2016年02月29日

みんなでつくる学校・とれぶりんかの朗読劇

 昨日、メセナひらかたで、みんなでつくる学校とれぶりんかの朗読劇「こどもたち・女たちのSOSが聞こえますか?!」を聴いた。

 施設で育ち、誰にも心を開かない少年。養父母に引き取られたが、二人は離婚し、養母はうつ状態のなか、彼に包丁を突きつけるようになり、彼は施設に戻るしかなかった。
 障害をもった女の子は、貧しい暮らしのなか定時制高校を卒業して住まい付きの仕事につくが、トラブルで追い出され、ホームレスになってしまう。
 母親の帰宅を幼い弟と二人で待つ少女。週に1回は帰ってきてお金を置いて行った母親が、男性と知り合って帰って来なくなった。高校に進学したいが、希望がない。もう食べるものもない。

 どれも心が痛む深刻な話だが、全部、会の代表が実際に出会ったこどもたちだという。3番めの例など、すぐにも保護が必要だと思われるが、案件のあまりの多さに、週一でも母親が帰ってきていることから、対応を後回しにされるという。

 現在、日本の子供の貧困率は、16.3%で、6人に1人が貧困ということになる。それはつまり親の貧困。ここ20年で急速に非正規雇用が増えるなか、女性の非正規雇用の賃金は、男性の正規雇用の4割り程度しかない。

 会の代表者の話に心を打たれた。
 「シングルマザーは、離婚に至るまでにすでに心の体力を使い果たしていて、父親からの養育費不履行が多い中、失業などで一気にうつ状態に陥るケースも多い。孤独のなか、人間不信になったり、理性的な判断を失ったりし、子供のしんどい状態に向き合えなくなってしまう。子供は、ネグレクトされても、母親と引き離されるのを恐れて母親をかばうなど、彼らの笑顔の下に隠された素顔がみえにくい。
 父親が自殺した家族は、元の家に住めなくなって他地域に越すが、起こったことを隠して知らない土地で孤立する。
 よく自己責任といわれるが、母親の追い詰められた状況や、社会的な背景にも目を向け、彼らの状況が、私たちと地続きにあることに思いをいたして欲しい。」

 「人間は未熟な状態で生まれるため、母親一人では育てられず、種として集団で子育てを行って生き延びてきた。それが本来の私たちのあり方のはず。みんなが少しずつ力を出し合って、取り組んでいくことに希望があると思う。」
 枚方市の保育園「みんなの里」での地域に開かれた「0円こども食堂」の取組や、東京都豊島区で、一人のお母さんから始まって、大勢のカンパで実現した受験サポートの取組などが紹介された。

 朗読劇には、二胡奏者の木場孝志さんが今回のために作曲した「いのちの陰影」と「HOPE」が流され、ラストは音楽部の二人の歌で締めくくり。会場には、イラスト部の男子が描いた数々の電車の絵が展示されていて、写真のような精巧さに驚いた。
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2016年02月27日

ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります

 ニューヨークのブルックリンに住むアレックス(モーガン・フリーマン)とルース(ダイアン・キートン)。新婚で移り住んで40年が経ち、田舎だと思われていた街はオシャレに変貌。一方、エレベーターのないアパートの最上階の住まいは、老境の身には不便になってきて、アレックスを心配したルースは、新居に引っ越そうとアレックスを説得。姪で不動産ブローカーのリリー(シンシア・ニクソン)が早速始動して、明日が家の内覧会となっていた。

 エネルギッシュで明るいルースと、ゆったりと落ち着いて寡黙なアレックス。白人と黒人間の結婚が珍しかった時代に結婚し、慰め支え合って生きてきた。大きく開いた窓から、街が広がる光が満ちるアトリエ。屋上には菜園もある落ち着いた住まいは、二人の幸せで温かな人生を、そのまま表しているようだ。

 思い出の詰まった部屋でも、リリーの眼にはあくまでも物件。アレックスが描きためた数々の絵は、内乱の邪魔になるガラクタ。及び腰のアレックスの中で、引っ越しへの疑問がつのっていく。愛犬ドロシーが急に歩けなくなったかと思うと、街にはテロ騒ぎが起こり、通院も大変。渋滞で移動が面倒な街に対して、家の中がさらに快適に見えてくる。

 他人がずかずかと入ってくる内覧会。電気のスイッチをパチパチする子供と、それを叱らない母親とか、訓練中という介護犬志望のおバカな犬連れとか。知ってる人の家では見せるはずのお行儀や遠慮が吹っ飛んで、値踏みしたり物色したりの本音丸出しで押し寄せるさまが滑稽だ。

