2016年10月16日

歌声にのった少年

 ガザ出身の歌手ムハンマド・アッサーフの成功物語。
 姉のヌールや友達と、ガラクタの楽器でバンドを組んでいた、歌うのが大好きな少年ムハンマド。まともな楽器を手に入れようと、海で魚を獲って売った金を闇商人に渡すものの、だまされたと知って取り返しに行った彼は、袋だたきに。その後、ムハンマドは教会で歌ってお金を稼ぎ、バンドは中古の楽器で結婚式で演奏し始める。だが、その演奏中、突然ヌールが倒れるのだった。

 腎不全と診断されたものの、腎臓移植の金を用意できず、透析が始まる。ムハンマドは、歌のレッスンをしてくれた先生とCDを作って手売りしたり、結婚式で歌ったりして手術費用を稼ごうとするが、姉を救うことはできなかった。
 ヌールは、ムハンマドのことを「黄金の声」といって、絶えず鼓舞し、はげました。ただ楽しく歌えれば満足だったムハンマドは、いつしか姉の思いを自分の夢にしていくのだ。死んでしまった姉に寄り添い、自分に言ってくれていた「スターになって世界を変える」という言葉を、姉に繰り返す場面が切なかった。

 2012年、タクシー運転手として働くムハンマド。子供たちが走り回っていた時の街には、柵や壁が目についたが、大人になった彼が車を走らせる場所は、どこまでも空爆による廃墟が続いていて、ガザの状況は、深刻さが増している。

 壁に閉じ込められ、一歩も外に出られない彼ら。ムハンマドはスカイプでオーディション番組に出ようとするが、停電で台無しに。自暴自棄になった彼を救ったのは、姉の入院中に知り合った患者ママルの賛辞だった。

 「アラブ・アイドル」のオーディションを知ったムハンマドが、脱出を決意してカイロに行くまでの旅路がスリリングだ。危機一髪で検問を逃れ、やっと着いた検閲所でビザを偽造だと悟られる。命の保証のない道程を、姉との約束を果たすために乗り切っていくムハンマド。そして、たどり着いた会場でも、神の加護としかいえない出会いに救われるのだ。

 ガザから来た出演者はムハンマドが初めて。見事予選に合格した彼は、ベイルートでの本線を次々と勝ち進む。彼の活躍はパレスチナの希望となり、民衆が熱狂。彼は自分に向けられた期待と責任の重大さに落ち込むが、それもはねのけて、ついに決勝の舞台に立つのだった。

 地区から出ることが許されないガザ。普通に夢を追って生きることが困難ななか、ムハンマドほどの才能があっても、世に出るチャンスを掴むのは、途方もないことなのだ。彼がただのアイドルでなく、パレスチナの誇りであり、彼らの希望を背負っている意味の大きさが、熱狂のなかから伝わってきた。

 歌詞に字幕が出ず、少年ムハンマドが歌う歌詞が分からなかったのが残念だったが、最後の方、本戦の舞台で歌う場面にやっと字幕がついた。強烈な望郷を明るいメロディーに乗せていて、とても切ない歌だった。
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2016年10月09日

ティエリー・トグルドーの憂鬱

 ハロ・ーワークの職員に、対応の不備を訴えるティエリー・トグルドー(ヴァンサン・ランドン)。クレーン操縦工の研修を受けて資格を取ったのに、作業員の募集に応募すると、建築現場の経験がないことを理由に採用されなかったのだ。経験が必須条件だと分かっていたのなら、なぜそんな研修を勧めて受けさせたのか。だが、職員は、履歴書作成の手伝いと、募集企業のリスト作成しかしていない、と繰り返すだけ。失業者の手助けをする機関が、自分たちのせいの無駄な努力や疲弊に無関心で、時間がない切羽詰まった事情にも冷淡なら、一体どうすればいいのだろう。

 工作機械の作業員として働いた会社でリストラに遭ったティエリー。同僚たちは、不当解雇を裁判に訴えようと集まっていたが、彼には、裁判と職探しを両立させる気力はなかった。会社から切られたこと自体が大きなショックで、もう社名さえ思い出したくないのだ。そんな傷ついた彼に、次々と試練が重なっていく。

