2009年11月03日

お堂でみる阿修羅

 「興福寺特別公開2009 お堂でみる阿修羅」に行った。東京での展覧から帰ってきた阿修羅を、博物館のようにガラスケースごしでなく、仮金堂に安置された姿で観ることができた。

 文化の日だし、よ〜しと思って行ったけど、お堂にたどり着くまでがすごい列。阿修羅までに1時間半、北円堂までにまた30分。パネルの表示よりずっと早かったものの、奈良でこんな人波は覚えがないほど。もっと長く見つめていたかったなあ。

 お堂の中央に大きな釈迦如来と、薬王・薬上菩薩の釈迦三尊像。それらをはさむように多聞、持国、広目、増長の四天王像。そして、釈迦如来像の前、堂のちょうど中央に、阿修羅像。その左右に十大弟子像と、修羅以外の八部衆像。薄暗い空間にたくさんの仏像がずらっと並んでいるのは壮観。堂内のざわつきを忘れるほど、静かで強烈なオーラに満ちていた。

 阿修羅は、優美さと、少年のあどけなさと、静かな内省と、緊張感が同時にあって、非情に美しかった。彼を含めて、八部衆はどれも表情が豊かで、いきいきとしていて現代的。光明皇后が、母の法要のために作らせたそうだが、作者の強い個性を感じた。

 五部浄像は頭部だけだったし、緊那羅立像は右手がもげていたが、1300年も前の仏像のほとんどが、火災や戦争をくぐり抜けて、当時の形のまま目の前にあることに、感慨を抱かずにいられない。

 北円堂は、興福寺を建てた藤原不比等の菩提を弔うために作られたものとか。中に置かれた弥勒如来像と、無着菩薩、世親菩薩は、運慶作だそう。運慶は仁王像ばかりじゃなかったんだ。
 無着菩薩と世親菩薩は、実際にいた僧だそうだが、他の仏像が類型的なのに対し、これが鎌倉時代かと思うほど、すごく写実的。運慶って、日本のミケランジェロだと思う。

 でも、たくさんの仏像の中で、実在の人物を菩薩として崇めてるのは一瞬違和感があった。だけど、菅原道真も天神さんだし、秀吉は豊国大明神、家康は東照大権現だもんね。キリスト教でも、人を聖人として祀っているから、彼岸にいけば仏に列するということなんだろうか。
posted by HIROMI at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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