2015年09月20日

夏をゆく人々

 イタリア、エストリア遺跡のあるさみしい村で、養蜂を営む両親と四人姉妹の家族。それに居候が一人。冒頭、広い暗闇の中に数台の自動車が来て、犬による捜索が始まるかと思うと、すぐ朝に切り替わり、外で眠っていた父親が、フェンスの向こうの草原に響く銃声に向かって、罵声を浴びせる。のどかのようで不穏な感じ。克明でリアルな描写がドキュメンタリーのようなのに、不思議な寓話のような感じがあって、独特な感覚の映画だった。

 伝統的な製法を守る一家。次女のマリネッラは、要領よくさぼろうとし、その言い分がすっと通る。まだまだ幼い三女と四女は、遊びまわっているだけで、父にじゃま扱いされても、仕事を言いつけられることはない。そんななか、長女のジェルソミーナは、巣箱を移したり、逃げた蜂を塊ごと袋の中に落としたり、蜜のバケツを換えたり、長女らしい責任感で、家業の一切を引き受け、父の片腕として働いている。名前を聞いてすぐに「道」を思い出した。粗野で不器用で、いつもわめきちらす父は、ザンバノそっくりだ。
 ジェルソミーナは、父の命令を重圧に感じながらも、父の期待に応えたいと願い、頑固な父も実は娘たちを愛し、特に長女を頼っている。だが、彼は、長女がもう幼い子供ではないことや、自分が理想としていることとは違う、彼女自身の望みを抱いていることが分かっていない。

 ある時、村にテレビのクルーがやって来て、ジェルソミーナは、司会の美しい女性に魅せられる。「ふしぎの国」という番組で、伝統的な産業を紹介し、コンクールに優勝すると賞金と旅行がプレゼントされる。
 都会から見れば、辺鄙な土地はメルヘンのように映るのか、きつい労働の痛みは想像していないかのよう。出演者に古代人のコスプレをさせる。一方、ジェルソミーナにとっては、彼らが差し出すチャンスこそ、めくるめくふじぎの国だったろう。

 父が勝手に更生プログラムで少年を預かると決め、ドイツ人の少年がやって来る。全く言葉を話さず、体の接触を嫌う彼には、深い心の傷が感じられる。少年が吹く美しい口笛。ジェルソミーナは、少女らしい眼差しを向ける。おませなマリネッラが、ラブソングをかけて少年の前で踊った時、ジェルソミーナはふいに不機嫌な表情を見せる。一方で、彼女は労働力として、父に少年と比較される。両親にコンクールへの応募を打ち明けようとして逡巡するジェルソミーナ。どの場面でも、彼女の抑制の効いた瑞々しい繊細な表情に吸い込まれた。

 田舎ではあっても、周りに家もなく、隣人と対立してぽつんと暮らすさまは、地域の共同体もなさそうだ。蜂蜜は上質でも、壁の消毒や排水溝もなく、法律違反を問われながら、その解決ができない状態。家族の絆は強いが、妻が夫を見限りそうな場面もある。伝統的な製法を重んじ、地道な暮らしの反面、彼らにはまるで根無し草のような浮遊感がある。少年を探して洞窟から戻ったジェルソミーナ。少年はその後どうしたのだろう。ジェルソミーナと家族はどうなるのだろう。 
posted by HIROMI at 09:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記