2016年09月20日

めぐりあう日 

 生まれてすぐ養女に出された30歳のエリザ(セリーヌ・サレット)。実母を探すため、専門機関に調査を依頼するも、「匿名出産」の壁に阻まれて、たどり着くことができない。調査では、母は娘に会うことを拒み、自分には子供はいないと言っているという。父のことは何も話さなかったことから、エリザは、レイプが原因だからでは、と疑う。息子ノエとともに出生地のダンケルクに引っ越し、自ら調べ始めるが、生まれた産院はすでに移転。自分を取り上げてくれた助産婦の消息も分からなかった。

 その間も日常は流れていく。エリザは理学療法士として働いているが、ノエは新しい学校に行きたがらない。アラブ系の風貌のため、給食時に、豚肉は食べていいのかと聞かれるし、クラスにもなじめずいじめられる。だが、エリザは自分のことで精一杯。

 そんなノエを、学校で給食と清掃の仕事をしているアネット(アンヌ・ブロワ)が気遣う。市場で最初に二人が視線を交わす場面は、二人の間に、彼らの知らない決定的な関係が存在することを明かしている。アネットは、ノエの瞳に惹かれるが、なぜそう感じるのかは無自覚だ。そして、ケガをした彼女が、学校の保護者に教えられてエリザのもとを訪れ、二人は出会うのだった。

 太って分厚いアネットの背中。それをさすり、向きを変え、力を加えるエリザ。身体そのものの迫力は、過去の空白を埋めるかのような、強烈な母子の触れ合いに見えた。だが、エリザは空白を抱えたまま。子供はいるのかというエリザの質問に、アネットはいないと答えるが、治療の繰り返しから、アネットの方が、エリザにより親近感を覚えていくのだった。

 人種が違うように見えるノエを養子かと聞いたアネットは、養子は自分の方だと言われて動揺する。そして、娘の方から自分を見つけてくれるよう、申請書を書くのだった。だが、彼女を実母だと知ったとたん、エリザは否定と怒りの気持ちで激しく混乱する。

 エリザの養母は、しょっちゅう電話をしてきて心配している。アネットにも同居の母親(フランソワーズ・ルブラン)がいて、彼女は、市場で移民の子供を見ると、バックを隠せとアネットに言う。アネットが娘を見つけたいと言い出すと、父親がアラブ人だから知らない方がいい、と言う。母親の中には、根強い有色人種への差別感情があるようだ。
 エリザがアネットの兄の店に来た時、彼も、アネットの恋人だったアラブ人への悪態をつく。アネットがエリザを養女に出したのは、アラブ人の子供だったからだろう。だが、彼女は中絶は選ばず産んだのだ。そして、今まで母と兄の言いなりだったアネットは、娘を前に、やっと自分の本当の気持ちを口に出す。

 自分を確認するため、エリザにはどうしても母を探すことが必要だった。それまで彼女は充分には親になれず、母を求める娘のままだった。緊張したままもがいていたエリザの表情に、笑顔が戻る。彼女はやっとノエに向き合えることだろう。一方、娘を手放してからのアネットは、老いてもなお、母に従う娘のままだったのだろう。彼女も、家族の抑圧から解かれて本当の感情を見つけるには、娘と会う必要があったのだ。

 母を見つけたエリザは、ノエとつながる父も発見した。最後に男の声で朗読される「あなたが狂おしいほど愛されることを望む」は、父にそう思っていて欲しいという、彼女の深い望みのようだった。
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2016年09月19日

太陽のめざめ

 2か月も子供を学校に通わせていない母親(サラ・フォレスティエ)を、裁判所に呼び出したフローランス判事(カトーリヌ・ドヌーヴ)。だが、とがめられた母親は逆キレし、育児放棄を6歳のマロニーの素行の悪さのせいにして、口汚く彼をののしったあげく、赤ん坊だけを抱いて飛び出して行く。残されたマロニーは、養護施設に一時保護されるのだった。

 10年後、再びフローランス判事の前に現れたマロニー(ロッド・パラド)は、問題行動の多い、反抗的な少年になっていた。フローランスは、彼に教育係をつける「児童教育支援」を受けさせるが、マロニーはすぐに傷害と車の窃盗を犯す。反省もなく投げやりなマロニーに、フローランスは、検事が主張する少年院ではなく、更生施設に送る措置を取るのだった。

 気性が激しく、いつもイライラし、すぐに激昂するマロニー。だが、最初に母親に捨てられたシーンの、繊細そうで悲しそうな印象は、その後もずっと変わらない。彼が突然暴力をふるうのは、いつも拒絶された時だ。初めの教育係が、手に負えない、と辞めた時。施設で勉学を積み、少しは落ち着いたのに、復学に懐疑的な冷たい役人の前で。母親に拒まれた深い傷が、無意識のフラッシュバックの中で、何度も爆発してしまう。抑えられない怒りの衝動と、飢餓感を抱えた危ういマロニー。愛されなかった彼は、自分を大切にすることも、他人を大事にすることも学ばず、自分の可能性も認めず、自分をただ無能だと思っている。

 本当は分かって欲しいのに、愛され方が分からないマロニーと、彼を忍耐強く導こうとする周囲の攻防は、長く激しい消耗戦だが、とても切なかった。
 施設での学習時、いやがりながらも何度も書き直す彼の前には、丸めた紙だらけ。それだけの時間、頑張っているということだ。途中でキレて出て行くも、待たれていると知っているので、ソロソロと戻ってくる。
 フローランスは、かつて自分が更生させたヤン(ブノワ・マジメル)を教育係につけるが、マロニーの姿にかつての自分を見るヤンは、体当たりで指導する。仕事をさぼった朝に引きずり出されて暴力を受けたマロニーは、フローランスに告訴したいと訴えるが、いざとなると色々理由をつけて取りやめる。彼はヤンの本気を感じているのだ。
 そして、マロニーは、表面は反抗しながらも、自分を案じてくれるフローランスを慕っている。誕生日に施設を訪れた彼女が忘れたスカーフを、子供のように顔に当てる。

 母親が他人に向かって自分のことを口汚く言う時、マロニーは傷つきながらも辛抱している。彼が母親に向かってキレるシーンはほとんどなく、彼は母の愛を空しく求めて続けているのだ。若すぎてだらしない母親だが、彼女もまた、まともに愛されなかった過去がうかがえる。

 彼を大きく変えるのは、恋人ができたこと。指導員の娘で、少年のような不思議なオーラを放つテス(ディアーヌ・ルーセル)。二人が初めて過ごした、不器用な夜のシーンの切なさ。マロニーはテスの妊娠を受け入れられないが、中絶手術の直前に彼女を連れ戻す。彼は、見捨てられる胎児に自分を重ねたのだと思う。テスは、普通なら敬遠するような相手に近づくが、彼女はマロニーの本質的なものを見抜いて、心から彼を愛しているのだ。

 視線やちょっとしたことが多くを語っていて、離婚したことを話すヤンに、マロニーが慰めるように「あんたを愛してる」というシーンも、施設でおかしいなペンの握り方をしていたマロニーが、裁判所ではきちんとした持ち方でサインをするシーンも、うれしかった。熾烈だが、希望にも強烈に満ちた、美しい作品だった。
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2016年09月03日

ストリートオーケストラ

 極度の緊張から、サンパウロ交響楽団の最終審査に落ちてしまったヴァイオリニストのラエルチ。彼のイライラから四重奏団の仲間もバラバラに。家賃の支払いにも困った彼は、仕方なく、NGOが支援するスラムの子供たちの音楽教師に応募する。
 
 周囲に貧しい家がひしめく、フェンスに囲まれただけの青空教室。子供たちは演奏以前のレベルで、楽器の正しい持ち方も座り方も知らず、集中するどころか、勝手に立ち歩いたりケンカを始めたり。
 子供たちの態度にキレてしまうラエルチだったが、厳しい父のもと幼い頃から神童と言われ、今も父の期待を背負っている彼にとって、スラムはいるべき場所ではなかった。

 ところが、授業中にお菓子を売りつけた男に「警察を呼ぶ」と言ったことから、ラエルチはギャングに目をつけられるが、銃で脅されながらも見事な演奏をしたことから、風向きが変わっていく。多分子供たちは、ラエルチが地区や自分たちから逃げ出さなかったことに信頼したのだろう。
 だが、練習日を増やすことになると、アル中の父親の世話や、小さい兄弟の世話など、彼らの置かれた境遇の厳しさが浮かび上がるのだった。

