカン!」と連発してうれしそうだったけど、私はその頃まだ彼を知らず、ステージの後ろの客席にいたせいで、クドカンの顔が見えず、一体何者なんだろう、と思ってたっけ。
Charaと「Oh!Baby」途中で歌詞を少しだけ忘れ、高音も苦しそう。なのに、一緒に歌ってる清志郎は、いつもよりキーを下げているから不思議。
矢野顕子と「ひとつだけ」。演奏する前にアッコちゃんが小声で「ステキ」と言ったのも、二人で手をつないでおじきしていたのも、懐かしい二人の姿だ。アッコちゃんは、DJの時、ステージとよく似た黒いドレスを着てて、そこから舞台に呼ばれて出て行く、という演出をしてた。この歌、彼女は5月の3回忌のライブでも歌ってくれたんだよね。
それから木村充輝と「上を向いて歩こう」。この歌、本当にステキ。
大画面で迫力の清志郎を、観て聴ける幸せ。ショーではみんな総立ちで叫んでたのに、今は座ってしみじみ見てるのがさみしい。それでもやっぱり、彼の歌に圧倒される。
過去の映像に映ってる共演者たちは、みな幸せそうで興奮に沸いているけど、今映っている人たちは、いくらはっちゃけてても、ユーモアが楽しくても、どこかさみしげに見えた。
夜も暮れた頃、寛平が大阪城ホールに到着。だが、彼の視線の先は、明かりが灯るだけで人気のないホール。「早く、みんなが待ってますよ」と急かす松たか子に、寛平は「ライブは逃げへんから」と返す。本当にショーをやってるみたいに振舞わないところが、やっぱり好きだな、と思う。
続く映像は、アメママンが登場して「雨上がりの夜空に」をみんなで歌う「新」のラスト。清志郎が幸せそう。このあと、チャボと「夜の散歩をしないかね」。二人で舞台を去っていく姿に、思わず「清志郎、帰ってきて」と言いそうになった。
上映後にパンフレットを買おうとしたら、何と売れ切れ。これって、まるでライブのあとのグッズ販売みたいと思った。
2011年11月27日
舞台「ピアフ」
昨日、大竹しのぶ主演の舞台「ピアフ」を観た。
路上で歌っているところを見出され、瞬く間にスターダムを駆け上がり、たくさんの恋愛をし、最愛のマルセル・セルダンの事故死で絶望し、それでも愛を求めて人生を唄い続けたピアフ。愛と孤独。力にあふれて破滅的。
展開の速いスタイリッシュな舞台だった。路上で歌う場面が、セットを少し動かすだけで、友人と暮らす部屋になり、高級クラブのステージに変わる。マルセルが戦うリングが、そのままピアフの寝室に。ピアフが見出したイブ・モンタンに助言をしている間に、モンタンが労働者風の格好からパリッとした服装に着替えると、そこはもう彼が出演するステージ。
パリのアパートから酔っ払ったままドライブに出かけた場面が、すぐに病院の待合室に。最後も、療養所のピアフの個室が、次には南フランスの彼女の部屋になる。
軍人や市民が「リリー・マルレーン」を集団で歌って、戦争の重苦しい時代を表し、戦争が終われば、大きなフランス国旗を背景に、また集団で喜びを歌い、この二つの場面はまさにミュージカル。通常のお芝居と同じでせりふを歌ったりしてなかったが、大竹しのぶが歌うピアフの歌が、主人公の心情をたっぷりと表現していた。
もう、大竹しのぶの演技と歌に、ただただ引き込まれた。ルイ・ルプレが銃殺され、息を飲んで立ち尽くす時の表情。「知らない街で、道の果てに飲まれ、暗闇をさまよう」と歌いだすと、歌唱力にびっくり。マルセルを愛し、神に幸せが続くことを祈る時の切ない清らかな眼。彼が死んだ後、自責にかられて自暴自棄になる孤独の深さ。
