2015年04月04日

忌野清志郎 OFF写真展

 清志郎の誕生日の前日の1日、愛知県新城市にある湯谷温泉の「はづ合掌」に、「忌野清志郎 OFF写真展」を観に行った。
 深い山合いにある合掌造りの建物は、高い吹き抜けの天井に、間接照明の美しい広い空間。落ち着いていて、かつとてもオシャレ。日本の伝統的な建物というより、ヨーロッパのような雰囲気だった。

 入口すぐに、清志郎の家族の名前の書かれた花と、三宅伸二からの花が置かれ、正面には、主催者からの、清志郎へのリスペクトと愛情のこもったあいさつのパネル。
 清志郎は、この温泉をとても気に入ってたびたび訪れ、ここで気持ちをリセットさせてはまたライブに出かけ、病気が発覚したあとは、療養にも来ていたという。

 好物の薬膳料理を前にしている写真など、宿でのスナップの中に、浴衣姿でうちわに絵を描いている写真があって、そのそばに、彼が絵とサインを入れた実際のうちわが、たくさん展示されていた。
 また、鳳来寺山を登って石段で休憩したり、鳳来寺や満来寺で手を合わせたり、阿寺の大滝の前に立ったり、鳳来峡の名所を巡っている写真もたくさん。それに、付近をサイクリングしている写真もあって、三宅伸二が一緒に写っていた。どの写真も、眼が優しくて、幸せそう。
 「個展」の時にも観た「奥三河の風景」と題された絵もあった。山と橋とフクロウ。そうか、ここの風景だったんだ。よっぽどこの温泉が好きだったんだなあ、と思った。

 着物姿の女の人と一緒に、ドラゴンズの応援に来ている写真もあったが、受付の女の人があでやかに着物を着ていたため、その写真の人が彼女で、パネルのあいさつ文を書いた本人だと、すぐに気がついた。
 2階に上がるとシアターがあって、完全復活祭のDVDを上映していた。チャボが「チャンスは今夜」を歌ったあと、何人かの人が舞台に現れて、清志郎とチャボに花束やレイを渡していたが、その中に、日傘をさして着物を着た女性が一際目立っていたのを思い出したが、その女性が受付の人だということにも気がついた。
 後で本人に話を聞いたら、あの場面で出てきた人は、スタッフの家族など、ごく親しい人たちだったそうだ。

 建物奥にある、緑が目に涼しい広いカフェの名前は、清志郎のアルバムタイトルと同じ「Rainbow Cafe」。普段は絶対コーヒーだけど、紅茶が好きだった清志郎を思って、アールグレイを注文した。

 前日は、少し離れた「はづ別館」に泊まったのだが、店の人に尋ねると、清志郎がいつも泊まっていた部屋を教えてくれた。露天風呂の近くの少し奥まった場所にあり、隠れ家のよう。部屋の前の飾り棚に、清志郎の印のように、小さなウサギの置物が置かれていた。
 写真展でも、復活祭の直後に、その部屋で山のような船盛りを前に、笑顔で映っている一枚があった。窓から宇連川を眺め、翌朝またサイクリングに出かけたのだろう。
 今度また来られたら、清志郎が愛した鳳来峡を、ゆっくり巡ってみたいと思う。 
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2015年03月29日

バベルの学校

 アフリカや中東、アジアなど、世界中からパリにやって来た、11歳から15歳までの子供たち。彼らが学ぶのは、フランス語を学ぶ集中トレーニングの適応クラス。数学や歴史も勉強するが、学力の基礎は何より言葉。このクラスでの学習が、彼らがフランスで生きていく力となっていく。

 母国を離れた時の気持ちを先生に聞かれ、友達にさよならも言えずに悲しかった、とか、腹が立ったと話す子供たち。セルビアからきたミハイロは、母親がユダヤ人のため、ネオナチの迫害から逃れてきた。モーリタニアからのラマは、父親に引き取られた先で虐待を受け、13年離れていた母親に助けられて渡仏。ギニアからのシェナブーは、学習に身が入らないことを心配されるが、11歳の今、両親のいる故郷に帰れば、性器切除の危険が待ち受け、14歳には強制的に結婚されられてしまう。
 ラナやシェナブーと同じ黒人でも、イギリスから来たケッサの理由は、英語のほかにフランス語を話せるようになるといいと言われたから。ベネズエラからのミゲルも、音楽を学ぶために来ているが、故郷は危険だらけで、道を歩くこともできなかったと話す。

 保護者との三者懇談の場面が何度も映るが、両親が離婚し、フランスに渡った片親を追ってやって来た子供たちも多く、忙しい親のもと、一人で何日も留守番をしたり、狭い住宅に多人数で住んでいたり。また、子供がフランス語をどんどん習得していくのに反し、学校に通えなかった母親が読み書きができなかったり、フランス語が話せない親のために子供が通訳したり。移民である親たちの置かれた厳しい状況が浮かび上がる。
思春期の難しい時期の子供たち。ケンカになったりぶつかったりもするが、次第に心を通わせて仲間になっていく。急に引っ越すことになって、学期の途中でクラスを去るリビアからのマリナム。彼女は新しい土地でも適応クラスに入れるだろうか。留年することに抵抗し、処置を人種差別だと訴えたラナに、先生は懸命に説得し、次の試験で頑張ることに。
 子供たちの人生や将来を見つめた、担任の先生の粘り強い丁寧な指導が胸を打つ。それぞれが抱える状況や、互いの違いが大切にされる空間は、フランス社会の豊かさと、多様な民族や文化を行け入れた社会の、今後の大きな可能性をを表していると思った。

 この映画はドキュメンタリーで、学期の終わり、子供たちは普通クラス行きや進級が決まり、先生は学校を去ることが決まる。感謝と別れがたさでみんなが泣き、無口で大人しかった中国からのシンも、感情を爆発させて涙を見せる。子供たちはこの後も、絆を強めながらそれぞれ成長していくことだろう。心温かく、感動的な映像だった。
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2015年03月28日

女神は二度微笑む

 インドの大都市コルコタ。冒頭、カーリガーター駅で、地下鉄サリン事件を思わせる毒ガス事件が起きる。
 その2年後、一か月前から消息不明になった夫アルナブ・バクチを探して、ロンドンから妻のヴィディヤ(ヴィディヤ・バーラン)がやって来た。国際空港から警察に直行した彼女は、夫の捜索を依頼したのち、夫が滞在した宿に着くが、宿ではアルナブという客などいなかった、と言われ、2か月前からIT専門家として働いていたはずの、国家情報安全局(NDC)でも、夫の勤務記録はないと告げられる。さらに、夫の通っていた小学校でも、叔父の家でも、アルナブなど知らないと言われるのだった。
 ところが、NDCの人事課長アグネスが、アルナブが、かつて職員だったミラン・ダブジにうり二つだということを思い出す。

 ミランは夫と同一人物なのか。ミランとそっくりなために夫は事件に巻き込まれたのか。ミランのことが分かれば、夫の消息につながるはずだと考えるヴィディヤ。だが、情報局の司令官カーン(ナワーズッディーン・シッディーキー)も、ミランという男などいない、と断言。そして、DCNの上層部の者の指示により、アグネスをはじめ、ミランの情報に触れようとした人物や証拠が、次々と消されていく。

 国際空港に降り立った時から、美しいヴィディヤには客引きのタクシー運転手が群がった。新米警察官のラナ(バラムブラト・チャテルジー)も彼女に惹かれ、探索を共にしてどこまでも助ける。そして、彼女に手を差し伸べずにいられないのは、彼女が臨月まじかに見える身重の身だから。ラナの頼みにそっぽを向いていた情報屋も、ヴィディヤの懇願で重要な情報を与えてくれた。だが、その体は、敵の攻撃から自らを守るにはあまりにも弱く、危険にさらしてはいけないものだ。そんな彼女が、幾たびもの危険を危機一髪でかいくぐっていくシーンの連続に、ハラハラドキドキしどおしだった。

