2015年08月29日

この国の空

 1945年、3月の大空襲のあとの東京杉並区。父が戦争に行き、母と暮らす19歳の里子(二階堂ふみ)。隣に住む銀行支店長の市毛(長谷川博己)は、妻子を田舎に疎開させて一人暮らし。おすそ分けを持って行ったり、配給の物資を届けたりの近所付き合いのなか、ひそかに市毛を慕う里子。二人の男女は次第にキョリを縮めていくのだった。

 親子二人でかつかつの暮らしのところに、横浜で焼け出された母の姉が転がり込むと、姉妹間の最初の驚きやいたわりが、たちまち敵意に変わっていがみ合う。配給の乏しい食糧。眠る間もなく響く空襲警報。不安で心もとない彼らの周りには、若い男たちの姿はない。そして、疎開のせいで、子供たちの声も、街からは消えている。

 親戚から送ってきたもちを市毛の家で焼いた里子は、突然泣き出して、市毛を動揺させる。市毛に言われて夜に家を訪ねると、市毛は妻子に送るための新聞の切り抜きを彼女に見せる。留守を頼まれて家に入ると、柱には子供の背の切り込み。近づいてもそこに見えるのは、他人のものである男の顔ばかり。だが、里子はひるまず、若さ一杯にたぎらせた恋のあこがれや、性への恐れを、一心に市毛に傾ける。

 兵隊検査が丙種合格だったために、徴兵を逃れた市毛。新聞記者の友人から終戦が近いと知らされるものの、赤紙が突然来るのを恐れている。克明でみじめは自爆のイメージ。そんな彼は、死とは対極の里子の若さに強く惹かれ、ついにそれを口にする。

 一旦スイッチの入った情動が、確実に前に進んでいくさまが、切なく暗い。後ずさりする里子を木の幹に追い詰める市毛。その夜、市毛の家に来た里子を、市毛は躊躇なく抱き寄せた。大きく歳の離れた道ならない関係が、息を飲むように切羽詰まったものに思われるのは、未来の見えない戦時下だからだろう。
 初めは市毛を警戒するように言っていた母が、終戦が確実なことを知らせに来た市毛のそばで彼の世話を焼く里子を見、雨のなか彼を送っていくように言う。大人の女としての娘の行き場のない思いを、見守るすべしかないのだろうか。すべて、戦争の真空状態のせいだ。

 始まったばかりの二人の恋。だが、戦争が終わって市毛の妻子が帰ってきたら、状況は変わるはず。男のずるさと、女の怖さがチラッと見えたラスト。里子は、これから自分の戦争が始まるのだという。茨木のり子の詩「私が一番きれいだった時」が、里子の声で朗読されても、詩の健全さとは裏腹に、抑圧された日常のねっとりした感じが、いつまでも残った。
posted by HIROMI at 13:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記