1960年、ユダヤ人絶滅計画を推進したナチの将校アドルフ・アイヒマンが、イスラエル諜報機関によってアルゼンチンで逮捕され、翌年、エルサレムの法廷に引き出された。裁判のもようは37か国でテレビ放映され、ナチのすさまじい悪行を、世界中が知ることとなった。
裁判の中継を計画したのは、アメリカ人プロデューサーのミルトン・フルックマン(マーティン・フリーマン)。裁判の開始を知ると、すぐにイスラエル政府との交渉に奔走。監督にアメリカからドキュメンタリー作家のレオ・フルヴィッツ(アンソニー・ラパニア)を呼び寄せた。カメラが邪魔だという判事の許可を取るために、壁を改造したり、わずかな日数で完璧な準備を行う。そのフルックマンを度重なる脅迫が襲うが、決してひるまない姿勢には、正義感と同時に強力な野心が感じられた。
いざ撮影が始まると、現実的に事を進めようとするフルックマンに対し、フルヴィッツの関心はアイヒマンに集中する。フルヴィッツは、アイヒマンが激昂したり泣き叫んだり、自分たちと同じような感情をもつことを映し出せれば、彼が怪物だからファシストなのではなく、誰もが状況によってはファシストになる可能性がある、と警告できると考えていた。
だが、アイヒマンは、どんなに追及されようが身じろぎひとつしない。感情の爆発を待つあまり、証人が卒倒する瞬間に、カメラを向けられず、視聴率を気に掛けるフルックマンは、監督に怒りをぶつけた。折しもガガーリンが宇宙飛行し、キューバ危機が起こって、長々と続く単調な陳述よりも、人々の眼はそれらに引きつけられていた。
だが、ホロコーストを生き延びた人々の証言が流れを変える。子供を殺されたあと、自分も撃たれた女性が、死体の山から這い上がって見たのは、見渡す限りの死体だった。トラックから死体を片づけていた男性は、ある日死体の中から妻子を見つけた。死体を焼却した灰を、滑り止めのために収容所の地面に撒かされた。等々・・。今まで知らなかったが、ナチスは、ガス室でのチクロンBによる殺人を思いつく以前、トラックに排ガスを引き込んでの殺人を行っていたのだ。そして、遺灰までをモノとして利用していた。
ホロコーストの映像をアイヒマンに見せる場面では、立っているのがやっとの骸骨のような人や、おびただしい死体の山や、それらをブルドーザーで片づける様子など、きょっとする映像の数々が映された。第二次世界大戦の死者5千万人のうち、600万人がユダヤ人だった。その人々がどのような目に遭ったのか、凄惨な実態が明らかにされたのだ。裁判を見守っているような気持ちで観ていたが、すでに事実を知っていても、映像の衝撃はすごかった。
アイヒマンは最後まで、保身の言葉以外口にせず、フルヴィッツは敗北を感じる。だが、フルックマンのいうとおり、何よりホロコーストの事実を世界に届けたことは、大きな功績なのだ。
それまで、生存者が自分の体験を話しても、そんなひどいことが行われたはずがない、と誰も信用せず、そのため生存者は沈黙せざるを得なかった。確かに証言や映像は、普通の想像を超えている。この裁判によって、その状況が変わったのは、本当に大きかったと思う。
2016年04月29日
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