1945年8月9日の長崎。11時9分に原爆が投下されるまでの間に、21歳の浩二(二宮和也)は、母伸子(吉永小百合)に声をかけて玄関を出、人で鈴なりのバスに乗り、医科大の授業に出た。一日の始まりの一コマ一コマが、その後破壊された何万の人々の、それまでの普通の生活を象徴していると思う。インク瓶が一瞬で溶けて、爆風と轟音が響く場面が恐ろしかった。
3年後、浩二の遺体や遺品を探し続けた伸子は、ようやく彼の生存をあきらめることを決心するが、その時、家の中で人の気配に振り返った彼女は、学生服の浩二の姿を見るのだった。
陽気でおしゃべりな昔のままの浩二。彼は伸子の妄想ではなく、レコードに涙を落としたり、彼一人が写る場面も多く、亡霊として描かれる。そして今も、かつての恋人町子(黒木華)を愛している。
町子も浩二を忘れられず、結婚前に浩二が死んだにもかかわらず、彼の妻として生きていこうと思っている。伸子は、町子の将来を案じて、彼女に浩二を忘れるよう、浩二には町子の自由を認めるように諭すが、二人ともから強い拒否を受ける。もし原爆が引き裂かなければ実っていただろう二人の思いが、本当に切なかった。
戦後3年経っても、まだまだ傷深く困難な世の中。充分な食糧がなく、伸子のもとには上海のおじさん(加藤健一)が闇物資を運んでくる。町子は父親の消息を探す教え子に付き添って、復員局で悲しい知らせを聞く。
そんななか、伸子の仕事が助産婦なのは、これから再生していく社会の希望を表しているのだろう。だが、伸子の夫は結核で死んでいて、浩二を失うばかりか、長男もビルマで戦死しているのだ。たった一人になっ彼女は、町子と互いに支え合いながら、義母と娘のように寄り添って、浩二のいない時間を生き抜いた。町子までがいなくなる寂しさよりも、彼女の幸せを願う伸子の優しさ、芯の強さ。
町子の気持ちとは裏腹に、伸子の願うとおり、若い町子には新しい出会いが起こる。親しい友人が死に、その母になじられて、自分が生き残ったことに罪悪感を抱くエピソードは、「父と暮らせば」と同じだ。苦しみながらも伸子に背中を押された町子は、自分の人生をもう一度生きようとする。そして、初めは町子が自分から離れて行くことに激しく動揺した浩二も、次第に彼女の幸せを願うようになっていく。死んでしまった何万人もの人々は、生き残った人々の幸せを願っているはずだ、という伸子の言葉に胸を打たれた。
浩二は、町子を深く愛しているものの、彼女のもとにではなく、母のもとに現れ、母の言葉を通してしか町子の様子を知ることができない。彼の姿を見ることができるのも、母だけだ。恋人同士の悲しい別れの物語である以上に、母と息子の絆の物語なのだろう。
浩二が納得しているといえ、町子の婚約者黒田(浅野忠信)が登場する場面は、奪われた人生の無念が迫ってくる感じがした。伸子は突然、なぜ浩二ではなく町子が幸せになるのか、と怒りだす。矛先が町子の恋人に向かわないのが不思議だった。嫉妬が、よく知らない相手ではなく、よく知っている身近な人物に向かってしまうのは悲しい。
そして、町子が去った夜、原爆病に侵されていた伸子は、たった一人で死んでしまう。痛ましさにまた泣いた。だが、彼女には永遠に息子といられるという救いが待っている。そして、彼とともに死んだ何万人もの人々が、二人を待つのだ。戦後を生きた人たちの思いと、死んだ声なき人々の思いが、切々と迫ってくるようだった。