 スカイプでの面接。相手は、不熱心な質問を重ねるうち、どんどん条件を下げてきて、ティエリーがそれを飲んでもいいと応じると、彼の履歴書には自己PRが足らない、と言い出し、前向きに検討すると言っておきながら、採用の確率は低いと思っていてくれ、と言う。要するに初めから雇う気などないのだ。ティエリーの緊張した疲れた表情は、面接にふさわしくないかもしれないが、相手の無礼さは、あんまりというものだ。

 ティエリーは、面接の映像を見て批評し合うグループコーティングに参加するが、参加者たちは、彼の表情や声の出し方などを次々と批判する。職を探す同じ境遇同士だというのに、相手の批判要素に気付かないと、自分の能力が低く見られるとでも思っているのだろうか。そもそもティエリーは、長い間仕事で能力を発揮してきたベテラン。妻子もちで、障害のある息子を愛する優しい父親として、立派に人生を歩んできた。それが、若造たちにまるで人格攻撃のような扱いをされるのだ。

 銀行の借入相談では、アパルトマンの売却を勧められ、あと5年になった返済を理由に断ると、生命保険の加入を勧められる。銀行員は淡々と業務をこなしているのだが、ティエリーにとっては、愛着のある家も自分の命も、お金として計算される。そこには、寒々とした現実の突きつけがあるばかりだ。

 ティエリーがやっとのことで得た職業は、スーパーマーケットの監視員だったが、そこも非情な場所だった。肉を盗んだ老人は、無一文で金を借りるあてもなく、料金を払えば釈放されるところを、警察に引き渡される。監視の目は職場の労働者にも及んでいて、ある日、勤続20年のベテランレジ係が、割引券の不正に集めていたことを発見され、解雇される。長い貢献が考慮されることも、家の事情を同情されることもない。彼女の自殺は、明らかに会社の冷たい対応のせいだが、会社は無関係を装い、カードを忘れた客のポイントを、自分のカードにスキャンしていたという店員が、またも事務所につれて来られるのだった。ほんの小さな不正も、従業員を切る大事な理由。追及する側の役員たちは、役得を利用したこと覚えなどないのだろうか。

 ティエリーは、役目を遂行するのみで想像力を欠いた相手に、侮辱を受け続ける。そこには、人への敬意や人間の尊厳がない。傷だらけの彼はみじめだが、ぎりぎりの矜持が感じられる。そんな彼が、はからずも同じように弱い人々を、攻撃する側の共犯者の立場に立たされるのだ。閉塞した出口のない状況。だが、寡黙に耐えるティエリーの目線に徹底して、この状況を描いていること自体には、希望が感じられると思う。
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2016年09月20日

めぐりあう日 

 生まれてすぐ養女に出された30歳のエリザ(セリーヌ・サレット)。実母を探すため、専門機関に調査を依頼するも、「匿名出産」の壁に阻まれて、たどり着くことができない。調査では、母は娘に会うことを拒み、自分には子供はいないと言っているという。父のことは何も話さなかったことから、エリザは、レイプが原因だからでは、と疑う。息子ノエとともに出生地のダンケルクに引っ越し、自ら調べ始めるが、生まれた産院はすでに移転。自分を取り上げてくれた助産婦の消息も分からなかった。

 その間も日常は流れていく。エリザは理学療法士として働いているが、ノエは新しい学校に行きたがらない。アラブ系の風貌のため、給食時に、豚肉は食べていいのかと聞かれるし、クラスにもなじめずいじめられる。だが、エリザは自分のことで精一杯。

 そんなノエを、学校で給食と清掃の仕事をしているアネット(アンヌ・ブロワ)が気遣う。市場で最初に二人が視線を交わす場面は、二人の間に、彼らの知らない決定的な関係が存在することを明かしている。アネットは、ノエの瞳に惹かれるが、なぜそう感じるのかは無自覚だ。そして、ケガをした彼女が、学校の保護者に教えられてエリザのもとを訪れ、二人は出会うのだった。

 太って分厚いアネットの背中。それをさすり、向きを変え、力を加えるエリザ。身体そのものの迫力は、過去の空白を埋めるかのような、強烈な母子の触れ合いに見えた。だが、エリザは空白を抱えたまま。子供はいるのかというエリザの質問に、アネットはいないと答えるが、治療の繰り返しから、アネットの方が、エリザにより親近感を覚えていくのだった。

