2016年09月19日

太陽のめざめ

 2か月も子供を学校に通わせていない母親(サラ・フォレスティエ)を、裁判所に呼び出したフローランス判事(カトーリヌ・ドヌーヴ)。だが、とがめられた母親は逆キレし、育児放棄を6歳のマロニーの素行の悪さのせいにして、口汚く彼をののしったあげく、赤ん坊だけを抱いて飛び出して行く。残されたマロニーは、養護施設に一時保護されるのだった。

 10年後、再びフローランス判事の前に現れたマロニー(ロッド・パラド)は、問題行動の多い、反抗的な少年になっていた。フローランスは、彼に教育係をつける「児童教育支援」を受けさせるが、マロニーはすぐに傷害と車の窃盗を犯す。反省もなく投げやりなマロニーに、フローランスは、検事が主張する少年院ではなく、更生施設に送る措置を取るのだった。

 気性が激しく、いつもイライラし、すぐに激昂するマロニー。だが、最初に母親に捨てられたシーンの、繊細そうで悲しそうな印象は、その後もずっと変わらない。彼が突然暴力をふるうのは、いつも拒絶された時だ。初めの教育係が、手に負えない、と辞めた時。施設で勉学を積み、少しは落ち着いたのに、復学に懐疑的な冷たい役人の前で。母親に拒まれた深い傷が、無意識のフラッシュバックの中で、何度も爆発してしまう。抑えられない怒りの衝動と、飢餓感を抱えた危ういマロニー。愛されなかった彼は、自分を大切にすることも、他人を大事にすることも学ばず、自分の可能性も認めず、自分をただ無能だと思っている。

 本当は分かって欲しいのに、愛され方が分からないマロニーと、彼を忍耐強く導こうとする周囲の攻防は、長く激しい消耗戦だが、とても切なかった。
 施設での学習時、いやがりながらも何度も書き直す彼の前には、丸めた紙だらけ。それだけの時間、頑張っているということだ。途中でキレて出て行くも、待たれていると知っているので、ソロソロと戻ってくる。
 フローランスは、かつて自分が更生させたヤン(ブノワ・マジメル)を教育係につけるが、マロニーの姿にかつての自分を見るヤンは、体当たりで指導する。仕事をさぼった朝に引きずり出されて暴力を受けたマロニーは、フローランスに告訴したいと訴えるが、いざとなると色々理由をつけて取りやめる。彼はヤンの本気を感じているのだ。
 そして、マロニーは、表面は反抗しながらも、自分を案じてくれるフローランスを慕っている。誕生日に施設を訪れた彼女が忘れたスカーフを、子供のように顔に当てる。

 母親が他人に向かって自分のことを口汚く言う時、マロニーは傷つきながらも辛抱している。彼が母親に向かってキレるシーンはほとんどなく、彼は母の愛を空しく求めて続けているのだ。若すぎてだらしない母親だが、彼女もまた、まともに愛されなかった過去がうかがえる。

 彼を大きく変えるのは、恋人ができたこと。指導員の娘で、少年のような不思議なオーラを放つテス(ディアーヌ・ルーセル)。二人が初めて過ごした、不器用な夜のシーンの切なさ。マロニーはテスの妊娠を受け入れられないが、中絶手術の直前に彼女を連れ戻す。彼は、見捨てられる胎児に自分を重ねたのだと思う。テスは、普通なら敬遠するような相手に近づくが、彼女はマロニーの本質的なものを見抜いて、心から彼を愛しているのだ。

 視線やちょっとしたことが多くを語っていて、離婚したことを話すヤンに、マロニーが慰めるように「あんたを愛してる」というシーンも、施設でおかしいなペンの握り方をしていたマロニーが、裁判所ではきちんとした持ち方でサインをするシーンも、うれしかった。熾烈だが、希望にも強烈に満ちた、美しい作品だった。
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2016年09月03日

ストリートオーケストラ

 極度の緊張から、サンパウロ交響楽団の最終審査に落ちてしまったヴァイオリニストのラエルチ。彼のイライラから四重奏団の仲間もバラバラに。家賃の支払いにも困った彼は、仕方なく、NGOが支援するスラムの子供たちの音楽教師に応募する。
 
