2016年07月31日

MR.DYNAMIT The Rise of James Brown

 ミック・ジャガーのプロデュースによる、ジェームズ・ブラウンのドキュメンタリー。
 
 当時のJBを知る人たちの証言がいっぱい。ミック・ジャガーも、少年の頃に大人たちに混じって見たライブの様子を振り返りながら、すごく楽しそう。
 ライブで一緒だったバンドメンバーたちの話は、エキサイティングなライブの興奮とともに、人を信用しない孤独な暴君としてのJBの横顔や、数々のトラブルを伝えて生々しかった。舞台できっちり合図を送ってくるJBが、ときおりフェイントをかけてきて、それをうっかり見逃すと、容赦なく罰金をかけられた、とか、恋人連れて現れた時は、彼のあまりの嫉妬深さのために、恋人は必死にJBしか見ないようにしていた、とか。ギャラの不払いのせいでみんながJBを見限った、とか。
 リズム&ブルースにジャズの要素を加え、1拍目を強調するリズムでファンクを発明する過程も、興味深かった。清志郎も、強い影響を受けていたんだろうと思う。ライブの間奏で、1拍めを強調するリズムをバリバリに展開していた。
 
 何より圧倒的だったのは、本人のライブ映像。腰を振り、足を震わせて、高い声で激しいシャウト。ステージを走り回って、エネルギーの塊。ハンサムじゃないけど、ものすごくセクシー。自信満々なのに、切なくて助けてあげたくなる。もう眼も耳も釘づけ。映像でもすごいのに、その場にいたら、感電してしまいそうだ。

 黒人の権利を求める、公民権運動の時代だった。1966年、テネシー州メンフィスから、ミシシッピ州のジャクソンまでの220マイルを歩く「恐怖に抗する行進」のゴール地点に現れて歌うJBの映像。この後彼は、ブラックパワーの象徴的な存在となる。
 そして、1968年、キング牧師が暗殺され、アメリカ中に暴動が起こったなかでのボストン公演。興奮した観客がステージに上がってきて、それを白人警官が排除しようとするのを、JBは止め、黒人としての誇りを説いて観客を鎮めて、見事ライブを続行する。まるでキング牧師が乗り移ったかのよう。これも当時の本人の映像に興奮した。

 あふれる才能。しかも社会に深くコミットした人物だった。本人のインタビュー映像もあり、すごく雄弁で時にケンカ腰だったが、「ソウルは、黒人の苦難の歴史が生んだもの。」「ソウルとは、生き延びること。」という言葉が心に残った。
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2016年07月26日

裸足の季節

 トルコのイスタンブールからはるかに離れた小さな村。両親を失くし、祖母と叔父のもとで暮らすソナイ、セルマ、エジェ、ヌル、ラーレの5人姉妹。学期が終わり、転任してしまう大好きなディレッキ先生と別れを惜しむラーレ。その後、海岸で男子生徒と騎馬戦をした彼女たちだったが、家に着くや、怒りで取り乱した祖母に折檻される。隣人が、彼女たちがみだらなことをしていた、と告げ口をしたのだ。叔父も激怒。姉妹たちは、家に閉じ込められてしまうのだった。

 姉妹たちは、パソコンや携帯の他、こまごました私物も捨てられ、ラーレが「クソの色」と呼ぶ暗い色の服を与えられ、料理や掃除などの花嫁教育を受けさせられる。そして、一人、また一人と、知らない男と結婚させられていくのだった。

 豊かな長い髪、のびのびした手足。家の外でも中でも、ふざけ合う姉妹たちは、ほとばしるようなエネルギーにあふれている。だが、周囲にとって、それは手に負えない危険なものでしかない。処女検査とか、初夜のベッドの血を身内に見せる風習とか、驚くような場面があったが、女性を一人の男のものとしか見ない社会では、少女たちの性を管理するために、彼女たちの一挙手一投足を、すべて性的なものにつなげているようだ。だから、ただ元気のよい遊びがセックスに連想され、普通の自己主張である服や、アクセサリーや化粧品が、男を誘惑するための不埒なものとして扱われるのだ。
 
