2014年12月27日

毛皮のヴィーナス

 誰もが帰ってしまって空になった「毛皮のヴィーナス」のオーディション会場。35人もの女優に会ったものの失望してクタクタになった脚本家トマ・ノヴァチェク(マチュー・アマルリック)の前に、舞台の主人公と同じワンダと名乗る女(エマニュエル・セニエ)が現れる。彼女は大幅な遅刻を棚に上げ、本当かどうかわからない売り込みや、泣き落としでオーディションを懇願し、トマはとうとう、いやいや彼女の芝居に付き合うことに。ところが、主人公になったワンダは、思わぬ才能を見せるのだった。

 勘違いなSMファッションを着て、下品な物言いをし、教養のかけらもなさそうなワンダは、セリフを口にしたとたん、雰囲気も声の感じも変わって、優雅な貴婦人に。セリフは完璧に暗記していて、照明までお手の物。質問の形でトマの解釈を刺激し、重要な場面を付け加えることに協力したりもする。トマの最初の驚きは、すぐに彼女への眩惑に変わっていく。

 ワンダそのものになっている女は、時々現実の女に戻っては、すぐにまた劇中の人になる。それに振り回されるトマは、そのたびに、より深く彼女に籠絡されていく。トマは相手役のクシュムスキーを演じるが、12歳の時に叔母から受けた仕打ちを語る彼は、演技の上手さからか、それが実はトマ自身の話なのでは、と疑ってしまう。ワンダが役と現実を行き来するように、トマ自身も、役と現実の彼との境界があいまいになっていくのだ。

 そして、トマが実はクシュムスキーだということを、ワンダは鋭く見抜いて見せる。彼のフィアンセが、社会的な階級の高い、知的で、穏やかなセックスを愛する女性だということも。彼女を大切に思いながら、トマが別の欲望を隠しているはず、と迫るのだ。

 ワンダの言葉にトマが怒り、二人の力関係は議論が熱を帯びるごとに微妙に反転を繰り返すが、それさえワンダの仕掛けに見える。そして、初めから明白であったように、彼女はトマに対し、圧倒的な力を発揮するようになっていく。そして、次第に劇が現実を飲み込んで、初めはフリだった暴力が、現実の暴力となってトマを襲う。そしてその結末は、トマには思いもかけないものだった。

 素になったワンダが一貫して主張していたのは、戯曲の内容が、女性差別だということ。服従していると見せる男が実は女を支配し、自分のために女に悪事をさせる。隠された女性嫌悪。だが、それならなぜ、彼女は気に入らない芝居に出たいと思ったのだろう。それとも、彼女は最初から復讐をたくらんでいたのだろうか。そもそもワンダは一体何者なのか。
 映画の冒頭、車道から劇場にカメラが移動し、開いた扉に中に入っていく。ラストはその逆だが、どちらも移動したはずの人物は映っていない。まるで魔物が入って行って獲物を凌辱したあと、出て行ったかのようだ。
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2014年12月07日

ナンネル・モーツァルト

 貴族や王侯に招かれて、ヨーロッパの都市から都市へ、演奏旅行を続けるモーツァルト一家。天才と謳われる11歳のヴォルフガングには、同じく才能にあふれた14歳の姉ナンネルがいた。ある日、馬車の軸が折れて立ち往生した一家は、近くの修道院に泊めてもらうが、そこには、枢機卿の思惑によって幽閉された、三人の王女たちがいて、ナンネルは王女のルイーズと仲良しに。兄の王太子の音楽教師ユーグに思いを寄せるルイーズは、パリに行った時にユーグに届けるよう、ナンネルに手紙を託すのだった。

 父は、人々をより驚かすために、子供たちの年齢をより幼く言って、彼らの才能を引き立てようとしていた。ところが、父の関心は弟だけに集中し、ナンネルの才能は、ただ一家のかせぎのため利用しているだけのよう。ナンネルの楽譜帳に平気でヴォルフガングの成長だけを記録し、作曲の勉強も、ヴォルフガングだけにしか施さない。実は弟の最初の曲は自分が作った、と告白しても、父はそれに対する驚きを打ち消すために、ナンネルがそれ以降に作った曲を突然酷評し始める。
 父の非情は、女性には難しい作曲の理論は理解できないはずだという、固い信念から。そのためにそれに反する事実には目を閉じ、ナンネルに作曲を禁じ、彼女の浮ついた希望を消してやらねばならないとさえ思っている。女性の能力が低いという誤った信念が、まるで信仰のように人々の心を支配していたことに、あきれ驚いた。

 小さい体で見事な演奏をするものの、弟は自分だけの特権や姉の苦境を当然と思い、無神経でおバカな、ただのいたずら坊主。繊細で賢いナンネルが、才能を封じられて歴史に埋もれていったことが、ただただ残念で悲しい。

 ナンネルは、ルイーズの手紙をユーグに渡した時に、王太子と出会う。音楽を愛し、王妃を失くしたばかりの孤独な王太子は、初め男装のナンネルを女性と知らずに好意を持ち、次には女性としてのナンネルにも惹かれる。自分のために作曲するよう頼み、彼女の曲はオーケストラで演奏された。おそらく彼女が男だったら、王太子の庇護を受けて、名声を欲しいままにできたろう。だが、父王の放埓な女性関係を嫌悪していた王太子は、再婚が決まるとナンネルを遠ざけ、誘惑に負けそうになると逆上し、楽譜とともに彼女を宮殿から追い出した。

 お互いにただ一人の友人だったルイーズとナンネル。二人は離れたのちも手紙でつながっていたが、ルイーズは突然出家してしまう。気が強く、扱いにくい少女だったルイーズが、神に仕え、すべて父の命に従おうと決め、金網ごしに最後の分かれを告げる場面は衝撃だった。それぞれ政治と音楽で名をなしたはずの二人が、自分を殺して生きざるを得なかったのだ。同じような運命に飲まれた女性が、きっと大勢いただろうと思う。
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2014年11月25日

天才スピヴェット

 科学者を目指す10歳のT.Sスピヴェット(カイル・キャトレット)。モンタナ州のパイオニア山地の谷間にある牧場で、西部開拓時代のカーボーイのような父(カラム・キース・レニー)と、昆虫博士で虫の研究に没頭する母(ヘレナ・ボナム=カーター)、アイドル志望の姉(ニーアム・ウィルソン)、二卵性双生児の弟と暮らしていた。ところが、両親が溺愛していた弟が銃の事故で死んでしまい、孤独な彼のもとに、スミソニアン博物館からベアード賞受賞の電話がかかってきて、彼は家族に内緒でたった一人、ワシントンを目指して旅に出た。