 周囲に貧しい家がひしめく、フェンスに囲まれただけの青空教室。子供たちは演奏以前のレベルで、楽器の正しい持ち方も座り方も知らず、集中するどころか、勝手に立ち歩いたりケンカを始めたり。
 子供たちの態度にキレてしまうラエルチだったが、厳しい父のもと幼い頃から神童と言われ、今も父の期待を背負っている彼にとって、スラムはいるべき場所ではなかった。

 ところが、授業中にお菓子を売りつけた男に「警察を呼ぶ」と言ったことから、ラエルチはギャングに目をつけられるが、銃で脅されながらも見事な演奏をしたことから、風向きが変わっていく。多分子供たちは、ラエルチが地区や自分たちから逃げ出さなかったことに信頼したのだろう。
 だが、練習日を増やすことになると、アル中の父親の世話や、小さい兄弟の世話など、彼らの置かれた境遇の厳しさが浮かび上がるのだった。

 少年院帰りのVRは、カード詐欺のグループに加わっていて、ギャングのクレイトンに借金があるという。彼の周りには、いわくのありそうな男がたえず現れる。
 一人抜きん出た才能を見せるサムエル。大人しい彼だが、家では病気がちの母と強権的な父がいる。そして、経済的な理由で授業を諦めなければならない、と言い出すのだった。

 子供たちは、集中して次第に腕を上げていく。問題を抱える家庭に育つ彼らにとって、教室は安心できて、自分の価値を確認できる大切な居場所なのだ。合奏自体、まず自分が練習して上達したうえで、仲間と心を合わせないとできないこと。しかも曲は、バッハやシュトラウススなどの高度なクラシック。
 家を出て転々としても、サムエルは片時も楽器を離さない。彼がバラックの入り口で弾くヴァイオリンの美しさ。それにVRが民族楽器で合わせる軽妙なハーモニー。逆境を振りほどいていけそうな、可能性がきらめいていた。

 だが、その陰で二つのことが進行する。クレイトンが借金の件でVRたちを脅し始め、クラブのトイレであわや殺人が起こりかける。一方、子供たちのために奔走していたラエルチに、再びオーディションの知らせが届き、彼は自分の夢に再び向き合う。そして、ラエルチがサムエルに、近い別れを知らせて悲しませた直後、悲劇が起こるのだ。

 警察にサムエルが射殺される場面も、それに抗議してスラムが火に包まれる暴動シーンも、あまりにもリアルで、やりどころのない怒りと悲しみがはりついていた。個人の希望や未来が、暴力や恐怖にかき消される。
 だが、生徒たちは、結束して演奏会を成功させた。今後バッハを弾くたび、彼らはサムエルを思い出すだろう。彼らがずっと活動を続けていて欲しい。
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2016年08月28日

奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ

 パリ郊外のレオン・ブルム高校。白人のほか、黒人やアラブ系やアジア系など、様々な人種の生徒が集まるクラスに、ベテランの歴史教師アンヌ・ゲゲンが担任になる。そのクラスは学校一の落ちこぼれクラスで、授業中にヘッドフォンをつけたままだったり、マニキュアを塗っていたり、突然ケンカが始まったり。ゲゲン先生の厳しさにしぶしぶ従う生徒たちだったが、彼女が忌引きの間に代わりの先生が来ると、たちまち反抗と授業妨害の渦。
 そんな生徒たちに、ゲゲン先生は「レジスタンスと強制収容についての全国コンクール」に応募しようと提案。ホロコーストの犠牲になった子供と若者たちについて、考察を求めるのだった。

 ゲゲン先生は、絶えず喧噪を作り出す気ままな生徒たちに毅然と接し、どんな時にも自分にイニシアティブがあることを譲らない。そして、問題が起こるたび、生徒たちに厳しくも温かな気付きを与えるのだ。
 コンクールへの出場をムリだと怒る生徒に、「笑われるのが怖いから、やる気がないといってる」と言い、自己評価が低いせいの本音に気付かせる。発表準備が始まると、「ネットがあるから資料を集めるのは簡単だが、表面的ではダメだ」といって、生徒がネットから集めた腕の刺青写真の意味を考えさせる。そして、同じテーマを選んでしまったグループが言い争うと、「なぜ仲間同士で批判し合う前に、もっと話し合わなかったのか」と、互いの情報交換の大切さに気付かせるのだ。