 新学期が始まっても、姉妹たちは学校へも行けない。犯罪ではないのか、と思えるひどい仕打ちを、誰もおかしいとは思わず、正しいと信じている。親戚も地域も同じ考えだし、保護者の権限が大きくて、どこからも救いの手が届かないのが恐ろしい。

 それでも、彼女たちの自由を求める気持ちは抑えきれない。だが、苦労して抜け出し、みんなでサッカー観戦に行ったあとも、姉たちが次々と嫁がされ、ラーレが一人家を抜け出したあとも、それらが見つかるたびに、監禁状態は益々厳重になっていく。だが、外に出るチャンスをつかむ度、賢いラーレは、脱出のための収穫を得ていた。トラック運転手のヤンと知り合って、車の運転を教えてもらう。そして、枕に自分の髪を縫い付けたり、鍵の在処や、天井裏からの出口を見つけたりと、周到に計画。ついに、ヌルの婚礼の日、花婿をじらす慣習を逆手に取って、家に籠城するのだ。厳重な監禁が、娘たちに有利にどんでん返る痛快。だが、逃亡はまさに命がけだった。

 あまりにも生きづらい社会。だが、ヤンのような男の人や、ディレッキ先生のようにラーレを理解してくれる人もいる。ラーレの選択の先に、きっときっと、彼女の望む人生があることを信じたい。 
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2016年07月16日

帰ってきたヒトラー

 1945年4月30日に自殺したヒトラーが、なぜか現代のベルリンで生き返る。すっかり変わった街に驚き、いなくなった側近を探して官邸に向かう彼を、テレビ局をお払い箱になったフリーのディレクターのザヴァツキが見つける。ヒトラーを彼のそっくり芸人だと思い込んだザヴァツキは、復職のためのネタに使おうと、ヒトラーに遭遇した街の人々の様子を撮る番組を企画し、彼をドイツ各地に連れて行く。

 よみがえった当初、新聞屋にかくまってもらいながら、ソ連の諜報機関のワナだろうか、と混乱しながら頭をしぼるヒトラーと、周りのチグハグさが笑える。
 いざ各地の街に出て行くと、遠巻きに見る人や怒り出す人もいるが、近づいて話しかけてくる人も。似顔絵で商売を始めると大盛況だ。過激派でもなければ、反移民のデモに出かけもしない普通のおじさんたちが、移民に対する反感や、民主主義へのうんざり感や、強い指導者の出現を望む気持ちを口にするのだ。相手がヒトラーだから、本音が出たのか。若者はヒトラーと自撮り。これらは、実際の街でのドキュメント映像だそうだ。

 自撮りのおかげで、どんどん拡散されるヒトラー。テレビに出ると、番組の出演者たちをひきつけ、視聴率も瞬く間に上がっていく。ヒトラーは、街では人々の話を静かに聴き、番組内では、沈黙さえ操って人々の心を魅了していく。芸人としての素をまったく見せずに、徹頭徹尾ヒトラーになりきるすごみと生真面目さ。ソフトな口調が、突然鋭い演説に切り替わるギャップ。視聴者は、ヒトラーをあくまで芸人と思いつつ眩惑されていくが、1940年代のヒトラーも、ウソと巧みな戦術で国民を引きつけたのだろう。

 テレビ局の倫理のなさ。新局長の座についたベリーニ嬢は、自身の成功と権力欲のためにヒトラーを出演させ続ける。副局長のゼンゼンブリンクがそれを妨害するのは、反ナチだからではなく、ただ彼女を蹴落としたいから。自分が彼女のイスに座るも、番組の視聴率が急落すると、しらっとヒトラーを再登板させる。

 ヒトラーは人々の話を聴きながら、「貧困や失業は都合がいい」とうそぶく。ネットもテレビも、自分をスターにしてくれる。巷にあふれる反移民のデモ。憎悪や不満をくすぶらせながら、社会がどんどん不寛容になり、国粋主義に傾斜していくさまは、ヒトラーが現れたあの時代に似ているのでは。

