2017年06月29日

オリーブの樹は呼んでいる

 冒頭、すし詰めの鶏たちにエサをまきながら死骸を無造作に拾っては捨てる、養鶏場のシーンが殺伐としている。そこでの労働が、20歳のアルマの日常だ。
 無機質な養鶏場と対照的に、近くに広がる明るいオリーブ園。そこには樹齢千年を超える大木が、赤茶の大地に根を張っていて、アルマの祖父が大事にしていた古木もあったのに、父が反対を押し切って売ってしまったのだった。

祖父に連れられた幼いアルマが、古木に登って遊ぶシーンが、何度もフラッシュバックされる。アルマにとっては、祖父との思い出そのものであり、祖父にとっては、自分の生きた証であり、祖先から受け継ぎ次代に渡すべき遺産だった。泣きじゃくるアルマと、彼女を抱きながら為すすべのない祖父の前で、その樹が切られる場面は、胸が痛かった。

 呆けたように口がきけなくなった祖父を救うために、樹を取り戻そうと決意するアルマ。変わり者の叔父アンティチョークと、同僚のラファを巻き込んで、樹が売られたドイツまでを旅して行くが、道続きのヨーロッパで、トラックが軽々と国境を越えて行くのが印象的だった。その道中、家族のその後が明らかになっていく。

 好景気の折り、オリーブの樹は大金となって、一時家族をうるおしたものの、父はレストラン経営に失敗し、今はまた貧しさの中。祖父から大事なものを奪った父もまた、娘の信頼を含め、すべてを失った人間なのだ。

 アンティチョークが盗んで壊す自由の女神は、個人の家の前にあると、ひどく趣味の悪い置物に見えた。そして、ドイツの大企業のロビーに飾られたオリーブの古木も、多分それだけを見れば巨大な盆栽のような立派なオブジェに思えたかもしれないが、農園での自然な姿を見た後では、同じく奇妙な悪趣味でしかない。経済の非情さや、市場の傲慢さの象徴のよう。

 気性の激しいアルマが、取り憑かれたように起こす行動は、まったく無謀だが、SNSでのやり取りがドイツの人々の共感を呼んで、座り込みを続けるアルマたちに加勢がやってくる。孤独な闘いに希望が見えるシーンがよかった。アルマが持ち帰った接ぎ木は、オリーブの強い生命力と、彼女の時代につなぐ故郷の歴史が込められていると思う。 
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2017年06月04日

光と影のバラード

 赤軍が勝利を収めたものの、まだ内戦状態が続いていた、ロシア革命直後のソ連。困窮する市民への援助要請を受けて、モスクワへ金塊を送ることが決定されるが、その金塊をめぐって、敵である白軍や無政府主義者たちが入り乱れて、争奪戦を繰り広げることとなる。

 建物の中で、請求書を読み上げる者、無為をむさぼる者、報告を待つ者。雑然とする中、通信が読みあげられると、突然会議が始まり、組織が動き出す。複雑な緩急で進む画面が、思い切り自由な感じ。
 公安委員会や党という、重苦しい言葉が飛び交うが、登場人物たちがいるのは、広大な草原の中の粗末な建物。車を牛の大群がさえぎったり、建物の前に大量の洗濯物がはためいたり、風景が美しく牧歌的。
 そして、官僚体制がまだ出来上がっていないのか、もと戦友だった彼らの間には、身分の上下がそれほど感じられない。彼らには、ともに戦った深い絆があるはずなのだ。

 だが、組織が恐れたとおりに裏切りが起こり、発端となった殺人の黒幕が誰なのか、ミステリーが明かされていく過程と、まるで西部劇のようなアクション満載の追跡劇がからんでいく。

 拷問の跡を残して惨殺された仲間の死体が発見される場面や、列車が襲われて機関士や乗客が撃ち殺される場面など、突然で無残な死の描写が迫真。陰謀や災難が日常であるかのように、人々が次々と死んでいく。

 金塊を運ぶはずだったフーロスは、何者かに意識を奪われて不在だった3日間を、仲間に疑われて拘束される。だが、護送の途中に脱走し、金塊のゆくえを追って、列車強盗のブロイエフと渡り合う。
 この物語の美しさは、フーロスが自分を疑った仲間を恨まず、出会った敵をむやみに殺さず、正しいことをするために奮闘する姿だ。金塊のありかを他言するかもしれない村人を助け、負傷した裏切り者のレノケを背負って、どこまでも歩いていく。彼は理想を信じ、仲間との記憶を胸にたぎらせているのだ。

 映画の冒頭、赤軍の勝利に感極まって抱き合う男たちが映されるが、その素朴で美しいシーンが、見事に重なるラストが、とても感動的だった。 
posted by HIROMI at 09:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記