 少年院帰りのVRは、カード詐欺のグループに加わっていて、ギャングのクレイトンに借金があるという。彼の周りには、いわくのありそうな男がたえず現れる。
 一人抜きん出た才能を見せるサムエル。大人しい彼だが、家では病気がちの母と強権的な父がいる。そして、経済的な理由で授業を諦めなければならない、と言い出すのだった。

 子供たちは、集中して次第に腕を上げていく。問題を抱える家庭に育つ彼らにとって、教室は安心できて、自分の価値を確認できる大切な居場所なのだ。合奏自体、まず自分が練習して上達したうえで、仲間と心を合わせないとできないこと。しかも曲は、バッハやシュトラウススなどの高度なクラシック。
 家を出て転々としても、サムエルは片時も楽器を離さない。彼がバラックの入り口で弾くヴァイオリンの美しさ。それにVRが民族楽器で合わせる軽妙なハーモニー。逆境を振りほどいていけそうな、可能性がきらめいていた。

 だが、その陰で二つのことが進行する。クレイトンが借金の件でVRたちを脅し始め、クラブのトイレであわや殺人が起こりかける。一方、子供たちのために奔走していたラエルチに、再びオーディションの知らせが届き、彼は自分の夢に再び向き合う。そして、ラエルチがサムエルに、近い別れを知らせて悲しませた直後、悲劇が起こるのだ。

 警察にサムエルが射殺される場面も、それに抗議してスラムが火に包まれる暴動シーンも、あまりにもリアルで、やりどころのない怒りと悲しみがはりついていた。個人の希望や未来が、暴力や恐怖にかき消される。
 だが、生徒たちは、結束して演奏会を成功させた。今後バッハを弾くたび、彼らはサムエルを思い出すだろう。彼らがずっと活動を続けていて欲しい。
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2016年08月28日

奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ

 パリ郊外のレオン・ブルム高校。白人のほか、黒人やアラブ系やアジア系など、様々な人種の生徒が集まるクラスに、ベテランの歴史教師アンヌ・ゲゲンが担任になる。そのクラスは学校一の落ちこぼれクラスで、授業中にヘッドフォンをつけたままだったり、マニキュアを塗っていたり、突然ケンカが始まったり。ゲゲン先生の厳しさにしぶしぶ従う生徒たちだったが、彼女が忌引きの間に代わりの先生が来ると、たちまち反抗と授業妨害の渦。
 そんな生徒たちに、ゲゲン先生は「レジスタンスと強制収容についての全国コンクール」に応募しようと提案。ホロコーストの犠牲になった子供と若者たちについて、考察を求めるのだった。

 ゲゲン先生は、絶えず喧噪を作り出す気ままな生徒たちに毅然と接し、どんな時にも自分にイニシアティブがあることを譲らない。そして、問題が起こるたび、生徒たちに厳しくも温かな気付きを与えるのだ。
 コンクールへの出場をムリだと怒る生徒に、「笑われるのが怖いから、やる気がないといってる」と言い、自己評価が低いせいの本音に気付かせる。発表準備が始まると、「ネットがあるから資料を集めるのは簡単だが、表面的ではダメだ」といって、生徒がネットから集めた腕の刺青写真の意味を考えさせる。そして、同じテーマを選んでしまったグループが言い争うと、「なぜ仲間同士で批判し合う前に、もっと話し合わなかったのか」と、互いの情報交換の大切さに気付かせるのだ。

 ショアー記念館で、同世代の犠牲者の無数の写真に息を飲む生徒たち。一つの民族を全滅させるために、最初に標的になったのは、産む性である女性と、未来を担う子供や若者たちだった。
 そしてホロコーストの生存者レオン・ズィケル氏の話に耳を傾けたことが、生徒たちを大きく変えていく。大戦当時、生徒たちと同じ年頃だったレオン氏の、死と隣り合わせの過酷な体験。なぜ耐えられたのか、の質問に「友人に大変な体験をしたといばりたかった」と答えているが、そんな素朴な動機も、思春期の彼らの心に共感を呼んだだろう。

 西洋の歴史はキリスト教と切り離せないからか、ゲゲン先生は授業で詳しく歴史に触れ、教会のステンドグラスに描かれた図柄から、イスラム教を蔑視するプロパガンダを読み取らせたりする。これは高度な考える授業だ。
 発表への考察を深めていった生徒たちは、ナチ時代のポスターに、当時の政権の狡猾なプロパガンダを読み取ったり、ガス室を描いた漫画のなかの犠牲者に、髪や服が描かれていることに、犠牲者の人間としての尊厳を取り戻したい、という思いを読み取っていく。

 家庭が貧しく、生徒の母親がアル中だったり、黒人の生徒が白人の女友達の親に、冷たくあしらわれるシーンがあったり。人生の早い時期から、すでに試練を抱えている彼ら。だが、争いが多く、低い自己評価からケンカを繰り返していた生徒たちは、学習を深めるにつれ、どんどん自信に満ちて落ち着いていく。その生き生きとした変化も、歴史を受け継ぐことが成長につながっていることも、とても感動的だった。
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2016年08月20日

ニュースの真相

 メアリー・メイプスは、CBCニュースで20年のキャリアをもつプロデューサーで、ダン・ラザーは、長年CBCでアンカーマンとして人気を博してきたベテランだった。2004年、イラクのアブグレイブ刑務所での虐待事件を報道したあと、大統領選の最中、メアリーはチームを組んで、現職大統領ジョージ・W・ブッシュの軍歴詐称疑惑の調査に取り掛かった。
 公式記録によると、ブッシュは、ベトナム戦争さなかの1968年に6年契約でテキサス空軍州兵として入隊し、1973年に早期除隊。その間、1972年に健康診断を拒んで処分を受け、アラバマに転属しているが、その後1年は勤務した形跡がない。つまり、ベトナム行きを逃れるためにコネで入隊したうえ、職務怠慢だった疑いが、ささやかれていたのだ。

 チームは、ブッシュが入隊した当時の副知事や、当時の指導教官キリアン中佐、キリアンの上官だったホッジス将軍らを探し出すが、キリアン中佐はすでに死亡。他は、みな同じように口を閉ざすか、疑惑を否定するかだった。

 そんな中、キリアン中佐が残したという文書のコピーが、退役軍人バーケット中佐から提供された。そこには、ブッシュの訓練不参加や、能力不足が記録されていた。

 チームは直ちに文書鑑定家に鑑定を依頼するとともに、さらに取材を進めると、元副知事はブッシュを入隊させたことを認め、ホッジス将軍は文書の内容を否定しなかった。充分ウラが取れたと考えたメアリーたちは、キリアン文書をブッシュ疑惑の新証拠として報道する。

 スクープはたちまち話題となるが、直後に窮地に立たされたのは、ブッシュ陣営ではなく、メアリーたち報道した側だった。「文書のフォントも書式設定も、70年代当時にはないもので、文書はワードで打たれた偽物だ」、とネットで保守派のブロガーたちが騒ぎ出したのだ。
 メアリーたちは、過去の膨大な文書のなかから、同じフォントや書式設定を見つけ出すが、証拠の文書はオリジナルでなくコピーのために、正式な鑑定はかなわず、メアリーたちはどんどん追い詰められていく。

 何週間にも及ぶ粘り強い取材が、ネットの一撃で無残にも崩されていく。ネットの中には、メアリー個人に対する酷い攻撃も並んでいて、身がすくむ思いだ。一度火がついた攻撃はどんどん拡散し、他のメディアも同調し出す。そして、その負の勢いにあおられてか、一旦文書の内容を認めたホッジス将軍も、言をひるがえすのだった。

 そんな中、チームを守ってくれるはずの会社は、内部調査委員会を設置。報道を誤報と決めつけ、その責任をメアリーに取らせて、事態を収拾しようとするのだった。委員のなかにはブッシュに近い者も数人いて、初めから出来レースの過酷なものだった。アンカーマンのラザーは番組を去り、メアリーは解雇される。二人の栄光に包まれた輝かしいキャリアは、文書の騒動で一気に崩れさっていく。