 ショアー記念館で、同世代の犠牲者の無数の写真に息を飲む生徒たち。一つの民族を全滅させるために、最初に標的になったのは、産む性である女性と、未来を担う子供や若者たちだった。
 そしてホロコーストの生存者レオン・ズィケル氏の話に耳を傾けたことが、生徒たちを大きく変えていく。大戦当時、生徒たちと同じ年頃だったレオン氏の、死と隣り合わせの過酷な体験。なぜ耐えられたのか、の質問に「友人に大変な体験をしたといばりたかった」と答えているが、そんな素朴な動機も、思春期の彼らの心に共感を呼んだだろう。

 西洋の歴史はキリスト教と切り離せないからか、ゲゲン先生は授業で詳しく歴史に触れ、教会のステンドグラスに描かれた図柄から、イスラム教を蔑視するプロパガンダを読み取らせたりする。これは高度な考える授業だ。
 発表への考察を深めていった生徒たちは、ナチ時代のポスターに、当時の政権の狡猾なプロパガンダを読み取ったり、ガス室を描いた漫画のなかの犠牲者に、髪や服が描かれていることに、犠牲者の人間としての尊厳を取り戻したい、という思いを読み取っていく。

 家庭が貧しく、生徒の母親がアル中だったり、黒人の生徒が白人の女友達の親に、冷たくあしらわれるシーンがあったり。人生の早い時期から、すでに試練を抱えている彼ら。だが、争いが多く、低い自己評価からケンカを繰り返していた生徒たちは、学習を深めるにつれ、どんどん自信に満ちて落ち着いていく。その生き生きとした変化も、歴史を受け継ぐことが成長につながっていることも、とても感動的だった。
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2016年08月20日

ニュースの真相

 メアリー・メイプスは、CBCニュースで20年のキャリアをもつプロデューサーで、ダン・ラザーは、長年CBCでアンカーマンとして人気を博してきたベテランだった。2004年、イラクのアブグレイブ刑務所での虐待事件を報道したあと、大統領選の最中、メアリーはチームを組んで、現職大統領ジョージ・W・ブッシュの軍歴詐称疑惑の調査に取り掛かった。
 公式記録によると、ブッシュは、ベトナム戦争さなかの1968年に6年契約でテキサス空軍州兵として入隊し、1973年に早期除隊。その間、1972年に健康診断を拒んで処分を受け、アラバマに転属しているが、その後1年は勤務した形跡がない。つまり、ベトナム行きを逃れるためにコネで入隊したうえ、職務怠慢だった疑いが、ささやかれていたのだ。

 チームは、ブッシュが入隊した当時の副知事や、当時の指導教官キリアン中佐、キリアンの上官だったホッジス将軍らを探し出すが、キリアン中佐はすでに死亡。他は、みな同じように口を閉ざすか、疑惑を否定するかだった。

 そんな中、キリアン中佐が残したという文書のコピーが、退役軍人バーケット中佐から提供された。そこには、ブッシュの訓練不参加や、能力不足が記録されていた。

 チームは直ちに文書鑑定家に鑑定を依頼するとともに、さらに取材を進めると、元副知事はブッシュを入隊させたことを認め、ホッジス将軍は文書の内容を否定しなかった。充分ウラが取れたと考えたメアリーたちは、キリアン文書をブッシュ疑惑の新証拠として報道する。

 スクープはたちまち話題となるが、直後に窮地に立たされたのは、ブッシュ陣営ではなく、メアリーたち報道した側だった。「文書のフォントも書式設定も、70年代当時にはないもので、文書はワードで打たれた偽物だ」、とネットで保守派のブロガーたちが騒ぎ出したのだ。
 メアリーたちは、過去の膨大な文書のなかから、同じフォントや書式設定を見つけ出すが、証拠の文書はオリジナルでなくコピーのために、正式な鑑定はかなわず、メアリーたちはどんどん追い詰められていく。