 人種が違うように見えるノエを養子かと聞いたアネットは、養子は自分の方だと言われて動揺する。そして、娘の方から自分を見つけてくれるよう、申請書を書くのだった。だが、彼女を実母だと知ったとたん、エリザは否定と怒りの気持ちで激しく混乱する。

 エリザの養母は、しょっちゅう電話をしてきて心配している。アネットにも同居の母親(フランソワーズ・ルブラン)がいて、彼女は、市場で移民の子供を見ると、バックを隠せとアネットに言う。アネットが娘を見つけたいと言い出すと、父親がアラブ人だから知らない方がいい、と言う。母親の中には、根強い有色人種への差別感情があるようだ。
 エリザがアネットの兄の店に来た時、彼も、アネットの恋人だったアラブ人への悪態をつく。アネットがエリザを養女に出したのは、アラブ人の子供だったからだろう。だが、彼女は中絶は選ばず産んだのだ。そして、今まで母と兄の言いなりだったアネットは、娘を前に、やっと自分の本当の気持ちを口に出す。

 自分を確認するため、エリザにはどうしても母を探すことが必要だった。それまで彼女は充分には親になれず、母を求める娘のままだった。緊張したままもがいていたエリザの表情に、笑顔が戻る。彼女はやっとノエに向き合えることだろう。一方、娘を手放してからのアネットは、老いてもなお、母に従う娘のままだったのだろう。彼女も、家族の抑圧から解かれて本当の感情を見つけるには、娘と会う必要があったのだ。

 母を見つけたエリザは、ノエとつながる父も発見した。最後に男の声で朗読される「あなたが狂おしいほど愛されることを望む」は、父にそう思っていて欲しいという、彼女の深い望みのようだった。
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2016年09月19日

太陽のめざめ

 2か月も子供を学校に通わせていない母親(サラ・フォレスティエ)を、裁判所に呼び出したフローランス判事(カトーリヌ・ドヌーヴ)。だが、とがめられた母親は逆キレし、育児放棄を6歳のマロニーの素行の悪さのせいにして、口汚く彼をののしったあげく、赤ん坊だけを抱いて飛び出して行く。残されたマロニーは、養護施設に一時保護されるのだった。

 10年後、再びフローランス判事の前に現れたマロニー(ロッド・パラド)は、問題行動の多い、反抗的な少年になっていた。フローランスは、彼に教育係をつける「児童教育支援」を受けさせるが、マロニーはすぐに傷害と車の窃盗を犯す。反省もなく投げやりなマロニーに、フローランスは、検事が主張する少年院ではなく、更生施設に送る措置を取るのだった。

 気性が激しく、いつもイライラし、すぐに激昂するマロニー。だが、最初に母親に捨てられたシーンの、繊細そうで悲しそうな印象は、その後もずっと変わらない。彼が突然暴力をふるうのは、いつも拒絶された時だ。初めの教育係が、手に負えない、と辞めた時。施設で勉学を積み、少しは落ち着いたのに、復学に懐疑的な冷たい役人の前で。母親に拒まれた深い傷が、無意識のフラッシュバックの中で、何度も爆発してしまう。抑えられない怒りの衝動と、飢餓感を抱えた危ういマロニー。愛されなかった彼は、自分を大切にすることも、他人を大事にすることも学ばず、自分の可能性も認めず、自分をただ無能だと思っている。

 本当は分かって欲しいのに、愛され方が分からないマロニーと、彼を忍耐強く導こうとする周囲の攻防は、長く激しい消耗戦だが、とても切なかった。
 施設での学習時、いやがりながらも何度も書き直す彼の前には、丸めた紙だらけ。それだけの時間、頑張っているということだ。途中でキレて出て行くも、待たれていると知っているので、ソロソロと戻ってくる。
 フローランスは、かつて自分が更生させたヤン(ブノワ・マジメル)を教育係につけるが、マロニーの姿にかつての自分を見るヤンは、体当たりで指導する。仕事をさぼった朝に引きずり出されて暴力を受けたマロニーは、フローランスに告訴したいと訴えるが、いざとなると色々理由をつけて取りやめる。彼はヤンの本気を感じているのだ。
 そして、マロニーは、表面は反抗しながらも、自分を案じてくれるフローランスを慕っている。誕生日に施設を訪れた彼女が忘れたスカーフを、子供のように顔に当てる。