 気が強く、賢いヴィディヤ。部下を完全に威圧しているカーンが、彼女の言葉の反撃に、思わずたじろぐ。相手が無意識に使った名前の呼び方から、ミランのことを知っていると判断したり、部屋に残されたお茶のコップから、屋台の少年の目撃情報にたどり着いたり。少しの手がかりから真実に大きく近づいていく。夫と同じくITの仕事に就いていて、ハッキングもお手の物で、NDCの何重もの防御壁を乗り越える。
 敵かと思った相手がそうでなかったり、思わぬ人物が敵の司令塔だったり、親身な手助けが策略だったり。それでも、夫が消えた悲しみと孤独に耐えて、戦い続けるヴィディヤの不屈な姿が胸を打つ。だが、真相に近づくということは、強力な悪の標的に定まっていくということだった。

 ドゥルガー神の祭りの準備で忙しいコルコタ。町は活気にあふれ、人々は、買い物をしたり話し込んだりしているほか、道端で歯を磨いたり、昼寝をしたり。公共の空間にまで生活があふれているよう。
 祭りの当日、女性たちは赤い縁取りのある白いサリーを着て、行進していく。そして、その祭りの最中、ヴィディヤが最大の危機に直面する時がやってくるのだ。夫がめでたい日に着て欲しいといっていたサリー。ラナが、夫が見つかったら着て欲しいといって贈ってくれたサリー。それを纏った美しい彼女。そして、すべてが裏がえる驚愕のラスト。数々の伏線を思い返しても、あまりの驚きに唖然とする。本当に面白い映画だった。  
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2015年03月24日

パリよ、永遠に

 1994年8月25日の未明。ホテル・ル・ムーリスに駐留するドイツ軍の司令官コルティッツ将軍(ニエル・アレストリュプ)の部屋に、部下と建築技師が集まった。ヒトラーの命令で、ノートルダム大聖堂やルーブル美術館、オペラ座、市内33か所の橋など、パリ中の建築物を爆破するというのだ。戦略上は何の意味もなく、ただ、無傷のままのパリに対するヒトラーの嫉妬を満足させるため。爆薬はすでに仕掛けられていて、会議は地図上での最終確認。

 皆が去ったあと、一人になったコルティッツの前に、スウェーデン大使のノルドリンク(アンドレ・デュソリエ)が現れる。軍のいるロビーを通らずには入ってこれなかったはずだと驚く将軍に、大使は、この部屋が昔、ナポレオン3世の愛人が住んでいた場所で、一目を気にせず逢いに来れるよう、通りからの隠し階段があるのだ、と告げた。相手のふいを突く登場から、ノルドリンクの交渉術が、コルティッツを凌駕しているのが分かる。だが、ここからの二人の攻防は、息詰まるほどスリリングだった。

 大使が、わずか2000人のドイツ軍が300万人のパリ市民を抑えられないし、今や連合軍がパリに向かっている、と言っても、将軍は、十分な勝算をもった、恐れを知らない軍人としての反応しか見せない。自由フランス軍のルクレール将軍からの、無抵抗のままパリを無傷で開け渡せば、名誉ある降伏を約束する、という条件を知らせても、将軍は軍人としての義務を盾に、まったく岩のように動かない。

 大使が退室されかかった時、起爆装置が破壊された、というヘッゲル中尉からの電話が入る。大使が電話の相手の名前を口にしたことから、不安を覚えた将軍は、思わず大使を引き留めた。機会をとらえた大使は、すかさず別の角度から説得にかかる。ドイツの敗戦が明らかだという現実や、身の安全の損得に訴えても動かない相手に、今度は倫理に訴えようとする。
 君のこどもと同年代のこどもたちが多数犠牲になっても平気なのか。神の命令で我が子を殺したアブラハムのように、ヒトラーに言われれば自分の子供でも殺すのか。それでも、将軍は、一理はある反論で反撃する。だが、心のあがきは明らかだ。そこにヒムラーからの恣意的な命令が届き、上部への怒りが、将軍の心を大きく揺さぶった。

 この後、将軍は、自分が命令に背けない理由を語り始める。彼がパリに赴任する前日、親族連座法が成立し、自分が背けば家族が処刑されるのだ、というのだ。君ならどうする、と問われ、答えに窮する大使。そこへ、パリ郊外に連合軍が入ったという知らせが入る。ついに命令実行の時がやってきた。大使は、家族の海外逃亡を持ちかけるが、ゲシュタポに捕まる結末を恐れる将軍は、やはり命令の実行以外に選択肢はない、と決然と言い放つ。万策尽きた大使はついに去ろうとするが、その時将軍に発作が起きる。

 映画の冒頭でも、将軍は同じ発作を起こしていた。彼は異常な命令に従うことに苦しんでいたのだ。そんな将軍を大使は介抱し、戦争が終わったあとの5年後のパリを想像させる。そして、自分のもつ組織のルートで家族を逃す、と約束する。ドイツ軍に知られてはいけない組織の名前と、実は自分の妻がユダヤ人だという事実を聞かされた将軍は、ついに大使の説得に従う決心を固めるのだった。

 大使の予想どおり、将軍が降伏するとドイツ軍はパニックを起こした。彼は、パリを破壊すればドイツは思い十字架を背負い、戦後の世界でのけ者になるだろう、と警告したが、それも的中したことだろう。彼の説得がなければ、世界は全然違っていた。それに、説得している間に戦ったレジスタンスの活躍がなければ、時間は稼げなかったろう。
 ラストに映る、パリの輝く美しさ。本当によかった、と心から思った。
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2015年03月11日

愛して飲んで歌って

 医者の夫コリン(イポリット・ジラルド)から、余命いくばくもない患者の話を聞き出した妻のカトリーヌ(サビーヌ・アゼマ)は、それが知り合いのジョルジュのことだと知ると、守秘義務もなんのその、すぐにジョルジュの親友ジャック(ミシェル・ヴュユイエルモーズ)に電話。ジャックの妻のタマラ(カロリーヌ・シオル)にも伝わり、ジョルジュのことは仲間うちの公然のことに。

 ジャックは動揺を隠さず、半泣きでオロオロ。だが、彼には愛人からしょっちゅう電話がかかってきて、親友を心配しつつ、お楽しみは変わらず続く。
 4人は素人芝居の団員で、急に欠員が出ると、ジョルジュに役を当てて、生きる目標を与えて元気を出させよう、とジャックが言い出し、全員が即賛成。余命いくばくもない人に無理をさせて大丈夫なのか、とは誰も思わない。
 ジャックのおせっかいは続き、ジョルジュから離れてシメオン(アンドレ・デュソリエ)と暮らすモニカ(サンドリーヌ・キベルラン)を訪ね、ジョルジュのもとに帰ってやってほしいとしつこく頼む。

 ジョルジュは意外にも元気に稽古に励み、恋人役のタマラとのラブシーンにも励む。二人の様子にヤキモキするジャックは、不安をコリンにぶつけ、コリンは、初恋同士の結婚だと思っていたカトリーヌが、実はかつて、ジョルジュの恋人だったと知らされる。もともとぎくしゃくと空回りだった二組の夫婦は、ジョルジュのおかげで、奇妙な5角関係になってしまう。いえいえ、モニカが戻ってきて参戦し、7角関係に突入だ。

 テネリフェ島への、人生最後の旅に出るというジョルジュ。彼から同行を頼まれたカトリーヌは、看護のために一緒に行くのは当然、とコリンの反対を封じてしまう。ところが、タマラもモニカも同じ誘いを受けていて、ジョルジュをめぐる女同士の争いが勃発。いそいそと身の周りの世話に通っていた女たちは、つかみ合いまで始める始末。

