2015年09月06日

あの日のように抱きしめて

 1945年、アウシュビッツ強制収容所から、ユダヤ機関に勤める親友のルネ(ニーナ・クンツェルドルフ)に付き添われ、ベルリンに戻ってきた、元声楽家のネリー(ニーナ・ホス)。奇跡的に生還した彼女だったが、顔に銃による大けがを負っていて、手術によっても、元の顔に戻ることはできなかった。ピアニストだった夫のジョニー(ロナルト・ツェアホルト)と再会することが何よりの望みであるネリーは、パレスチナへの移住を誘うルネの言葉に関心を示さず、夜の街を捜し歩いて、ついに、酒場で雑用係をしている夫を発見する。だが、ジョニーはネリーを妻だとは気付かないどころか、「死んだ妻に似ているから、妻を演じてくれたら財産を山分けする」と持ちかける。ネリーは、混乱しながらも夫の提案を受け入れた。

 ルネはジョニーについて、ネリーの逮捕の2日前に釈放され、その後も音楽家として普通に過ごしていた、と警告する。つまり、妻をナチに売った裏切り者だと。彼が役所から書類を盗む場面からも、ジョニーがルネのいうとおりクロであることは想像できる。だが、夫の愛情を堅く信じるネリーは、それが受け入れられない。一方のジョニーは、眼の前の女がネリーだとは分からない。二人は初め、互いの姿がまったく見えないのだ。

 ネリーが求めるのは、夫との以前の幸せな日々。彼女がジョニーの言うとおりにするのは、彼のそばにいたいためと、何より彼に、妻として発見されたいからだろう。収容所で心身をずたずたにされたうえに、顔を失くし、はじめ幽霊のようにおぼつかなかったネリーは、ジョニーの注文どおりに髪を染め、化粧をして、元のネリーをなぞっていくうち、皮肉にも元の自分を取り戻していく。それは、初めて夫と出会い、関係をやり直しているかのような、新鮮な喜びをもたらして、よけいにジョニーへの眼をくらませる。だが、生還の日のための工作でジョニーの指示通りに動くうちに、彼への疑惑が沸き起こってくるのだった。

 ジョニーはおそらく、かつてネリーを本当に愛していただろう。だから、彼女を守ろうとハウスボートに隠した。だが、ナチに尋問された恐怖で、自分の身の安全の方を選んでしまったのだ。卑怯だが、普通の小心な男なのだと思う。そして、自分の行為への後ろめたさから、それを責めるべき妻を、死んでしまったと思い込みたい。その上、落ちぶれた身の上から金が必要な彼は、彼女の財産に目をつけたなどと、本物の妻には知られてはならない。だから、目の前にいるネリーによく似た女は、どこまでもニセのネリーでなくてはならないのだ。
 だから、ネリーにそっくりに着飾った女を見て動揺したジョニーは、似ていると思うがゆえに、激しくそれを否定する。ジョニーの表情からも行動からも、彼の妻への思いは見えにくいが、彼はおそらく、自分に都合のいいように、妻への愛も罪の意識も、今の良心さえも抑圧しているのだ。

 収容所帰りの人々はみんな火傷や銃創でボロボロで、そのため誰も彼らを見ない、というジョニーの言葉がショッキングだった。そのため、ジョニーはネリーに、なりすましての収容所から生還の日に、赤いドレスを着るように言う。そして、彼の言ったとおり、出迎えた人々は、彼女の服装を不自然だとは思わず、収容所のことも訊ねない。かつて不正をした社会が、その犠牲者を受け入れる時の、奇妙なよそよそしさ。

 そして、ネリーが自分自身になりすまして彼の前に現れたまさにその日、もう彼の仕打ちに気付いていた彼女は、彼に自分の正体を人知れず気付かせる。彼への愛をよりどころに、強制収容所を生き抜いたネリー。愛は復讐に変わるのか。ミステリアスなラストが悲しかった。
posted by HIROMI at 11:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記