 母親が他人に向かって自分のことを口汚く言う時、マロニーは傷つきながらも辛抱している。彼が母親に向かってキレるシーンはほとんどなく、彼は母の愛を空しく求めて続けているのだ。若すぎてだらしない母親だが、彼女もまた、まともに愛されなかった過去がうかがえる。

 彼を大きく変えるのは、恋人ができたこと。指導員の娘で、少年のような不思議なオーラを放つテス(ディアーヌ・ルーセル)。二人が初めて過ごした、不器用な夜のシーンの切なさ。マロニーはテスの妊娠を受け入れられないが、中絶手術の直前に彼女を連れ戻す。彼は、見捨てられる胎児に自分を重ねたのだと思う。テスは、普通なら敬遠するような相手に近づくが、彼女はマロニーの本質的なものを見抜いて、心から彼を愛しているのだ。

 視線やちょっとしたことが多くを語っていて、離婚したことを話すヤンに、マロニーが慰めるように「あんたを愛してる」というシーンも、施設でおかしいなペンの握り方をしていたマロニーが、裁判所ではきちんとした持ち方でサインをするシーンも、うれしかった。熾烈だが、希望にも強烈に満ちた、美しい作品だった。
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2016年09月03日

ストリートオーケストラ

 極度の緊張から、サンパウロ交響楽団の最終審査に落ちてしまったヴァイオリニストのラエルチ。彼のイライラから四重奏団の仲間もバラバラに。家賃の支払いにも困った彼は、仕方なく、NGOが支援するスラムの子供たちの音楽教師に応募する。
 
 周囲に貧しい家がひしめく、フェンスに囲まれただけの青空教室。子供たちは演奏以前のレベルで、楽器の正しい持ち方も座り方も知らず、集中するどころか、勝手に立ち歩いたりケンカを始めたり。
 子供たちの態度にキレてしまうラエルチだったが、厳しい父のもと幼い頃から神童と言われ、今も父の期待を背負っている彼にとって、スラムはいるべき場所ではなかった。

 ところが、授業中にお菓子を売りつけた男に「警察を呼ぶ」と言ったことから、ラエルチはギャングに目をつけられるが、銃で脅されながらも見事な演奏をしたことから、風向きが変わっていく。多分子供たちは、ラエルチが地区や自分たちから逃げ出さなかったことに信頼したのだろう。
 だが、練習日を増やすことになると、アル中の父親の世話や、小さい兄弟の世話など、彼らの置かれた境遇の厳しさが浮かび上がるのだった。

 少年院帰りのVRは、カード詐欺のグループに加わっていて、ギャングのクレイトンに借金があるという。彼の周りには、いわくのありそうな男がたえず現れる。
 一人抜きん出た才能を見せるサムエル。大人しい彼だが、家では病気がちの母と強権的な父がいる。そして、経済的な理由で授業を諦めなければならない、と言い出すのだった。

 子供たちは、集中して次第に腕を上げていく。問題を抱える家庭に育つ彼らにとって、教室は安心できて、自分の価値を確認できる大切な居場所なのだ。合奏自体、まず自分が練習して上達したうえで、仲間と心を合わせないとできないこと。しかも曲は、バッハやシュトラウススなどの高度なクラシック。
 家を出て転々としても、サムエルは片時も楽器を離さない。彼がバラックの入り口で弾くヴァイオリンの美しさ。それにVRが民族楽器で合わせる軽妙なハーモニー。逆境を振りほどいていけそうな、可能性がきらめいていた。

 だが、その陰で二つのことが進行する。クレイトンが借金の件でVRたちを脅し始め、クラブのトイレであわや殺人が起こりかける。一方、子供たちのために奔走していたラエルチに、再びオーディションの知らせが届き、彼は自分の夢に再び向き合う。そして、ラエルチがサムエルに、近い別れを知らせて悲しませた直後、悲劇が起こるのだ。