 若い頃からの恋心が再燃したかのように、ジョルジュに惹かれる女性陣。一方、妥協を重ねた自分たちとは違う、理想を追い求めたジョルジュの生き方に憧れを感じる男性陣は、妻たちの恋のパワーに全く無力。男も女もみな身勝手で、自分のための判断を相手のためだと言ったり、自分のことは棚に上げて言いつのったり。涙ぐましいドタバタは、おかしくもペーソスがある。
 そして結局、同情されているはずのジョルジュが、彼ら全員を振り回し、超プレイボーイ振りを発揮して、最後には、カトリーヌたちのような熟女とは違う、思わぬ女性を旅行に連れて出るのだ。多分、これぞフランス。まさに大往生。

 面白いことに、話の中心であるジョルジュは、一度も画面に出てこない。そして、登場人物たちがいる空間自体が、芝居の舞台そのもので、彼らは背後に垂れ下がった幕から出入り。場所の移動は実写だが、場所を示すのはイラストで、そのあと舞台が映って話が進むという具合。すごくユニークな映画だった。
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2015年03月08日

やさしい人

 パリから、トネールの父の家に戻って来たミュージシャンのマクシム(ヴァンサン・マケーニョ)。地元の記者メロディ(ソレーヌ・リゴ)がインタビューにやってきて、その後、マクシムが彼女の職場を訪ねて携帯の番号を聞いたあとから、二人の交際が始まる。

 冒頭、昼前にまだ寝ているマクシムを父親(ベルナール・メネズ)が起こしに来るが、中年前の男と老人だというのに、何かと世話を焼く父との関係は、まるでマクシムがまだ少年のようだ。そして、メロディに心を奪われたあとのマクシムも、初めて恋をする少年のように、初々しくあぶなっかしい。
 泉のそばで待ち合わせ、ワイナリーでデート。雪の降る日、ダンス教室で踊るメロディを窓越しに見つめていたマクシムは、教室に入っていって、女性限定だというメロディの言葉を無視して、一人で激しく踊り出す。外に出て、雪玉をぶつけ合ってはしゃぐ二人。マクシムが若いメロディに合わせているというより、メロディがマクシムの無垢さを面白がり、かつ困惑しているようだ。

 旧監獄だという暗い地下道で初めてキスする二人の映像が、マクシムの部屋で愛を交わす場面につながる。ところが、マクシムの恋が成就したかに見えた次には、二人の関係に亀裂が感じられる場面が次々と現れる。
 
 人前でのキスをいやがり、近くの店に入るのもいやだというメロディ。マクシムはラグビー選手のイヴォン(ジョナ・ブロケ)という青年の存在に気付くが、今は別れたと思っている。メロディは「彼が知ったら怒り狂うわ」と言っているのに。
 ベッドにいながら触れられるのをいやがるメロディ。そして、旅に出ると告げ、部屋にも入れずそっけない彼女。メロディの心がまだイヴォンにあり、マクシムにただちょっと振り向いただけ、というのは明らかだ。だが、マクシムはそれに気づかない。
 花束を持ってホームで現れないメロディを空しく待つマクシム。携帯の留守番電話にも反応がなく、おまけにイヴォンからののしりのメールが届く。そればかりか、競技場で呼び出してもらっても、知らない人だと告げられる。だが、焦燥と怒りにかられながらも、マクシムはメロディの裏切りには気付かないのだ。

 やっとメロディから説明のメールが届くが、追い詰められ、嫉妬に狂ったマクシムは、競技場の駐車場で二人を襲ってメロディを拉致する。突然の暴力と急展開。だが、このマクシムの破滅的な行動は、意外な結果を導いていく。

 マクシムはなんと、イヴォンからメロディを救ったつもりだった。山小屋での一夜のあと、湖に佇む二人の姿は、それまでになかった落着きと信頼がある。逮捕されるまでの束の間の平穏は、奇跡のような時間。そして、そのあとの展開も、まるで奇跡のよう。父親のことを受け入れ、少し大人になったようなマクシムの表情は、やはり無垢で美しい。

 切れ切れな場面が説明なくつながれて、不安感と混乱を感じる作品だった。場面には登場しないいくつもの事件や、ストーリーとは関係しない人物の人生も、それぞれ重要に思える配置になっていて、見えない奥行を感じた。即物的な感じと抒情が混じっていて、独特だった。
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2015年03月07日

三人姉妹

 シアターBRAVAで「三人姉妹」。長いセリフ回しが端正で、本格的な古典劇がすごかった。

 両親を失くし、故郷を離れて田舎で暮らす、オーリガ(余貴美子)とマーシャ(宮沢りえ)とイリーナ(蒼井優)の三姉妹。誕生日のお祝いで、未来に心ときめかす三女イリーナのそばで、二女マーシャは暮らしに倦んで憂鬱そう。三姉妹の共通の願いは、かつて暮らしたモスクワに帰ること。
 将校たちやドクターのチェブトゥキン(段田安則)に遅れて長男アンドレイ(赤堀雅秋)も姿を見せるが、彼は、学問で身を立てるはずが、しがない役所勤め。噂の中佐ヴェルシーニン(堤真一)が現れると、たちまち場の中心になって、人間の運命について持論を語り始めるのだった。

 ほどなく、アンドレイは風変わりなナターシャと結婚するが、彼は志と異なる身上を嘆きつつ賭け事にのめり込んでいき、一方のナターシャは、三姉妹も暮らす家で我が物顔に振る舞いつつ、侯爵と浮気を始める。
 磊落で饒舌なヴェルシーニン。彼には、しょっちゅう服毒自殺を図る妻と二人の娘がいるが、夫との間に溝を感じるマーシャは、いつしか彼と恋仲に。独身のイリーナにはソリューヌイが求愛するが、彼女はオーリガの勧めを聞いて、男爵との結婚を決意する。だが、マーシャもイリーナも、相手との別れが迫る運命だった。

 三姉妹の母への愛をひきずり、死なせてしまった患者への思いから飲酒癖が再発してしまったドクターなど、多くの人物の人生が屋敷のなかで交錯する。だが、アンドレイ夫妻が互いの行動に気付かないように、それぞれが自分のままならない人生に閉じこもっているかのよう。嘆きのセリフのすぐあとや、重要な告白の瞬間に、いつも乾いた笑いが用意されていて、どの人物も距離をもって描かれる。それでも、舞台にはずっと、悲哀や焦燥が張り付いていて、心が揺さぶられた。

 街で大火事が起こり、ヴェルシーニンの家族やドクターたちが屋敷に住むようになり、人物たちのかかわりはよけいに複雑になっていく。そこに帰りさえすれば、苦しみのないまっとうな人生があるかのように、イリーナが繰り返し口にする、モスクワへの思い。確執が深まり、暮らしの足元さえ不安になるにつれ、モスクワは希望の象徴のようになっていくが、同時にますます帰ることのできない遠い場所になっていく。

 ヴェルシーニンは、「我々の人生はやがて消え、時が経てば我々の人生すべてが忘れらる」とか、「未来の人々にはもっとよい人生があるかもしれない、云々」と滔々と述べる。それらは初め、軽いただの哲学談義のように語られるが、終盤の悲劇のなか、姉妹の「苦しみのなかでなぜ生きるのか」という問いや、「私たちの苦しみは次の世代の糧になるかもしれない」「未来は分からなくても、今を生きて行こう」という決意に結実していく。
 連隊が去っていき、三姉妹が新しい出発を意識するラストが、悲壮な希望に満ちて美しかった。
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2015年03月01日

おみおくりの作法

 牧師と自分以外いない教会に佇むジョン・メイ(エディ・マーサン)。ロンドンのケニントン地区の民生係であるジョンの仕事は、孤独死した人を弔うこと。死者の部屋に残された物から、宗教を判別し、歩んできた人生の片鱗を組み立てて、自ら弔辞を書き、身寄りを探して連絡する。事務的な処理で済ますことなく、仕事を大事に、考えうる限り丁寧に、見知らぬ死者に敬意を込めて見送り続けるのだ。

