京都文化博物館に「冷泉家 王朝の歌守展」を観に行った。
冷泉家は、代々宮廷の歌道師範を務めた家とかで、俊成から始まって、有名な定家も祖先。八百年もの間、天皇の命令で編まれた勅撰集など、重要な文書を守り伝えてきたという。
藤原定家の自筆の「古今和歌集」とか、彼の日記「明月記」とか、有名な古典の原物にびっくり。なんと「古今和歌集」も「明月記」も国宝。「明月記」には、「源氏物語」54丁の写しが完成したこととか、歯の痛みに耐えかねて抜いてもらったこととかが書かれているそうだ。延々と長い巻物で、数十巻も並べられていた。
「古今集」のほか、「新古今和歌集」とか「後拾遺和歌集」とか、聞いたことのある勅撰和歌集がたくさん展示されていたけど、その他に、個人の和歌を編んだ私歌集もあったし、「伊勢物語」とか「枕の草紙」とか、「源氏物語」の注釈とかもあった。「源氏物語」も「枕の草紙」も、みんな鎌倉時代に写本されたもので、平安時代に書かれたものは、全然残っていないそうだ。
印刷技術なんてなかったから、物語を読もうと思ったら、写本を誰かから借りなければならず、手元に置こうと思えば、それを写さなければならなかったなんて、どんなに大変だったろう。それに、文字が読めたのは貴族とか僧侶だけで、物語は限られた人たちだけのものだったろう。それにしても、紙印刷どころか、電子書籍が現れた今を見たら、冷泉家の祖先もびっくりだろうなあ。
映像で、季節ごとの儀式が紹介されていたが、かの家では、今も七夕の日は、平安時代のような衣装をまとって、歌を詠んだり、たくさんの供物を広げたりしてるそうだ。新年も節分も平安時代。え〜っと目を疑う光景。
学生の頃、大学の敷地に食い込むように建っているお屋敷のことを、「お公家さんらしい」とは聞いたけど、冷泉家とはつゆ知らず、なんでこんな所にあるんだろうと思ってた。普通に過ごしてたすぐそばで、平安時代にタイムススリップしたようなことが行われていたとは。でも、そんな徹底振りのおかげで、おびただしい文書が、完全な形で残されてきたのかもしれない。
2010年06月05日
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