2017年02月26日

たかが世界の終り

 自分の余命が少ないことを知り、パリから12年ぶりに実家に帰ってきた脚本家のルイ(ギャスパー・ウリエル)。母(ナタリー・バイ)と、兄アントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)と彼の妻カトリーヌ(マリオン・コティアール)、妹シュザンヌ(レア・セドゥ)の出迎えを受けるが、再会を喜ぶ一方で、待ち受けた家族の間では早くも火花が散り出す。「タクシーで来るなら車を出したのに」と言うシュザンヌと同じ言葉を母が言うと、シュザンヌは怒り出す。家族が同じ意見を持つのは和やかなことのはずなのに、「シュザンヌがいうように」の一言がないのは、彼女の言葉を聞いていなかったか、無視したかのようにも取れる。こんな言葉の行き違いによる、不毛なやりきれなさが、ずっと続いていくのだ。

 長く離れていたために、ルイとカトリーヌは初対面。カトリーヌが子供の名前について、なぜルイと同じ名前かを話し始めると、突然アントワーヌが、「そんな話はルイは退屈してる」と横ヤリを入れる。だが、初対面の身内に家族の話をできないのなら、何を話せばいいのだろう。家族の中では、場にふさわしいかとか、相手の興味に合っているかなど、いちいち考えないでいるものだ。だが、それらを意識した途端、すべては意味のない空回りに思われる。

 小さい頃に別れたため、成長を見なかった妹。シュザンヌはルイへの憧れを語るが、簡単な手紙しかもらえずに経ってしまった歳月への不満を、つい口にする。
 理解できないが愛している、と言ってくれた母。だが、明るい会話を望むあまり、泣き言をいう時ではないとルイに言い、結局ルイは、二人きりで話した相手のどちらにも、自分はもうじき死ぬのだ告白する機会を与えられない。

 家のあちこちを移動するカトリーヌと、ルイは何度も不意に二人きりになる。不器用で自信なさげな、他人である彼女ひとりが、実はルイの不安定な心情を、最も敏感に感じ取る。彼女はいわば家族とのルイの媒体だが、彼女の配慮は結局実を結ばない。

 誰との会話でも常に聞き役で、何も話していなかったルイが、饒舌になるのはアントワーヌとの車の中。空港から家までの道程を細かく話すルイに、アントワーヌは下らないと怒り出す。だが、家族の会話とは、そういうどうでもいいことの堆積ではないのか。
 アントワーヌは、ルイは自分たちに話すべきことを何も話していない、と不満な反面、それを聞くのは怖いのだろう。彼には多分、昔から弟への嫉妬や、自分への無関心に対する怒りがあって、抑えきれない感情が吹き出して状況を破壊してしまうのだ。

 拒否されて宙に浮く言葉、中断される会話。それでも激しくけたたましい言葉の数々の裏で、本当に聞きたいこと、話さなければならないことは押し込められたまま。その中で、息苦しいほどの緊迫感がずっと立ち込めている。たった一日がひどく長く、消耗的だ。

 やっと告白を決心したルイだったが、ふとした言葉の応酬にアントワーヌが激昂し、せっかくの帰郷は突然終わってしまう。すがってくる母や妹。それは家族だからこその強烈な愛情だ。家族だからこそ、最後に会いに帰ってきた。そして、家族だからこそ、居場所のなさがいたたまれない。とうに孤独だったはずのルイが、帰ってきたばかりに深い孤独に沈むラストが悲しすぎる。
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2017年02月17日

未来を花束にして

 1912年のロンドン。洗濯工場で働く21歳のモード・ワッツ(キャリー・マンガン)は、同僚のバイロレット・ミラー(アンヌ・マリー=ダフ)に誘われて行った公聴会で、思いがけずバイオレットに代わって発言したことをきっかけに、女性参政権を求める活動に関わるようになる。