 何週間にも及ぶ粘り強い取材が、ネットの一撃で無残にも崩されていく。ネットの中には、メアリー個人に対する酷い攻撃も並んでいて、身がすくむ思いだ。一度火がついた攻撃はどんどん拡散し、他のメディアも同調し出す。そして、その負の勢いにあおられてか、一旦文書の内容を認めたホッジス将軍も、言をひるがえすのだった。

 そんな中、チームを守ってくれるはずの会社は、内部調査委員会を設置。報道を誤報と決めつけ、その責任をメアリーに取らせて、事態を収拾しようとするのだった。委員のなかにはブッシュに近い者も数人いて、初めから出来レースの過酷なものだった。アンカーマンのラザーは番組を去り、メアリーは解雇される。二人の栄光に包まれた輝かしいキャリアは、文書の騒動で一気に崩れさっていく。

 悔しいのは、世間の関心が文書の真偽にだけ集まり、ブッシュの疑惑自体はまったく問題にされなくなったことだ。新証拠はワナだったのか。関係者の証言からも、記録からも、疑惑は明らかだというのに。アメリカのその後にとって、この報道が消された影響は、はかり知れないはずだと思う。

 調査委員会の最後に、メアリーが行った反論は、真実を追究する者の高い知性と誇りに貫かれていて、感動的だった。彼女たちが手掛けていた調査報道こそ、ジャーナリズムが力を発揮すべきもののはず。リスクが大きいからといって、調査報道が少なくなるのは残念でしかない。
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2016年08月11日

ミモザの島に消えた母

 妻と離婚したばかりのアントワーヌ。娘たちと定期的に会っているが、思春期の長女マルゴは彼に距離を感じている。建築関係の仕事をしているが、現場での指示を誤ったり、周囲の信頼を損ねるミスを繰り返す。穏やかで、思慮深そうで、充分魅力的な男が、なぜ円熟期の人生で失敗ばかりしているのか。それは、幼い頃に起こった母の死が、心に刺さっているから。彼は数年来カウンセリングに通っているが、父と話せないことに悩んでいる。母の事故について知りたいと願ってきたが、父にも祖母にも拒まれる。家族の中では、それは聞いてはいけないこと、避けるべきことなのだった。

 妹のアガットは、兄が感じる疑惑をただの妄想だといい、過去にこだわる兄の姿勢を批判する。死んだ母を名前でしか呼ばない彼女。アガットにとっては、自分を育ててくれた父の再婚相手こそが母なのだ。

 母の30回めの命日、母が死んだノアールムーティエ島を訪れた兄妹は、祖母の家で家政婦だったベルナデットと再会し、遺体の発見場所が10キロも離れた対岸だったと聞かされる。疑念を深めるアントワーヌにアガットが怒り、帰路の車内でのけんかのせいで、自動車事故が起こってしまう。まるで、封印された過去に突然襲われたかのようだ。だが、このことが、アントワーヌを謎に大きく近づける。

 入院したアントワーヌは、母がかつて置かれた安置所に入って、死体修復師のアンジェルと出会う。彼女も子供の頃に父を失くしていて、今の職業に就いたのは、父の無残な死がきっかけ。アントワーヌは、アンジェルに自分の思いを語ることによって、前に進む力を得るのだった。

 ベルナデットから渡された、母の遺品の高級時計。それに刻まれたジャン・ウィズマンという名前。父に尋ねても、中古を買った時からだと言い張るだけ。名前の人物を探し出し、母との写真を見せても、父も祖母も無視。アントワーヌが真相に近づけば近づくほど、家族とのいさかいが大きくなり、溝が広がって、彼はひとり孤立していく。

 子供の頃の記憶が、アントワーヌのなかで度々フラッシュバックする。自分が島にいたのは、母が死んだ日と近かったのではないか。確かそこで、母の遺体を見たのではないのか。そして、母のことにかかわらないようにしていたアガットにも、同じことが起こる。マルゴに同性に恋する気持ちを相談をされた彼女は、突然、幼い頃に目撃した、母と恋人とのキスシーンを思い出すのだ。