 猫と暮らしていた女性の部屋から、彼女あての娘からの手紙が見つかるが、それは実は彼女が自分で書いたものだった。大抵は、誰とも付き合いがなく、やっと見つかった身寄りさえ、長い疎遠の果てに葬儀への出席を拒否する。わずかな跡を残して消えてしまった人生。誰にも見向かれることのなかった者は、不在さえ認識されることがない。人生と死のむなしさ。だが、ジョンが踏み入れた部屋には、その人が生きた跡が確かに散らばっているのだ。

 一方、ジョン自身の生活も孤独で、律儀にアパートと職場を行き来するだけ。彼は死者の写真を自分用のアルバムにも貼るが、それが職場なのか自宅なのかが区別できないほど、彼のすることはいつも同じで、そしていつも一人きりだ。映っているのは、いつもきちんと片づけられた狭い空間。彼は孤独な死者にシンパシーを感じているのかも知れない。彼は無意識に自分の仕事に閉じこもっているのだ。

 ところが、市の業務が合併されることになり、ジョンは無情にも解雇されることになる。死後40日で発見されたのが、自分のま向かいのアパートの住人だったことに驚いた彼は、最後の仕事に精力を傾け、ビリー・ストークという名の男の身寄りを探しながら、乱暴で無茶だが、行動力も情愛もあったビリーの破天荒な人生に触れていく。そして、ビリーが一時一緒に暮らした女性や、戦友や、路上生活の仲間たちや、ビリーが大切に持っていた写真の主である、彼の最愛の娘ケリー(ジョアンヌ・フロガット)に出会うのだ。

 自分の街から遠く離れたその旅で、ジョンの人生は静かに開かれていき、ケリーとお茶を飲み、再会を約束した別れ際、初めて何かに魅惑されたほほえみを見せる。今まで知らなかった幸せが、彼の目の前にあるように見える。だが、いつもと違うことをし、かたくなな習慣を一瞬忘れたことが、悲劇につながってしまう。何という皮肉。思えば、観ている方も、ジョンの過去を何も知らない。家族も生い立ちも。

 ジョンが奔走して知らせた人々が、ビリーの墓を囲むかたわら、誰にも知られず埋葬されるジョン。人生はむなしいのか。だが、ジョンの記憶は紡がれていくはず。ケリーに彼を探してほしい。彼のことをずっと気にかけて思ってほしい。
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2015年02月22日

THE 2・3'S LIVE 2015

 昨夜、奈良の白ちゃんハウスで、THE 2・3'Sのライブ「大人になってもTHE 2・3'S」を聴いた。初めて清志郎のライブに行ったのが2・3’Sで、思い出深い大好きなバンドだった。94年に解散したから、何と20年以上ぶり。あの頃のメンバーはすごく若かったけど、当時42歳だった清志郎の年齢を、今はみな大きく超えている。あの頃、清志郎はバックの若者たちと全然違わなくて、全員が20代に見えていた。毎年5月の集まりでも、2・3’Sの曲は聴けないので、昨年から活動を再開させていたとはうれしい。新聞記事で見つけた時、即聴きに行こうと決めた。

 はじめに出てきたのは、奈良出身というアランスミシーバンド。英語の曲がオリジナルだったらすごいじゃん。こんなバンドがいたのは知らなかった。
 続いて2・3’Sが現れると、互いを「ノリピー」「アッキー」「大島ちゃん」と呼び合って、コミックバンドのノリ。そういえば、清志郎がいた時もこんなだったっけ。
 山川のりおはプレスリーのような衣装。大島賢治はあまり変わってない感じ。神経質そうで無口だった中曽根章友は、性格がかなり丸くなって面白い人になっていた。

 清志郎がいないと、歌はどうなんだろうと少し不安だったけど、ノリピーのボーカルは、シャウトしててすごくよかった。「お兄さんの歌」「インデアン・サマー」「あの娘の神様」など2・3’Sの曲のほか、「涙あふれて」とか「スイート・ソウル・ミュージック」などRCの曲も歌っていた。
 大島ちゃんは、「あの娘が結婚してしまう」「この愛が可愛そう」「素敵なエンドーさん」。アッキーはシャイさを押して「芸術家」。

 みんなでコーラスする「死にたくなる」がなつかしい。一番うれしかったのは、社会派・清志郎の真骨頂、知性とパワー全開の「善良な市民」。もうライブで聴けないと思ってたので、イントロに大感激した。

 アンコールでは、全員鹿の角のついたカチューシャをつけて登場し、「アイドル」と「プライベート」と「お弁当箱」。やったー、この3曲ははずせないでしょ。
 ラストは、アランスミシーバンドも加わって、「デイ・ドリーム・ビリーバー」と「雨上がりの夜空に」。すごく盛り上がって、清志郎がいるときみたいだった。

 最後は、じゃんけんでプレゼントの争奪戦。アットホームで楽しい時間だった。次は、アッキーの「NERVOUS」とノリピーの「手紙」が聴きたいなあ。
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2015年02月12日

忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー The Film〜 入門編〜

 楽屋で化粧する清志郎。マントを着て進んで行く会場は、待ちきれない観客の拍手とどよめきが渦巻いている。あ、これは完全復活祭の武道館。「よーこそ」が始まると、画面は、同じ曲のまま84年の箱根に。こんな風に、時間をあちこち行き来しながら、81年の初めての武道館から、2008年の復活祭までのいろんな清志郎が歌っていた。

 84年の西武球場での「ベイビー!逃げるんだ」は、いつも左手でマイクを握っている清志郎が、ほんの一瞬ずつだけど、3回も右手でマイクを持っていて、珍しかった。
 もう一つの発見は、復活祭の「きもちE」で履いていた水色のスラックスが、この間観に行った手塚治虫記念館で展示されていたものだったこと。

 観たことのないのもたくさんあって、89年の舞台の「エンジェル」と「上を向いて歩こう」の映像は、暗いけれど、独特の光がきらめいて、衣装も美しく、清志郎が放つエッジの深さが際立って見えた。

 88年の日比谷野音の「ラプソディー」のビジュアルが素敵。87年のレザーシャープの来日時の「キレル奴」は超カッコイイ。92年のMG'Sとの「トランジスタラジオ」は、憧れのバンドと一緒にやれる幸せが爆発している。

 83年、住之江の競艇場にボートに乗って現れ、「スローバラード」を歌いだす映像が、2007年の札幌の映像にリンクする。同じ年の「ジョン・レノン音楽祭」では「オノ・ヨーコから手紙をもらったんだぜ」と言って歌う「イマジン」が圧巻。会場を埋めるペンライトが一斉に揺れている。ガンを公表してから完全復活祭までの休養時にも、いろんなイベントに出ていたんだなと思った。

 「JUMP」は、復活祭の時の映像と、その直前にNHKで放映された「SONGS」のと、ゲリラ撮影のプロモーションビデオのミックス。暗い警告のような歌詞なのに、奮い立つような希望に満ちたメロディー。この曲で復活祭が開けた時、本当に幸せだったなあ。

 2005年のフジロックフェスティバルで「Baby何もかも」。「21世紀になったのに、戦争が終わらない。俺は35年もやってきたけど、その間、ベトナム戦争とかずっと戦争があった。でも俺はずっとベイベーとかイエ〜ィとか言ってたんだ、ザマアミロ!」。そして「愛し合ってるか〜い!」。2004年の舞台の「デイドリームビリーバー」でも、最後に「愛と平和!」。今だから、よけいに率直な言葉が心に響く。