 警察にサムエルが射殺される場面も、それに抗議してスラムが火に包まれる暴動シーンも、あまりにもリアルで、やりどころのない怒りと悲しみがはりついていた。個人の希望や未来が、暴力や恐怖にかき消される。
 だが、生徒たちは、結束して演奏会を成功させた。今後バッハを弾くたび、彼らはサムエルを思い出すだろう。彼らがずっと活動を続けていて欲しい。
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2016年08月28日

奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ

 パリ郊外のレオン・ブルム高校。白人のほか、黒人やアラブ系やアジア系など、様々な人種の生徒が集まるクラスに、ベテランの歴史教師アンヌ・ゲゲンが担任になる。そのクラスは学校一の落ちこぼれクラスで、授業中にヘッドフォンをつけたままだったり、マニキュアを塗っていたり、突然ケンカが始まったり。ゲゲン先生の厳しさにしぶしぶ従う生徒たちだったが、彼女が忌引きの間に代わりの先生が来ると、たちまち反抗と授業妨害の渦。
 そんな生徒たちに、ゲゲン先生は「レジスタンスと強制収容についての全国コンクール」に応募しようと提案。ホロコーストの犠牲になった子供と若者たちについて、考察を求めるのだった。

 ゲゲン先生は、絶えず喧噪を作り出す気ままな生徒たちに毅然と接し、どんな時にも自分にイニシアティブがあることを譲らない。そして、問題が起こるたび、生徒たちに厳しくも温かな気付きを与えるのだ。
 コンクールへの出場をムリだと怒る生徒に、「笑われるのが怖いから、やる気がないといってる」と言い、自己評価が低いせいの本音に気付かせる。発表準備が始まると、「ネットがあるから資料を集めるのは簡単だが、表面的ではダメだ」といって、生徒がネットから集めた腕の刺青写真の意味を考えさせる。そして、同じテーマを選んでしまったグループが言い争うと、「なぜ仲間同士で批判し合う前に、もっと話し合わなかったのか」と、互いの情報交換の大切さに気付かせるのだ。

 ショアー記念館で、同世代の犠牲者の無数の写真に息を飲む生徒たち。一つの民族を全滅させるために、最初に標的になったのは、産む性である女性と、未来を担う子供や若者たちだった。
 そしてホロコーストの生存者レオン・ズィケル氏の話に耳を傾けたことが、生徒たちを大きく変えていく。大戦当時、生徒たちと同じ年頃だったレオン氏の、死と隣り合わせの過酷な体験。なぜ耐えられたのか、の質問に「友人に大変な体験をしたといばりたかった」と答えているが、そんな素朴な動機も、思春期の彼らの心に共感を呼んだだろう。

 西洋の歴史はキリスト教と切り離せないからか、ゲゲン先生は授業で詳しく歴史に触れ、教会のステンドグラスに描かれた図柄から、イスラム教を蔑視するプロパガンダを読み取らせたりする。これは高度な考える授業だ。
 発表への考察を深めていった生徒たちは、ナチ時代のポスターに、当時の政権の狡猾なプロパガンダを読み取ったり、ガス室を描いた漫画のなかの犠牲者に、髪や服が描かれていることに、犠牲者の人間としての尊厳を取り戻したい、という思いを読み取っていく。

 家庭が貧しく、生徒の母親がアル中だったり、黒人の生徒が白人の女友達の親に、冷たくあしらわれるシーンがあったり。人生の早い時期から、すでに試練を抱えている彼ら。だが、争いが多く、低い自己評価からケンカを繰り返していた生徒たちは、学習を深めるにつれ、どんどん自信に満ちて落ち着いていく。その生き生きとした変化も、歴史を受け継ぐことが成長につながっていることも、とても感動的だった。
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2016年08月20日

ニュースの真相

 メアリー・メイプスは、CBCニュースで20年のキャリアをもつプロデューサーで、ダン・ラザーは、長年CBCでアンカーマンとして人気を博してきたベテランだった。2004年、イラクのアブグレイブ刑務所での虐待事件を報道したあと、大統領選の最中、メアリーはチームを組んで、現職大統領ジョージ・W・ブッシュの軍歴詐称疑惑の調査に取り掛かった。
 公式記録によると、ブッシュは、ベトナム戦争さなかの1968年に6年契約でテキサス空軍州兵として入隊し、1973年に早期除隊。その間、1972年に健康診断を拒んで処分を受け、アラバマに転属しているが、その後1年は勤務した形跡がない。つまり、ベトナム行きを逃れるためにコネで入隊したうえ、職務怠慢だった疑いが、ささやかれていたのだ。