 当時の女性の境遇に驚く。モードが洗濯工場で働き出したのは、7歳から。母親も子供の頃から同じ工場で働いていた。賃金は、男性が19シリング、女性は13シリングしかないのに、労働時間は女性の方が3時間も多かった。労働の過酷さから洗濯女の寿命は短く、モードの母は彼女を産んだ4年後に死んでいる。学問も与えられない中、洗濯女の子供は洗濯女にしかなれないのだった。

 そして当時の女性には、子供の親権も財産の管理権もなかった。政治参加も許されず、父親や夫が代弁すればいいとされていた。そんななか、女性参政権は状況をうち破る大きな希望だった。モードは、当たり前のように耐えてきた理不尽な不平等から、違う生き方を求めて運動に惹かれていく。

 女性たちの思いを束ねたリーダーは、エメリン・パンクハースト夫人。労働者階級の女たちと、中産階級の女たちが、身分を越えて運動を進めていった。エメリン役のメルリ・ストリープが屋敷の窓下に集まった大勢に貫禄たっぷりに演説するシーンは、先日の授賞式でのトランプ批判を思い出した。
 
 参政権を求める女性たちは危険視され、公聴会で意見を聞くパーフォーマンスの一方で、活動家たちには写真による監視がなされていた。
 修正案却下に抗議し、議会前に集まった女たちを、取り囲んだ警官隊が殴りかかる。逮捕されたモードたちがハンストをすると、数人で押さえつけて、鼻からチューブで流動食を流し込むという拷問が待っていた。警察の徹底した弾圧の酷さは、どれほど彼女たちを恐れていたかということでもあるだろう。

 彼女たちの手段も過激で、「言葉よりも行動を」のスローガンのもと、誰も傷つけないよう早朝に郵便ポストを爆破したり、通信手段を切断したり、政府要人の別荘を破壊したり。それでも新聞が無視すると、ついに国王への直訴を思いつく。

 職場や近所の冷たい目。優しかった夫も、言うことを聞かない妻を冷笑され、モードを家から追い出し、息子とも会えなくなってしまう。子供を思う母の切なさ。平等や当たり前の生き方を求めようとして、彼女が払った犠牲はあまりにも大きい。
 弾圧にも別離にも、心折れながら決して負けずに、命がけで闘った彼女たち。私たちが当然のように行使している権利は、彼女たちが流した血と涙の結晶なのだ。遠い歴史がずっしりと重いと思った。
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2017年01月22日

アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男

 1950年代後半。フランクフルトのヘッセン州検事長フリッツ・バウアー(ブルクハルト・クラウスナー)は、ナチスによる戦争犯罪の告発に執念を燃やしていたが、真剣に取り組んでいるのは組織の中で彼ひとり。部下たちはやる気がなく、オフィスから度々事件のファイルが盗まれる始末で、戦後10年が経っても捜査は進んでいなかった。
 そんな中、ユダヤ人の強制収容所への輸送を指揮したアイヒマンが、アルゼンチンに潜伏しているという情報が、バウアーにもたらされる。

 当時の西ドイツは、ナチの残党が政府の中枢に居座っていて、官房長官のゲロプケは、ユダヤ人から公民権を奪った「ニュンベルグ法」に関わった人物。警察内部も同様で、連邦刑事局のゲープハルトは元親衛隊少尉、上席検事のクライスラーも元親衛隊員だった。不都合な事実の封印が解かれるのを恐れる彼ら。権力をもち、妨害のためにあらゆる手段を駆使できる強力な敵に囲まれながら、バウアーは、恐れることなく自らの信念を貫いていく。

 ユダヤ人のバウアーを、周囲は復讐の鬼だと見ていたが、彼の信念はもっと深い洞察に支えられていた。復興に邁進するなか集団忘却に陥っていた祖国に対し、忌まわしい過去に向き合うことなしには、真に民主主義の社会を築くことはできない、と考えていたのだ。そのためには、どうしても戦犯をドイツの法廷で裁かなければならないと。そして、今後を背負う若い世代に、過去と向き合う勇気と希望を託していた。