 貧しかった二人が住んだアパートは、今や高値がつき、リリーが仕切る入札やオファーで買い手がつきそう。すぐにも新居が必要だと思った二人は、あわただしく新居探しに向かい、自宅に来た人たちと何度も遭遇しながら、とうとう気に入った家にめぐり会うのだった。

 自分の家に住む人を選ぶ時、ルースは値段よりも、養女を迎える予定だとか、メッセージの内容とかに惹かれていた。自分が今度住むことになる家の持ち主がどんな人物なのかも、同じように目に入るのだと思う。
 競争相手に勝つために、あわてて契約しようと訪れたところ、テレビにテロの容疑者が映し出される。怖くなって事故現場から逃げただけのように見える、大人しそうな犯人。画面の男に向かって、家の持ち主が吐き捨てる汚い言葉。値段に不満を言い募る不機嫌なその妻。不快に感じたアレックスは、突然引き返そうとするのだ。

 リリーの高飛車な指図に振り回されていた。だが、自分たちの暮らしは自分たちで決めるのだ。不安に思った老境も、このまま乗り越えられると、自分たちの力を認識する。これからもずっと恋人のままの二人が、とても素敵だ。
posted by HIROMI at 11:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年02月20日

愛しき人生のつくり方

 夫に先立たれたマドレーヌ。長男で郵便局員だったミシェルは、定年退職で所在ないが、彼の妻ナタリーは、まだばりばりの現役教師。独立心旺盛でおちゃめはマドレーヌのもとには、孫の大学生ロマンがしょっちゅう訪れるが、彼はまだ将来の目標が分からない。ある日、マドレーヌが倒れ、老人ホームに入ることになるが、ロマンはそこにも通って、彼女も新しい環境になじむ。ところが、友人の葬儀の帰り、自分の家に他人が住んでいることを知った彼女は、突然ホームから姿を消してしまうのだった。

 人々の何でもない暮らしが、可笑しくて寂しくて、愛しい。
 机にお菓子を並べただけの、ミシェルの質素なお別れ会。40年の思いが込められない不器用な短いスピーチ。ロマンとマドレーヌがホームの壁に飾られた絵に引きつけられるが、牛か馬かわからない作者の絵は、わざわざ訪ねて行って他の絵をもらっても、何の動物だか判別できない。マドレーヌが倒れた知らせに、沈痛なミシェルとロマンのそばで、ロマンのルームメイトのカリムの携帯が、間抜けた音を出す。シリアスなはずのシーンも、アルアルの間の悪さに思わず吹き出してしまった。

 レストランのメニュー選びにもぐずぐずするミシェル。母親をホームに預けたのも、家を売ったのも、望んでではなく状況に押し切られて。彼女の失踪を知ると、死んだと思い込んで落ち込むものの、無事だと知らされると、母の行動を迷惑だと言って妻にあきれられる。彼は、自分の不安定さが妻を苛立たせているとは知らず、妻の愛を求めてあがく。一方、ナタリーは、退屈な夫が今も自分を情熱的に愛しているとは知らず、うんざりのフリで彼の反応をためそうとする。そんな両親の間で、ロマンは冷静で優しい緩衝剤だ。

 そしてロマンもまた、まだ見ぬ運命の人を探す旅人。祖母の友人の葬式で一目ぼれした女の子とはそれっきり。だが、祖母を探して訪れた彼女の故郷の小学校で、またしても一目ぼれの相手ルイーズに出会うのだった。

 この映画、クロード・ルルーシュの「男と女と男」のコーヒーに砂糖を三つ入れる主人公が、同じだけ入れる女の子とやっと出会うのを思い出した。冒頭、ロランが墓地を間違えて祖父の葬儀に遅れ、最後、ルイーズもマドレーヌの葬儀に遅れて来るから。

 祖母に付き添った場所で恋人に巡り合った話を聞いたカリムが、めったに会わない祖母を連れ出して、あまり気のなさそうな彼女の職場を訪れる。「舌きりすずめ」とか「花咲かじいさん」の悪いおじいさんを連想してしまう。
 これは効き目がないようだったけど、繰り返しはもうひとつあって、ドライブインで2個入りのチョコを勧めた店主のアドバイスどおりにして成功したロマンは、妻との関係に悩む父親に、同じ男にアドバイスを受けるよう勧めるのだ。
 人生を前に進めてくれるのは、ふとした小さな助言だったりする。それがお守りになったり、本当の予兆だったり。心温まるいい映画だった。 
posted by HIROMI at 10:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記