 家族は誰もが強烈な個性の持ち主。なのに、スピヴェットだけが変わり者扱いで、両親の愛情は弟レイトンに集中。博物館から電話があっても、母はすぐに取り継がないし、相手が誰なのかにも興味を示さない。父だって、スピヴェットがせっかく地下水路の正確な模型を作ったって、見向きもしない。
 学校では、多分スピヴェットのずば抜けた頭脳に対するひがみ根性からだろうけど、教師が宿題に難癖をつけて激しく非難。クラスのみんなからも、変わり者を見る目を注がれて孤立する。

 だが、スピヴェットはひがんだりイジケたりしていない。レイトンとは大の仲良しだったし、親や姉に対しても、風変わりさを観察しつつ、彼らの態度を静かに受け入れている。教師には、ムダと分かりつつもきっちり反論。小さな体で、精一杯天才の孤高を守っているのだ。その繊細さ、公正さ。だが、抱えるさみしさは紛れもなくて、切なかった。

 列車で首都を目指す旅は冒険がいっぱい。乗り込む時も、途中停車の時も、いざ着いた時も、車掌や警官らに見つかって追いかけられる。そのたびに知恵を絞り、勇気を振り立てて見事に突破。母に禁じられてきたホットドッグを食べたり、昔話を聞かせてくれる男に出会ったりするが、長旅のなかでもやっぱり孤独は変わらない。

 列車から見える風景は、きらきらと夢のように美しい。その中に時々、そうであったらいいなと思う、スピヴェットの想像が混じって映る。彼を心配して騒ぐ家族。画面は彼の想像なんだけど、実は現実で、両親たちはスピヴェットのいる所へやって来る。
 
 弟の死に責任があると思って苦しんでいたスピヴェット。一方、両親もレイトンの死から立ち直っていず、彼らのスピヴェットへの無関心は、それも手伝っていたのだろう。スピヴェットの思いに気付く両親と、両親の気持ちへの自分の思い込みに気付くスピヴェット。これは家族の再生の物語なのだろう。
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2014年11月12日

マダム・マロニーと魔法のスパイス

 暴動で店を焼かれ、新天地を求めてインドからヨーロッパに渡って来たカダム一家。フランスの田舎道で自動車が故障し、親切に泊めてくれた女性宅で出された食材のおいしさに魅せられた父(オム・プリ)は、店にぴったりの空き家を見つけると、そこでレストランを開くと宣言する。ところが、わずか30メートル先の真向かいには、ミシュランの1つ星を獲得している、マダム・マロニー(ヘレン・ミレン)が経営するレストラン「ル・ソール・プリョルール」が建っていた。

 大反対した息子たちの予想を裏切り、派手な音楽やインド式の客寄せで、「メゾン・ムンバイ」は繁盛していく。だが、キンキラキンの外観や大音響や強烈なスパイス香は、マロニーの反感を買い、両者は激しく対立していく。互いのメニューを探り合って、メインの食材を買いさらえて困らせたり、市長に苦情を言い立てたり。まるで文化を背負った合戦のよう。

 そんな中、カダム家の次男ハッサン(マニッシュ・ダヤル)と、マロニーの店の副シェフのマルグリット(シャルロット・ルボン)は、ひそかに心を通わせる。対立する集団の一員同士のふたりは、まるでロミオとジュリエット。だが、彼らは対立に飲み込まれることなく交流の種をまく。マルグリットはハッサンにフランス料理の本を渡し、ハッサンはその奥深さに目覚めていくのだ。

 エスカレートしていってもコミカルに見えた両者の対立。だが、マロニーの店のシェフが放火に至ると、競争心だけでない、移民への強い反感が浮かび上がる。突然現れた商売仇でも、それがフランス人の店なら、こんなことはしなかっただろう。
 この時、マロニーの決断が破滅に向かう関係を救う。シェフを解雇し、ヘイトスピーチのような落書きを自ら消したのだ。ここから、マロニーとカダム家の父は少しずつ和解に向かっていく。

 母親譲りの料理の才能をもつハッサン。彼の才能の大きさに気付いたマロニーは、フランス料理を学びたい彼の気持ちに応えてハッサンを自分の店に雇い入れる。ここからの展開は意外で、目まぐるしくて魅惑的。
 同僚となったマルグリットは、なぜかよそよそしくなる。マロニーは、ミシュランの星を上げるためにハッサンの才能が必要だった。だが、二人とも、ハッサンが自分たちの店から旅立っていくことを予感していたのだろう。おそらくマルグリットのよそよそしさはそのため。そして、フランス中から注目されたハッサンは、パリで活躍することに。

 ハッサンのサクセスストーリーの始まりを観ながら、ここが一応ハッピーエンドなのかな、と一瞬思った。だが、物語はもっと温かいラストに向かって進んでいく。思えば、よく自動車がフランスで故障してくれたものだ。

 マロニーとハッサンの父の言葉の応酬がおもしろいし、店の星が2つになった時のマロニーの喜び方が素敵。心の機微を豊かに描いていて、人々が魅力的だった。料理もおいしそうだったけど、フランス南西部の緑濃い風景がすごく美しかった。とにかく、幸せな気持ちになる素敵な映画だった。 
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2014年11月09日

デザート・フラワー

 一昨日、ふらっと寝屋川で「デザート・フラワー」を観た。
 
 ロンドンの街をさまよっていたワリスは、デパートでの万引きを店員のマリリンに見つかるが、見逃してくれた彼女にトイレで再び会うと、彼女の後をしつこく追って、マリリンが暮らす安宿に泊めてもらうことに。マリリンの紹介でバーガー店で働くことになっても住む所のないワリスは、そのままマリリンと同居を続けるが、ある夜、酔った勢いで男とセックスしたマリリンをとがめたワリスは、彼女の体が自分とは違うことを知って驚く。ワリスは幼い頃割礼を受けていたのだった。

 ワリスがもといたのは、ソマリアの砂漠。まだ幼いというのに年寄りの4番めの妻になると決められ、結婚式の前夜にテントを抜け出したのだった。そこからロンドンまでの長く危険な道程。砂漠を裸足で駆け、トラックの運転手の暴力を逃れ、祖母の家に着いても家に送り返されそうになるも、大使館員のつてのおかげで飛行機に乗れる。だが、ソマリアに政変が起こると全員に帰郷命令が出て、故郷に戻りたくないワリスは、職場を抜け出したのだった。ロンドンでに来て6年も経っていたというのに、人と接しない清掃の仕事だったため、ほとんど英語が話せない状態だった。