 鼻にタバコを挿して機械をいじったり、へんな音を納得するまでしつこく出したり、ヒロシのものまねをしたり、おちゃめな映像がおもしろかった。なんかフニャッと脱力してる。2006年のふぁんくらぶ祭の時の質疑応答や、サイクリングの映像もあった。

 入門編だから、「ドカドカうるさいロックン・ロール・バンド」や、「雨上がりの夜空に」や、「君が僕を知ってる」も、もちろん入ってた。大好きな「世界中の人に自慢したいよ」が選ばれていて、うれしかった。

 ラストは、復活祭での「毎日がブランニューデイ」。これは、毎年命日に開催されるロックン・ロール・ショーの最後に、いつもスクリーンに流れる曲。今年も東京に行けるかな。
 エンディングに「Like a dream」。彼の音楽と生き方に出会えたこと、いっぱいライブを聴けたことは、本当に夢のような幸せだったと思う。
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2015年02月07日

みんなのアムステルダム国立美術館へ

 全面改修決まり、2003年に閉館したアムステルダム国立美術館。最初の開館目標は2008年。ところが、それが実現したのは、なんと10年後のことだった。美術館の変容の記録を撮ろうとしていたドキュメンタリーは、遅延に継ぐ遅延のごたごたに、長々と付き合うことになる。

 美術館の建物は、中央が通路になっていて、そこを来訪者のほか、観光客や市民、とりわけ自転車が通っていく。混雑きわまる様を何とかしようと、歴史あるゴシック式の建物に、歩行者用と自転車用の巨大なマークが貼り付けられているのが、笑ってしまう。

 スペインの建築家が設計を手掛けるが、エントランス部分が通りにくい、と市民が猛反発。サイクリスト協会が「通路を救えキャンペーン」を繰り広げた結果、地元の委員会は案を却下。エントランスのデザインでコンペに勝った建築家は困惑し、紛糾は収まらない。だが、民主主義は本来時間がかかる、面倒くさいものなのかもしれない。いつの間にかお上が決めたら、それでもう動かせない、という方がおかしいのだろう。

 内部の修復も、細部について意見が食い違いが目立っていく。すべてを決めてからその通りに進めるのではなく、やりながら考えている感じ。どんな小さな部分にでも現場の反応が採用されるのは、何とも効率が悪そうだけど、それほど丁寧だということかも。

 そして、工期の遅れに悩んだ館長が突然辞任してしまい、新しい館長が就任するが、この時点でもう2008年になっている。その新館長は、却下された最初のエントランス案に固執して騒ぎを蒸し返し、またも市民の反対にあい、妥協を強いられる。エントランスで行き詰るというのは、工事が進まない象徴のよう。

 内装はフランスの建築家に依頼するが、色を決めて塗ったあとに、館長はそれを過剰だ、といって納得しない。ヴィジョンもなく反対すると、建築家は困惑。館長は、遅延に継ぐ遅延を恥じだ、というが、自分もそれに加担している。気に入らないと頑として譲らないのは、みんな同じだ。

 長い年月、多くの物事を戦い、待ち、議論し、選び、くたくたになった人々。会議で居眠りをしたり、吐き捨てるようなセリフを言ったりなど、人々のあからさまな表情を、カメラはどこまでも追いかけて、何度も笑いを誘われた。

 一方、新しい美術館に飾るための絵の選定や修復は、着々と進められていく。レンブラントの「夜警」やフェルメールの「牛乳を注ぐ女」。それに、広い収納庫に並ぶ巨大な絵の数々。アジア館のために日本の寺から金剛力士像が運ばれる。これはどこのお寺だったんだろう。たくさんの人たちによる、いろいろな細かい作業が興味深かった。

 そしてやっと建物が完成し、たった55日で6千もの美術品を設置しなければならないため、一日に100以上のノルマというのに、一つを並べるのに、やれやれ、また議論が始まるのだ。
 
 出来上がった美術館に、一瞬爆破かと思ってしまった花火が打ちあがる。地味なファッションの女王は素朴で、市民に溶け込んでいて、王国なのに平等な感じ。お国柄がわかって、面白い映画だった。 
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2015年01月31日

忌野清志郎展 手塚治虫ユーモアの遺伝子

 早く書きたかったのに、インフルエンザでできませんでした。手塚るみ子氏プロデュースの、手塚治虫記念館開館20周年記念「忌野清志郎展 ユーモアの遺伝子」。体調くずす前に行けてよかった〜。

 2階への階段を上がって行くと、たくさんのレコードジャケットや、ライブのポスターで埋まったいくつもの壁。わ〜すごい。その先に進むと、舞台衣装の展示を背に、スクリーンで清志郎が歌っていた。懐かしさがこみ上げる復活祭の映像。DVDで知ってるブルーノートの映像も。迫力の歌声が響いていた。 

 そこからは、清志郎の絵の展示。高校時代に描かれて母校に寄贈された絵や、25周年の「ゆで卵」の表紙になっていた自画像、入院中に描かれた髪のない自画像、冬の十字架。それから、タッペイ君とモモちゃんを描いたたくさんの絵。「個展」の時にも観た小5の時の静物画や、雑誌「鳩」、高校の時のノートもあった。

 ひときわ目についたのは、清志郎が描いた髪がピンクのブラックジャック。1987年8月11日号の「ビックコミック スピリッツ」での、漫画家の浦沢直樹氏との紙上対談の時に即席で描いたという、黒だけのブラックジャックも、浦沢さんの描いたあしたのジョーと並んで展示されていた。

 手塚るみ子氏の「オサムシに伝えて」という本の、清志郎によるあとがき「俺はカブトムシとオサムシの子供なのさ。生き方にまで多大な影響を与えてもらったんだ、云々」がパネルで展示されていた。

 清志郎は子供の頃、本気で漫画家になりたいと考え、手塚治虫の「マンガの描き方」を買って練習したそうだ。白で修正しすぎてうまくできずに諦めたけど、手塚治虫記念館で本人の原画を観たら、白の修正の跡がすごくあって、あれでよかったのか、とやっとわかった、というような本人の言葉が紹介されていた。清志郎がここに来てたのか、と感慨深かった。

 清志郎は、TVブロスでもマンガを描いていたし、マンガを描くのだから、当然手塚マンガを読んでいたと想像できるのに、今まで二人のつながりを考えたことはなかった。でも、清志郎が訴えていた「愛と平和」は、確かに手塚マンガのテーマにつながっていると思う。1階の常設展示では、戦争中の体験を描いた手塚治虫の絵が、いくつもあった。ユーモアの精神もそうだし、反原発の清志郎は、環境問題を訴えていた手塚治虫の系譜なのだ。

 ショップで、ひょうたんつぎとヒトハタウサギがコラボになったハンカチと、清志郎が描いたイラストのキーホルダーを買った。彼がボーカルの「少年マルス」のCDも。いっぱい聴いてるのに、こんなのを歌ってるのは知らなかった。引き出しの多さに驚いて、そしてうれしい。
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2015年01月21日

ショーシャンクの空に

 日曜日、森ノ宮ピロティーホールで、ロンドン版「ショーシャンクの空に」を観た。

 
 ショーシャンクの刑務所に、妻と浮気相手を殺害したというアンディが収容されてきた。元銀行員で物静かな彼に、”調達屋”のレッドは他の者とは違う何かを感じるが、囚人たちが強盗や殺人など自分たちの犯罪を言い立てる中、アンディは自分は本当は無実なのだと主張するのだった。
 
 収監されたばかりのアンディを襲う、看守たちの屈辱的な手荒い扱い。囚人たちは看守たちに銃身で殴られ、首を絞められる。所長の恣意で懲罰房に入れられ、残酷な仕打ちを受ける。そうやって抑圧された囚人たちは、より弱い者を攻撃し、新入者を殴ってレイプする。鉄柵が光るが暗い舞台で繰り返される暴力がやりきれない。 