 子供の頃の記憶には、本質的なものが宿っている。それは孤独に通じ衝撃的な分、強い無意識で隠される。アガットは、父や新しい母との生活のために、母の思い出を忘れたのだ。一方、アントワーヌは、記憶がいくら鮮明でも、当時の大人の助けなしには、その意味を知ることはできない。

 すべてを解き明かしたのは、ベルナデットの証言だった。30年にわたる、祖母と父がついていた嘘。それは、二人を信頼していたアガットにとっても、破滅的なものだ。隠された過去は、その後の人生を踏みにじる。贖いを求めるかのように一瞬に感情を爆発させるアガット。だが、その後、彼女には兄との和解があり、ずっと少年のままの心を抱えて、人生をさまよっていたアントワーヌは、やっと大人になれるのだろう。

 本土と島をつなぐ、長い道で起こる事故の場面が恐ろしい。その道が満潮で沈み、また現れるのが、過去の象徴のようだった。
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2016年08月09日

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男

 第二次大戦後、ソ連との冷戦下で、共産主義の脅威を排除しようと、アメリカ国内でレッドパージが始まり、下院非米活動委員会による攻撃はハリウッドにも向けられた。最初に標的にされたのは、ハリウッド・テンと呼ばれた、監督や脚本家たちで、ダルトン・トランボは、その中で最も売れっ子の有名人だった。

 下院非米活動委員会に全面的に協力する「アメリカの理想を守るための映画同盟」なるものがあり、ジョン・ウェインがその議長だった。議会で協力するロナルド・レーガンの実際の映像。非米活動委員会や映画同盟は、共産主義者はソ連のスパイで、国家転覆をもくろんでいると主張。トランボは、撮影所のストに協力したり、労働者の賃金について監督に直談判したことで、目をつけられる。ただ弱者に優しい眼を向けたり、富の独占に異を唱えたりしただけで、疑われたのだ。メディアも一斉射撃し、なかでもコラムニストのヘッダ・ホッターが、執拗に攻撃し続ける。

 議会で証言を拒み、議会侮辱罪に問われたトランボは、裁判にも負けて、刑務所に収監される。文字通り丸裸にされ、自由も尊厳も奪われた。だが、トランボのやったことの何が、それほどの罰に値するというのか。思想自体を狩る社会のヒステリックさは、恐ろしくも滑稽なほど。自由と民主主義のためと言いながら、それとは真逆の事態が、社会を覆っていたとしか思えない。

 トランボは、言論の自由を求めて、抑圧に対して常に強烈に口論する。頑固で、皮肉に満ちて、ユーモラスでもあり、一筋縄ではいかない人物像に惹かれた。
 生き延びるための作戦も柔軟で、出所後もブラックリストのせいで働くことのできなかった彼は、B級映画専門のキングブラザーズ社で、大量の偽名を使って大量の脚本を書き始める。質は問われないのに、トランボの手にかかれば上出来。経営者を満足させ、同じようにあぶれた仲間にも仕事を回し、ブラックリストの効力をそいでいく。

 芸は身を助く、というが、彼の才能が何よりの武器だった。トランボは収監前に「ローマの休日」の脚本を、旧知のイアン・マクレラン・ハンターに託し、ハンターの名前で発表させ、それがアカデミー原作賞に。キングブラザーズ社での「黒い牡牛」も同賞を獲る。幻の作者探しの中で、トランボの存在が浮かび上がり、ブラックリストの愚かしさを、世間に認識させることになるのだ。

 だが、ここまでの長い苦労。彼ががむしゃらに闘ったのは、家族の生活のためだったが、彼を支えた妻や、仕事に協力した子供たちの奮闘があったからこそ。家族のドラマに、胸が熱くなった。

 トランボはハッピーエンドだったが、レッドパージで、多くの人々が仕事や家族を失くしたり、自殺したりしたという。1975年までブラックリストが存在し続けたのも驚きだ。
 トランボはインタビューで、「この事件には被害者しかいない」と社会の疲弊を静かに語っている。生活のために友人を売ってしまった者たちも、俯瞰すれば被害者かもしれない。だが、積極的に推進した者たちは?権力の座にいた者たちは?ともかく、寛容さを失った社会の狂乱の恐ろしさが迫ってきた。
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2016年07月31日

