2016年10月16日

歌声にのった少年

 ガザ出身の歌手ムハンマド・アッサーフの成功物語。
 姉のヌールや友達と、ガラクタの楽器でバンドを組んでいた、歌うのが大好きな少年ムハンマド。まともな楽器を手に入れようと、海で魚を獲って売った金を闇商人に渡すものの、だまされたと知って取り返しに行った彼は、袋だたきに。その後、ムハンマドは教会で歌ってお金を稼ぎ、バンドは中古の楽器で結婚式で演奏し始める。だが、その演奏中、突然ヌールが倒れるのだった。

 腎不全と診断されたものの、腎臓移植の金を用意できず、透析が始まる。ムハンマドは、歌のレッスンをしてくれた先生とCDを作って手売りしたり、結婚式で歌ったりして手術費用を稼ごうとするが、姉を救うことはできなかった。
 ヌールは、ムハンマドのことを「黄金の声」といって、絶えず鼓舞し、はげました。ただ楽しく歌えれば満足だったムハンマドは、いつしか姉の思いを自分の夢にしていくのだ。死んでしまった姉に寄り添い、自分に言ってくれていた「スターになって世界を変える」という言葉を、姉に繰り返す場面が切なかった。

 2012年、タクシー運転手として働くムハンマド。子供たちが走り回っていた時の街には、柵や壁が目についたが、大人になった彼が車を走らせる場所は、どこまでも空爆による廃墟が続いていて、ガザの状況は、深刻さが増している。

 壁に閉じ込められ、一歩も外に出られない彼ら。ムハンマドはスカイプでオーディション番組に出ようとするが、停電で台無しに。自暴自棄になった彼を救ったのは、姉の入院中に知り合った患者ママルの賛辞だった。

 「アラブ・アイドル」のオーディションを知ったムハンマドが、脱出を決意してカイロに行くまでの旅路がスリリングだ。危機一髪で検問を逃れ、やっと着いた検閲所でビザを偽造だと悟られる。命の保証のない道程を、姉との約束を果たすために乗り切っていくムハンマド。そして、たどり着いた会場でも、神の加護としかいえない出会いに救われるのだ。

 ガザから来た出演者はムハンマドが初めて。見事予選に合格した彼は、ベイルートでの本線を次々と勝ち進む。彼の活躍はパレスチナの希望となり、民衆が熱狂。彼は自分に向けられた期待と責任の重大さに落ち込むが、それもはねのけて、ついに決勝の舞台に立つのだった。

 地区から出ることが許されないガザ。普通に夢を追って生きることが困難ななか、ムハンマドほどの才能があっても、世に出るチャンスを掴むのは、途方もないことなのだ。彼がただのアイドルでなく、パレスチナの誇りであり、彼らの希望を背負っている意味の大きさが、熱狂のなかから伝わってきた。

 歌詞に字幕が出ず、少年ムハンマドが歌う歌詞が分からなかったのが残念だったが、最後の方、本戦の舞台で歌う場面にやっと字幕がついた。強烈な望郷を明るいメロディーに乗せていて、とても切ない歌だった。
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2016年10月09日

ティエリー・トグルドーの憂鬱

 ハロ・ーワークの職員に、対応の不備を訴えるティエリー・トグルドー(ヴァンサン・ランドン)。クレーン操縦工の研修を受けて資格を取ったのに、作業員の募集に応募すると、建築現場の経験がないことを理由に採用されなかったのだ。経験が必須条件だと分かっていたのなら、なぜそんな研修を勧めて受けさせたのか。だが、職員は、履歴書作成の手伝いと、募集企業のリスト作成しかしていない、と繰り返すだけ。失業者の手助けをする機関が、自分たちのせいの無駄な努力や疲弊に無関心で、時間がない切羽詰まった事情にも冷淡なら、一体どうすればいいのだろう。

 工作機械の作業員として働いた会社でリストラに遭ったティエリー。同僚たちは、不当解雇を裁判に訴えようと集まっていたが、彼には、裁判と職探しを両立させる気力はなかった。会社から切られたこと自体が大きなショックで、もう社名さえ思い出したくないのだ。そんな傷ついた彼に、次々と試練が重なっていく。

 スカイプでの面接。相手は、不熱心な質問を重ねるうち、どんどん条件を下げてきて、ティエリーがそれを飲んでもいいと応じると、彼の履歴書には自己PRが足らない、と言い出し、前向きに検討すると言っておきながら、採用の確率は低いと思っていてくれ、と言う。要するに初めから雇う気などないのだ。ティエリーの緊張した疲れた表情は、面接にふさわしくないかもしれないが、相手の無礼さは、あんまりというものだ。

 ティエリーは、面接の映像を見て批評し合うグループコーティングに参加するが、参加者たちは、彼の表情や声の出し方などを次々と批判する。職を探す同じ境遇同士だというのに、相手の批判要素に気付かないと、自分の能力が低く見られるとでも思っているのだろうか。そもそもティエリーは、長い間仕事で能力を発揮してきたベテラン。妻子もちで、障害のある息子を愛する優しい父親として、立派に人生を歩んできた。それが、若造たちにまるで人格攻撃のような扱いをされるのだ。

 銀行の借入相談では、アパルトマンの売却を勧められ、あと5年になった返済を理由に断ると、生命保険の加入を勧められる。銀行員は淡々と業務をこなしているのだが、ティエリーにとっては、愛着のある家も自分の命も、お金として計算される。そこには、寒々とした現実の突きつけがあるばかりだ。

 ティエリーがやっとのことで得た職業は、スーパーマーケットの監視員だったが、そこも非情な場所だった。肉を盗んだ老人は、無一文で金を借りるあてもなく、料金を払えば釈放されるところを、警察に引き渡される。監視の目は職場の労働者にも及んでいて、ある日、勤続20年のベテランレジ係が、割引券の不正に集めていたことを発見され、解雇される。長い貢献が考慮されることも、家の事情を同情されることもない。彼女の自殺は、明らかに会社の冷たい対応のせいだが、会社は無関係を装い、カードを忘れた客のポイントを、自分のカードにスキャンしていたという店員が、またも事務所につれて来られるのだった。ほんの小さな不正も、従業員を切る大事な理由。追及する側の役員たちは、役得を利用したこと覚えなどないのだろうか。

 ティエリーは、役目を遂行するのみで想像力を欠いた相手に、侮辱を受け続ける。そこには、人への敬意や人間の尊厳がない。傷だらけの彼はみじめだが、ぎりぎりの矜持が感じられる。そんな彼が、はからずも同じように弱い人々を、攻撃する側の共犯者の立場に立たされるのだ。閉塞した出口のない状況。だが、寡黙に耐えるティエリーの目線に徹底して、この状況を描いていること自体には、希望が感じられると思う。
posted by HIROMI at 10:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記