 だが、そんな暴力と絶望しかない場所で、アンディはかつてと同じ自分であろうとする。石を集めるのが趣味だったといい、映画好きで、妻に似たリタ・ヘイワーズのポスターをレッドに注文し、自分の房の壁に貼る。そしてこの二つが、最後の驚くべきどんでん返しの布石となるのだ。

 屋上掃除の朝、遺産が転がり込んだものの税金が大変だと話す看守に、アンディは知恵を貸す代わりに、囚人みんなにビールを振る舞わせる。青空のもと、何年振りかのビールの味。このあとアンディは、うわさを聞いた所長に裏金の操作と金融の管理を頼まれ、代わりに念願だった図書館の設置を約束され、その管理をして過ごすように。所長との取引で身を守るなか、仲間に嫉妬や不信をぶつけられたりするが、アンディは揺るがない。 

 レッドの語りで、時が3年8年と経っているのが分かるのだが、図書館のための知事への陳情書がどれほど粘り強いものだったか、刑務所内で生きるための位置を得るまでがどれほど遅々とした歩みだったか。

 35年ぶりに仮釈放された老人が哀れだった。刑務所以外で生きることが想像できない彼は、力を振り絞って抵抗するが、無慈悲に追い出されて、ふらふらと去って行く。

 妻と子供を残してやって来たトミー。綴りも満足に書けなかった彼は、アンディに助けられて高校の認定試験に励むように。逃げてばかりの自信のない彼は、アンディに励まされて戦う男に変わっていく。そのトミーが、アンディの事件の真犯人の情報を知らせてくれたのだった。

 アンディの冤罪を晴らす大きな可能性を、所長は握り潰そうとする。自分の秘密を知る者を放免するのは危険だから。そして、真実を話したいと思うトミーに卑劣なキバをむいた。この場面はあまりに辛いものだった。閉じられた施設内で、権力の不正は隠され、人権などはまったくないのか。

 所長は、アンディがトミーに不要な希望を植え付けたといって非難した。彼らが自分の命令に背かないよう、恐れと無力感のなかにいる方が都合よく、人間らしい希望は危険で邪魔なものだったのだ。だが、それこそがトミーを成長させ、アンディを最後まで支え続けた。アンディとレッドの友情も。
 
 いい舞台だったので、映画も観なくては、と思った。
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2015年01月17日

暮れ逢い

 1912年、祖父の代からの鉄鋼業を営む実業家カール・ホフマイスター(アラン・リックマン)は、首席で大学を卒業したという聡明な青年フリドリック・ザイツ(リチャード・マッデン)を雇う。心臓を病むホフマイスターは、フリドリックを重要な補佐とするが、社長の屋敷に出入りするようになった若者は、たちまち社長の若い妻シャーロット(レベッカ・ホール)と惹かれ合うようになる。

 簡単には会えないはずの社長が、自ら新入社員の前に現れ、妻が作るスープの時間や、自分がスープを嫌いなことを話す。初めからカールは、青年と妻の出会いを期待しているかのよう。病身の自分に代わって工場の管理を任せ、報告のために毎日自宅に来させて、あげくに個人秘書として、下宿をわざわざ引き払わせて屋敷に住まわせる。そして、妻と青年を観察しつつ、二人が親しくなっていくのに無関心を装う。彼は、年の離れた妻を愛せない自分の代わりに、フリドリックをあてがったかのようだ。

 シャーロットは、夫から話を聞いた時から、フリドリックに興味をもち、お茶に誘い、息子の家庭教師を頼んで、ピクニックや遊園地に出かける三人は、まるで若い家族のよう。

 貧しい生い立ちから這い上がってきたフリドリックにとって、シャーロットはまばゆかっただろう。彼には下宿の世話をしてくれ自分に夢中の女中アンナがいるが、シャーロットのためにアンナから心は離れる。だが、器量も振る舞いも、画面に映る二人の女性にそれほど違いは感じられなかった。自分に好意をもってくれる上流階級の美しい奥方というのは、彼にとって眩惑の装置だったはずだと思う。

 
 二人は簡単に近づいていくのに、社長の妻と従業員の立場の壁を越えることはできず、ホフマイスターの命令でフリドリックがメキシコに発つことが決まるまで、互いの思いを口にすることさえない。そして告白したのちも、二人は再開する二年後の約束で、恋の成就を引き延ばしたのだ。
 ピアノに残るシャーロットの香り、階段を上りながら見つめるシャーロットのうなじや腕。床に落ちたパズルを拾いながら触れる彼女の足。抑えられた恋情が、画面に匂い立つようなエロスを醸していた。

 だが、帰りを待つ間に第一次世界大戦が起こり、手紙のやり取りさえ途絶えてしまう。二人に横たわる長い時間。工場を軍に接収され、夫も亡くしたシャーロット。環境や立場が変わり、時間が経っても恋は続くのか。恋焦がれて待ち続けたシャーロットと、かの地で仕事と新しい女性を得たフレドリックの再会が切なかった。 
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2015年01月10日

ニューヨークの巴里夫

 単身のニューヨークで、ダメ人生を嘆きながら原稿を打つグザヴィエ(ロマン・デュリス)。妻のウェンディ(ケリー・ライリー)と気まずくなり、別居のあげく、彼女は子供をつれパリからニューヨークに移り住むことに。ケンカの発端は、レズビアンで親友のイザベル(セシル・ドゥ・フランス)の子作りに協力を頼まれて、グザヴィエが精子提供をしたこと。10年間の幸せが突然終わった彼は、傷心を抱え、子供たちに会うためにはるばるやって来たのだった。

 グザヴィエは40歳だが、まだずっと少年のまま冒険を続けているかのよう。まわりの女性たちとの関係も、新しい場所での生活を切り開いていくさまも、すべてがスリリングでみずみずしかった。

 グザヴィエは、パリでは実は小説家で、出版パーティーにファンが詰めかける売れっ子だ。でも、ニューヨークでは、かつかつに暮らす移民の一人。イザベルの部屋に居候をしながら部屋を探し始めたものの、家賃の高さに困り、イザベルのパートナーのジュー(サンドリーヌ・ホルト)に、チャイナタウンにある彼女の部屋を借りることに。公園で知り合ったパパ友の紹介で、自転車便のライダーのアルバイトで稼ぐ。そして、グリーンカードの取得のために、弁護士に勧められ、中国人女性と偽装結婚することになり、審査官の前でハラハラの問答に耐える。たえず忙しいグザヴィエだが、いつもひょうひょうと、目の前に来たきっかけに自然に乗って、流されるように進んでいく。そして、パリでもニューヨークでも、素朴で無頓着でラフな感じは変わらない。

 彼をめぐる女性たちも、みんな生き生きしている。ウェンディは、グザヴィエと別れると、すばやい判断で体格のいい紳士をゲット。バリバリ肉食系のイザベルは、子守の女の子に惹かれていきなりキス。ジューを愛しながらも女の子との関係を続ける。グザヴィエの昔の彼女だったマルティーヌ(オドレイ・トトゥ)は、子連れになっていて、再会したグザヴィエに愛を迫る。そして、偽装結婚の相手ナンシーは、機転をきかせて何度も危機を救ってくれる。
 グザヴィエは、そんな彼女たちに振り回され、時に気難しいオーラを見せながら、新しい人生を模索していく。そして、とにかく、彼らのみんなが恋していて、恋愛が中心に人生がまわっている。仕事は人生の背景で、誰かを愛し、愛されることが何より重要。確かにそれは人生の真実だろう。だから、グザヴィエが愛を見つけて通りを歩く場面は、まばゆく輝いて美しい。

