2009年07月12日

愛を読む人

  15才の少年マイケルは、下校時に具合が悪くなったところを助けられたことから、21歳年上の女性ハンナと知り合い、激しく求め合うようになる。ハンナが本を読んで欲しいといい、マイケルの朗読が二人の儀式になっていく。
 学校にチャーミングな転校生がきても、学校が終わるとまっすぐハンナの所に行くマイケル。恋の喜びと寛容さと傷つきやすさと。マイケルの心に占めるハンナの存在は非常に大きい。世間やマイケルの親が知れば非難するかもしれない二人の秘密の営みは、朗読される文章の輝きと相まって、切なく美しかった。

 ハンナが一言も告げずに姿を消した8年後、法学部の学生として裁判を傍聴したマイケルの前に、被告としてのハンナが現れ、ナチの親衛隊員だった過去が暴かれる。囚人の選別に関わった、爆撃を受けた教会の扉の施錠を開けなかった・・。無罪の証拠の提出を避けた彼女は、すべての罪の主犯として、重い刑を宣告される。

 この場面は幾重にも衝撃だ。愛した人が、親衛隊員としておぞましい犯罪に加担していたこと。被害者が背負う消しようのない傷。名前を聞かれて驚いていたハンナ、愛しているかと聞かれて戸惑った表情をしたハンナ。自分のことを語らなかったのは、隠したい過去のせいだったのだ。
 だが、マイケルはそれ以上に彼女がひた隠している事実に気づく。陽光の中を疾走したサイクリングの思い出、地図も食事のメニュー選びもマイケルに頼り、不安げだったハンナ。何より、朗読に始まった二人の愛の営みそのものが、一つの事実を指していた。

 マイケルと知り合った時も、ハンナの暮らしぶりは貧しかった。恐らく彼女は教育の機会を与えられないほどの貧困の環境で育ち、暗闇を這うように手探りで生きてきたのだ。文字が読めないことからくる不便は想像を超えているが、非識字者であるという事実を隠すことにも、消耗するほどの力がいったはずだ。知られたくないから、勤勉を認めてくれた職場を去り、恋人を捨て、命がかかっている裁判でさえ、重い有罪判決と引き換えに自分の秘密を守ろうとする。知られてしまうことは、恐怖に等しいことだったのだろう。

 読み書きのできないハンナは、ナチの募集した仕事の内容を知らなかった可能性があるし、教会で少女の聖歌に涙を流していた彼女は、自分が手を貸した少女たちの運命をずっと悲しんでいたにちがいない。それでも、彼女の犯した罪は深いし、虐殺の首謀者とされる方が文字が読めないことより恥ずかしくない、と感じることには意識の歪みがあると思う。
 だが、一方で、大戦中のドイツ社会を覆ったナチズムに、どれだけの人が抗しただろう。ハンナが裁判官に放った「あなたならどうしましたか?」の問いは重い。そして、社会的な弱者が、自分を認めさせようとして、抑圧している社会に貢献してしまう、という構図はよくあると思う。生真面目なハンナは、たまたま近づいてしまった場所で、そうやって義務を遂行したのだ。
  最も底辺に生きる人を、最もよく分かる形で直接的な加害者にする社会。彼女はそうした非情な体制の被害者でもあり、同じ罪を犯しながら彼女にすべてを負わせる卑怯者たち、あるいは、断罪されるべきもっと多くの人々のスケープゴードでもある。

 そんなハンナを救えるのは、たった一人彼女の秘密に気付いたマイケルだった。だが、ハンナが犯罪者としての恥辱に代えてでも守ろうとした秘密を暴くことに、躊躇があったのだろう。それに、彼女に本を読んだ蜜月そのものが、彼女の恥とつながっているとは。判決に涙しながらも、その後20年という月日が経つ。そして、かつてのように朗読した声をテープに入れて送り続ける。彼はあの少年の日々を忘れられなかったのだろう。ハンナへの愛も、救えなかったことも、すべてが彼の人生を覆っているのだ。だが、この20年という空白は何だろう。

 ハンナの手紙に後ずさり、手紙を放り込んだ箱を靴でけって閉める。彼女が懸命に書いた手紙は、それでもマイケルにとっては、軽いのだと思う。「坊や、〜を送って。」
 二人の最初で最後の面会が切ない。ハンナの差し出した手をマイケルはなかなか握らない。マイケルを坊やと呼び、二人の思い出に触れたがるハンナと、戦中の罪を思い出すかと聞くマイケル。微笑みの底に怒りがのぞき、彼女を抱きしめることもなく、再会はあっけなく終わる。その時のハンナの困惑と悲しみの表情。彼女に残るのは、二人の思い出と、彼の支えによって獲得した読み書き。今の彼女には多分彼がすべてだ。
 だが、マイケルにとって、愛も嫌悪も、彼女の想像を超えているのだ。彼女への拘泥が彼の人生のすべてだったことによって、法律が彼女を許しても、彼には彼女を許さない特権があるのだ。まるで少年のままのようなエゴイズムと、底知れない悲しみを感じる。

 ハンナの残したお金を、受け取ると許したことになるといって、拒否する被害者が、お金を入れたカンは、収容所で盗まれたカンの代わりに受け取る。それを死んでしまった家族の写真の横に置く場面に救いがあった。そして、マイケルが、ハンナのことを娘に語る場面も、この映画の希望だと思う。
posted by HIROMI at 21:52| Comment(4) | TrackBack(18) | 日記
この記事へのコメント
TBありがとうござしました。
しっかりと感想を書かれてますね。。。
最近流れるようにしか映画を見なくなった自分を反省しています。
また、お邪魔させてくださいね。
Posted by 小米花 at 2009年07月13日 22:02
小米花さん
私の方こそ、お越し下さってありがとうございます。
お褒め頂いて恐縮です。小米花さんが書いていらっしゃるように、説明の少ない映画だったので、何とか読み取ろうとしているうちに、今までで一番長い感想になってしまいました。
私もまたお邪魔させて頂きますね。
Posted by HIROMI at 2009年07月13日 23:28
TB&コメントありがとうございます。

>マイケルが、ハンナのことを娘に語る場面も、この映画の希望だと思う。

ほんとにそうですね。
彼にとって再会後のハンナとの関係はつらいものでもあったはずですが、それも含めてすべて幸福な記憶としてとらえることができるようになったんでしょう。
Posted by きぐるまん at 2009年07月16日 08:26
きぐるまんさん

お越し下さってありがとうございます。祇園祭に行っていました。反応が遅くなってしまってすみません。

マイケルがハンナとの関係で抱える苦悩は、エゴを感じると同時に痛ましかったです。ハンナへの冷たさは、少年の日々の思い出が、彼にとって非常に大きいことの裏返しなんでしょうね。娘に語ることで、やっと自分の苦悩を誰かに明かすことができ、同時に、ハンナの苦難の人生も次世代に記憶されるのだと思いました。
Posted by HIROMI at 2009年07月16日 23:06
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