 悔しいのは、世間の関心が文書の真偽にだけ集まり、ブッシュの疑惑自体はまったく問題にされなくなったことだ。新証拠はワナだったのか。関係者の証言からも、記録からも、疑惑は明らかだというのに。アメリカのその後にとって、この報道が消された影響は、はかり知れないはずだと思う。

 調査委員会の最後に、メアリーが行った反論は、真実を追究する者の高い知性と誇りに貫かれていて、感動的だった。彼女たちが手掛けていた調査報道こそ、ジャーナリズムが力を発揮すべきもののはず。リスクが大きいからといって、調査報道が少なくなるのは残念でしかない。
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2016年08月11日

ミモザの島に消えた母

 妻と離婚したばかりのアントワーヌ。娘たちと定期的に会っているが、思春期の長女マルゴは彼に距離を感じている。建築関係の仕事をしているが、現場での指示を誤ったり、周囲の信頼を損ねるミスを繰り返す。穏やかで、思慮深そうで、充分魅力的な男が、なぜ円熟期の人生で失敗ばかりしているのか。それは、幼い頃に起こった母の死が、心に刺さっているから。彼は数年来カウンセリングに通っているが、父と話せないことに悩んでいる。母の事故について知りたいと願ってきたが、父にも祖母にも拒まれる。家族の中では、それは聞いてはいけないこと、避けるべきことなのだった。

 妹のアガットは、兄が感じる疑惑をただの妄想だといい、過去にこだわる兄の姿勢を批判する。死んだ母を名前でしか呼ばない彼女。アガットにとっては、自分を育ててくれた父の再婚相手こそが母なのだ。

 母の30回めの命日、母が死んだノアールムーティエ島を訪れた兄妹は、祖母の家で家政婦だったベルナデットと再会し、遺体の発見場所が10キロも離れた対岸だったと聞かされる。疑念を深めるアントワーヌにアガットが怒り、帰路の車内でのけんかのせいで、自動車事故が起こってしまう。まるで、封印された過去に突然襲われたかのようだ。だが、このことが、アントワーヌを謎に大きく近づける。

 入院したアントワーヌは、母がかつて置かれた安置所に入って、死体修復師のアンジェルと出会う。彼女も子供の頃に父を失くしていて、今の職業に就いたのは、父の無残な死がきっかけ。アントワーヌは、アンジェルに自分の思いを語ることによって、前に進む力を得るのだった。

 ベルナデットから渡された、母の遺品の高級時計。それに刻まれたジャン・ウィズマンという名前。父に尋ねても、中古を買った時からだと言い張るだけ。名前の人物を探し出し、母との写真を見せても、父も祖母も無視。アントワーヌが真相に近づけば近づくほど、家族とのいさかいが大きくなり、溝が広がって、彼はひとり孤立していく。

 子供の頃の記憶が、アントワーヌのなかで度々フラッシュバックする。自分が島にいたのは、母が死んだ日と近かったのではないか。確かそこで、母の遺体を見たのではないのか。そして、母のことにかかわらないようにしていたアガットにも、同じことが起こる。マルゴに同性に恋する気持ちを相談をされた彼女は、突然、幼い頃に目撃した、母と恋人とのキスシーンを思い出すのだ。

 子供の頃の記憶には、本質的なものが宿っている。それは孤独に通じ衝撃的な分、強い無意識で隠される。アガットは、父や新しい母との生活のために、母の思い出を忘れたのだ。一方、アントワーヌは、記憶がいくら鮮明でも、当時の大人の助けなしには、その意味を知ることはできない。

 すべてを解き明かしたのは、ベルナデットの証言だった。30年にわたる、祖母と父がついていた嘘。それは、二人を信頼していたアガットにとっても、破滅的なものだ。隠された過去は、その後の人生を踏みにじる。贖いを求めるかのように一瞬に感情を爆発させるアガット。だが、その後、彼女には兄との和解があり、ずっと少年のままの心を抱えて、人生をさまよっていたアントワーヌは、やっと大人になれるのだろう。

 本土と島をつなぐ、長い道で起こる事故の場面が恐ろしい。その道が満潮で沈み、また現れるのが、過去の象徴のようだった。
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2016年08月09日

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男

 第二次大戦後、ソ連との冷戦下で、共産主義の脅威を排除しようと、アメリカ国内でレッドパージが始まり、下院非米活動委員会による攻撃はハリウッドにも向けられた。最初に標的にされたのは、ハリウッド・テンと呼ばれた、監督や脚本家たちで、ダルトン・トランボは、その中で最も売れっ子の有名人だった。

 下院非米活動委員会に全面的に協力する「アメリカの理想を守るための映画同盟」なるものがあり、ジョン・ウェインがその議長だった。議会で協力するロナルド・レーガンの実際の映像。非米活動委員会や映画同盟は、共産主義者はソ連のスパイで、国家転覆をもくろんでいると主張。トランボは、撮影所のストに協力したり、労働者の賃金について監督に直談判したことで、目をつけられる。ただ弱者に優しい眼を向けたり、富の独占に異を唱えたりしただけで、疑われたのだ。メディアも一斉射撃し、なかでもコラムニストのヘッダ・ホッターが、執拗に攻撃し続ける。

 議会で証言を拒み、議会侮辱罪に問われたトランボは、裁判にも負けて、刑務所に収監される。文字通り丸裸にされ、自由も尊厳も奪われた。だが、トランボのやったことの何が、それほどの罰に値するというのか。思想自体を狩る社会のヒステリックさは、恐ろしくも滑稽なほど。自由と民主主義のためと言いながら、それとは真逆の事態が、社会を覆っていたとしか思えない。

 トランボは、言論の自由を求めて、抑圧に対して常に強烈に口論する。頑固で、皮肉に満ちて、ユーモラスでもあり、一筋縄ではいかない人物像に惹かれた。
 生き延びるための作戦も柔軟で、出所後もブラックリストのせいで働くことのできなかった彼は、B級映画専門のキングブラザーズ社で、大量の偽名を使って大量の脚本を書き始める。質は問われないのに、トランボの手にかかれば上出来。経営者を満足させ、同じようにあぶれた仲間にも仕事を回し、ブラックリストの効力をそいでいく。

 芸は身を助く、というが、彼の才能が何よりの武器だった。トランボは収監前に「ローマの休日」の脚本を、旧知のイアン・マクレラン・ハンターに託し、ハンターの名前で発表させ、それがアカデミー原作賞に。キングブラザーズ社での「黒い牡牛」も同賞を獲る。幻の作者探しの中で、トランボの存在が浮かび上がり、ブラックリストの愚かしさを、世間に認識させることになるのだ。

 だが、ここまでの長い苦労。彼ががむしゃらに闘ったのは、家族の生活のためだったが、彼を支えた妻や、仕事に協力した子供たちの奮闘があったからこそ。家族のドラマに、胸が熱くなった。

 トランボはハッピーエンドだったが、レッドパージで、多くの人々が仕事や家族を失くしたり、自殺したりしたという。1975年までブラックリストが存在し続けたのも驚きだ。
 トランボはインタビューで、「この事件には被害者しかいない」と社会の疲弊を静かに語っている。生活のために友人を売ってしまった者たちも、俯瞰すれば被害者かもしれない。だが、積極的に推進した者たちは?権力の座にいた者たちは?ともかく、寛容さを失った社会の狂乱の恐ろしさが迫ってきた。
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2016年07月31日

MR.DYNAMIT The Rise of James Brown

 ミック・ジャガーのプロデュースによる、ジェームズ・ブラウンのドキュメンタリー。
 
 当時のJBを知る人たちの証言がいっぱい。ミック・ジャガーも、少年の頃に大人たちに混じって見たライブの様子を振り返りながら、すごく楽しそう。
 ライブで一緒だったバンドメンバーたちの話は、エキサイティングなライブの興奮とともに、人を信用しない孤独な暴君としてのJBの横顔や、数々のトラブルを伝えて生々しかった。舞台できっちり合図を送ってくるJBが、ときおりフェイントをかけてきて、それをうっかり見逃すと、容赦なく罰金をかけられた、とか、恋人連れて現れた時は、彼のあまりの嫉妬深さのために、恋人は必死にJBしか見ないようにしていた、とか。ギャラの不払いのせいでみんながJBを見限った、とか。
 リズム&ブルースにジャズの要素を加え、1拍目を強調するリズムでファンクを発明する過程も、興味深かった。清志郎も、強い影響を受けていたんだろうと思う。ライブの間奏で、1拍めを強調するリズムをバリバリに展開していた。
 