 自分に共鳴した若い検事カール・アンガーマン(ロナルト・ツァルフェルト)を右腕にして、捜査を始めたバウアー。だが、インターポールも、国際裁判所も、政治犯には関知しないという。当時の国際状況も壁として立ちはだかり、冷戦の時代、西ドイツ政府が弱体化するのを嫌がったアメリカも、協力を渋っていた。
 状況を打開すべく、バウアーは、イスラエルの情報機関モサドに情報を伝えて協力を依頼する。だが、それは国家反逆罪に触れることだった。

 モサドが対象をアイヒマンではないと疑ったことから、バウアーが第2の証拠を掴むまでの過程が、サスペンスのようだった。本当に味方なのか分からない、ジャーナリストのモアラッハ。彼が、アルゼンチンでアイヒマンをインタビューした記者から、テープを入手する。「私の罪は、1030万人のユダヤ人を絶滅できなかったことだ。それが達成されていたら、すべての問題を解決できた」と話すアイヒマンの断固とした口調は、後の裁判でただ命令に従っただけだと言った彼とは、隔絶の感があると思った。

 バウアーは、自分の組織を欺くためにガセ情報を発表し、モサドとともにアイヒマンを追い詰めていく。バウアーを国家反逆罪に問うために手を回す内部の敵との闘いも、とてもサスペンスフルだった。

 物語で大きなカギを握るのは、同性愛。バウアーは同性愛者で、亡命先での買春で逮捕歴があった。ナチは、ユダヤ人や障害者とともに同性愛者を強制収容所に送ったが、1950年代のドイツでも、男性同性愛は刑法173条により犯罪だった。ナチの数々の悪法も、刑法173条も、少数者に対する社会の反感や排除を表している。人権を抑圧する法律が、当たり前のように適応される社会の恐ろしさを改めて思った。
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2017年01月07日

弁護人

 新たに業務が許された不動産登記に目をつけ、裁判官から弁護士に転身したソン・ウソク(ソン・ガンホ)。高卒で、建設現場で働きながら身を興した彼には、世の中を騒がせていた学生のデモなど、勉強をさぼる方便にしか思えなかった。だが、商売が軌道に乗って金もうけにいそしんでいたある日、なじみのクッパ食堂の息子ジヌ(イム・シワン)が、突然行方不明になる。息子をさがしあぐねた末に、突然裁判の開始を知らされた母親スネ(キム・ヨンエ)に助けを懇願されたソンは、二人で向かった拘置所で、傷だらけになったジヌの姿に驚愕するのだった。

 1981年、軍のクーデターで大統領になったチョン・ドゥファンは、反政府運動を激しく弾圧し、多くの学生や労働運動家を捕えていた。ジヌが逮捕されたのは、学生が集まった読書会の夜。突然私服の男たちが礼状もなしに踏み込んで、警察署ではなく人目のない廃屋に連れ込むと、目をそむけたくなるような拷問が始まる。衰弱と恐怖から、警察が言うがままの証言を受け入れても、それを「作り話」だという意識を漏らすと、またも拷問。仲間同士の証言が食い違うたびにも、さらに拷問が加えられていく。

 初めから事実がないのだから、警察が望む矛盾のない証言など、無理なことだ。恐ろしいことに、取り調べる側は、自白以外の証拠を持っていないうえ、捕えた者たちを初めからはっきり容疑者だとも思ってはいない。彼らの意図は、反共のための「予防」で、罪をでっち上げて世の中にさらし、恐怖によって反政府の芽を摘むことなのだ。

 ジヌの弁護を引き受けたソン。彼が金を稼いだのは、家族の生活をよくするためだった。親しくしていた店のスネも、古くからの恩を感じていた人だった。母親の切なる願いに動かされて、事件を調べたソンは、国家と警察組織が一体となった冤罪事件に気付くのだ。不動産登記の業務を司法書士から奪ったと非難されても、学歴を弁護士仲間から軽蔑されても、金の亡者と言われても、ひるまず我が道を進んでいたソンは、今度は、非国民と言われても、家族を脅されても、自らの信念を貫いていく。彼の強さは変わらない。だが、世の中のいいとこ取りのような生活から、権力を敵に回すことを選択した彼は、別人のような気迫に満ちていた。