 いつも彼らのそばにいる子供たち。グザヴィエの子供たちは、両親の家を交互に行き来。驚くことに、偽装結婚の式にもちゃんと出席。自分の父親が、レズビアンのカップルの子供の父であることも知っている。いろんな形の家族のなかで、複雑な事情をものともせずに、きちんと愛情を注がれる彼らは、心広く賢い大人に育つだろう。そして、自由に恋する大人になるのだ。
 グザヴィエがウェンディと子供の教育で対立したのは、ウェンディが制服のある学校を選んだから。型にはめるのは最悪なのだ。日本とは本当に違うよなあと思った。
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2014年12月27日

毛皮のヴィーナス

 誰もが帰ってしまって空になった「毛皮のヴィーナス」のオーディション会場。35人もの女優に会ったものの失望してクタクタになった脚本家トマ・ノヴァチェク(マチュー・アマルリック)の前に、舞台の主人公と同じワンダと名乗る女(エマニュエル・セニエ)が現れる。彼女は大幅な遅刻を棚に上げ、本当かどうかわからない売り込みや、泣き落としでオーディションを懇願し、トマはとうとう、いやいや彼女の芝居に付き合うことに。ところが、主人公になったワンダは、思わぬ才能を見せるのだった。

 勘違いなSMファッションを着て、下品な物言いをし、教養のかけらもなさそうなワンダは、セリフを口にしたとたん、雰囲気も声の感じも変わって、優雅な貴婦人に。セリフは完璧に暗記していて、照明までお手の物。質問の形でトマの解釈を刺激し、重要な場面を付け加えることに協力したりもする。トマの最初の驚きは、すぐに彼女への眩惑に変わっていく。

 ワンダそのものになっている女は、時々現実の女に戻っては、すぐにまた劇中の人になる。それに振り回されるトマは、そのたびに、より深く彼女に籠絡されていく。トマは相手役のクシュムスキーを演じるが、12歳の時に叔母から受けた仕打ちを語る彼は、演技の上手さからか、それが実はトマ自身の話なのでは、と疑ってしまう。ワンダが役と現実を行き来するように、トマ自身も、役と現実の彼との境界があいまいになっていくのだ。

 そして、トマが実はクシュムスキーだということを、ワンダは鋭く見抜いて見せる。彼のフィアンセが、社会的な階級の高い、知的で、穏やかなセックスを愛する女性だということも。彼女を大切に思いながら、トマが別の欲望を隠しているはず、と迫るのだ。

 ワンダの言葉にトマが怒り、二人の力関係は議論が熱を帯びるごとに微妙に反転を繰り返すが、それさえワンダの仕掛けに見える。そして、初めから明白であったように、彼女はトマに対し、圧倒的な力を発揮するようになっていく。そして、次第に劇が現実を飲み込んで、初めはフリだった暴力が、現実の暴力となってトマを襲う。そしてその結末は、トマには思いもかけないものだった。

 素になったワンダが一貫して主張していたのは、戯曲の内容が、女性差別だということ。服従していると見せる男が実は女を支配し、自分のために女に悪事をさせる。隠された女性嫌悪。だが、それならなぜ、彼女は気に入らない芝居に出たいと思ったのだろう。それとも、彼女は最初から復讐をたくらんでいたのだろうか。そもそもワンダは一体何者なのか。
 映画の冒頭、車道から劇場にカメラが移動し、開いた扉に中に入っていく。ラストはその逆だが、どちらも移動したはずの人物は映っていない。まるで魔物が入って行って獲物を凌辱したあと、出て行ったかのようだ。
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2014年12月07日

ナンネル・モーツァルト

 貴族や王侯に招かれて、ヨーロッパの都市から都市へ、演奏旅行を続けるモーツァルト一家。天才と謳われる11歳のヴォルフガングには、同じく才能にあふれた14歳の姉ナンネルがいた。ある日、馬車の軸が折れて立ち往生した一家は、近くの修道院に泊めてもらうが、そこには、枢機卿の思惑によって幽閉された、三人の王女たちがいて、ナンネルは王女のルイーズと仲良しに。兄の王太子の音楽教師ユーグに思いを寄せるルイーズは、パリに行った時にユーグに届けるよう、ナンネルに手紙を託すのだった。

 父は、人々をより驚かすために、子供たちの年齢をより幼く言って、彼らの才能を引き立てようとしていた。ところが、父の関心は弟だけに集中し、ナンネルの才能は、ただ一家のかせぎのため利用しているだけのよう。ナンネルの楽譜帳に平気でヴォルフガングの成長だけを記録し、作曲の勉強も、ヴォルフガングだけにしか施さない。実は弟の最初の曲は自分が作った、と告白しても、父はそれに対する驚きを打ち消すために、ナンネルがそれ以降に作った曲を突然酷評し始める。
 父の非情は、女性には難しい作曲の理論は理解できないはずだという、固い信念から。そのためにそれに反する事実には目を閉じ、ナンネルに作曲を禁じ、彼女の浮ついた希望を消してやらねばならないとさえ思っている。女性の能力が低いという誤った信念が、まるで信仰のように人々の心を支配していたことに、あきれ驚いた。

 小さい体で見事な演奏をするものの、弟は自分だけの特権や姉の苦境を当然と思い、無神経でおバカな、ただのいたずら坊主。繊細で賢いナンネルが、才能を封じられて歴史に埋もれていったことが、ただただ残念で悲しい。

 ナンネルは、ルイーズの手紙をユーグに渡した時に、王太子と出会う。音楽を愛し、王妃を失くしたばかりの孤独な王太子は、初め男装のナンネルを女性と知らずに好意を持ち、次には女性としてのナンネルにも惹かれる。自分のために作曲するよう頼み、彼女の曲はオーケストラで演奏された。おそらく彼女が男だったら、王太子の庇護を受けて、名声を欲しいままにできたろう。だが、父王の放埓な女性関係を嫌悪していた王太子は、再婚が決まるとナンネルを遠ざけ、誘惑に負けそうになると逆上し、楽譜とともに彼女を宮殿から追い出した。

 お互いにただ一人の友人だったルイーズとナンネル。二人は離れたのちも手紙でつながっていたが、ルイーズは突然出家してしまう。気が強く、扱いにくい少女だったルイーズが、神に仕え、すべて父の命に従おうと決め、金網ごしに最後の分かれを告げる場面は衝撃だった。それぞれ政治と音楽で名をなしたはずの二人が、自分を殺して生きざるを得なかったのだ。同じような運命に飲まれた女性が、きっと大勢いただろうと思う。
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2014年11月25日

天才スピヴェット

 科学者を目指す10歳のT.Sスピヴェット(カイル・キャトレット)。モンタナ州のパイオニア山地の谷間にある牧場で、西部開拓時代のカーボーイのような父(カラム・キース・レニー)と、昆虫博士で虫の研究に没頭する母(ヘレナ・ボナム=カーター)、アイドル志望の姉(ニーアム・ウィルソン)、二卵性双生児の弟と暮らしていた。ところが、両親が溺愛していた弟が銃の事故で死んでしまい、孤独な彼のもとに、スミソニアン博物館からベアード賞受賞の電話がかかってきて、彼は家族に内緒でたった一人、ワシントンを目指して旅に出た。

 家族は誰もが強烈な個性の持ち主。なのに、スピヴェットだけが変わり者扱いで、両親の愛情は弟レイトンに集中。博物館から電話があっても、母はすぐに取り継がないし、相手が誰なのかにも興味を示さない。父だって、スピヴェットがせっかく地下水路の正確な模型を作ったって、見向きもしない。
 学校では、多分スピヴェットのずば抜けた頭脳に対するひがみ根性からだろうけど、教師が宿題に難癖をつけて激しく非難。クラスのみんなからも、変わり者を見る目を注がれて孤立する。