 チームは、ブッシュが入隊した当時の副知事や、当時の指導教官キリアン中佐、キリアンの上官だったホッジス将軍らを探し出すが、キリアン中佐はすでに死亡。他は、みな同じように口を閉ざすか、疑惑を否定するかだった。

 そんな中、キリアン中佐が残したという文書のコピーが、退役軍人バーケット中佐から提供された。そこには、ブッシュの訓練不参加や、能力不足が記録されていた。

 チームは直ちに文書鑑定家に鑑定を依頼するとともに、さらに取材を進めると、元副知事はブッシュを入隊させたことを認め、ホッジス将軍は文書の内容を否定しなかった。充分ウラが取れたと考えたメアリーたちは、キリアン文書をブッシュ疑惑の新証拠として報道する。

 スクープはたちまち話題となるが、直後に窮地に立たされたのは、ブッシュ陣営ではなく、メアリーたち報道した側だった。「文書のフォントも書式設定も、70年代当時にはないもので、文書はワードで打たれた偽物だ」、とネットで保守派のブロガーたちが騒ぎ出したのだ。
 メアリーたちは、過去の膨大な文書のなかから、同じフォントや書式設定を見つけ出すが、証拠の文書はオリジナルでなくコピーのために、正式な鑑定はかなわず、メアリーたちはどんどん追い詰められていく。

 何週間にも及ぶ粘り強い取材が、ネットの一撃で無残にも崩されていく。ネットの中には、メアリー個人に対する酷い攻撃も並んでいて、身がすくむ思いだ。一度火がついた攻撃はどんどん拡散し、他のメディアも同調し出す。そして、その負の勢いにあおられてか、一旦文書の内容を認めたホッジス将軍も、言をひるがえすのだった。

 そんな中、チームを守ってくれるはずの会社は、内部調査委員会を設置。報道を誤報と決めつけ、その責任をメアリーに取らせて、事態を収拾しようとするのだった。委員のなかにはブッシュに近い者も数人いて、初めから出来レースの過酷なものだった。アンカーマンのラザーは番組を去り、メアリーは解雇される。二人の栄光に包まれた輝かしいキャリアは、文書の騒動で一気に崩れさっていく。

 悔しいのは、世間の関心が文書の真偽にだけ集まり、ブッシュの疑惑自体はまったく問題にされなくなったことだ。新証拠はワナだったのか。関係者の証言からも、記録からも、疑惑は明らかだというのに。アメリカのその後にとって、この報道が消された影響は、はかり知れないはずだと思う。

 調査委員会の最後に、メアリーが行った反論は、真実を追究する者の高い知性と誇りに貫かれていて、感動的だった。彼女たちが手掛けていた調査報道こそ、ジャーナリズムが力を発揮すべきもののはず。リスクが大きいからといって、調査報道が少なくなるのは残念でしかない。
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2016年08月11日

ミモザの島に消えた母

 妻と離婚したばかりのアントワーヌ。娘たちと定期的に会っているが、思春期の長女マルゴは彼に距離を感じている。建築関係の仕事をしているが、現場での指示を誤ったり、周囲の信頼を損ねるミスを繰り返す。穏やかで、思慮深そうで、充分魅力的な男が、なぜ円熟期の人生で失敗ばかりしているのか。それは、幼い頃に起こった母の死が、心に刺さっているから。彼は数年来カウンセリングに通っているが、父と話せないことに悩んでいる。母の事故について知りたいと願ってきたが、父にも祖母にも拒まれる。家族の中では、それは聞いてはいけないこと、避けるべきことなのだった。

 妹のアガットは、兄が感じる疑惑をただの妄想だといい、過去にこだわる兄の姿勢を批判する。死んだ母を名前でしか呼ばない彼女。アガットにとっては、自分を育ててくれた父の再婚相手こそが母なのだ。

