2016年04月29日

アイヒマンショー 歴史を映した男たち

 1960年、ユダヤ人絶滅計画を推進したナチの将校アドルフ・アイヒマンが、イスラエル諜報機関によってアルゼンチンで逮捕され、翌年、エルサレムの法廷に引き出された。裁判のもようは37か国でテレビ放映され、ナチのすさまじい悪行を、世界中が知ることとなった。

 裁判の中継を計画したのは、アメリカ人プロデューサーのミルトン・フルックマン(マーティン・フリーマン)。裁判の開始を知ると、すぐにイスラエル政府との交渉に奔走。監督にアメリカからドキュメンタリー作家のレオ・フルヴィッツ(アンソニー・ラパニア)を呼び寄せた。カメラが邪魔だという判事の許可を取るために、壁を改造したり、わずかな日数で完璧な準備を行う。そのフルックマンを度重なる脅迫が襲うが、決してひるまない姿勢には、正義感と同時に強力な野心が感じられた。

 いざ撮影が始まると、現実的に事を進めようとするフルックマンに対し、フルヴィッツの関心はアイヒマンに集中する。フルヴィッツは、アイヒマンが激昂したり泣き叫んだり、自分たちと同じような感情をもつことを映し出せれば、彼が怪物だからファシストなのではなく、誰もが状況によってはファシストになる可能性がある、と警告できると考えていた。

 だが、アイヒマンは、どんなに追及されようが身じろぎひとつしない。感情の爆発を待つあまり、証人が卒倒する瞬間に、カメラを向けられず、視聴率を気に掛けるフルックマンは、監督に怒りをぶつけた。折しもガガーリンが宇宙飛行し、キューバ危機が起こって、長々と続く単調な陳述よりも、人々の眼はそれらに引きつけられていた。

 だが、ホロコーストを生き延びた人々の証言が流れを変える。子供を殺されたあと、自分も撃たれた女性が、死体の山から這い上がって見たのは、見渡す限りの死体だった。トラックから死体を片づけていた男性は、ある日死体の中から妻子を見つけた。死体を焼却した灰を、滑り止めのために収容所の地面に撒かされた。等々・・。今まで知らなかったが、ナチスは、ガス室でのチクロンBによる殺人を思いつく以前、トラックに排ガスを引き込んでの殺人を行っていたのだ。そして、遺灰までをモノとして利用していた。

 ホロコーストの映像をアイヒマンに見せる場面では、立っているのがやっとの骸骨のような人や、おびただしい死体の山や、それらをブルドーザーで片づける様子など、きょっとする映像の数々が映された。第二次世界大戦の死者5千万人のうち、600万人がユダヤ人だった。その人々がどのような目に遭ったのか、凄惨な実態が明らかにされたのだ。裁判を見守っているような気持ちで観ていたが、すでに事実を知っていても、映像の衝撃はすごかった。

 アイヒマンは最後まで、保身の言葉以外口にせず、フルヴィッツは敗北を感じる。だが、フルックマンのいうとおり、何よりホロコーストの事実を世界に届けたことは、大きな功績なのだ。
 それまで、生存者が自分の体験を話しても、そんなひどいことが行われたはずがない、と誰も信用せず、そのため生存者は沈黙せざるを得なかった。確かに証言や映像は、普通の想像を超えている。この裁判によって、その状況が変わったのは、本当に大きかったと思う。
posted by HIROMI at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年04月19日

最高の花婿

 フランスのロワール地方に暮らすクロードとマリーのヴェルヌイヌ夫妻。4人の娘のうちの3人が、一年ごとに次々と結婚していったが、彼女たちの相手は、アラブ人にユダヤ人に中国人。結婚式もそれぞれの宗教にのっとって行われ、カトリック教徒の親にとっては異文化との遭遇。それが毎回で、何とも目まぐるしい。娘たちがすんなり夫の文化を受け入れているのとは対照的に、両親のとまどいは大きい。 
 だが、自分たちの伝統を継がない婿を残念に思っても、二人が娘たちの選択に反対した様子はなく、娘や婿が両親の反対と闘った風もない。ヴェルヌイヌ家の異文化間率が特に高いとはいえ、そうした結婚は当たり前のことなのだ。

 クロードは敬虔なカトリック教徒だが、同時に少々保守的な人物のよう。言葉の端々に、婿たちを外国人と思っているのが出てしまう。だが、きっとよくある普通の反応。それを婿たちに差別だと言われて、逆ギレしてしまう。次女の息子の割礼式のパーティーは、おかしくもヒヤヒヤだ。

 異文化間の対立は、クロードと婿たちだけでなく、婿同士の間にも。ユダヤ系のダヴィドがイスラム系のラシッドに、割礼をユダヤ教が生後8日に行うのに、イスラム教では6歳で行うことなんてかわいそうだ、といちゃもんをつけ、そのせいで二人が言い合いになる。それにしても、同じ宗教の家族内ではなく、何でも親族全員が集まるのはスゴイ。そんな中、ちょっとしたからかいや皮肉が飛び交うバトルが展開。
 ラシッドは陰で、残りの二人をアラファト、ジャッキー・チェンと呼び、ダヴィドは残りの二人を、シャイロック、ブルース・リーと呼んで、それぞれの人種の典型的なキャラに当てはめて小バカにしてる。

 だが、彼らの誰も、人種のキャラにちっとも当てはまっていない。ダヴィドは商才に乏しくて事業に失敗しているし、ラシッドはイスラム法ならぬフランスの法律に携わる弁護士だ。それぞれ個性があり、イメージに当てはまらないのは当たり前のこと。そして、移民であっても、その子孫でも、皆フランス語を話し共和国に暮らす、同じフランス人。3人がフランス国歌を歌う場面の健全さは、それぞれの宗教や文化の違いが認められている背景があるからだろう。

 クロードとマリーが最後の期待をかけた4女ロールの相手は、待望のクリスチャンで、名前もフランス人っぽいシャルル。だが実は黒人で、それを知ったクロードは荒れ、マリーは鬱に。すると姉たちは、自分たちのことは棚に上げてロールの結婚に反対し始め、婿たちも団結。だが、最も強力に反対するのは、コートジボワールに住むシャルルの父だった。自分が受けた人種差別のために、フランス人に対する敵意を全身にみなぎらせた最も強烈なキャラ。そんな父とクロードが、結婚反対の共通項から、次第に男同士の友情を感じだすドタバタがおもしろい。

 この映画が作られたのは、昨年のパリのテロ事件より以前。今では移民に対する視線は変わったのでは、と寂しい思いがする。こんな明るいコメディー、これからも可能なのだろうか。
posted by HIROMI at 20:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記