MR.DYNAMIT The Rise of James Brown

 ミック・ジャガーのプロデュースによる、ジェームズ・ブラウンのドキュメンタリー。
 
 当時のJBを知る人たちの証言がいっぱい。ミック・ジャガーも、少年の頃に大人たちに混じって見たライブの様子を振り返りながら、すごく楽しそう。
 ライブで一緒だったバンドメンバーたちの話は、エキサイティングなライブの興奮とともに、人を信用しない孤独な暴君としてのJBの横顔や、数々のトラブルを伝えて生々しかった。舞台できっちり合図を送ってくるJBが、ときおりフェイントをかけてきて、それをうっかり見逃すと、容赦なく罰金をかけられた、とか、恋人連れて現れた時は、彼のあまりの嫉妬深さのために、恋人は必死にJBしか見ないようにしていた、とか。ギャラの不払いのせいでみんながJBを見限った、とか。
 リズム&ブルースにジャズの要素を加え、1拍目を強調するリズムでファンクを発明する過程も、興味深かった。清志郎も、強い影響を受けていたんだろうと思う。ライブの間奏で、1拍めを強調するリズムをバリバリに展開していた。
 
 何より圧倒的だったのは、本人のライブ映像。腰を振り、足を震わせて、高い声で激しいシャウト。ステージを走り回って、エネルギーの塊。ハンサムじゃないけど、ものすごくセクシー。自信満々なのに、切なくて助けてあげたくなる。もう眼も耳も釘づけ。映像でもすごいのに、その場にいたら、感電してしまいそうだ。

 黒人の権利を求める、公民権運動の時代だった。1966年、テネシー州メンフィスから、ミシシッピ州のジャクソンまでの220マイルを歩く「恐怖に抗する行進」のゴール地点に現れて歌うJBの映像。この後彼は、ブラックパワーの象徴的な存在となる。
 そして、1968年、キング牧師が暗殺され、アメリカ中に暴動が起こったなかでのボストン公演。興奮した観客がステージに上がってきて、それを白人警官が排除しようとするのを、JBは止め、黒人としての誇りを説いて観客を鎮めて、見事ライブを続行する。まるでキング牧師が乗り移ったかのよう。これも当時の本人の映像に興奮した。

 あふれる才能。しかも社会に深くコミットした人物だった。本人のインタビュー映像もあり、すごく雄弁で時にケンカ腰だったが、「ソウルは、黒人の苦難の歴史が生んだもの。」「ソウルとは、生き延びること。」という言葉が心に残った。
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2016年07月26日

裸足の季節

 トルコのイスタンブールからはるかに離れた小さな村。両親を失くし、祖母と叔父のもとで暮らすソナイ、セルマ、エジェ、ヌル、ラーレの5人姉妹。学期が終わり、転任してしまう大好きなディレッキ先生と別れを惜しむラーレ。その後、海岸で男子生徒と騎馬戦をした彼女たちだったが、家に着くや、怒りで取り乱した祖母に折檻される。隣人が、彼女たちがみだらなことをしていた、と告げ口をしたのだ。叔父も激怒。姉妹たちは、家に閉じ込められてしまうのだった。

 姉妹たちは、パソコンや携帯の他、こまごました私物も捨てられ、ラーレが「クソの色」と呼ぶ暗い色の服を与えられ、料理や掃除などの花嫁教育を受けさせられる。そして、一人、また一人と、知らない男と結婚させられていくのだった。

 豊かな長い髪、のびのびした手足。家の外でも中でも、ふざけ合う姉妹たちは、ほとばしるようなエネルギーにあふれている。だが、周囲にとって、それは手に負えない危険なものでしかない。処女検査とか、初夜のベッドの血を身内に見せる風習とか、驚くような場面があったが、女性を一人の男のものとしか見ない社会では、少女たちの性を管理するために、彼女たちの一挙手一投足を、すべて性的なものにつなげているようだ。だから、ただ元気のよい遊びがセックスに連想され、普通の自己主張である服や、アクセサリーや化粧品が、男を誘惑するための不埒なものとして扱われるのだ。
 