イブ・モンタンを舞台に送ったあとも、シャルル・アズナブールを励ましたあとも、スカーフを腕にきつく巻いて、手首をたたいて血管を出して、震えながら麻薬を打つ。もうやめたといったあと、幕がしまる直前、うつろな眼でまた同じことをする恐ろしさ。アルコールと麻薬に溺れたピアフは、やっとマイクにたどり着いても、歌う前に倒れこんで、抱えられ叫びながら退場。
自分を看病するためにツアーをキャンセルしようとするシャルル・アズナブールを行かせるために、わざと冷たいことを言って彼と別れる。わがままさと情の深さと。最後の恋人テオ・サラボと、友人のドワーヌと話すうち、次第に衰弱していく様は、本当に死んでいく人のようだ。そして、死んでしまったピアフ。
だが、次の瞬間、彼女は起き上がって、それまで前奏が流れるだけでどうしても歌えなかった「水に流して」を、困難を乗り越えて蘇った不死鳥のように、朗々と歌い出す。歌い終わって下げた頭を、また上げた瞬間の、虚脱したような冷たく柔らかい表情が何ともいえなかった。愛と絶望に明け暮れた情熱のピアフ。本当にすごかった。
路上で歌っているところを見出され、瞬く間にスターダムを駆け上がり、たくさんの恋愛をし、最愛のマルセル・セルダンの事故死で絶望し、それでも愛を求めて人生を唄い続けたピアフ。愛と孤独。力にあふれて破滅的。
展開の速いスタイリッシュな舞台だった。路上で歌う場面が、セットを少し動かすだけで、友人と暮らす部屋になり、高級クラブのステージに変わる。マルセルが戦うリングが、そのままピアフの寝室に。ピアフが見出したイブ・モンタンに助言をしている間に、モンタンが労働者風の格好からパリッとした服装に着替えると、そこはもう彼が出演するステージ。
パリのアパートから酔っ払ったままドライブに出かけた場面が、すぐに病院の待合室に。最後も、療養所のピアフの個室が、次には南フランスの彼女の部屋になる。
軍人や市民が「リリー・マルレーン」を集団で歌って、戦争の重苦しい時代を表し、戦争が終われば、大きなフランス国旗を背景に、また集団で喜びを歌い、この二つの場面はまさにミュージカル。通常のお芝居と同じでせりふを歌ったりしてなかったが、大竹しのぶが歌うピアフの歌が、主人公の心情をたっぷりと表現していた。
もう、大竹しのぶの演技と歌に、ただただ引き込まれた。ルイ・ルプレが銃殺され、息を飲んで立ち尽くす時の表情。「知らない街で、道の果てに飲まれ、暗闇をさまよう」と歌いだすと、歌唱力にびっくり。マルセルを愛し、神に幸せが続くことを祈る時の切ない清らかな眼。彼が死んだ後、自責にかられて自暴自棄になる孤独の深さ。
イブ・モンタンを舞台に送ったあとも、シャルル・アズナブールを励ましたあとも、スカーフを腕にきつく巻いて、手首をたたいて血管を出して、震えながら麻薬を打つ。もうやめたといったあと、幕がしまる直前、うつろな眼でまた同じことをする恐ろしさ。アルコールと麻薬に溺れたピアフは、やっとマイクにたどり着いても、歌う前に倒れこんで、抱えられ叫びながら退場。
自分を看病するためにツアーをキャンセルしようとするシャルル・アズナブールを行かせるために、わざと冷たいことを言って彼と別れる。わがままさと情の深さと。最後の恋人テオ・サラボと、友人のドワーヌと話すうち、次第に衰弱していく様は、本当に死んでいく人のようだ。そして、死んでしまったピアフ。
だが、次の瞬間、彼女は起き上がって、それまで前奏が流れるだけでどうしても歌えなかった「水に流して」を、困難を乗り越えて蘇った不死鳥のように、朗々と歌い出す。歌い終わって下げた頭を、また上げた瞬間の、虚脱したような冷たく柔らかい表情が何ともいえなかった。愛と絶望に明け暮れた情熱のピアフ。本当にすごかった。