 ワリスが無事にロンドンまでたどり着いたのは奇跡のよう。幸運はそれにとどまらず、たまたま店に来た著名な写真家が彼女に目を留め、ファッションモデルとして注目されていく。だが、そこでもいくつもの障害が立ちはだかる。ビザが取れなかったり、不法滞在を疑われたり、果ては拘束されたり。ショーの舞台に立つまでも試練の連続だ。だが、ここでも、偽装結婚に協力してくれる男とか、巨額のビジネスのために彼女を守るプロデューサーとか、いろんな人たちの救いの手が差し伸べられる。

 ワリスは英語を覚え、モデルウォークを身に着けて、モデルとして輝いていくが、彼女が何より学んだのは、女性としての自分に誇りをもって愛することだった。そして、そうなるまでも、辛い試練。性器縫合を治す手術を勧めた医者が、ワリスのためにソマリア出身の看護師を通訳に立てるが、その男が医者の言葉を訳すフリをして、部族の伝統とか家族の恥じとかを高圧的に説いてワリスを苦しめる場面は衝撃だった。

 世界的に有名になったワリスについて、運命を変えた出来事として写真家との出会いが注目される。だが、彼女のなかでは、3歳のときに受けた割礼が、何より運命の出来事だった。過去をたどる映像の中でも、この場面が、最も衝撃的で正視に耐えない辛い場面だった。
 母に抱かれて甘える小さい女の子が、恐ろしいことをされる。クリトリスばかりか大陰唇も小陰唇も切除し、縫合。結婚初夜に、男がナイフで裂いて無理やり押し入るまでそのまま。割礼を受けない女は村を追われ、娼婦としてしか扱われない。そのため、母親はかわいい我が子を受難にさらすのだ。だが、麻酔も十分な消毒も薬もないなかで行われる蛮行で、多くの少女が命を落とす。ワリスは姉妹を失くしている。生き延びた彼女は幸運だったのだ。
 国連でのワリスの証言が反響を呼んで禁止が広がったが、今も一日に6千人の少女が受けさせられているという。胸がふさがる思いがする。
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2014年10月25日

リスボンに誘われて

 スイスのベルンに住む初老の高校教師ライムント・グレゴリウスは、通勤途中に橋から身投げしようとしていた若い女性を助けるが、学校までついて来た彼女は姿を消し、後を追ったライムントは、彼女が残したコートの中に、ポルトガル語の本と、リスボン行の切符を見つける。駅で女性を探すもかなわなかった彼は、出発間際の列車に思わず飛び乗ってしまった。

 「言葉の金細工師」というタイトルの本。人生に対する深い思索と熱情にあふれる言葉の数々に引き込まれたライムントは、著者であるアマデウ・デ・プラドの家を探して妹のアドリアーナに会うが、兄は留守だという彼女の言葉と違って、アマデウはすでに死んでいた。

 アマデウの言葉の「人生を導くのは偶然だ」のとおり、ライムントは偶然に導かれる。道で自転車にぶつかって眼科に行くが、女医の叔父ジョアンがアマデウと知り合いだった。ジョアンを施設に尋ねたライムントは、そこから、アマデウの教師だった牧師や、アマデウの親友だったジョルジュらに会い、アマデウが生きた青春を知っていく。

 ポルトガルが、1974年までの半世紀、軍事独裁政権による圧制のもとにあったとは知らなかった。ライムントが尋ねた者たちは、かつての時代を経験した者、元反体制派の活動家たちだった。
 秘密警察による拷問で、ジョアンの手はつぶれている。過去のフラッシュバックの映像は凄惨だ。そして誰もが口重く、過去を語りたがらない。

 医者だったアマデウ。民衆の暴行でひん死になった秘密警察のメンデスを助けるが、そのために彼は人々から孤立した。その後彼はレジスタンスに参加するが、親友ジョルジュの恋人だったエステファニアと惹かれあい、友情が壊れてしまう。エステファニアは、活動家すべての名簿を記憶していた。嫉妬に狂ったジョルジュは、彼女から秘密が漏れるのをふせぐことを口実に、彼女を殺そうと考えた。一方、助かったメンデスは、エステファニアの居場所を知ろうと、ジョアンを拷問する。

 ジョアンは「家族さえも信用できない時代だった」という。密告社会の中で加えられるすさまじい弾圧。時代の苛烈な状況と、若い彼らの恋や友情をめぐる裏切りや確執が、散り散りになった彼らのなかで、何重もの暗い影となっているのだ。

 だが、彼らの誰も、仲間の名を言ったり、仲間を殺したりはしなかった。ライムントは、若い彼らの熱情と激しい生き方に打たれるが、それは、彼らが深く傷つきながらも、結局正しく生きたからだと思う。 
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2014年10月19日

不機嫌なママにメルシィ!

 楽屋でおしろいを少し落としたギヨーム・ガリエンヌが舞台に出てきて、自分の人生を語り始めると、たちまち場面は映画の中にワープ。すると、同じ映像が場面や時間を超えたり、ゴージャスな想像世界がちんけな現実に変わったり。カラフルでシュールな世界展開していく。

 いつもママのマネをしていたギヨームは、自分を女の子だと思っていた。スペイン語を話すママに憧れて留学するも、女の踊るフラメンコを教えられて笑われる。母は自分のことを分かっていてくれるけど、男らしさにこだわる父は、彼を寄宿舎に入れて鍛えようとする。オカマといわれてイジメの毎日。両親に訴えて転校した先は、イギリス。クリケットもボートに苦戦するなか親切なジェレミーに恋するが、見事に失恋。
 ママに相談したギヨームは、彼女が自分のことをゲイだと思っていると知ってショックを受ける。そこからは、セラピーを受けたり、徴兵検査に行ったり、ゲイバーに通ったり。

 おとぼけ顔でぽっちゃりのギヨーム。女の子であることを疑わず、ママがそれを喜んでくれていると信じる彼に降りかかる、試練に継ぐ試練は、本人にとっては笑いごとではないはずだけど、コメディーだからおかしくて、吹き出してばかりだった。

 劇中何度も、ギヨームが自問しようがしまいが、突然ママが現れる。ギヨームはママがエレガントで美しいと言っているが、優しさと不機嫌の両極端しかない彼女は、たえず高圧的で不遜な感じ。優しさは来客に向かってしか見せないし。ギヨームに対して放つ言葉は冷たく、いつも彼に距離を取って見下している。
 女の子がほしかった彼女は、息子たちを「男の子たちとギヨーム」と呼び、ギヨームだけを別扱いしていた。それは彼女の勝手な欲望。でもギヨームは、そのゆがんだ扱いを特別なプレゼントのように感じ、彼女の思いに応えることに喜びを感じていたのだ。だが、一方のママは、自分のせいでギヨームの人生を混乱されておきながら、彼をゲイだと思っているのだ。