 新学期が始まっても、姉妹たちは学校へも行けない。犯罪ではないのか、と思えるひどい仕打ちを、誰もおかしいとは思わず、正しいと信じている。親戚も地域も同じ考えだし、保護者の権限が大きくて、どこからも救いの手が届かないのが恐ろしい。

 それでも、彼女たちの自由を求める気持ちは抑えきれない。だが、苦労して抜け出し、みんなでサッカー観戦に行ったあとも、姉たちが次々と嫁がされ、ラーレが一人家を抜け出したあとも、それらが見つかるたびに、監禁状態は益々厳重になっていく。だが、外に出るチャンスをつかむ度、賢いラーレは、脱出のための収穫を得ていた。トラック運転手のヤンと知り合って、車の運転を教えてもらう。そして、枕に自分の髪を縫い付けたり、鍵の在処や、天井裏からの出口を見つけたりと、周到に計画。ついに、ヌルの婚礼の日、花婿をじらす慣習を逆手に取って、家に籠城するのだ。厳重な監禁が、娘たちに有利にどんでん返る痛快。だが、逃亡はまさに命がけだった。

 あまりにも生きづらい社会。だが、ヤンのような男の人や、ディレッキ先生のようにラーレを理解してくれる人もいる。ラーレの選択の先に、きっときっと、彼女の望む人生があることを信じたい。 
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2016年07月16日

帰ってきたヒトラー

 1945年4月30日に自殺したヒトラーが、なぜか現代のベルリンで生き返る。すっかり変わった街に驚き、いなくなった側近を探して官邸に向かう彼を、テレビ局をお払い箱になったフリーのディレクターのザヴァツキが見つける。ヒトラーを彼のそっくり芸人だと思い込んだザヴァツキは、復職のためのネタに使おうと、ヒトラーに遭遇した街の人々の様子を撮る番組を企画し、彼をドイツ各地に連れて行く。

 よみがえった当初、新聞屋にかくまってもらいながら、ソ連の諜報機関のワナだろうか、と混乱しながら頭をしぼるヒトラーと、周りのチグハグさが笑える。
 いざ各地の街に出て行くと、遠巻きに見る人や怒り出す人もいるが、近づいて話しかけてくる人も。似顔絵で商売を始めると大盛況だ。過激派でもなければ、反移民のデモに出かけもしない普通のおじさんたちが、移民に対する反感や、民主主義へのうんざり感や、強い指導者の出現を望む気持ちを口にするのだ。相手がヒトラーだから、本音が出たのか。若者はヒトラーと自撮り。これらは、実際の街でのドキュメント映像だそうだ。

 自撮りのおかげで、どんどん拡散されるヒトラー。テレビに出ると、番組の出演者たちをひきつけ、視聴率も瞬く間に上がっていく。ヒトラーは、街では人々の話を静かに聴き、番組内では、沈黙さえ操って人々の心を魅了していく。芸人としての素をまったく見せずに、徹頭徹尾ヒトラーになりきるすごみと生真面目さ。ソフトな口調が、突然鋭い演説に切り替わるギャップ。視聴者は、ヒトラーをあくまで芸人と思いつつ眩惑されていくが、1940年代のヒトラーも、ウソと巧みな戦術で国民を引きつけたのだろう。

 テレビ局の倫理のなさ。新局長の座についたベリーニ嬢は、自身の成功と権力欲のためにヒトラーを出演させ続ける。副局長のゼンゼンブリンクがそれを妨害するのは、反ナチだからではなく、ただ彼女を蹴落としたいから。自分が彼女のイスに座るも、番組の視聴率が急落すると、しらっとヒトラーを再登板させる。

 ヒトラーは人々の話を聴きながら、「貧困や失業は都合がいい」とうそぶく。ネットもテレビも、自分をスターにしてくれる。巷にあふれる反移民のデモ。憎悪や不満をくすぶらせながら、社会がどんどん不寛容になり、国粋主義に傾斜していくさまは、ヒトラーが現れたあの時代に似ているのでは。