 何より圧倒的だったのは、本人のライブ映像。腰を振り、足を震わせて、高い声で激しいシャウト。ステージを走り回って、エネルギーの塊。ハンサムじゃないけど、ものすごくセクシー。自信満々なのに、切なくて助けてあげたくなる。もう眼も耳も釘づけ。映像でもすごいのに、その場にいたら、感電してしまいそうだ。

 黒人の権利を求める、公民権運動の時代だった。1966年、テネシー州メンフィスから、ミシシッピ州のジャクソンまでの220マイルを歩く「恐怖に抗する行進」のゴール地点に現れて歌うJBの映像。この後彼は、ブラックパワーの象徴的な存在となる。
 そして、1968年、キング牧師が暗殺され、アメリカ中に暴動が起こったなかでのボストン公演。興奮した観客がステージに上がってきて、それを白人警官が排除しようとするのを、JBは止め、黒人としての誇りを説いて観客を鎮めて、見事ライブを続行する。まるでキング牧師が乗り移ったかのよう。これも当時の本人の映像に興奮した。

 あふれる才能。しかも社会に深くコミットした人物だった。本人のインタビュー映像もあり、すごく雄弁で時にケンカ腰だったが、「ソウルは、黒人の苦難の歴史が生んだもの。」「ソウルとは、生き延びること。」という言葉が心に残った。
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2016年07月26日

裸足の季節

 トルコのイスタンブールからはるかに離れた小さな村。両親を失くし、祖母と叔父のもとで暮らすソナイ、セルマ、エジェ、ヌル、ラーレの5人姉妹。学期が終わり、転任してしまう大好きなディレッキ先生と別れを惜しむラーレ。その後、海岸で男子生徒と騎馬戦をした彼女たちだったが、家に着くや、怒りで取り乱した祖母に折檻される。隣人が、彼女たちがみだらなことをしていた、と告げ口をしたのだ。叔父も激怒。姉妹たちは、家に閉じ込められてしまうのだった。

 姉妹たちは、パソコンや携帯の他、こまごました私物も捨てられ、ラーレが「クソの色」と呼ぶ暗い色の服を与えられ、料理や掃除などの花嫁教育を受けさせられる。そして、一人、また一人と、知らない男と結婚させられていくのだった。

 豊かな長い髪、のびのびした手足。家の外でも中でも、ふざけ合う姉妹たちは、ほとばしるようなエネルギーにあふれている。だが、周囲にとって、それは手に負えない危険なものでしかない。処女検査とか、初夜のベッドの血を身内に見せる風習とか、驚くような場面があったが、女性を一人の男のものとしか見ない社会では、少女たちの性を管理するために、彼女たちの一挙手一投足を、すべて性的なものにつなげているようだ。だから、ただ元気のよい遊びがセックスに連想され、普通の自己主張である服や、アクセサリーや化粧品が、男を誘惑するための不埒なものとして扱われるのだ。
 
 新学期が始まっても、姉妹たちは学校へも行けない。犯罪ではないのか、と思えるひどい仕打ちを、誰もおかしいとは思わず、正しいと信じている。親戚も地域も同じ考えだし、保護者の権限が大きくて、どこからも救いの手が届かないのが恐ろしい。

 それでも、彼女たちの自由を求める気持ちは抑えきれない。だが、苦労して抜け出し、みんなでサッカー観戦に行ったあとも、姉たちが次々と嫁がされ、ラーレが一人家を抜け出したあとも、それらが見つかるたびに、監禁状態は益々厳重になっていく。だが、外に出るチャンスをつかむ度、賢いラーレは、脱出のための収穫を得ていた。トラック運転手のヤンと知り合って、車の運転を教えてもらう。そして、枕に自分の髪を縫い付けたり、鍵の在処や、天井裏からの出口を見つけたりと、周到に計画。ついに、ヌルの婚礼の日、花婿をじらす慣習を逆手に取って、家に籠城するのだ。厳重な監禁が、娘たちに有利にどんでん返る痛快。だが、逃亡はまさに命がけだった。

 あまりにも生きづらい社会。だが、ヤンのような男の人や、ディレッキ先生のようにラーレを理解してくれる人もいる。ラーレの選択の先に、きっときっと、彼女の望む人生があることを信じたい。 
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2016年07月16日

帰ってきたヒトラー

 1945年4月30日に自殺したヒトラーが、なぜか現代のベルリンで生き返る。すっかり変わった街に驚き、いなくなった側近を探して官邸に向かう彼を、テレビ局をお払い箱になったフリーのディレクターのザヴァツキが見つける。ヒトラーを彼のそっくり芸人だと思い込んだザヴァツキは、復職のためのネタに使おうと、ヒトラーに遭遇した街の人々の様子を撮る番組を企画し、彼をドイツ各地に連れて行く。

 よみがえった当初、新聞屋にかくまってもらいながら、ソ連の諜報機関のワナだろうか、と混乱しながら頭をしぼるヒトラーと、周りのチグハグさが笑える。
 いざ各地の街に出て行くと、遠巻きに見る人や怒り出す人もいるが、近づいて話しかけてくる人も。似顔絵で商売を始めると大盛況だ。過激派でもなければ、反移民のデモに出かけもしない普通のおじさんたちが、移民に対する反感や、民主主義へのうんざり感や、強い指導者の出現を望む気持ちを口にするのだ。相手がヒトラーだから、本音が出たのか。若者はヒトラーと自撮り。これらは、実際の街でのドキュメント映像だそうだ。

 自撮りのおかげで、どんどん拡散されるヒトラー。テレビに出ると、番組の出演者たちをひきつけ、視聴率も瞬く間に上がっていく。ヒトラーは、街では人々の話を静かに聴き、番組内では、沈黙さえ操って人々の心を魅了していく。芸人としての素をまったく見せずに、徹頭徹尾ヒトラーになりきるすごみと生真面目さ。ソフトな口調が、突然鋭い演説に切り替わるギャップ。視聴者は、ヒトラーをあくまで芸人と思いつつ眩惑されていくが、1940年代のヒトラーも、ウソと巧みな戦術で国民を引きつけたのだろう。

 テレビ局の倫理のなさ。新局長の座についたベリーニ嬢は、自身の成功と権力欲のためにヒトラーを出演させ続ける。副局長のゼンゼンブリンクがそれを妨害するのは、反ナチだからではなく、ただ彼女を蹴落としたいから。自分が彼女のイスに座るも、番組の視聴率が急落すると、しらっとヒトラーを再登板させる。

 ヒトラーは人々の話を聴きながら、「貧困や失業は都合がいい」とうそぶく。ネットもテレビも、自分をスターにしてくれる。巷にあふれる反移民のデモ。憎悪や不満をくすぶらせながら、社会がどんどん不寛容になり、国粋主義に傾斜していくさまは、ヒトラーが現れたあの時代に似ているのでは。

 ヒトラーが放つある種の人間臭さを見ながら、最後に人々の前に現れた、実際のヒトラーの映像を思い出した。大きくても16,17歳の少年や、小さい子では13歳以下の少年たちの頬をさわり、手を握って、慈愛の眼差しでねぎらい、激励するヒトラー。不安げで優しそう。だが、彼が少年たちに命じていたのは、スパイ行為や脱走兵の密告や、それによる死だったのだ。ヒトラーに人間的な魅力があったかかどうかなどより、彼が何をした人物かが、決して忘れてはならないことだろう。映画では、一族を収容所で殺された老女が、一人ヒトラーに向かって叫び声をあげる。

 ヒトラーが芸人ではなく本物だと気付いたザヴァツキが、ピストルでヒトラーを追い詰める場面。現実の歴史では何度も失敗したヒトラー暗殺が起こるのか、と固唾を飲んだ。だが、ヒトラーは利益追求のテレビ局に守られ、一人真実を知ったザヴァツキには悲劇が待っている。
 反移民の旗がひるがえる大勢のデモの映像。それをほくそ笑むヒトラー。観たあとには全然笑えない、暗澹とした気持ちになった。
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2016年07月10日

フラワーショウ!

