2016年08月09日

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男

 第二次大戦後、ソ連との冷戦下で、共産主義の脅威を排除しようと、アメリカ国内でレッドパージが始まり、下院非米活動委員会による攻撃はハリウッドにも向けられた。最初に標的にされたのは、ハリウッド・テンと呼ばれた、監督や脚本家たちで、ダルトン・トランボは、その中で最も売れっ子の有名人だった。

 下院非米活動委員会に全面的に協力する「アメリカの理想を守るための映画同盟」なるものがあり、ジョン・ウェインがその議長だった。議会で協力するロナルド・レーガンの実際の映像。非米活動委員会や映画同盟は、共産主義者はソ連のスパイで、国家転覆をもくろんでいると主張。トランボは、撮影所のストに協力したり、労働者の賃金について監督に直談判したことで、目をつけられる。ただ弱者に優しい眼を向けたり、富の独占に異を唱えたりしただけで、疑われたのだ。メディアも一斉射撃し、なかでもコラムニストのヘッダ・ホッターが、執拗に攻撃し続ける。

 議会で証言を拒み、議会侮辱罪に問われたトランボは、裁判にも負けて、刑務所に収監される。文字通り丸裸にされ、自由も尊厳も奪われた。だが、トランボのやったことの何が、それほどの罰に値するというのか。思想自体を狩る社会のヒステリックさは、恐ろしくも滑稽なほど。自由と民主主義のためと言いながら、それとは真逆の事態が、社会を覆っていたとしか思えない。

 トランボは、言論の自由を求めて、抑圧に対して常に強烈に口論する。頑固で、皮肉に満ちて、ユーモラスでもあり、一筋縄ではいかない人物像に惹かれた。
 生き延びるための作戦も柔軟で、出所後もブラックリストのせいで働くことのできなかった彼は、B級映画専門のキングブラザーズ社で、大量の偽名を使って大量の脚本を書き始める。質は問われないのに、トランボの手にかかれば上出来。経営者を満足させ、同じようにあぶれた仲間にも仕事を回し、ブラックリストの効力をそいでいく。

 芸は身を助く、というが、彼の才能が何よりの武器だった。トランボは収監前に「ローマの休日」の脚本を、旧知のイアン・マクレラン・ハンターに託し、ハンターの名前で発表させ、それがアカデミー原作賞に。キングブラザーズ社での「黒い牡牛」も同賞を獲る。幻の作者探しの中で、トランボの存在が浮かび上がり、ブラックリストの愚かしさを、世間に認識させることになるのだ。

 だが、ここまでの長い苦労。彼ががむしゃらに闘ったのは、家族の生活のためだったが、彼を支えた妻や、仕事に協力した子供たちの奮闘があったからこそ。家族のドラマに、胸が熱くなった。

 トランボはハッピーエンドだったが、レッドパージで、多くの人々が仕事や家族を失くしたり、自殺したりしたという。1975年までブラックリストが存在し続けたのも驚きだ。
 トランボはインタビューで、「この事件には被害者しかいない」と社会の疲弊を静かに語っている。生活のために友人を売ってしまった者たちも、俯瞰すれば被害者かもしれない。だが、積極的に推進した者たちは?権力の座にいた者たちは?ともかく、寛容さを失った社会の狂乱の恐ろしさが迫ってきた。
posted by HIROMI at 20:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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