 どんなに描き方がおもしろくても、これは実はかなり深刻な話のはず。でも、ギヨームの母への思いは、皮肉やゆがんだものでもなく、本物の愛と感謝にあふれているように見える。それに、さんざんな目に遭っているのに、ギヨームがタフで冷静にさえ見えるのは、彼が自分探しでたえず動きまわり、不器用にも前進し続けようとするからだろう。それに、何といっても、今や彼は舞台人として大成功した人物。現在から見ると、過去は何でも許せるのかもしれない。母を称賛し、彼女をくまなく観察してきた彼は、女性の気持ちが分かり、周囲を観る眼も鍛えてきたのだろう。こういう育ちで、こういう風に才能を開く人生もあるのか、と思った。
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2014年10月18日

ウィークエンドはパリで

 結婚記念日を新婚旅行の地で祝おうと、バーミンガムからパリにやって来た、ニック・バウロウズ(ジム・ブロードベント)とメグ(リンゼイ・ダンカン)の老夫婦。だが、ユーロスターの中でも、読書するメグの横で時間を持て余すニックは、一人で食堂車に向かう。パリに着いても、夫と妻はかみ合わず、ニックが予約したホテルのみじめさに怒ったメグは、タクシーを飛ばして高級ホテルに行くも空きがなく、勢いでロイヤル・スイートに泊まることに。

 心配性のニックは活発な妻の行動をとがめつつ、結局しぶしぶついて行く。妻には、夫の発想も判断もいいところがなくて、楽しみたいと思っているせっかくの旅行も、夢がなくて台無しだ。ジャブのように繰り出す辛辣な言葉がアルアルな感じ。観光中に携帯に出る夫にいらつく、へんに神経質な感じもアルアルだ。

 二人はもう10年もセックスレス。素敵な窓から空が映り、妻の荒い息が聞こえて、ついに仲直りかと思いきや、それはサクレクール寺院への階段を登っているから。ランチを食べながら、ニックは大学を解雇されたことを告白する。メグは新しい生活を始めたいと思っていた。
 捨てられないかと恐怖を抱く夫と、彼の執着を束縛と感じる妻。二人はついに激しくぶつかり、過去の恨みを互いに持ち出す。子供のことをかまわなかった。いや、子供に君を独占された。教え子と浮気をしたでしょ。パソコンの修理を口実に男と会ってただろ。

 でも、ランチの店を探す二人は、意見も息も合う長年の同志に見えるし、美しいパリの街並みを一緒に眺め、夫のためにモンパルナスの墓地に行ったり、コラージュの写真のために書店に寄ったりする。そして、懐のさみしさのため、レストランを食い逃げし、老体にムチ打って一緒に走ったり、ラスト近くでは高級ホテルのなかを走り抜けて、まるで大冒険をやっている仲間のようだ。

 部屋で言い合いになり、ニックに小さくケガさせてしまって驚いたメグが、ニックに胸を見せろと言われて、思わずガウンを開いてしまう場面や、ニックの旧友で人気作家のモーガンに誘われ、名士たちが集まる部屋に入る直前、メグがニックに離れないで、という場面。いつもは優勢なメグが、ちょっとした弱味や不安をニックにだけ見せるのもリアルだった。そして、それが二人の深刻さを救っている。

 モーガンが語る、ニックへの感謝や、若かりし頃のニックの自由さや破天荒な生活。メグには、他人から見える夫は新鮮だったろう。しかし、居心地の悪いニックは、自分のみじめな境遇と不安を、皆の前で打ち明ける。それは、場違いだけど実直でむしろ感動的。そして、それに応えるメグの言葉が、夫婦の仲を一瞬に修復するのだ。

 ラスト、お金もなく、一日中黙ってカフェに座り続ける二人。これも、倦怠をとうに越えてくたびれた夫婦じゃないとできないでしょう。 
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2014年10月13日

火のようにさみしい姉がいて

 シス・カンパニー公演「火のようにさみしい姉がいて」を観た。

 開演まじかの控室で、セリフをつぶやく男(段田安則)。せかせにやって来た係の青年に、男は故郷で通っていた床屋の女の色っぽさを語る。マネージャーである妻(宮沢りえ)が現れると、二人は芝居の稽古に興じ、男はセリフを飛ばして女の首を絞める場面に急いでしまい、女にとがめられる。

 シェークスピアの格調高い長いセリフ。男はのべつまくなしにそれを口にし、妻との会話も、すぐにセリフの応酬に変わってしまう。芝居が現実を覆ってしまっているかのよう。夫を支えるしっかり者の妻でさえ、お腹に22か月の子供を宿しているなどと言い、男はそれに話を合わせ、二人には狂気と妄想の臭いがする。

 療養のために男の故郷に帰ってきた二人は、バス停のありかを尋ねようと、誰もいない古びた床屋に立ち寄った。妻は、男から何度も聞かされた床屋に似ているといい、男は違うという。女主人(大竹しのぶ)と客と、村人たちが現れるが、初めから陰険だった彼らとの関係は、彼らと口をきけばきくほど、さらに陰険になっていく。
 女主人と村人たちが、二人に向ける敵意は、二人がよそ者だからかと思いきや、彼らは男が村の出身者だと知っていた。混乱した男は、兄弟を呼んでほしいといい、弟がやって来るが、それは男には見知らぬ人物。次に姉だという女がやって来るが、それは何と床屋の主人だった。

 毒消しを売り歩いていたという老女たち。カミソリをふりかざしながらしゃべる女主人。彼らが徹底して男をからかい、貶めるようとしているのなら、それは一体何のためだろう。それとも、もしやおかしいのは男の方なのか。姉だという女の言葉を拒否していた男は、次第に説得され、姉さんと呼んでひざにくずれる。すると、姉は、さらに衝撃的なことを口にするのだった。

 男は、自分が故郷を捨てたことも、その理由も、忘れ去っていたのだ。それは、覚えているにはあまりにも恐ろしいこと。まるで他人のように語っていた床屋の女は、実の姉だった。その記憶が官能的なのは、二人の関係を示唆している。男は現実に耐えられず、芝居の世界に逃げ込んでいたのだろう。

 男が芝居で女の首を絞める場面が何度も出てくるが、殺しの結末は最後に現実になってしまう。それは、激昂した妻が、自分の方が男より才能があった、と言ったから。男はその本当のことに対峙できなかったのだ。現実から逃げ続けた男は最後にすべてからしっぺ返しを受けるのだ。

 シュールで不条理でショッキング。美術や演出も含めて、すごく見ごたえのある舞台だった。 
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2014年10月10日

