2010年11月29日

神の子どもたちはみな踊る

 恋人のサンドラ(ソニア・キンスキー)と過ごし、酒にも酔って朝のベッドにまどろむケンゴ(ジェイソン・リュウ)。だが、そのベッドにしどけない姿で滑り込む女は、何と彼の母イヴリン(ジョアン・チェン)。ケンゴは仕事場に遅れて行くが、ボスのグレン(ツィ・マー)は彼を叱らず、携帯で恋人の写真を盗み見ても寛容。それに甘えて、ケンゴはやっと来た職場を口実を作って離れ、恋人との逢瀬に励む。だが、サンドラが彼と結婚したいと口にすると、自分は神の子だから無理だといい、何度も聞かされた言葉にサンドラは怒って部屋を飛び出した。

 ケンゴの一見気ままで自由そうに見える様は、ふらふらと地に足のつかない、おぼつかなさや幼さと同じ。そして、その陰に母と言う大きな桎梏と父の不在を抱えている。

 イヴリンは、放埓な青春時代に2度の妊娠中絶を経験したあと、産婦人科医と恋愛し、その時には完璧な避妊をしていたにも関わらずに妊娠。それを知った相手は彼女を疑って別れを告げ、命を絶とうとしていた彼女を神の道に導いたのがグレンだった。幼い頃、母に連れられて家庭を回り、布教に歩いた思い出。父のことを聞くたび、母は彼の父は神だと答えた。
 親子にしては若すぎ、美しい母。彼女はまるでケンゴが恋人であるかのように接し、ケンゴはそれを拒否しない。母子相姦すれすれを何とか保っているのは、ケンゴが別の部屋でするマスターベーション。イヴリンは、かつてケンゴが信仰をやめると言うと、2週間食事も摂らず、口もきかず、風呂にも入らなかった。我が子を神の子と信じる以上に、二人の関係は現実離れしている。

 父代わりであるグレンは、イヴリンに欲情を感じていた罪悪感をケンゴに告白。グレンは母を奪い合うという意味では父のようではあるが、イヴリンに同情して、二人の関係の異常さを放置しているし、ただ優しいだけで父性は感じられない。そして、今は重い病気に冒されている。

 ケンゴは大きすぎるペニスをもっているが、少年の頃、野球で外野フライを取れなかった。神様はなぜ望みもしないものをくれ、願いは聞いてくれないのか。

 サンドラと仲直りのために待ち合わせた店で、ケンゴは、自分の父親からしれない産婦人科医師と同じ特徴をもった左の耳が欠けた男を見かける。手には婦人科学会誌が。思わず男のあとを追って、バスや地下鉄を乗り継ぎ、人気のないトンネルのなかで見失い、出口のグラウンドで狂ったように踊った。

 主人公には別に何も魅力が感じられないが、自分の生に何も確かなものを感じられない青年の不安や焦燥、柔らかな形でしか反抗できず、それさえ丸め込まれてしまう孤独な悲しみが、次第に迫ってきた。

 ずっと以前に原作を読んだが、主人公の年齢はもう少し低く、恋人はいなかったのではないかと思う。こんな母との関係で恋人がいて、彼女が彼との結婚を望むのは不自然だ。ケンゴのコンプレックスである大きすぎるペニスや、一人で踊る場面は、映画にすると意味の分からなさが増している感じ。スタイリッシュで物憂げな映像は、よかったかも。
posted by HIROMI at 21:51| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記
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神の子どもたちはみな踊る
Excerpt:  ツタヤで思わぬ大発見。村上春樹氏の短編が海外で映画化されていたとは・・・。静か
Weblog: EURISKO2005
Tracked: 2011-05-06 00:12

神の子どもたちはみな踊る(All God's Children Can Dance)
Excerpt: 村上春樹の短編小説をアメリカで映画化したドラマ。舞台をロサンゼルスに設定している。村上さんは、神戸淡路大震災の後に書いているので、当然、《地震後の感覚》がテーマになっているはずだが、映画を見る限り..
Weblog: KATHURA WEST
Tracked: 2011-06-21 20:24