 長い裁判シーンが圧巻だった。憲法と刑法を盾に、被告の手錠をはずさせる。共産主義の証拠とされたソ連在住の学者の書物について、著者が本当はイギリスの外交官で共産主義と無関係だということ、本がソウル大で推奨されていることを調べ上げる。「ソウル大が反国家団体なら、検事も裁判官も反国家団体の出身者なのか」とたたみかけ、相手を黙らせた場面は胸がすいた。拷問で取り調べ得た警監チャ・ドンヨン(クァク・ドウォン)に、「主権は国民にある。お前が国家だと言っているのは、軍政府で、お前はその手先。人権を蹂躙するお前こそ、国を滅ぼす害虫だ。」と迫るシーンも。
 だが、写真を見せても拷問の事実を認めない。裁判長もグルの出来レース。最大の見せ場は拷問の目撃者が現れて証言をする場面だが、それも卑劣な手段で潰されてしまう。警察国家の底知れない恐ろしさ。

 80年代の韓国は、本当に過酷な時代だったと思う。だが、秘密保護法や、またも国会に提出される共謀法を思うと、同じような暗い日本の未来を想像してぞっとする。孤独だったソンの闘いが、多くの仲間を生んでいたラストシーンに希望があった。 
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2016年12月20日

THE TIMERS スペシャル・エディション トーク&秘蔵映像上映会

 昨夜、THE TIMERSのスペシャル・エディション発売記念の購入特典イベント・トーク&秘蔵映像上映会に行った。

 サングラスと手ぬぐいと、完全コピーのヘルメットでゼリーになりきっている男の人がいて、開場を待っている間、そばの人たちが衣装を貸してもらって、順番に写真撮影。彼をスタッフと間違える人もいて、楽しかった。

 店長の村越さんの司会で、スペシャル・エディションのライナーノーツを描いた高橋Rock me babyさんが登場。清志郎に化けていない彼を見るのは初めてだった。
 高橋さん曰く「当時、RCは大きくなり過ぎて、新しいことをやるには動かしにくくなっていた。それで、もっと機動力のあるバンドをと思って作ったのがTIMERSだった。88年当時はバンドブームで、新しいバンドがたくさん出てきて、清志郎の中ではTIMERSもその中の一つ、という意識だったと思う。」
「カバーズの後で、清志郎はすごく怒っていた、とよく思われているけれど、実際にはむしろとても楽しそうで、60曲くらいを次々に作っていた。」
「録音はロンドンで行ったが、チャールズ・ハロウェルという大物エンジニアが関わった。清志郎は特にドラムの音にこだわりを見せたけど、ロンドンでチャーリー・チャールズが叩いた音よりも、日本でのメンバーの音が気に入って、そっちを選んだ。メンバーは初め、清志郎のバックで演奏させていただいている、という意識だったが、清志郎に「仲間だ」と言われて感激し、いい音を出せるようになったと聞いた。」
「桃山学院大学でのライヴが、学園祭での初ライヴなので、大阪との縁は深いと思う。”今回の公演は中止になりました”のウソのアナウンスの後で始まるのが恒例だったが、本気にした人たちに毎回えり首をつかまれるのが辛かった。」etc.etc.