 カルト文化が色濃く残るアイルランドの田舎で育ったメアリー・レイノルズ(エマ・グリーンウェル)は、広大な自然の風景を深く愛する少女だった。だが、彼女が大人になった頃、手つかずの自然は、畏怖を感じない人々によって、娯楽の場になっていく。
 デザインが得意だったメアリー。著名なガーデン・デザイナーのシャーロットの事務所に応募すると採用され、自然との共存の大切さを訴えるための庭を世に出そうと奮闘するものの、さんざん利用されたあげくクビに。どん底のメアリーだったが、シャーロットのお供で行ったチェルシーで知ったフラワーショウに、自分も出展しようと思い立つ。

 メアリーの魅力は、世間知らずで何とも危なげな感じと、信念をもって夢に向かって行く、エネルギッシュな奔放さが、混じっていること。
 シャーロットのもとでデザインを盗まれても、放り出されるまでお人よしのまま。だが、いったんショーへの出展を決めると、金賞を取ることを疑わない。事務局長の取りつく島もない対応にめげずに電話をかけ続け、アレルギーに効くハーブを教えてあげて秘書と仲良くなって、締切りの直前に願書を入手。そして、独創的なコンセプトにより、2000人もの応募者中、たった8人に選ばれるのだ。

 だが、ショーに必要な大量の植物や石や、施工に協力してくれる人たちのあてがあったわけではなく、25万ポンドという資金をどうすればいいかも分かっていなかった。それでも、不思議なほど次々と縁に恵まれる。
 元クライアントの家で庭の石を積んでいた職人をアタックすると、彼らは自然保護団体のメンバー。団体の長の会議に出かけて行って説明すると、植物を用意してもらえることに。しかも、メアリーはその場所で、シャーロットの事務所で出会って以来ひそかに恋してる、植物学者のクリスティン(トム・ヒューズ)に再会するのだ。
 
 出展者に選ばれた時点で、ショー開始までわずか80日。時間が刻々と迫るのに、展開が悠長で、このままで大丈夫なの?とヤキモキさせられた。メアリーはクリスティンに協力を求めるが、彼はショーの必要性を認めず、砂漠の緑の方が大切だ、とエチオピアに行ってしまう。それをメアリーははるばる追って行って、一緒にプロジェクトに参加しつつ説得し続ける。
 若過ぎるうえにイケメン過ぎて、全然学者に見えないクリスティン。恋多きはずの彼が、全然手を出してこなくて、結ばれそうでちっとも進展しない二人の関係も、同じく悠長。

 ラジオ出演が功を奏して、偶然出資者が現れるが、クリスティンが説得に応じてくれて、庭作りのための用意が本当に整ったのは、何とショーの20日前。会場に大量の材料を運び込んで、ここからやっと庭作りが開始。信念と情熱があれば奇跡が起こるのか。でも、こんなギリギリは、いくら何でも現実味がないと思う。そして、ここからまだまだ試練が起こっていくのだ。

 メアリーの作った「ケルトの聖域」は、無造作で一見雑然としてるのに、秩序と静けさが満ちていて、どこか日本の庭園に通じるところがあるかも、と思った。 
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2016年06月26日

スポットライト 世紀のスクープ

 2001年、ボストンの地元紙グローブに赴任した新編集長のコーティン・バロンは、神父ゲーガンによる長年にわたる児童の性的虐待疑惑を、特集紙面の「スポットライト」で取り上げるよう指示を出した。

 ボストンでは教会が力をもち、グローブの新しい局長が教会にあいさつに行くことが慣例になっているほど。教会が調査やスクープの対象とは考えられていなかった。

 被害者団体のメンバーに話を聞いたチームの面々は、加害者はケーガンだけでなく、ボストンには性的犯罪を犯した神父が13人いると告げられて驚く。自分は運のいい生存者だが、被害者の中には、酒やクスリに溺れたり、自殺したりする者が多いということにも。

 被害者宅を一軒一軒まわって聞いた話は、残酷なものだ。神父は、神の代理者としての権威と、偽りの優しさで巧妙に子供に近づき、欲望のために彼らの人生を破壊する。餌食になるのは貧しい家の子供たちで、それは、わずかな示談金で口を封じやすいから。

 加害者を教会の年鑑で調べてみると、彼らはみな、短期間で転任させられていることが分かった。その共通項を逆探知すると、次々と疑惑の神父が、大量に浮上。そして、教会が、性的虐待者を転任するという手法で、事件を隠蔽していたという、恐ろしい事態が明らかになっていくのだった。

 これは巧妙な犯人秘匿。全米にネットワークをもつカトリック教会だからできたのだろう。だが、犯罪者を罰せずに他の地域に送れば、そこでもまた同じことが繰り返されることは簡単に像できるのに、教会が恐れたのは、そんな危険性より、何より教会の権威が失墜だったのだ。

 調査では、教会がふるう政治的な力が大きな壁となって、行く手を阻む。裁判の原告側の弁護士は、教会から数々のいやがわせを受けて、誰にも用心深く、チームにも協力しようとしない。教会側の弁護士たちは、守秘義務を理由に、口を開こうとはしない。裁判所を通さない直接示談のために、資料がなかったり。

 刻々と動く状況に冷静に対処しながら、エネルギッシュに走りまわる記者たち。厚い壁にもめげず、何度も挑戦し、思わぬ近くに突破口を見つけたり。朝一で資料を手に入れるために、一晩中裁判所で待ったりも。彼らの心に火をつけたのは、重い過去を語ってくれた一人一人の被害者への共感だ。一方で、たえず他紙との競争にさらされてもいる彼らの競争心や焦燥も、リアルだった。

 「スポットライト」は、一つのことを何か月もかけて追いかける特集。2001年に記事にしてから、チームは神父による児童の性的虐待と教会による隠ぺいについて、なんと600回も連載している。地道な調査によって、巨大な権力による不正を暴き、声なき犠牲者に光を当てる。これぞ報道の真骨頂だろう。 
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2016年06月12日

殿、利息でござる

 江戸時代、仙台藩の吉田宿。やせた土地で、百姓だけでは食べていけないため、商売もしながら暮らしていた町の人々だったが、物資を輸送する天馬役を負わされていたうえ、馬の購入や飼料代、人足の費用などが町の自腹だったため、人々は困窮し、夜逃げする者が続出。残った者たちの負担が益々増えるという、悪循環に陥っていた。

 お上のやり方に憤慨する造り酒屋の穀田屋十三郎(阿部サダオ)に、策を相談された茶師の菅原屋篤平治(瑛太)は、「藩に千両を貸し付ければ、その利息百両を天馬の費用に回せる」とひらめいた。
 あまりの大金だから、絵空事だと思ったのに、十三郎はそのアイデアに飛びつき、すぐさま叔父を賛同者にして連れてきた。町のまとめ役である肝煎りや、その上の大肝煎り。彼らは、藩の行政の下部役員でもあり、計画を打ち明ければ即反対し、迫害してくるかもしれない相手なのに、すんなり賛成してくれて、え〜!な展開。
 もうかる投資と間違えて仲間に入る両替屋(西村雅彦)や、煮売り屋のとく(竹内結子)にいいところを見せようと金を出す小間物屋(中本賢)など、欲や下心も人々を動かして、ごたごたがありながらも少しずつ仲間が増えていく。

 当時の千両は、今に換算すると何と3億。それを十三郎たちは、生活を切り詰め、家財を売って工面しようとする。自分の損得を抜きに、地域のために頑張っていくのだ。町全体に図って全員から集めることはかなわないので、志をもった者が、できる限りの力を尽くそうとするのがすごい。彼らは、今の状況の理不尽さを何とかしたいだけでなく、息子や、そのもっと先の未来の町の人々の繁栄を見据えていたのだ。

 十三郎たちは中町の人間だったが、噂を聞いた下町や上町の人足たちが、競争心から、それぞれの有力商人たちを説得にかかるのもおもしろかった。そうして、十三郎の弟の、造り酒屋の浅野屋甚平(妻夫木聡)が大金を出すことに。だが、それを聞いた十三郎は、突然計画から降りると言い出すのだった。 