 ヒトラーが放つある種の人間臭さを見ながら、最後に人々の前に現れた、実際のヒトラーの映像を思い出した。大きくても16,17歳の少年や、小さい子では13歳以下の少年たちの頬をさわり、手を握って、慈愛の眼差しでねぎらい、激励するヒトラー。不安げで優しそう。だが、彼が少年たちに命じていたのは、スパイ行為や脱走兵の密告や、それによる死だったのだ。ヒトラーに人間的な魅力があったかかどうかなどより、彼が何をした人物かが、決して忘れてはならないことだろう。映画では、一族を収容所で殺された老女が、一人ヒトラーに向かって叫び声をあげる。

 ヒトラーが芸人ではなく本物だと気付いたザヴァツキが、ピストルでヒトラーを追い詰める場面。現実の歴史では何度も失敗したヒトラー暗殺が起こるのか、と固唾を飲んだ。だが、ヒトラーは利益追求のテレビ局に守られ、一人真実を知ったザヴァツキには悲劇が待っている。
 反移民の旗がひるがえる大勢のデモの映像。それをほくそ笑むヒトラー。観たあとには全然笑えない、暗澹とした気持ちになった。
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2016年07月10日

フラワーショウ!

 カルト文化が色濃く残るアイルランドの田舎で育ったメアリー・レイノルズ(エマ・グリーンウェル)は、広大な自然の風景を深く愛する少女だった。だが、彼女が大人になった頃、手つかずの自然は、畏怖を感じない人々によって、娯楽の場になっていく。
 デザインが得意だったメアリー。著名なガーデン・デザイナーのシャーロットの事務所に応募すると採用され、自然との共存の大切さを訴えるための庭を世に出そうと奮闘するものの、さんざん利用されたあげくクビに。どん底のメアリーだったが、シャーロットのお供で行ったチェルシーで知ったフラワーショウに、自分も出展しようと思い立つ。

 メアリーの魅力は、世間知らずで何とも危なげな感じと、信念をもって夢に向かって行く、エネルギッシュな奔放さが、混じっていること。
 シャーロットのもとでデザインを盗まれても、放り出されるまでお人よしのまま。だが、いったんショーへの出展を決めると、金賞を取ることを疑わない。事務局長の取りつく島もない対応にめげずに電話をかけ続け、アレルギーに効くハーブを教えてあげて秘書と仲良くなって、締切りの直前に願書を入手。そして、独創的なコンセプトにより、2000人もの応募者中、たった8人に選ばれるのだ。

 だが、ショーに必要な大量の植物や石や、施工に協力してくれる人たちのあてがあったわけではなく、25万ポンドという資金をどうすればいいかも分かっていなかった。それでも、不思議なほど次々と縁に恵まれる。
 元クライアントの家で庭の石を積んでいた職人をアタックすると、彼らは自然保護団体のメンバー。団体の長の会議に出かけて行って説明すると、植物を用意してもらえることに。しかも、メアリーはその場所で、シャーロットの事務所で出会って以来ひそかに恋してる、植物学者のクリスティン(トム・ヒューズ)に再会するのだ。
 
 出展者に選ばれた時点で、ショー開始までわずか80日。時間が刻々と迫るのに、展開が悠長で、このままで大丈夫なの?とヤキモキさせられた。メアリーはクリスティンに協力を求めるが、彼はショーの必要性を認めず、砂漠の緑の方が大切だ、とエチオピアに行ってしまう。それをメアリーははるばる追って行って、一緒にプロジェクトに参加しつつ説得し続ける。
 若過ぎるうえにイケメン過ぎて、全然学者に見えないクリスティン。恋多きはずの彼が、全然手を出してこなくて、結ばれそうでちっとも進展しない二人の関係も、同じく悠長。

 ラジオ出演が功を奏して、偶然出資者が現れるが、クリスティンが説得に応じてくれて、庭作りのための用意が本当に整ったのは、何とショーの20日前。会場に大量の材料を運び込んで、ここからやっと庭作りが開始。信念と情熱があれば奇跡が起こるのか。でも、こんなギリギリは、いくら何でも現実味がないと思う。そして、ここからまだまだ試練が起こっていくのだ。

 メアリーの作った「ケルトの聖域」は、無造作で一見雑然としてるのに、秩序と静けさが満ちていて、どこか日本の庭園に通じるところがあるかも、と思った。 
posted by HIROMI at 13:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記