 ヒトラーが放つある種の人間臭さを見ながら、最後に人々の前に現れた、実際のヒトラーの映像を思い出した。大きくても16,17歳の少年や、小さい子では13歳以下の少年たちの頬をさわり、手を握って、慈愛の眼差しでねぎらい、激励するヒトラー。不安げで優しそう。だが、彼が少年たちに命じていたのは、スパイ行為や脱走兵の密告や、それによる死だったのだ。ヒトラーに人間的な魅力があったかかどうかなどより、彼が何をした人物かが、決して忘れてはならないことだろう。映画では、一族を収容所で殺された老女が、一人ヒトラーに向かって叫び声をあげる。

 ヒトラーが芸人ではなく本物だと気付いたザヴァツキが、ピストルでヒトラーを追い詰める場面。現実の歴史では何度も失敗したヒトラー暗殺が起こるのか、と固唾を飲んだ。だが、ヒトラーは利益追求のテレビ局に守られ、一人真実を知ったザヴァツキには悲劇が待っている。
 反移民の旗がひるがえる大勢のデモの映像。それをほくそ笑むヒトラー。観たあとには全然笑えない、暗澹とした気持ちになった。
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2016年07月10日

フラワーショウ!

 カルト文化が色濃く残るアイルランドの田舎で育ったメアリー・レイノルズ(エマ・グリーンウェル)は、広大な自然の風景を深く愛する少女だった。だが、彼女が大人になった頃、手つかずの自然は、畏怖を感じない人々によって、娯楽の場になっていく。
 デザインが得意だったメアリー。著名なガーデン・デザイナーのシャーロットの事務所に応募すると採用され、自然との共存の大切さを訴えるための庭を世に出そうと奮闘するものの、さんざん利用されたあげくクビに。どん底のメアリーだったが、シャーロットのお供で行ったチェルシーで知ったフラワーショウに、自分も出展しようと思い立つ。

 メアリーの魅力は、世間知らずで何とも危なげな感じと、信念をもって夢に向かって行く、エネルギッシュな奔放さが、混じっていること。
 シャーロットのもとでデザインを盗まれても、放り出されるまでお人よしのまま。だが、いったんショーへの出展を決めると、金賞を取ることを疑わない。事務局長の取りつく島もない対応にめげずに電話をかけ続け、アレルギーに効くハーブを教えてあげて秘書と仲良くなって、締切りの直前に願書を入手。そして、独創的なコンセプトにより、2000人もの応募者中、たった8人に選ばれるのだ。

 だが、ショーに必要な大量の植物や石や、施工に協力してくれる人たちのあてがあったわけではなく、25万ポンドという資金をどうすればいいかも分かっていなかった。それでも、不思議なほど次々と縁に恵まれる。
 元クライアントの家で庭の石を積んでいた職人をアタックすると、彼らは自然保護団体のメンバー。団体の長の会議に出かけて行って説明すると、植物を用意してもらえることに。しかも、メアリーはその場所で、シャーロットの事務所で出会って以来ひそかに恋してる、植物学者のクリスティン(トム・ヒューズ)に再会するのだ。
 
 出展者に選ばれた時点で、ショー開始までわずか80日。時間が刻々と迫るのに、展開が悠長で、このままで大丈夫なの?とヤキモキさせられた。メアリーはクリスティンに協力を求めるが、彼はショーの必要性を認めず、砂漠の緑の方が大切だ、とエチオピアに行ってしまう。それをメアリーははるばる追って行って、一緒にプロジェクトに参加しつつ説得し続ける。
 若過ぎるうえにイケメン過ぎて、全然学者に見えないクリスティン。恋多きはずの彼が、全然手を出してこなくて、結ばれそうでちっとも進展しない二人の関係も、同じく悠長。

 ラジオ出演が功を奏して、偶然出資者が現れるが、クリスティンが説得に応じてくれて、庭作りのための用意が本当に整ったのは、何とショーの20日前。会場に大量の材料を運び込んで、ここからやっと庭作りが開始。信念と情熱があれば奇跡が起こるのか。でも、こんなギリギリは、いくら何でも現実味がないと思う。そして、ここからまだまだ試練が起こっていくのだ。

 メアリーの作った「ケルトの聖域」は、無造作で一見雑然としてるのに、秩序と静けさが満ちていて、どこか日本の庭園に通じるところがあるかも、と思った。 
posted by HIROMI at 13:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記