鬼火賀篭 濡れ髪剣法

 市川雷蔵の映画デビュー60年を記念した「雷蔵祭」で、「鬼火賀篭」と「濡れ髪剣法」を観た。

 「鬼火賀篭」は、主家の失地回復のために戦う青年武士と、彼らを助ける侍くずれのやくざの物語。
 月太郎を名乗る、神出鬼没の正体不明の男。彼を慕う芸者の菊次は、将軍に直訴をしようとしていた家老を殺した、弾正一味の男の妹。家老の娘の琴江は、父を殺されたショックで気が狂うが、彼女は、月太郎が助けた伴次郎の許嫁で、伴次郎の同志である兵馬の妹。兵馬は、旅役者の仲間にまぎれて機会をねらっているが、その一座の女座長は、兵馬にぞっこん。陰謀がめぐり、復讐と恋がからんで人間関係もめぐっていく。
 やくざだけど、実は高い身分のはずの月太郎は、侍ことばも自在。白頭巾になって現れたり、超かっこよかった。

 「濡れ髪剣法」は、城を出奔した若殿が、家の乗っ取りをたくらむ家老の陰謀と戦うコメディー。
 ご機嫌取りの家来に囲まれて、自分の剣の腕前を過信していた若殿は、許嫁の鶴姫に実力のなさを暴かれてショックを受け、自分の本当の力を試そうと、一人で江戸に向かう。世間知らずで、無銭飲食をしたり、股引のまま歩いたり。のんきな風来坊に見えながら、腕はどんどん上達して、ふとしたことから自分の藩の足軽に取り立てられ、手柄を立てて出世していく。
 片や、城では、いなくなった若殿を重病のことにして大騒ぎ。家老はそれに乗じて、自分の息子を跡取りにすべく、大殿の暗殺をたくらんでいた。
 アホぼんに見えていた若殿が、最後に超かっこいいセリフを放って、見事な立ち回り。

 雷蔵は、役どころに合わせて雰囲気ばかりか、発声までが変わる。どんな役でも、水もしたたるいい男だ。
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2014年09月28日

京都市交響楽団 第583回定期演奏会

 昨日、京都コンサートホールに、京響の第583回定期演奏会を聴きに行った。

 最初の曲は、ブラームスの「悲劇的序曲」。ヴァイオリンの群れが波のように音を繰り広げる、悲壮で劇的な感じの曲だった。

 2曲目は、チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」。華やかで美しいメロディー。ヴァイオリン独奏は、2002年のチャイコフスキー国際コンクールで最高位だった川久保賜紀さんだったが、細かい音が鋭く立って、速弾きが流麗。華奢な人だったけどすごい存在感だった。
 ハプニングがあって、第一楽章の終わりころに、川久保さんんが突然第一ヴァイオリンの人に近づいたと思うと、彼とヴァイオリンを交換した。第一ヴァイオリンの人はそのまま少し弾き続けた後、それを後ろの人に渡し、ヴァイオリンはそのまま次々と後ろに静かに渡って、最後の人が舞台の外に持って行った。
 弦が切れたからだそうで、第一楽章と第二楽章の間は少し待たされた。でも、演奏中は、何事も起こってないかのように、演奏がなめらかに続けられ、弦が切れたことさえこちらには分からなかった。すごいなあ。

 3曲目は、ストラビンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」。今度はピアノ独奏が入って、そのほかにもハープや太鼓やたくさんの管楽器。いろんな楽器がおもちゃ箱から次々と現れて音を出しているような、にぎやかでめまぐるしい曲だった。

 指揮者のドミトリー・リス氏は、体が大きくて見栄えがした。アンコールで何度も出たり入ったりしていた時、舞台を袖まで横切ったり、ユーモラスだった。
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2014年09月24日

舞妓はレディ

 京都の花街、下八軒のお茶屋「万寿楽」。下八軒の舞妓は、万寿楽の娘の百春(田畑智子)だけで、舞妓不足に悩んでいた。そこに舞妓志望の春子(上白石萌音)がやってくるが、紹介者がいない上に、言葉はコテコテの鹿児島弁と津軽弁のミックス。おかみさん(富士純子)に追い返される春子だったが、彼女の言葉に興味をもった言語学者の京野(長谷川博己)は、春子を一人前にできれば、御茶屋遊びの面倒をすべてみてやる、という約束を、常連客の北野(岸部一徳)に取り付けて、彼女に京ことばの特訓をすることに。

 春子が初めに話してる言葉は、ところどころの単語以外は、聞いていても意味不明。彼女の祖父母が話すことは、もっと訳が分からない。方言って強烈だなあ、と思った。京都弁も、やんわりしてるけど、多分同じくらい個性的なんだろう。
 初めはイントネーションをまねることもおぼつかない春子に、京野は、「おおきに」「すんまへん」「おたのもうします」の舞妓必須3単語から教えていく。なるほどこれは「マイフェアレディ」なのね。

 押し込みさんになった春子は、早朝から掃除や雑用。徹底的に裏方の、地味でしんどいエンドレスの仕事。日舞や鼓や三味線も習うが、お師匠さんたちのキツイこと。それでも春子がめげないのは、おかみさんや、店の前を通る先輩のおねえさんたちが、温かく見守ってくれるから。そして、京野への淡い恋心。
 だが、京野以外からもお国ことばをしょっちゅう注意される毎日のなか、京野の助手(濱田岳)から、京野の目的は自分が得をしたいから、と聞かされ、声が出せなくなってしまう。そして、それが解けたのは、踊りの師匠からきつく叱られた時。夢を追いながら、その夢を咲かせる場所で精いっぱい頑張る健気な春子に、胸が熱くなった。

 芸者の里春(草刈民代)は、歌舞伎役者(小日向文世)と恋仲だが、なじみの客の高井(高嶋政宏)が彼女にしつこく求愛。それをやんわりかわす場面とか、京野の助手はお茶屋に生まれた男の子だったために、外に出された、とか、花街にありそうな人間模様がおもしろかった。

 京都に実際にあるのは下八軒じゃなく上七軒だし、華川は本当は白川。川のそばの八軒大明神は、巽神社だろう。舞妓不足をアルバイトの女の子で補ったり、百春が三十路になってもまだ舞妓だとか、そんなことが本当にあるのかどうか分からないけど、とても笑えた。
 ミュージカル仕立てで、突然始まる歌とダンスが、とても楽しい。ラストはみんなの中央で、春子が青春謳歌のように踊って歌う。はじける若さ。声がとってもきれい。何といっても、若いもんなあ。 
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2014年09月19日