 長男でありながら幼い頃に養子に出された十三郎は、出来のいい弟へのコンプレックスと、父(山崎勉)に愛されなかった思いを抱きながら、守銭奴の二人を憎んでいた。彼が、弟との確執を乗り越え、父が隠していた志を知るのがドラマチック。そして、軽い気持ちの言い出しっぺだった篤平治は、十三郎とのからみでどんどん本気になっていく。

 涙ぐましい努力と忍耐で目標額を達成するものの、願いをお上に聞き届けてもらうまでが、最大の難関だった。代官が味方になってくれてお上の耳に入れてくれたのに、出入司の萱場杢(待田龍平)が即却下。熱心だった大肝煎りは、出世欲から心を離しかける。そして、やっとのことでオッケーが出たかと思うと、小判へのレート相場が変わったせいで、さらに大金が必要に。それでもまげず諦めず、骨身を削って金を集める人々の、粘り強さと団結力に圧倒された。

 最初の計画から延々6年。みんなの願いが達成され、喝采したい気分で流れたRCの「うえを向いて歩こう」、最高だった。
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2016年05月10日

忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー

 7日、日比谷野音に「忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー」を聴きに行った。
 
 トップバッターは、黒猫チェルシーで、「わかってもらえるさ」、「僕の好きな先生」、「君を呼んだのに」、「多摩蘭坂」。ボーカルは、清志郎の高校時代を描いたテレビドラマで、清志郎と間違われる男子生徒の役を演じた人。「清志郎さんをすごく尊敬していて、いつかセッションできたらと思い、2009年の4月に神戸から上京したら、5月に亡くなってしまった。死んだら天国でセッションしたいけど、それまでは現世で歌います」。彼の若さが、清志郎の若い時の曲に合っていると思った。

 次はサニーデイサービスで、「ファンからの贈り物」、自分の長女の名前が春子だと言って「大きな春子さん」、「ヒッピーに捧ぐ」、「君は空を飛んで」、「僕の自転車のうしろに乗りなよ」。すごい声量で、絞り出すような歌い方だった。

 3番目のJUN SKY WALKERは、RCの王道ソングを独り占め。「ロックンロールショー」、「キモちE」、「スローバラード」、「トランジスタ・ラジオ」、「上を向いて歩こう」。MCも、ガッタガッタも、マイクを空中でブンブン回すのまで、清志郎がやってたとおり。高校の時、今の壁がフェンスで、そこによじ登ってリハーサルを聴いてた頃からのファンだそうだ。 

 シアターブルックの佐藤タイジが「甲州街道はもう秋なのさ」を歌い終わると、梅津和時と片山広明のサックスが加わって、「ドカドカうるさいロックン・ロール・バンド」。佐藤タイジははじめは標準語だったのに、すぐに大阪弁丸出しになって、ガンガンにみんなを煽っていた。ちょっと暑苦しかったけど、ギターはめっちゃカッコよかった。

 TOSHI-LOが登場すると、会場から声援がいっぱい飛んだ。
 「地震のあとには戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVでデカいことを言い始めてる。国民をバカにして戦争に駆り立てる。いったいこの国は何なんだ。僕が生まれて育ったこの国のことだ。君が生まれて育ったこの国のことだよ。どうだろう、この国の憲法第9条はまるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか?戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言ってるんだぜ。俺たちはジョン・レノンみたいじゃないか。戦争はやめよう。平和に生きよう。そしてみんな平等に暮らそう。きっと幸せになれるよ。」と2000年の清志郎の言葉を紹介したあと、「明日なき世界」。
 それから原発について、「東北地震の直後、経産省に電話をかけて、メルトダウンしてますよね?と言うと何人もの役人が否定して、それでも粘ると、最後に出た人に、私たちがしてないと言っているのに、信じないアンタは頭がおかしい、といって切られた。あの事故までは、清志郎さんの歌を聴いてもまさか、と思っていたけど、今は、あの役人たちと清志郎のどっちを信じるかといったら、断然清志郎だぜ。」と語って、「日はまた昇る」を歌った。
 私の席は、会場の一番上の一番端だったので、会場がよく見渡せた。TOSHI-LOが登場した頃、日がかなり落ちていて、彼の言葉に拍手する人たちが光に浮かび上がって、波のようだった。

 チャボが登場すると、「RCサクセションが聞こえる」のサビを歌ったあと「あきれて物もいえない」。それから、「60年代の終わり頃に渋谷の青い森で出会って、遅いステージのあと、よく僕のアパートに泊まりに来ていた。その頃清志郎が作って聴かせてくれた曲」と言って「もっと落ち着いて」を歌ってくれた。初めて聴く曲だったが、メロディーラインが「夢をみた」に似てると思った。同じように切ない歌だった。
 「清志郎の曲のメッセージは、僕はここにいるよ、僕を見て僕を愛して、だと思う。」と語り、野音について、「今だから言えるけど、前日に彼女とケンカしてヘビーになってたことがあった」とか「龍平ちゃんをステージにつれてきた時、父親の顔だと思った」と思い出を話した。

 TOSHI-LOが清志郎のコスプレをして、マントまで羽織って出てきて、「よ〜こそ!」スーツ姿の山本シャブちゃんが懐かしかった。
 最後は全員で「雨上がりの夜空に」。それからチャボが「夜の散歩をしないかね」。
 それから、恒例のスクリーンで歌う清志郎。やっぱり彼を聴かなくちゃ。唯一無二の声。

 チャボが何度も「清志郎が聴いてるよ」、「清志郎が喜んでるよ」と言っていたのが印象的だった。若い歌い手たちが彼の歌を引き継いでくれてるのがうれしかった。なだらかな会場が、温かな谷間のような感じがした。
 
 

 
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2016年05月05日

さざなみ 

 結婚45年を迎えたケイト(シャーロット・ランプリング)とジェフ(トム・コートネイ)。長年連れ添った二人には、互いを大切に思いながら親密な日常を生きた、穏やかな雰囲気が漂う。45周年の記念パーティーを一週間後に控えた朝、ジェフ宛に、スイスで遭難したかつての恋人の遺体発見の知らせが届いた。

 手紙を読んだ瞬間から、ジェフは昔の恋人カチャに取り憑かれたかのよう。「僕のカチャ」といい、近所を歩くのもやっとなのに、スイスへ遺体確認に行きたそうにする。出かけたケイトが電話をかけても、留守電のまま。禁煙の約束も破ってしまう。ケイトはショックを受けながらも、初めは、様子の変わった夫を心配し気遣う余裕を見せていた。

 あろうことか、ジェフはケイトに、カチャと行ったスイスの6週間の旅行のことを、警察に夫婦だと言ったことや、ガイドを嫌っていたこと、山に咲いていた花のこと、そして不意に襲った事故に至るまで、詳細に語る。ジェフは多分、歳をとって妻に頼っている続きで、自分の思いを妻に受け止めて欲しいのだろう。妻は同志なのだから、すべてを分かってほしい。だが、なぜ出会った当時やもっと早くではなく、45年も経った今なのか。妻の気持ちを忖度しない彼の態度は、あまりに素朴で無神経だ。

 結婚前に別の恋人がいたなど、ありふれたことで、自分への愛とは関係ない。ケイトも最初はそう思う。だが、老いた自分と違い、発見されたカチャは若い姿のまま。その思い出に執着する夫の様子に、ケイトは嫉妬する。久しぶりのセックスも、夫が若い頃のように急に政治談議を始めたと聞くと、カチャが現れた影響を感じる。夫がスイス旅行を思いつくのも、温暖化についての本を読むのも、すべてカチャのため。

 追い詰められたケイトは、もしカチャが死んでいなかったら彼女と結婚していたかと問いただし、ジェフは肯定で答えた。この時彼女は決定的に、夫との生活がカチャの存在に浸食されているのを感じたのだと思う。
 夫の留守に自らロフトに上がったケイトは、カチャの写真を発見する。夫は自分の写真は撮らなかったのに、カチャのものは、彼女が撮られたと意識しないものまで大量。しかもケイトはその中に、子供を産めなかった自分とは違う、妊娠した姿を見つけるのだ。