 母の30回めの命日、母が死んだノアールムーティエ島を訪れた兄妹は、祖母の家で家政婦だったベルナデットと再会し、遺体の発見場所が10キロも離れた対岸だったと聞かされる。疑念を深めるアントワーヌにアガットが怒り、帰路の車内でのけんかのせいで、自動車事故が起こってしまう。まるで、封印された過去に突然襲われたかのようだ。だが、このことが、アントワーヌを謎に大きく近づける。

 入院したアントワーヌは、母がかつて置かれた安置所に入って、死体修復師のアンジェルと出会う。彼女も子供の頃に父を失くしていて、今の職業に就いたのは、父の無残な死がきっかけ。アントワーヌは、アンジェルに自分の思いを語ることによって、前に進む力を得るのだった。

 ベルナデットから渡された、母の遺品の高級時計。それに刻まれたジャン・ウィズマンという名前。父に尋ねても、中古を買った時からだと言い張るだけ。名前の人物を探し出し、母との写真を見せても、父も祖母も無視。アントワーヌが真相に近づけば近づくほど、家族とのいさかいが大きくなり、溝が広がって、彼はひとり孤立していく。

 子供の頃の記憶が、アントワーヌのなかで度々フラッシュバックする。自分が島にいたのは、母が死んだ日と近かったのではないか。確かそこで、母の遺体を見たのではないのか。そして、母のことにかかわらないようにしていたアガットにも、同じことが起こる。マルゴに同性に恋する気持ちを相談をされた彼女は、突然、幼い頃に目撃した、母と恋人とのキスシーンを思い出すのだ。

 子供の頃の記憶には、本質的なものが宿っている。それは孤独に通じ衝撃的な分、強い無意識で隠される。アガットは、父や新しい母との生活のために、母の思い出を忘れたのだ。一方、アントワーヌは、記憶がいくら鮮明でも、当時の大人の助けなしには、その意味を知ることはできない。

 すべてを解き明かしたのは、ベルナデットの証言だった。30年にわたる、祖母と父がついていた嘘。それは、二人を信頼していたアガットにとっても、破滅的なものだ。隠された過去は、その後の人生を踏みにじる。贖いを求めるかのように一瞬に感情を爆発させるアガット。だが、その後、彼女には兄との和解があり、ずっと少年のままの心を抱えて、人生をさまよっていたアントワーヌは、やっと大人になれるのだろう。

 本土と島をつなぐ、長い道で起こる事故の場面が恐ろしい。その道が満潮で沈み、また現れるのが、過去の象徴のようだった。
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2016年08月09日

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男

 第二次大戦後、ソ連との冷戦下で、共産主義の脅威を排除しようと、アメリカ国内でレッドパージが始まり、下院非米活動委員会による攻撃はハリウッドにも向けられた。最初に標的にされたのは、ハリウッド・テンと呼ばれた、監督や脚本家たちで、ダルトン・トランボは、その中で最も売れっ子の有名人だった。

 下院非米活動委員会に全面的に協力する「アメリカの理想を守るための映画同盟」なるものがあり、ジョン・ウェインがその議長だった。議会で協力するロナルド・レーガンの実際の映像。非米活動委員会や映画同盟は、共産主義者はソ連のスパイで、国家転覆をもくろんでいると主張。トランボは、撮影所のストに協力したり、労働者の賃金について監督に直談判したことで、目をつけられる。ただ弱者に優しい眼を向けたり、富の独占に異を唱えたりしただけで、疑われたのだ。メディアも一斉射撃し、なかでもコラムニストのヘッダ・ホッターが、執拗に攻撃し続ける。

 議会で証言を拒み、議会侮辱罪に問われたトランボは、裁判にも負けて、刑務所に収監される。文字通り丸裸にされ、自由も尊厳も奪われた。だが、トランボのやったことの何が、それほどの罰に値するというのか。思想自体を狩る社会のヒステリックさは、恐ろしくも滑稽なほど。自由と民主主義のためと言いながら、それとは真逆の事態が、社会を覆っていたとしか思えない。