NO

 1988年、チリのピノチェト政権は、長期間にわたる軍事独裁への国際批判の高まりから、信任投票を実施。ピノチェト支持派と反対派による一日十五分のテレビコマーシャルが展開されることになった。
 そんななか、広告業界で働くクリエーターのレナ・サアベドラは、反対派の中心メンバーであるウルティアから協力を求められ、投票に勝つために自分の能力を注いでいく。

 初めは皆、政権側の出来レースだと思っていた。「勝てると思うか」というレネの問いに、会議に集まった者たちは、「勝つことではなく人々を啓発するのが目的」とか、「今までで許されなかった意見表明をすることに意義がある」などという。彼らが選んだ映像は、ピノチェトのクーデター当時の、軍隊がデモ隊に襲いかかる場面や、夫や息子を殺された女たちが悲しみのダンスを踊る場面。それらは確かに歴史の事実で、忘れてはならないもの。だが、広告マンとして、レネは、そうした映像の暗さは人々の心を動かさないと直感する。

 当時政権が始終流していたのは、ピノチェトを礼賛する人々が涙を流したり、彼を英雄視する映像。まったく北朝鮮と同じ。だが、その政権のもとでそれなりに経済が発展し、人々はアメとムチによる長い恐怖と抑圧のなか、疲弊と諦念で、変化を望むことを躊躇していた。

 レネは、コーラや電子レンジのコマーシャルをてがけ、このやり方は今の時代にマッチしている、とか、これこそ人々が望んでいる表現だ、とかと言って、一瞬でクライアントを説得する。彼は高い収入を得ていい車に乗り、皮肉にも体制の中で成功している人物だ。だが、そういう生活を享受していても、一番大事なのは自由だと思っている。彼の上司のグスマンは支持派で、レネを懐柔したり脅したりするが、それに対して眼前で思い切り不快感を口にするのが気持ちいい。
 そして、人々の欲望にコミットするプロとして、ユーモアや明るさや希望にあふれる映像で、自由を渇望する人々の心に訴えるコマーシャルをどんどんと作っていく。専横はもうたくさん、尊厳を取り戻そう、今こそ流れを変えるときだ、不正のないお互いが傷つけあわない社会にしよう、と呼びかけるのだ。

 反対表明が許されるようになったといっても、反対派の活動は危険と隣合わせで、撮影は警官たちの目を盗んであっという間。かかわっている者は尾行され、レネは家に「売国奴」と落書されたり、息子のシモンに危害を加えるという電話を受けたりもする。表向きと違い、政権側の残酷さや執拗さは変わらない。

 だが、夜中にわずか15分だけ流れるコマーシャルにもかかわらず、反対派の主張は国中で反響を呼び起こす。焦った政権側は、あれはヤラセだとか、出演者はアカだとかと卑怯な手でけなし始める。突然手法を変更して、レネたちと同じようにダンサーを使おうとしても、アーティストたちはみんな反対派のために、素人しか集められないのには笑ってしまった。

 だが、軍事政権は、盛り上がった反対派の集会に襲いかかり、警棒と銃声の嵐のなか、かつてと同じ残忍な体質を露わにする。この場面は本当に恐ろしかった。
 それでもラストは、反対派勝利の歓喜のなか。シモンを抱きながら、静かに群衆をかき分けるレネの表情が何とも言えない。
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2014年09月07日

水上勉没後10年展

 昨日、京都三条のギャラリーひるげえとに、「水上勉没後10年展」を観に行った。枚方市の職員だったオーナーが水上氏に講演を頼んだ縁で、氏に画廊を開くことを勧められたことから開いた店だそうだ。

 水上氏による、化野にあるあゆ料理店「平野屋」や、「今宮神社のいぶりもち」、「堀川通りの路面電車」など、京都への愛着とゆかりの深さを表す墨絵がたくさん。「四条通から見た先斗町」には1985年のサインがあったが、描かれているのはもっとずっと古い風景のはずで、どの絵も、古きよき時代の京都の情緒がしみていた。
 「妙」「無一物」と書かれた書や、椿の小絵、自作の短歌に絵を添えたものなども。闘病を語るオーナーあての手紙も飾られていた。

 水上氏と親交のあった市田ひろみや加藤登紀子の書や、絵本作家の田島征彦の絵なども展示されていた。市田さんの書はすごく達筆。加藤さんの書は「男は心で嘘をつく」とか「ひとりぼっちはひとりじゃない」とかの言葉が印象的だった。

 6時からはトークショーがあって、水上氏の娘さんや、市田さん、渡辺惇さん、一滴文庫で陶芸を続ける作家の人などが、それぞれの思い出を語ってくれて、とても興味深かった。
 一滴文庫はもともと、大飯原発の監視小屋だったのがとん挫して、その後土と格闘する陶芸や竹紙をすく場所になったという。
 渡辺さんはもと炭焼き職人で、それをやめて郵便局の請負配達をしながら絵を描いていた時に、水上氏が尋ねて来て、小説の表紙を依頼されたそうだ。
 故郷に原発が立ち並ぶことに、怒りと忸怩たる思いがあって、自然とのかかわりを追究するなか、それに共感する人々との縁を広げていったのでは、と思った。 
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2014年08月23日

韓伽椰 ピアノリサイタル

 昨夜、アルカスホールで韓伽椰(ハンカヤ。最後の字は、変換できないけど本当は人偏)さんのピアノリサイタルを聴きに行った。

 一曲めは、ベートーヴェンの「ソナタ ト長調」。
ベートーヴェンの初期の作品だそうで、曲が進むにつれて激しさが増すものの、全体的におとなしく、明るいさわやかな曲だった。

 二曲目はバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのバルティータ」より「シャコンヌ」ニ短調。
 演奏旅行から帰ってくると、出かけるときには元気に見送ってくれた妻が亡くなっていて、その悲しみを表現した曲だという。もとヴァイオリンのための曲だったものを、19世紀になってブゾーニがピアノ曲に編曲したのだそうだ。足取りの重たい悲痛な感情があふれていて、途中からは流麗できらめくような明るさに移っていく。妻の昇天を心から願うバッハの思いが込められて、演奏しながら、すべてを浄化する曲の力を感じるそうだ。厳しく激しく、きらびやかな曲だった。

 次は、細川俊夫氏の「ピアノのためのエチュードU〜点と線〜」。
 現代音楽で、不規則な雨だれとか、バラバラな忍び足とかを連想した。鳴るか鳴らないかのようなごく小さな音や、左手を右手が追いかけるような旋律が特長的だった。

 休憩をはさんで、再び細川氏の「舞い」。古代の日本の舞踏をイメージした曲だそうで、太鼓の音のような低い響き。ピアノで聴くのは初めてのような、変わった感じの曲だった。