2011年11月23日
ハートブレイカー
大分前に観たのに書いてなかった「ハートブレーカー」。
別れさせ屋のアレックス(ロマン・デュリス)の早業の見事なこと。じっと見つめて気を引いて、涙を見せて同情させて、悲しい過去を語って、もう恋愛なんかできないんだ、でも君、君なら・・といっただけで相手はイチコロ。ターゲットに近づくためなら、高層ビルの窓拭きにだって、シェフにだって、医者にだって変身。子供の頭に大きな絆創膏を貼って、シャム双生児の手術に成功しただなんて、もう笑っちゃう。
そして、姉のメラニー(ジュリー・フェリエ)も、何役にも化けて彼を援護。メカに強い彼女の夫マルク(フランソワ・ダミアン)も加わって、完璧最強のトリオ。
かっこいいけどどう見ても三枚目なところが憎めないアレックスだけど、信条はしっかりしてて、彼が近づくのは、不幸なのに自分ではそれに気づいていない女の子。そして決して心は壊さないこと。不思議なことに、彼に誘惑された人は、本当の望みに気づいて元気になってる。
そんなアレックスが、10日後に結婚を控えたジュリエット(ヴァネッサ・パラディ)の父親から依頼を受ける。相手は英国人の実業家で、申し分ないし二人はアツアツなのに、どうして父親が横ヤリを入れるのかわからないけど、父と娘の仲は険悪。そして、ターゲットはすこぶる勝気で付け入る隙がないのに、結婚まではカウントダウンが迫っていく。
ボディーガードだといえば、それにしては体格が貧弱、スーツも貧弱といわれ、ジュリエットの完全な上から目線に動揺したり、頭の中が?だらけになるアレックスが面白い。
早々にクビを宣告されるが、次の瞬間、ジュリエットの車を暴漢が襲って逃走。これは実はメラニーで、その車をアレックスが追って無事バックを取り戻して自分をアピール。SOSの合言葉を決めて、信頼してくれたのかな、と思う間もなく、合言葉を連呼されてあわてて駆けつけたら、友人に見せるためだけ。犬じゃないんだから。
でも、やられ放題のアレックスを、ここでもメラニーとマルクが援護射撃。ホテルの部屋を水浸しにして、二人を同じ部屋に二人きりに。それでも、そんな苦労はジュリエットの隙のなさの前に水の泡。色情狂のジュリエットの親友が飛び込んできたりの大騒ぎ。
でも、予想どうり、ジュリエットは面白いアレックスに惹かれていく。その一方で、恋人と二人きりで急遽挙げることになった結婚式が、相手の両親が急に現れて取りやめになったり、その両親が文句たれだったり。目の前の結婚自体に不安が芽生えていく。実業家の青年、全然悪くないんだけど、何となくフツーに上から目線で、それにフツーに両親思いのせいで、フツーに妻を失望させるのよね。
ついに明日は結婚式という夜、眠れずにバルコニーに出たジュリエットを待ち構えるアレックス。二人のドライブやダンスがロマンチックだった。でも、結局帰っていくジュリエット。何だか「ローマの休日」の別れみたい。
そして、当日、ミッションに失敗した3人はホテルから撤収。そして、エレベーターでジュリエットに出くわして、アレックスの正体がばれる。ここで二人の間に大きな溝ができないのが、大人のフランス流なんでしょう。ジュリエットに恋していたアレックスは、彼女をあきらめることに大きな悲しみを感じていた。相手の心を壊さないのが信条だったのに、自分に不正直なために、今は自分の心を壊したのだ。
ここからはまさに「卒業」の世界。待ってるだけじゃないジュリエットがさわやか。