 だが、スピヴェットはひがんだりイジケたりしていない。レイトンとは大の仲良しだったし、親や姉に対しても、風変わりさを観察しつつ、彼らの態度を静かに受け入れている。教師には、ムダと分かりつつもきっちり反論。小さな体で、精一杯天才の孤高を守っているのだ。その繊細さ、公正さ。だが、抱えるさみしさは紛れもなくて、切なかった。

 列車で首都を目指す旅は冒険がいっぱい。乗り込む時も、途中停車の時も、いざ着いた時も、車掌や警官らに見つかって追いかけられる。そのたびに知恵を絞り、勇気を振り立てて見事に突破。母に禁じられてきたホットドッグを食べたり、昔話を聞かせてくれる男に出会ったりするが、長旅のなかでもやっぱり孤独は変わらない。

 列車から見える風景は、きらきらと夢のように美しい。その中に時々、そうであったらいいなと思う、スピヴェットの想像が混じって映る。彼を心配して騒ぐ家族。画面は彼の想像なんだけど、実は現実で、両親たちはスピヴェットのいる所へやって来る。
 
 弟の死に責任があると思って苦しんでいたスピヴェット。一方、両親もレイトンの死から立ち直っていず、彼らのスピヴェットへの無関心は、それも手伝っていたのだろう。スピヴェットの思いに気付く両親と、両親の気持ちへの自分の思い込みに気付くスピヴェット。これは家族の再生の物語なのだろう。
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2014年11月12日

マダム・マロニーと魔法のスパイス

 暴動で店を焼かれ、新天地を求めてインドからヨーロッパに渡って来たカダム一家。フランスの田舎道で自動車が故障し、親切に泊めてくれた女性宅で出された食材のおいしさに魅せられた父(オム・プリ)は、店にぴったりの空き家を見つけると、そこでレストランを開くと宣言する。ところが、わずか30メートル先の真向かいには、ミシュランの1つ星を獲得している、マダム・マロニー(ヘレン・ミレン)が経営するレストラン「ル・ソール・プリョルール」が建っていた。

 大反対した息子たちの予想を裏切り、派手な音楽やインド式の客寄せで、「メゾン・ムンバイ」は繁盛していく。だが、キンキラキンの外観や大音響や強烈なスパイス香は、マロニーの反感を買い、両者は激しく対立していく。互いのメニューを探り合って、メインの食材を買いさらえて困らせたり、市長に苦情を言い立てたり。まるで文化を背負った合戦のよう。

 そんな中、カダム家の次男ハッサン(マニッシュ・ダヤル)と、マロニーの店の副シェフのマルグリット(シャルロット・ルボン)は、ひそかに心を通わせる。対立する集団の一員同士のふたりは、まるでロミオとジュリエット。だが、彼らは対立に飲み込まれることなく交流の種をまく。マルグリットはハッサンにフランス料理の本を渡し、ハッサンはその奥深さに目覚めていくのだ。

 エスカレートしていってもコミカルに見えた両者の対立。だが、マロニーの店のシェフが放火に至ると、競争心だけでない、移民への強い反感が浮かび上がる。突然現れた商売仇でも、それがフランス人の店なら、こんなことはしなかっただろう。
 この時、マロニーの決断が破滅に向かう関係を救う。シェフを解雇し、ヘイトスピーチのような落書きを自ら消したのだ。ここから、マロニーとカダム家の父は少しずつ和解に向かっていく。

 母親譲りの料理の才能をもつハッサン。彼の才能の大きさに気付いたマロニーは、フランス料理を学びたい彼の気持ちに応えてハッサンを自分の店に雇い入れる。ここからの展開は意外で、目まぐるしくて魅惑的。
 同僚となったマルグリットは、なぜかよそよそしくなる。マロニーは、ミシュランの星を上げるためにハッサンの才能が必要だった。だが、二人とも、ハッサンが自分たちの店から旅立っていくことを予感していたのだろう。おそらくマルグリットのよそよそしさはそのため。そして、フランス中から注目されたハッサンは、パリで活躍することに。

 ハッサンのサクセスストーリーの始まりを観ながら、ここが一応ハッピーエンドなのかな、と一瞬思った。だが、物語はもっと温かいラストに向かって進んでいく。思えば、よく自動車がフランスで故障してくれたものだ。

 マロニーとハッサンの父の言葉の応酬がおもしろいし、店の星が2つになった時のマロニーの喜び方が素敵。心の機微を豊かに描いていて、人々が魅力的だった。料理もおいしそうだったけど、フランス南西部の緑濃い風景がすごく美しかった。とにかく、幸せな気持ちになる素敵な映画だった。 
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2014年11月09日

デザート・フラワー

 一昨日、ふらっと寝屋川で「デザート・フラワー」を観た。
 
 ロンドンの街をさまよっていたワリスは、デパートでの万引きを店員のマリリンに見つかるが、見逃してくれた彼女にトイレで再び会うと、彼女の後をしつこく追って、マリリンが暮らす安宿に泊めてもらうことに。マリリンの紹介でバーガー店で働くことになっても住む所のないワリスは、そのままマリリンと同居を続けるが、ある夜、酔った勢いで男とセックスしたマリリンをとがめたワリスは、彼女の体が自分とは違うことを知って驚く。ワリスは幼い頃割礼を受けていたのだった。

 ワリスがもといたのは、ソマリアの砂漠。まだ幼いというのに年寄りの4番めの妻になると決められ、結婚式の前夜にテントを抜け出したのだった。そこからロンドンまでの長く危険な道程。砂漠を裸足で駆け、トラックの運転手の暴力を逃れ、祖母の家に着いても家に送り返されそうになるも、大使館員のつてのおかげで飛行機に乗れる。だが、ソマリアに政変が起こると全員に帰郷命令が出て、故郷に戻りたくないワリスは、職場を抜け出したのだった。ロンドンでに来て6年も経っていたというのに、人と接しない清掃の仕事だったため、ほとんど英語が話せない状態だった。

 ワリスが無事にロンドンまでたどり着いたのは奇跡のよう。幸運はそれにとどまらず、たまたま店に来た著名な写真家が彼女に目を留め、ファッションモデルとして注目されていく。だが、そこでもいくつもの障害が立ちはだかる。ビザが取れなかったり、不法滞在を疑われたり、果ては拘束されたり。ショーの舞台に立つまでも試練の連続だ。だが、ここでも、偽装結婚に協力してくれる男とか、巨額のビジネスのために彼女を守るプロデューサーとか、いろんな人たちの救いの手が差し伸べられる。

 ワリスは英語を覚え、モデルウォークを身に着けて、モデルとして輝いていくが、彼女が何より学んだのは、女性としての自分に誇りをもって愛することだった。そして、そうなるまでも、辛い試練。性器縫合を治す手術を勧めた医者が、ワリスのためにソマリア出身の看護師を通訳に立てるが、その男が医者の言葉を訳すフリをして、部族の伝統とか家族の恥じとかを高圧的に説いてワリスを苦しめる場面は衝撃だった。

 世界的に有名になったワリスについて、運命を変えた出来事として写真家との出会いが注目される。だが、彼女のなかでは、3歳のときに受けた割礼が、何より運命の出来事だった。過去をたどる映像の中でも、この場面が、最も衝撃的で正視に耐えない辛い場面だった。
 母に抱かれて甘える小さい女の子が、恐ろしいことをされる。クリトリスばかりか大陰唇も小陰唇も切除し、縫合。結婚初夜に、男がナイフで裂いて無理やり押し入るまでそのまま。割礼を受けない女は村を追われ、娼婦としてしか扱われない。そのため、母親はかわいい我が子を受難にさらすのだ。だが、麻酔も十分な消毒も薬もないなかで行われる蛮行で、多くの少女が命を落とす。ワリスは姉妹を失くしている。生き延びた彼女は幸運だったのだ。
 国連でのワリスの証言が反響を呼んで禁止が広がったが、今も一日に6千人の少女が受けさせられているという。胸がふさがる思いがする。
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