冒頭、すし詰めの鶏たちにエサをまきながら死骸を無造作に拾っては捨てる、養鶏場のシーンが殺伐としている。そこでの労働が、20歳のアルマの日常だ。
無機質な養鶏場と対照的に、近くに広がる明るいオリーブ園。そこには樹齢千年を超える大木が、赤茶の大地に根を張っていて、アルマの祖父が大事にしていた古木もあったのに、父が反対を押し切って売ってしまったのだった。
祖父に連れられた幼いアルマが、古木に登って遊ぶシーンが、何度もフラッシュバックされる。アルマにとっては、祖父との思い出そのものであり、祖父にとっては、自分の生きた証であり、祖先から受け継ぎ次代に渡すべき遺産だった。泣きじゃくるアルマと、彼女を抱きながら為すすべのない祖父の前で、その樹が切られる場面は、胸が痛かった。
呆けたように口がきけなくなった祖父を救うために、樹を取り戻そうと決意するアルマ。変わり者の叔父アンティチョークと、同僚のラファを巻き込んで、樹が売られたドイツまでを旅して行くが、道続きのヨーロッパで、トラックが軽々と国境を越えて行くのが印象的だった。その道中、家族のその後が明らかになっていく。
好景気の折り、オリーブの樹は大金となって、一時家族をうるおしたものの、父はレストラン経営に失敗し、今はまた貧しさの中。祖父から大事なものを奪った父もまた、娘の信頼を含め、すべてを失った人間なのだ。
アンティチョークが盗んで壊す自由の女神は、個人の家の前にあると、ひどく趣味の悪い置物に見えた。そして、ドイツの大企業のロビーに飾られたオリーブの古木も、多分それだけを見れば巨大な盆栽のような立派なオブジェに思えたかもしれないが、農園での自然な姿を見た後では、同じく奇妙な悪趣味でしかない。経済の非情さや、市場の傲慢さの象徴のよう。
気性の激しいアルマが、取り憑かれたように起こす行動は、まったく無謀だが、SNSでのやり取りがドイツの人々の共感を呼んで、座り込みを続けるアルマたちに加勢がやってくる。孤独な闘いに希望が見えるシーンがよかった。アルマが持ち帰った接ぎ木は、オリーブの強い生命力と、彼女の時代につなぐ故郷の歴史が込められていると思う。
2017年06月29日
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