2016年07月16日

帰ってきたヒトラー

 1945年4月30日に自殺したヒトラーが、なぜか現代のベルリンで生き返る。すっかり変わった街に驚き、いなくなった側近を探して官邸に向かう彼を、テレビ局をお払い箱になったフリーのディレクターのザヴァツキが見つける。ヒトラーを彼のそっくり芸人だと思い込んだザヴァツキは、復職のためのネタに使おうと、ヒトラーに遭遇した街の人々の様子を撮る番組を企画し、彼をドイツ各地に連れて行く。

 よみがえった当初、新聞屋にかくまってもらいながら、ソ連の諜報機関のワナだろうか、と混乱しながら頭をしぼるヒトラーと、周りのチグハグさが笑える。
 いざ各地の街に出て行くと、遠巻きに見る人や怒り出す人もいるが、近づいて話しかけてくる人も。似顔絵で商売を始めると大盛況だ。過激派でもなければ、反移民のデモに出かけもしない普通のおじさんたちが、移民に対する反感や、民主主義へのうんざり感や、強い指導者の出現を望む気持ちを口にするのだ。相手がヒトラーだから、本音が出たのか。若者はヒトラーと自撮り。これらは、実際の街でのドキュメント映像だそうだ。

 自撮りのおかげで、どんどん拡散されるヒトラー。テレビに出ると、番組の出演者たちをひきつけ、視聴率も瞬く間に上がっていく。ヒトラーは、街では人々の話を静かに聴き、番組内では、沈黙さえ操って人々の心を魅了していく。芸人としての素をまったく見せずに、徹頭徹尾ヒトラーになりきるすごみと生真面目さ。ソフトな口調が、突然鋭い演説に切り替わるギャップ。視聴者は、ヒトラーをあくまで芸人と思いつつ眩惑されていくが、1940年代のヒトラーも、ウソと巧みな戦術で国民を引きつけたのだろう。

 テレビ局の倫理のなさ。新局長の座についたベリーニ嬢は、自身の成功と権力欲のためにヒトラーを出演させ続ける。副局長のゼンゼンブリンクがそれを妨害するのは、反ナチだからではなく、ただ彼女を蹴落としたいから。自分が彼女のイスに座るも、番組の視聴率が急落すると、しらっとヒトラーを再登板させる。

 ヒトラーは人々の話を聴きながら、「貧困や失業は都合がいい」とうそぶく。ネットもテレビも、自分をスターにしてくれる。巷にあふれる反移民のデモ。憎悪や不満をくすぶらせながら、社会がどんどん不寛容になり、国粋主義に傾斜していくさまは、ヒトラーが現れたあの時代に似ているのでは。

 ヒトラーが放つある種の人間臭さを見ながら、最後に人々の前に現れた、実際のヒトラーの映像を思い出した。大きくても16,17歳の少年や、小さい子では13歳以下の少年たちの頬をさわり、手を握って、慈愛の眼差しでねぎらい、激励するヒトラー。不安げで優しそう。だが、彼が少年たちに命じていたのは、スパイ行為や脱走兵の密告や、それによる死だったのだ。ヒトラーに人間的な魅力があったかかどうかなどより、彼が何をした人物かが、決して忘れてはならないことだろう。映画では、一族を収容所で殺された老女が、一人ヒトラーに向かって叫び声をあげる。

 ヒトラーが芸人ではなく本物だと気付いたザヴァツキが、ピストルでヒトラーを追い詰める場面。現実の歴史では何度も失敗したヒトラー暗殺が起こるのか、と固唾を飲んだ。だが、ヒトラーは利益追求のテレビ局に守られ、一人真実を知ったザヴァツキには悲劇が待っている。
 反移民の旗がひるがえる大勢のデモの映像。それをほくそ笑むヒトラー。観たあとには全然笑えない、暗澹とした気持ちになった。
posted by HIROMI at 10:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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