2017年02月26日

たかが世界の終り

 自分の余命が少ないことを知り、パリから12年ぶりに実家に帰ってきた脚本家のルイ(ギャスパー・ウリエル)。母(ナタリー・バイ)と、兄アントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)と彼の妻カトリーヌ(マリオン・コティアール)、妹シュザンヌ(レア・セドゥ)の出迎えを受けるが、再会を喜ぶ一方で、待ち受けた家族の間では早くも火花が散り出す。「タクシーで来るなら車を出したのに」と言うシュザンヌと同じ言葉を母が言うと、シュザンヌは怒り出す。家族が同じ意見を持つのは和やかなことのはずなのに、「シュザンヌがいうように」の一言がないのは、彼女の言葉を聞いていなかったか、無視したかのようにも取れる。こんな言葉の行き違いによる、不毛なやりきれなさが、ずっと続いていくのだ。

 長く離れていたために、ルイとカトリーヌは初対面。カトリーヌが子供の名前について、なぜルイと同じ名前かを話し始めると、突然アントワーヌが、「そんな話はルイは退屈してる」と横ヤリを入れる。だが、初対面の身内に家族の話をできないのなら、何を話せばいいのだろう。家族の中では、場にふさわしいかとか、相手の興味に合っているかなど、いちいち考えないでいるものだ。だが、それらを意識した途端、すべては意味のない空回りに思われる。

 小さい頃に別れたため、成長を見なかった妹。シュザンヌはルイへの憧れを語るが、簡単な手紙しかもらえずに経ってしまった歳月への不満を、つい口にする。
 理解できないが愛している、と言ってくれた母。だが、明るい会話を望むあまり、泣き言をいう時ではないとルイに言い、結局ルイは、二人きりで話した相手のどちらにも、自分はもうじき死ぬのだ告白する機会を与えられない。

 家のあちこちを移動するカトリーヌと、ルイは何度も不意に二人きりになる。不器用で自信なさげな、他人である彼女ひとりが、実はルイの不安定な心情を、最も敏感に感じ取る。彼女はいわば家族とのルイの媒体だが、彼女の配慮は結局実を結ばない。

 誰との会話でも常に聞き役で、何も話していなかったルイが、饒舌になるのはアントワーヌとの車の中。空港から家までの道程を細かく話すルイに、アントワーヌは下らないと怒り出す。だが、家族の会話とは、そういうどうでもいいことの堆積ではないのか。
 アントワーヌは、ルイは自分たちに話すべきことを何も話していない、と不満な反面、それを聞くのは怖いのだろう。彼には多分、昔から弟への嫉妬や、自分への無関心に対する怒りがあって、抑えきれない感情が吹き出して状況を破壊してしまうのだ。

 拒否されて宙に浮く言葉、中断される会話。それでも激しくけたたましい言葉の数々の裏で、本当に聞きたいこと、話さなければならないことは押し込められたまま。その中で、息苦しいほどの緊迫感がずっと立ち込めている。たった一日がひどく長く、消耗的だ。

 やっと告白を決心したルイだったが、ふとした言葉の応酬にアントワーヌが激昂し、せっかくの帰郷は突然終わってしまう。すがってくる母や妹。それは家族だからこその強烈な愛情だ。家族だからこそ、最後に会いに帰ってきた。そして、家族だからこそ、居場所のなさがいたたまれない。とうに孤独だったはずのルイが、帰ってきたばかりに深い孤独に沈むラストが悲しすぎる。
posted by HIROMI at 19:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年02月17日

未来を花束にして

 1912年のロンドン。洗濯工場で働く21歳のモード・ワッツ(キャリー・マンガン)は、同僚のバイロレット・ミラー(アンヌ・マリー=ダフ)に誘われて行った公聴会で、思いがけずバイオレットに代わって発言したことをきっかけに、女性参政権を求める活動に関わるようになる。

 当時の女性の境遇に驚く。モードが洗濯工場で働き出したのは、7歳から。母親も子供の頃から同じ工場で働いていた。賃金は、男性が19シリング、女性は13シリングしかないのに、労働時間は女性の方が3時間も多かった。労働の過酷さから洗濯女の寿命は短く、モードの母は彼女を産んだ4年後に死んでいる。学問も与えられない中、洗濯女の子供は洗濯女にしかなれないのだった。

 そして当時の女性には、子供の親権も財産の管理権もなかった。政治参加も許されず、父親や夫が代弁すればいいとされていた。そんななか、女性参政権は状況をうち破る大きな希望だった。モードは、当たり前のように耐えてきた理不尽な不平等から、違う生き方を求めて運動に惹かれていく。

 女性たちの思いを束ねたリーダーは、エメリン・パンクハースト夫人。労働者階級の女たちと、中産階級の女たちが、身分を越えて運動を進めていった。エメリン役のメルリ・ストリープが屋敷の窓下に集まった大勢に貫禄たっぷりに演説するシーンは、先日の授賞式でのトランプ批判を思い出した。
 
 参政権を求める女性たちは危険視され、公聴会で意見を聞くパーフォーマンスの一方で、活動家たちには写真による監視がなされていた。
 修正案却下に抗議し、議会前に集まった女たちを、取り囲んだ警官隊が殴りかかる。逮捕されたモードたちがハンストをすると、数人で押さえつけて、鼻からチューブで流動食を流し込むという拷問が待っていた。警察の徹底した弾圧の酷さは、どれほど彼女たちを恐れていたかということでもあるだろう。

 彼女たちの手段も過激で、「言葉よりも行動を」のスローガンのもと、誰も傷つけないよう早朝に郵便ポストを爆破したり、通信手段を切断したり、政府要人の別荘を破壊したり。それでも新聞が無視すると、ついに国王への直訴を思いつく。

 職場や近所の冷たい目。優しかった夫も、言うことを聞かない妻を冷笑され、モードを家から追い出し、息子とも会えなくなってしまう。子供を思う母の切なさ。平等や当たり前の生き方を求めようとして、彼女が払った犠牲はあまりにも大きい。
 弾圧にも別離にも、心折れながら決して負けずに、命がけで闘った彼女たち。私たちが当然のように行使している権利は、彼女たちが流した血と涙の結晶なのだ。遠い歴史がずっしりと重いと思った。
posted by HIROMI at 18:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記