 最後は、ラフマニノフの「コレルリの主題による変奏曲 ニ短調」。
 ロシアからアメリカに渡ったラフマニノフが、故郷を思って民謡によせて書いた曲だそうで、いろんな舞いが組み込まれている。これも、暗く激しくきらびやか。どこか不均等な感じが現代的に思えた。

 音の渦にうっとりと引き込まれ、すてきな時間だった。一曲ずつの説明が聴けて、分かりやすかった。
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2014年08月21日

めぐり逢わせのお弁当

 小学生の娘と夫を送り出しがイラ(ニムラト・カウル)は、腕によりをかけて夫のためのお弁当を作り始めた。上の階に住むおばの助言で、スパイスの隠し味も上々。それを弁当配達人に渡したものの、届いた先は全くの別人。保険会社の損害計算係で退職間近のサージャン(イルファーン・カーン)だった。

 たくさんの弁当を自転車にくくり下げた配達人が駅に向かい、さらにたくさん集まった弁当が電車に積まれて運ばれて行き、着いた駅で今度は分けられ、さらに小さなまとまりになってビルに入ると、オフィスごととか部署ごととかではなく、なんと一人ひとりの机の上に置かれていくのだ。すごく大量だし、名札がついているわけでもないのに、どうやって正確に配ることができるのか。そして、そもそも、自分で持って行って持って帰ればすむものを、どうしてわざわざ配達してもらうのか。不思議な習慣と技術に目を見張ってしまった。
 このシステムは、ハーバード大学が注目し、イギリス王室も視察に訪れたという。そんな完全無欠の配達に起きた珍しいミスが、見知らぬ二人をつなぐことに。だが、イラの夫のもとにはサージャンが頼んでいた仕出し弁当が届いていたのだから、ここでのミスは二つだ。

 イラは、見事にカラになった弁当箱と、相変わらず無反応な夫とのかみ合わない会話から、誤配達に気付くのだが、夫は携帯に夢中で、イラがハネムーンで着たドレスを着ても無関心。そして、彼女は洗濯時に、シャツに付いた香りで夫の浮気に気付く。彼女が弁当箱に忍ばせた小さいメモには、次第にそんな悲しみがつづられていく。そして、初めは料理に対するぶっきらぼうな感想だったサージャンの返事にも、亡くなった妻との思い出や、電車のなかでのできごとや、イラへの励ましがつづられていく。イラもサージャンの健康を気遣い、二人のやり取りは、何気ない日常を短く描きながら、温かさと慰めに満ちている。

 サージャンの後任に就くはずの若いシャイク(ナワーズッディーン・シッディーキー)。孤児だったという逆境をたくましく泳いできた彼は、人なつっこいけれど要領のいい調子者で、もの静かで堅実なサージャンと好対照に見える。
 シャイクが電車の中で野菜を切ったり、露店でたばこをツケで買ったりするのも、見知らぬ文化に驚いた。昼休みごとに、バナナとリンゴを持ってサージャンの前に現れ、おいしい弁当を分けてもらう彼。4段重ねの色とりどりの中身は、カレーとナン以外は何かわからず、インド料理にも興味がわいた。

 イラとサージャンのすれ違いは、もどかしくて切ない。最後にイラが書いた手紙は、サージャンに届くのだろうか。アクセサリーをすべてはずした彼女は、本当にブータンに行くのかもしれない。自宅の前に集まった子供たちに笑顔を見せるサージャン。二人が戻る日常は、二人が出会う前より確実に新しいはずだ。 
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2014年07月30日

銀瓶vsパギやん ビビンバ寄席

 書くのが遅くなったけど、26日、天満天神繁盛亭で「銀瓶vsパギやん ビビンバ寄席〜6杯目〜」を聴いた。
 古典落語あり、韓国語落語あり、講談やギター漫談ありで、いろんな出し物がいっぱい。タイトルどおり、まぜご飯のように賑やかな内容で、楽しかった。

 最初は、桂吉之丞さんの「子ほめ」。これは以前聴いたことがあったけど、短い話なのに、演違うと別の話のような感じがした。
 次は銀瓶さんの韓国語落語で、「犬の目」。この前に、サルが主人公の短い話があったけど、言葉が分からないのに、表情豊かで笑ってしまった。「犬の目」は、字幕つき。怪しげな眼科の話で、ブラックでかなりドキドキの話で面白かった。

 次は李高麗超爆の太鼓漫談「木津堪助任侠伝」。百姓だった堪助が豪商の娘と結婚し、治水や地域の復興に尽力した話。淀屋橋は、豪商が娘の習い事のために架けたものだ、とか、明治維新の時、大阪の商人が莫大なお金を出して、それなしには明治政府の施策はなかった、とか。またしても趙さんはものすごく博学だと思った。

 中入りの後は、また趙さんの出番で、ギター漫談&当世阿呆阿羅経。阿呆陀羅経では、怪しげな坊さんの格好になって、世間のアホさを、あらん限りの言葉でやじり倒していた。

 トリは銀瓶さんで、「一文笛」。子供のために改心するスリの話で、これも以前に聴いたことがあって、オチを知っていたけど、銀瓶さんの方がずっとシビアな感じで迫ってきた。

 出囃子はこの間聴いた「アリラン」。軽快でこの間のと印象が違ったけど、かっこよかった。
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2014年07月27日

オフサイド・ガールズ

 ふらっとねやがわで、イラン映画「オフサイド・ガールズ」を観た。
 ドイツW杯の出場がかかったイラン対バーレーンの試合が舞台。女性のスポーツ観戦が禁じられているなか、スタジアムで応援しようとした女の子たちの奮闘を描いた映画だ。

 会場に向かうバスの窓から旗を振り、満員の車中は興奮で渦巻いている。騒ぐ客に怒った運転手が車を降りてしまい、乗客が彼を説得して連れ戻す。そのバスのなかに、男装した女の子がひとり。女だと見破った客がいたり、チケットを高額に吹っかけられたりしながらも、入口突破をしたかと思うと、すぐに捕まって連行されてしまった。

 スタジアムの裏、観客の歓声が響く所に、同じように観戦をたくらんだ女の子たちが集められ、兵士たちが監視。顔に国旗を描いた子、そのままで男の子に見えてる子、兵士の服装をしたために手錠をかけられた子も。作戦がそれぞれ個性的。兵士は威圧的だが、家が大変なのに命令で任務についていたり、彼らにも事情がある。そして、兵士も女の子たちも、まともに観戦できないのは同じ。