 ジェフがケイトを撮らなかったのは、もしかすると、さかんに撮っていた恋人が死んでしまったからかもしれない。あんなに詳細に語ったジェフが、カチャの妊娠を話さなかったのは、ケイトを傷つけない配慮だったろう。それに、愛する恋人との結婚を考えるのは、ごく自然なことだ。だが、そのすべてがケイトには苦痛だ。そもそも、長年、カチャの思い出の品の下で暮らしていたなんて、ひどい。ケイトが今気付かなかったとしても、ジェフの死後に発見する可能性だってあるではないか。

 ケイトが船に乗っているシーン、もしローマ人がこの地域に鉱脈を発見していなかったら、この運河は掘られていなかった、というアナウンスが流れる。そして、彼女は、事故のために宙ぶらりんになったジェフの選択の先にあった自分の人生の空しさに覆われる。

 前日に妻の傷心にやっと気付いたジェフは、パーティー当日、朝からかいがいしくケイトに尽くし、スピーチでは、ケイトと結婚したという選択の正しさと、彼女への感謝を述べる。荷を降ろしたように、軽々と妻とダンスする姿には、単純なバカさと小狡さを感じた。仲直りできたつもりの夫のそばで、ケイトは完全に離れた心を抱いているのに。 
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2016年04月29日

アイヒマンショー 歴史を映した男たち

 1960年、ユダヤ人絶滅計画を推進したナチの将校アドルフ・アイヒマンが、イスラエル諜報機関によってアルゼンチンで逮捕され、翌年、エルサレムの法廷に引き出された。裁判のもようは37か国でテレビ放映され、ナチのすさまじい悪行を、世界中が知ることとなった。

 裁判の中継を計画したのは、アメリカ人プロデューサーのミルトン・フルックマン(マーティン・フリーマン)。裁判の開始を知ると、すぐにイスラエル政府との交渉に奔走。監督にアメリカからドキュメンタリー作家のレオ・フルヴィッツ(アンソニー・ラパニア)を呼び寄せた。カメラが邪魔だという判事の許可を取るために、壁を改造したり、わずかな日数で完璧な準備を行う。そのフルックマンを度重なる脅迫が襲うが、決してひるまない姿勢には、正義感と同時に強力な野心が感じられた。

 いざ撮影が始まると、現実的に事を進めようとするフルックマンに対し、フルヴィッツの関心はアイヒマンに集中する。フルヴィッツは、アイヒマンが激昂したり泣き叫んだり、自分たちと同じような感情をもつことを映し出せれば、彼が怪物だからファシストなのではなく、誰もが状況によってはファシストになる可能性がある、と警告できると考えていた。

 だが、アイヒマンは、どんなに追及されようが身じろぎひとつしない。感情の爆発を待つあまり、証人が卒倒する瞬間に、カメラを向けられず、視聴率を気に掛けるフルックマンは、監督に怒りをぶつけた。折しもガガーリンが宇宙飛行し、キューバ危機が起こって、長々と続く単調な陳述よりも、人々の眼はそれらに引きつけられていた。

 だが、ホロコーストを生き延びた人々の証言が流れを変える。子供を殺されたあと、自分も撃たれた女性が、死体の山から這い上がって見たのは、見渡す限りの死体だった。トラックから死体を片づけていた男性は、ある日死体の中から妻子を見つけた。死体を焼却した灰を、滑り止めのために収容所の地面に撒かされた。等々・・。今まで知らなかったが、ナチスは、ガス室でのチクロンBによる殺人を思いつく以前、トラックに排ガスを引き込んでの殺人を行っていたのだ。そして、遺灰までをモノとして利用していた。

 ホロコーストの映像をアイヒマンに見せる場面では、立っているのがやっとの骸骨のような人や、おびただしい死体の山や、それらをブルドーザーで片づける様子など、きょっとする映像の数々が映された。第二次世界大戦の死者5千万人のうち、600万人がユダヤ人だった。その人々がどのような目に遭ったのか、凄惨な実態が明らかにされたのだ。裁判を見守っているような気持ちで観ていたが、すでに事実を知っていても、映像の衝撃はすごかった。

 アイヒマンは最後まで、保身の言葉以外口にせず、フルヴィッツは敗北を感じる。だが、フルックマンのいうとおり、何よりホロコーストの事実を世界に届けたことは、大きな功績なのだ。
 それまで、生存者が自分の体験を話しても、そんなひどいことが行われたはずがない、と誰も信用せず、そのため生存者は沈黙せざるを得なかった。確かに証言や映像は、普通の想像を超えている。この裁判によって、その状況が変わったのは、本当に大きかったと思う。
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2016年04月19日

最高の花婿

 フランスのロワール地方に暮らすクロードとマリーのヴェルヌイヌ夫妻。4人の娘のうちの3人が、一年ごとに次々と結婚していったが、彼女たちの相手は、アラブ人にユダヤ人に中国人。結婚式もそれぞれの宗教にのっとって行われ、カトリック教徒の親にとっては異文化との遭遇。それが毎回で、何とも目まぐるしい。娘たちがすんなり夫の文化を受け入れているのとは対照的に、両親のとまどいは大きい。 
 だが、自分たちの伝統を継がない婿を残念に思っても、二人が娘たちの選択に反対した様子はなく、娘や婿が両親の反対と闘った風もない。ヴェルヌイヌ家の異文化間率が特に高いとはいえ、そうした結婚は当たり前のことなのだ。

 クロードは敬虔なカトリック教徒だが、同時に少々保守的な人物のよう。言葉の端々に、婿たちを外国人と思っているのが出てしまう。だが、きっとよくある普通の反応。それを婿たちに差別だと言われて、逆ギレしてしまう。次女の息子の割礼式のパーティーは、おかしくもヒヤヒヤだ。

 異文化間の対立は、クロードと婿たちだけでなく、婿同士の間にも。ユダヤ系のダヴィドがイスラム系のラシッドに、割礼をユダヤ教が生後8日に行うのに、イスラム教では6歳で行うことなんてかわいそうだ、といちゃもんをつけ、そのせいで二人が言い合いになる。それにしても、同じ宗教の家族内ではなく、何でも親族全員が集まるのはスゴイ。そんな中、ちょっとしたからかいや皮肉が飛び交うバトルが展開。
 ラシッドは陰で、残りの二人をアラファト、ジャッキー・チェンと呼び、ダヴィドは残りの二人を、シャイロック、ブルース・リーと呼んで、それぞれの人種の典型的なキャラに当てはめて小バカにしてる。

 だが、彼らの誰も、人種のキャラにちっとも当てはまっていない。ダヴィドは商才に乏しくて事業に失敗しているし、ラシッドはイスラム法ならぬフランスの法律に携わる弁護士だ。それぞれ個性があり、イメージに当てはまらないのは当たり前のこと。そして、移民であっても、その子孫でも、皆フランス語を話し共和国に暮らす、同じフランス人。3人がフランス国歌を歌う場面の健全さは、それぞれの宗教や文化の違いが認められている背景があるからだろう。

 クロードとマリーが最後の期待をかけた4女ロールの相手は、待望のクリスチャンで、名前もフランス人っぽいシャルル。だが実は黒人で、それを知ったクロードは荒れ、マリーは鬱に。すると姉たちは、自分たちのことは棚に上げてロールの結婚に反対し始め、婿たちも団結。だが、最も強力に反対するのは、コートジボワールに住むシャルルの父だった。自分が受けた人種差別のために、フランス人に対する敵意を全身にみなぎらせた最も強烈なキャラ。そんな父とクロードが、結婚反対の共通項から、次第に男同士の友情を感じだすドタバタがおもしろい。

 この映画が作られたのは、昨年のパリのテロ事件より以前。今では移民に対する視線は変わったのでは、と寂しい思いがする。こんな明るいコメディー、これからも可能なのだろうか。
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2016年02月29日

みんなでつくる学校・とれぶりんかの朗読劇

 昨日、メセナひらかたで、みんなでつくる学校とれぶりんかの朗読劇「こどもたち・女たちのSOSが聞こえますか?!」を聴いた。

 施設で育ち、誰にも心を開かない少年。養父母に引き取られたが、二人は離婚し、養母はうつ状態のなか、彼に包丁を突きつけるようになり、彼は施設に戻るしかなかった。
 障害をもった女の子は、貧しい暮らしのなか定時制高校を卒業して住まい付きの仕事につくが、トラブルで追い出され、ホームレスになってしまう。
 母親の帰宅を幼い弟と二人で待つ少女。週に1回は帰ってきてお金を置いて行った母親が、男性と知り合って帰って来なくなった。高校に進学したいが、希望がない。もう食べるものもない。

