2015年10月11日

僕らの家路

 弟マヌエルと二人きりの朝、ジャックは朝食の用意をしてから着替えを取り込み、弟を起こして学校に急ぐ。ピクニックに行っても、母親は友人と続きに遊びに行って、兄弟二人で夜道を帰らなければいけない。真夜中、お腹を空かせたジャックが、母が恋人といる部屋に行くと、母は裸のままで彼にシリアルを食べさせる。子どもを可愛がりながらも、自分の楽しみに夢中になっている若い彼女は、母親というより、青春まっただ中の奔放な姉のようだ。

 そんなある時、ジャックが用意した風呂でマヌエルが火傷をし、そのためにジャックが養護施設に預けられることに。ジャックはそこで上級生ダニーロにいじめられ、孤独に耐えながら母に会える日を待つが、ようやくやってきた休みの日、母から、仕事のために迎えは3日後だと告げられる。同じく施設に残されていたダニーロにまたもいじめられ、友人が貸してくれた双眼鏡を池に投げられたジャックは、思わずダニーロを殴り倒し、ひたすら家を目指して歩き出した。

 そこからどれだけ歩き続けただろう。フェンスを越え、地下の駐車場で眠り、道路に沿って歩き、なけなしのお金で電話をしても、母の電話はつながらない。ようやく家にたどり着いても、下駄箱にあるはずの鍵もない。マヌエルの預け先まで行ったジャックは、今度は二人で母を探しに行くのだった。

 母がよく立ち寄る居酒屋、それから煙がもうもうのナイトクラブ。どれも子供が行くような場所ではない。小さな二人が人ごみをかき分けても誰も気付かず、つまみ出されもしない代わりに、助けも得られない。暗い夜道を歩いても、彼らは全くの孤独だ。
 大人たちの反応は、無関心か冷たいか。母親の知り合いはジャックの姿を見ても驚かず、まるでジャックが大人であるかのようだ。マヌエルの預け先は、女は迷惑を口にし、男は無言で荷物を放り出す。駐車場ではどなられる。母の元恋人は何とか助けてくれるものの、結局彼らの孤独や心情はわかっていない。

 だが、そんな状況を、ジャックは泣かずに、疲れて眠ってしまうマヌエルを起こしながら、力を振り絞って進んでいく。何でも一人でこなしてきたジャックは、初めから大人たちの助けなど期待していないのかもしれない。ジャックの身の上はハラハラさせられるし胸が痛むが、彼はちっともみじめには見えない。それどころか、しっかりとして誇り高い。彼は途中何度も何度も電話をしては留守電を入れ、戻ってくるたびにメモを残す。そのたびに失望し、苛立ちが募っていく。その切なさ、心もとなさ。だが同時に、母を求める子供の姿が、逆に行方の知れない母を案じているように見えてくる。彼を支えているのは、母に愛されているという確信。だから、母の元恋人に、「君は母親に捨てられたんだ」と言われた時、猛然と反発する。

 ところが、窓に灯りを見つけやっとの思いで再会した母は、思い切り愛情を示してはくれるものの、何ともこともなげ。新しい恋人とのことで夢見がちな彼女は、ジャックの残した留守電にも、メモにも気付いていないのだ。そして以前と同じ朝を迎えたジャックは、迷わず自分の選択をする。意外で、驚くほどあっけない幕切れ。彼の前には、これからたくさんのことがあるはず。だが、彼ならたくましく生きていくかもしれない。そして、その選択が間違っていない気がしてくる。
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2015年10月05日

京都ピースナインコンサート

 一昨日、京都文化センターで、京都ピースナインコンサートを聴きに行った。昨年12月に亡くなった笠木透さんの追悼コンサートで、2005年から始まったコンサートのファイナルだった。

 トップバッターは趙さんのアホンダラ経。安保法制の成立を受けて、内容がより過激になっていて、その分わかりやすくて面白かった。
 次は野田淳子さんが、エスペラント語で「死んだ男の残したものは」。
 三人目は高石ともや。笠木さんはチリの軍事クーデターで殺されたビクトル・ハラと同い年で、彼の分まで二人分の人生を生きたと思う、と話したのに始まって、小沢昭一に会った時、「語る」とはごんべんに吾と書くのだから、自分の考えや思いを表現しなければいけないのに、最近の芸人はごんべんに舌の「話す」だけだ、と話したことや、アメリカでのピート・シガーとの出会いなど、歌いながら次々と興味深いエピソードが繰り出して、すごくエネルギッシュな人だった。
 次のケイ・シュガーさんは、「原発ゼロへ」と菅野スガに捧げる歌。

 今回のステージで一番心に残ったのは、松本ヒロ。安保法制成立の少し前にNHKのニュースに映っていた人。パンチの効いた風刺と軽妙な話術とおかしな身振りで、笑って笑って、本当にスカッとした。器用で元気で、目一杯過激なのに、とても優しそう。地味な風貌だけど、もう忘れられません。

 最後は、3人組の雑花塾。笠木さんと一緒にコンサート活動を続けていたグループだそうで、「君が明日に生きるこどもなら」や、「平和の暦」、等々。ずっと昔から知っている「私のこどもたちへ」が、笠木さんの作品だということを、初めて知った。「私に人生というものがあるなら」は、何度も歌われ、琴線に触れて何だか泣きそうになった。
 温かで繊細な歌詞とギャップのある、いかつい風貌と骨太な生き方を、出演者たちが繰り返しなつかしんでいた。ステージが始まる前の去年のフィルムの中で、「憲法ができてから戦争をしない国として積み上げてきた歴史」を語っていた笠木さんは、今の状況をどんなに悔しがるだろう。

 コンサートが終わってみたら、何と4時間も経っていてビックリ。楽しくて、そんな長時間すわっていたとは思っていなかった。これから何度も来ようと思ったのに、ファイナルとは。会場全体が惜しんでいた笠木さんの死とともに、こんな時期に、平和を願うコンサートが終わってしまって、とてもさみしい。
posted by HIROMI at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記