 ひとりの女の子が、トイレに行きたいと言い出し、兵士の一人が付き添うが、スタジアムにあるのは男子トイレだけ。女の子に使わせるために、わざわざ全員を追い出し、女の子が出てくるまでは、入ってくる連中を絶対阻止。そのためにトイレの入り口は兵士と男たちの押し合いになってしまうのだが、たかがトイレで大騒ぎなのが可笑しかった。

 一度は逃げた女の子が、兵士がかわいそうだからと、戻ってくる。兵士の恰好の子も捕まるまでは観戦していた。二人が語る試合の様子。拘束されてるのも忘れてしまいそうな、イラン優位の予感。
 分隊に移送されることになり、全員バスに乗せられるのだが、もうバスの中は試合の続きに夢中。店の前に止まれば、店のテレビに釘づけ。発車すると、またラジオの中継に夢中になる。
 そして、車中のみんなが勝利を祈るなか、ついにイランは試合に勝って、移送する方もされる方も、喜びに湧き上がる。

 バスの窓から見える街も、喜びに酔った人々であふれ、旗が振られ、花火が上がっている。結局、幸せな群衆のなかに混ざってしまうみんな。観ている方も、とても幸せな気持ちになった。
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2014年07月26日

怪しい彼女

 食堂で働く70歳のオ・マルスン(ナ・ムニ)は、頑固な毒舌ばあさんで、常連客にも食ってかかる。家でも同じ調子で、嫁の料理や子育てにもバンバン口出し。大学教授の息子ヒョンチョル(ソン・ドンイル)が大の自慢で、仕事に行く息子をちやほや見送ったかと思うと、姑に先を越されて茫然としている嫁に向かって、すかさずイヤミを連発。とうとう嫁は、ストレスで心臓発作を起こし、彼女を心配した家族は、マルスンを施設に入れる相談を始めるのだった。

 強烈ないびりの数々に、嫁はよくぞ長年無事でいたなあ、と思う。もっと早く倒れても不思議じゃない。自業自得で家に居場所を失くしたマルスンは、オードリー・ヘプバーンの写真に惹かれて写真館に入り、遺影を撮ってもらおうとするが、フラッシュを浴びた瞬間、なんと20歳の容姿に戻ってしまう。

 若返ったマルスン(シム・ウンギョン)は、驚くばかりで、若さを利用しようとなどしない。ヘプバーンへの憧れからオ・ドゥリと名乗るが、生活圏も変えず、取りあえず店の経営者のパク氏の家に下宿。行くところは、以前と同じ老人が集まるシルバー・カフェだ。電車で赤ん坊を泣かせている若い母親に説教をしたり、同じくらいの年の男の子たちを孫扱いしたり。見かけはキュートなのに、中身は70歳のままのちぐはぐさと不思議さが超楽しい。
 この間観た「私の男」の二階堂ふみが二十歳と知って驚いたが、70歳になりきった同じく二十歳のシム・ウンギョンの演技もすごい。二十歳の才能恐るべし。

 オ・ドゥリは、歌の上手さをプロデューサーのハン・スウン(イ・ジニク)に注目され、孫のジハ(ジニョン)のバンドのボーカルとして活躍することになるが、若い彼女から浮かび上がってくるのは、夫を戦争で亡くし、、貧しい中息子を懸命に育てた、たくましい母の姿だ。「考えないで、過ぎたことは。恋しがらないで、去りゆく人だから」と歌う彼女に、同じ若さで、乳飲み子を抱えて働くかつての彼女の姿がオーバーラップする。母を求めて這ってくるボロを来た赤ん坊。雇ってくれた店を裏切っても、何とか生き延びなければならなかった。その苦難と、息子への愛情が胸に迫った。
 彼女に好意をもったスンウの家に行っても、酔いつぶれたスンウに子守唄を歌うオ・ドゥリは、やはり母の顔をしている。

 オ・ドゥリの正体を見抜くのは、かつて彼女の家に奉公していたパクだけだが、息子のヒョンチョルもついに気付く。自動車事故を負ったジハの輸血用血液が不足し、オ・ドゥリは輸血を決意するが、血を抜くと元の体になってしまう運命。それを止める息子に、オ・ドゥリは、「何度生まれてもまた同じ人生を歩いて、またお前に会いたい」という。互いの感謝と愛情のあふれる場面に泣かされた。

 最後、画面に「すべての母親に捧げる」の文字が。最近立て続けに親子の映画を観たけど、この作品が一番さわやかだったと思う。 
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2014年07月21日

アリラン峠を越えていく〜在日コリアン音楽の今〜

 昨日、国立民族学博物館で、研究公演「アリラン峠を越えていく〜在日コリアン音楽の今〜」を聴きに行った。

  
 戦後、朝鮮半島が南北に分断されたことから、在日コリアンのコミュニティも分断されたが、厳しい差別や偏見に抗するなかで、1983年、大阪の在日2世、3世が集まって、政治的に分断された在日を、文化を通して和解させる試みとして「生野民族文化際」が開催され、その後同様の催しが他県にも広がっていったという。 朝鮮の民族文化は、1世たちにとっては、身体の深くにしみついているものだったが、2世や3世にとっては、学ばなければならないものだった。在日の音楽には、学んで身体化され、確認されたコリアンとしてのアイデンティティと、日本での生活体験が託されているという。

 プログラムの最初は、在日コリアンで唯一のパンソリ演者である、案聖民(あん・そんみん)さんによる、短歌とパンソリ「水宮歌」。パンソリは悲しいだと思っていたけど、竜宮王の命令ですっぽんをがウサギの肝を探しに行くという面白い話で、続きがもっと聞きたいと思った。

 次は、聴きたかった李政美(い・じょんみ)さん。
 在日の詩人の娘への「遺言」、治安維持法により逮捕され26歳で命を落とした詩人の「序詩」、韓国の詩人が妻に送った「あなたの墓のそばで」、韓国の民主化運動で歌われた「ひでり」、李さんのふるさと東京・葛飾を歌った「京成線」。温かく深い声。激しさも秘め、心に響いてきて、引き込まれた。

 二部は、金剛山歌劇団による、民族楽器の演奏。
 屋内で演奏されていた伝統楽器を、音量や音域を広げ、西洋の音階に調律し直した改良楽器。
 琴カヤグンやチェロと二胡が混じったようなソヘグムもきれいだったが、短い木の棒のようなものではじきながら演奏する古い琴・コムンゴが、低い音とジャズのようなリズムで独特だった。

 最後は、アリラン・メドレー。有名なアリランは、1926年の映画の主題歌だったそうで、アリランと名のつく民謡は、朝鮮半島の各地にあるという。最古のものは600年の歴史があるそうだ。6つのアリランが歌われたが、哀しさと力強さと励ましが感じられた。声が美しく切々として、言葉は分からないのに、涙が出てきた。
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