 どれも心が痛む深刻な話だが、全部、会の代表が実際に出会ったこどもたちだという。3番めの例など、すぐにも保護が必要だと思われるが、案件のあまりの多さに、週一でも母親が帰ってきていることから、対応を後回しにされるという。

 現在、日本の子供の貧困率は、16.3%で、6人に1人が貧困ということになる。それはつまり親の貧困。ここ20年で急速に非正規雇用が増えるなか、女性の非正規雇用の賃金は、男性の正規雇用の4割り程度しかない。

 会の代表者の話に心を打たれた。
 「シングルマザーは、離婚に至るまでにすでに心の体力を使い果たしていて、父親からの養育費不履行が多い中、失業などで一気にうつ状態に陥るケースも多い。孤独のなか、人間不信になったり、理性的な判断を失ったりし、子供のしんどい状態に向き合えなくなってしまう。子供は、ネグレクトされても、母親と引き離されるのを恐れて母親をかばうなど、彼らの笑顔の下に隠された素顔がみえにくい。
 父親が自殺した家族は、元の家に住めなくなって他地域に越すが、起こったことを隠して知らない土地で孤立する。
 よく自己責任といわれるが、母親の追い詰められた状況や、社会的な背景にも目を向け、彼らの状況が、私たちと地続きにあることに思いをいたして欲しい。」

 「人間は未熟な状態で生まれるため、母親一人では育てられず、種として集団で子育てを行って生き延びてきた。それが本来の私たちのあり方のはず。みんなが少しずつ力を出し合って、取り組んでいくことに希望があると思う。」
 枚方市の保育園「みんなの里」での地域に開かれた「0円こども食堂」の取組や、東京都豊島区で、一人のお母さんから始まって、大勢のカンパで実現した受験サポートの取組などが紹介された。

 朗読劇には、二胡奏者の木場孝志さんが今回のために作曲した「いのちの陰影」と「HOPE」が流され、ラストは音楽部の二人の歌で締めくくり。会場には、イラスト部の男子が描いた数々の電車の絵が展示されていて、写真のような精巧さに驚いた。
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2016年02月27日

ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります

 ニューヨークのブルックリンに住むアレックス(モーガン・フリーマン)とルース(ダイアン・キートン)。新婚で移り住んで40年が経ち、田舎だと思われていた街はオシャレに変貌。一方、エレベーターのないアパートの最上階の住まいは、老境の身には不便になってきて、アレックスを心配したルースは、新居に引っ越そうとアレックスを説得。姪で不動産ブローカーのリリー(シンシア・ニクソン)が早速始動して、明日が家の内覧会となっていた。

 エネルギッシュで明るいルースと、ゆったりと落ち着いて寡黙なアレックス。白人と黒人間の結婚が珍しかった時代に結婚し、慰め支え合って生きてきた。大きく開いた窓から、街が広がる光が満ちるアトリエ。屋上には菜園もある落ち着いた住まいは、二人の幸せで温かな人生を、そのまま表しているようだ。

 思い出の詰まった部屋でも、リリーの眼にはあくまでも物件。アレックスが描きためた数々の絵は、内乱の邪魔になるガラクタ。及び腰のアレックスの中で、引っ越しへの疑問がつのっていく。愛犬ドロシーが急に歩けなくなったかと思うと、街にはテロ騒ぎが起こり、通院も大変。渋滞で移動が面倒な街に対して、家の中がさらに快適に見えてくる。

 他人がずかずかと入ってくる内覧会。電気のスイッチをパチパチする子供と、それを叱らない母親とか、訓練中という介護犬志望のおバカな犬連れとか。知ってる人の家では見せるはずのお行儀や遠慮が吹っ飛んで、値踏みしたり物色したりの本音丸出しで押し寄せるさまが滑稽だ。

 貧しかった二人が住んだアパートは、今や高値がつき、リリーが仕切る入札やオファーで買い手がつきそう。すぐにも新居が必要だと思った二人は、あわただしく新居探しに向かい、自宅に来た人たちと何度も遭遇しながら、とうとう気に入った家にめぐり会うのだった。

 自分の家に住む人を選ぶ時、ルースは値段よりも、養女を迎える予定だとか、メッセージの内容とかに惹かれていた。自分が今度住むことになる家の持ち主がどんな人物なのかも、同じように目に入るのだと思う。
 競争相手に勝つために、あわてて契約しようと訪れたところ、テレビにテロの容疑者が映し出される。怖くなって事故現場から逃げただけのように見える、大人しそうな犯人。画面の男に向かって、家の持ち主が吐き捨てる汚い言葉。値段に不満を言い募る不機嫌なその妻。不快に感じたアレックスは、突然引き返そうとするのだ。

 リリーの高飛車な指図に振り回されていた。だが、自分たちの暮らしは自分たちで決めるのだ。不安に思った老境も、このまま乗り越えられると、自分たちの力を認識する。これからもずっと恋人のままの二人が、とても素敵だ。
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2016年02月20日

愛しき人生のつくり方

 夫に先立たれたマドレーヌ。長男で郵便局員だったミシェルは、定年退職で所在ないが、彼の妻ナタリーは、まだばりばりの現役教師。独立心旺盛でおちゃめはマドレーヌのもとには、孫の大学生ロマンがしょっちゅう訪れるが、彼はまだ将来の目標が分からない。ある日、マドレーヌが倒れ、老人ホームに入ることになるが、ロマンはそこにも通って、彼女も新しい環境になじむ。ところが、友人の葬儀の帰り、自分の家に他人が住んでいることを知った彼女は、突然ホームから姿を消してしまうのだった。

 人々の何でもない暮らしが、可笑しくて寂しくて、愛しい。
 机にお菓子を並べただけの、ミシェルの質素なお別れ会。40年の思いが込められない不器用な短いスピーチ。ロマンとマドレーヌがホームの壁に飾られた絵に引きつけられるが、牛か馬かわからない作者の絵は、わざわざ訪ねて行って他の絵をもらっても、何の動物だか判別できない。マドレーヌが倒れた知らせに、沈痛なミシェルとロマンのそばで、ロマンのルームメイトのカリムの携帯が、間抜けた音を出す。シリアスなはずのシーンも、アルアルの間の悪さに思わず吹き出してしまった。

 レストランのメニュー選びにもぐずぐずするミシェル。母親をホームに預けたのも、家を売ったのも、望んでではなく状況に押し切られて。彼女の失踪を知ると、死んだと思い込んで落ち込むものの、無事だと知らされると、母の行動を迷惑だと言って妻にあきれられる。彼は、自分の不安定さが妻を苛立たせているとは知らず、妻の愛を求めてあがく。一方、ナタリーは、退屈な夫が今も自分を情熱的に愛しているとは知らず、うんざりのフリで彼の反応をためそうとする。そんな両親の間で、ロマンは冷静で優しい緩衝剤だ。

 そしてロマンもまた、まだ見ぬ運命の人を探す旅人。祖母の友人の葬式で一目ぼれした女の子とはそれっきり。だが、祖母を探して訪れた彼女の故郷の小学校で、またしても一目ぼれの相手ルイーズに出会うのだった。

 この映画、クロード・ルルーシュの「男と女と男」のコーヒーに砂糖を三つ入れる主人公が、同じだけ入れる女の子とやっと出会うのを思い出した。冒頭、ロランが墓地を間違えて祖父の葬儀に遅れ、最後、ルイーズもマドレーヌの葬儀に遅れて来るから。

 祖母に付き添った場所で恋人に巡り合った話を聞いたカリムが、めったに会わない祖母を連れ出して、あまり気のなさそうな彼女の職場を訪れる。「舌きりすずめ」とか「花咲かじいさん」の悪いおじいさんを連想してしまう。
 これは効き目がないようだったけど、繰り返しはもうひとつあって、ドライブインで2個入りのチョコを勧めた店主のアドバイスどおりにして成功したロマンは、妻との関係に悩む父親に、同じ男にアドバイスを受けるよう勧めるのだ。
 人生を前に進めてくれるのは、ふとした小さな助言だったりする。それがお守りになったり、本当の予兆だったり。心温まるいい映画だった。 
posted by HIROMI at 10:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記