ピアノの演奏会に白尽くめで現れ、客席にいるくせにしっかり弾いてるまねをしてるロマン・デュリスが傑作。「真夜中のピアニスト」と全然違います。
別れさせ屋のアレックス(ロマン・デュリス)の早業の見事なこと。じっと見つめて気を引いて、涙を見せて同情させて、悲しい過去を語って、もう恋愛なんかできないんだ、でも君、君なら・・といっただけで相手はイチコロ。ターゲットに近づくためなら、高層ビルの窓拭きにだって、シェフにだって、医者にだって変身。子供の頭に大きな絆創膏を貼って、シャム双生児の手術に成功しただなんて、もう笑っちゃう。
そして、姉のメラニー(ジュリー・フェリエ)も、何役にも化けて彼を援護。メカに強い彼女の夫マルク(フランソワ・ダミアン)も加わって、完璧最強のトリオ。
かっこいいけどどう見ても三枚目なところが憎めないアレックスだけど、信条はしっかりしてて、彼が近づくのは、不幸なのに自分ではそれに気づいていない女の子。そして決して心は壊さないこと。不思議なことに、彼に誘惑された人は、本当の望みに気づいて元気になってる。
そんなアレックスが、10日後に結婚を控えたジュリエット(ヴァネッサ・パラディ)の父親から依頼を受ける。相手は英国人の実業家で、申し分ないし二人はアツアツなのに、どうして父親が横ヤリを入れるのかわからないけど、父と娘の仲は険悪。そして、ターゲットはすこぶる勝気で付け入る隙がないのに、結婚まではカウントダウンが迫っていく。
ボディーガードだといえば、それにしては体格が貧弱、スーツも貧弱といわれ、ジュリエットの完全な上から目線に動揺したり、頭の中が?だらけになるアレックスが面白い。
早々にクビを宣告されるが、次の瞬間、ジュリエットの車を暴漢が襲って逃走。これは実はメラニーで、その車をアレックスが追って無事バックを取り戻して自分をアピール。SOSの合言葉を決めて、信頼してくれたのかな、と思う間もなく、合言葉を連呼されてあわてて駆けつけたら、友人に見せるためだけ。犬じゃないんだから。
でも、やられ放題のアレックスを、ここでもメラニーとマルクが援護射撃。ホテルの部屋を水浸しにして、二人を同じ部屋に二人きりに。それでも、そんな苦労はジュリエットの隙のなさの前に水の泡。色情狂のジュリエットの親友が飛び込んできたりの大騒ぎ。
でも、予想どうり、ジュリエットは面白いアレックスに惹かれていく。その一方で、恋人と二人きりで急遽挙げることになった結婚式が、相手の両親が急に現れて取りやめになったり、その両親が文句たれだったり。目の前の結婚自体に不安が芽生えていく。実業家の青年、全然悪くないんだけど、何となくフツーに上から目線で、それにフツーに両親思いのせいで、フツーに妻を失望させるのよね。
ついに明日は結婚式という夜、眠れずにバルコニーに出たジュリエットを待ち構えるアレックス。二人のドライブやダンスがロマンチックだった。でも、結局帰っていくジュリエット。何だか「ローマの休日」の別れみたい。
そして、当日、ミッションに失敗した3人はホテルから撤収。そして、エレベーターでジュリエットに出くわして、アレックスの正体がばれる。ここで二人の間に大きな溝ができないのが、大人のフランス流なんでしょう。ジュリエットに恋していたアレックスは、彼女をあきらめることに大きな悲しみを感じていた。相手の心を壊さないのが信条だったのに、自分に不正直なために、今は自分の心を壊したのだ。
ここからはまさに「卒業」の世界。待ってるだけじゃないジュリエットがさわやか。
ピアノの演奏会に白尽くめで現れ、客席にいるくせにしっかり弾いてるまねをしてるロマン・デュリスが傑作。「真夜中のピアニスト」と全然違います。