 トランボは、言論の自由を求めて、抑圧に対して常に強烈に口論する。頑固で、皮肉に満ちて、ユーモラスでもあり、一筋縄ではいかない人物像に惹かれた。
 生き延びるための作戦も柔軟で、出所後もブラックリストのせいで働くことのできなかった彼は、B級映画専門のキングブラザーズ社で、大量の偽名を使って大量の脚本を書き始める。質は問われないのに、トランボの手にかかれば上出来。経営者を満足させ、同じようにあぶれた仲間にも仕事を回し、ブラックリストの効力をそいでいく。

 芸は身を助く、というが、彼の才能が何よりの武器だった。トランボは収監前に「ローマの休日」の脚本を、旧知のイアン・マクレラン・ハンターに託し、ハンターの名前で発表させ、それがアカデミー原作賞に。キングブラザーズ社での「黒い牡牛」も同賞を獲る。幻の作者探しの中で、トランボの存在が浮かび上がり、ブラックリストの愚かしさを、世間に認識させることになるのだ。

 だが、ここまでの長い苦労。彼ががむしゃらに闘ったのは、家族の生活のためだったが、彼を支えた妻や、仕事に協力した子供たちの奮闘があったからこそ。家族のドラマに、胸が熱くなった。

 トランボはハッピーエンドだったが、レッドパージで、多くの人々が仕事や家族を失くしたり、自殺したりしたという。1975年までブラックリストが存在し続けたのも驚きだ。
 トランボはインタビューで、「この事件には被害者しかいない」と社会の疲弊を静かに語っている。生活のために友人を売ってしまった者たちも、俯瞰すれば被害者かもしれない。だが、積極的に推進した者たちは?権力の座にいた者たちは?ともかく、寛容さを失った社会の狂乱の恐ろしさが迫ってきた。
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2016年07月31日

MR.DYNAMIT The Rise of James Brown

 ミック・ジャガーのプロデュースによる、ジェームズ・ブラウンのドキュメンタリー。
 
 当時のJBを知る人たちの証言がいっぱい。ミック・ジャガーも、少年の頃に大人たちに混じって見たライブの様子を振り返りながら、すごく楽しそう。
 ライブで一緒だったバンドメンバーたちの話は、エキサイティングなライブの興奮とともに、人を信用しない孤独な暴君としてのJBの横顔や、数々のトラブルを伝えて生々しかった。舞台できっちり合図を送ってくるJBが、ときおりフェイントをかけてきて、それをうっかり見逃すと、容赦なく罰金をかけられた、とか、恋人連れて現れた時は、彼のあまりの嫉妬深さのために、恋人は必死にJBしか見ないようにしていた、とか。ギャラの不払いのせいでみんながJBを見限った、とか。
 リズム&ブルースにジャズの要素を加え、1拍目を強調するリズムでファンクを発明する過程も、興味深かった。清志郎も、強い影響を受けていたんだろうと思う。ライブの間奏で、1拍めを強調するリズムをバリバリに展開していた。
 
 何より圧倒的だったのは、本人のライブ映像。腰を振り、足を震わせて、高い声で激しいシャウト。ステージを走り回って、エネルギーの塊。ハンサムじゃないけど、ものすごくセクシー。自信満々なのに、切なくて助けてあげたくなる。もう眼も耳も釘づけ。映像でもすごいのに、その場にいたら、感電してしまいそうだ。

 黒人の権利を求める、公民権運動の時代だった。1966年、テネシー州メンフィスから、ミシシッピ州のジャクソンまでの220マイルを歩く「恐怖に抗する行進」のゴール地点に現れて歌うJBの映像。この後彼は、ブラックパワーの象徴的な存在となる。
 そして、1968年、キング牧師が暗殺され、アメリカ中に暴動が起こったなかでのボストン公演。興奮した観客がステージに上がってきて、それを白人警官が排除しようとするのを、JBは止め、黒人としての誇りを説いて観客を鎮めて、見事ライブを続行する。まるでキング牧師が乗り移ったかのよう。これも当時の本人の映像に興奮した。

 あふれる才能。しかも社会に深くコミットした人物だった。本人のインタビュー映像もあり、すごく雄弁で時にケンカ腰だったが、「ソウルは、黒人の苦難の歴史が生んだもの。」「ソウルとは、生き延びること。」という言葉が心に残った。
posted by HIROMI at 12:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記