 それから上映された映像は、DVDに入っていないまさに秘蔵モノ。
 横浜市大で中止を知らせる、実行委員会の女性の口調は迫真。「どうなってんだ〜!」とか「清志郎を連れて来い!」とかの本気のヤジに笑ってしまった。私が聴きに行った95年には、もっと短くてすぐバレる儀式のようだったけど、それでも断水騒動のあった九州で、本気にした人たちが本当に帰ってしまった事件があったっけ。みんなが騒いでいる時、メンバーが現れて「タイマーズのテーマ」。
 次は「ダイナ」。3番目は「ラブミーテンダー」。これってRCの曲なんだけど。
 4番目は、これまたRCの「サマータイムブルース」だったけど、原発作業員みたいに白づくめの衣装なのに、歌詞には原発の「げ」も出てこない。でも、別のタブーに触れていて、「これ以上はもうアブねえ。マスコミの人たち、書かないでネ」なんて言ってる。そして最後は「ロング・タイム・アゴー」だった。

 若い清志郎、いやゼリーが、すっごくかっこよかった。たっぷりの毒とユーモア。絶妙の比喩とダブルミーニング。過激だけど知的。ほんとにすごいバンドだったよなあ。
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2016年11月19日

さくら亭

 昨日、アスカスホールで、「さくら亭」落語を聞いた。
 
 一番手の桂二葉は、若い女性噺家。アホな若造が、小遣い目当てに金持ちの新居を褒めに行って、一言ごとにヘマを繰り出す話だったが、すっとんきょうな高すぎる声を聞くだけで、笑えてしまった。

 次は、笑福亭銀瓶。提灯貼りの男が、高い賃金で言い含められ、病気療養中の横綱の代わりに地方巡業に参加し、素人のすご腕と対戦させられる話。地元の顔たちにあいさつするだけでいいはずだったのに、接待ずくめで調子よく飲み食いしすぎ、病気じゃないと疑われて、相撲をとらざるを得なくなる。土俵の上のアタフタに大笑いした。

 三番目は、寝屋川市在住の笑福亭由瓶。ホラ吹きの男が、巨大なイノシシと闘ったり、北海道でカモを獲ったりした話。汗だくの熱演が面白かった。

 トリは、桂米団冶。年の暮れ、次々と家に来るツケ取りの客たちを追い払おうと苦心する夫婦の話。金を払わずに何とか機嫌よく帰ってもらうため、相手の趣味に合わせて器用に煙にまいていく。芝居好きの男の、デフォルメした歌舞伎の仕草が、とってもリアル。セリフに町名を入れたダジャレの連続すごかった。

 銀瓶はモロに相撲ネタ。米団冶も相撲に触れていて、二人とも活躍を続ける豪栄道を意識してくれるているサービスぶりで、会場が湧いていた。なのに、帰宅して見た中継では、今場所初めての負けを喫してしまって残念。今日はきっと勝って、横綱へ一直線に向かってほしい。
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2016年11月12日

ブリジッド・ジョーンズ ダメな私の最後のモテ期

 前作から数年経た今作、ブリジッド・ジョーンズ(レニー・ビルウィガー)は、何とマーク・ダーシー(コリン・ファース)と別れ、彼は別の女性と結婚している。そして、女たらしの同僚ダニエルは、これまた何と、航空機事故で死んでいるという設定。ブリジッドは、冴えないリポーターから、今や俊腕?テレビプロデューサーになっている。

 変わらないのは、超元気な彼女のママが、子供を産む人生を期待して圧力をかけてくること。43歳のバースデーを迎え、職場で大量のローソクが火を吹く、火山のようなケーキで祝ってもらったものの、女友達にもゲイの友人にもフラられた彼女は、結局ひとりぼっちの部屋でママからの電話を受けるはめに。

 ヤケになったブリジッドは、解放を求めて音楽フェスティバルに出かけ、間違って入ったテントで、出会いサイト経営のジャック・クワント(パトリック・テンブラー)と、行きずりのセックスをしてしまう。そして、その数日後、マークの子供の洗礼式で、妻とは別居中という彼と、これまたノリでベッドイン。そしてめでたく妊娠するのだが、どちらがパパなのかが分からない。

  ここからの、お腹の子供の父親当てと、二人への妊娠告白の苦労がケッサクだった。ジャックをスタジオに呼ぶために、わざわざインタビュー番組を組み、メイク室で髪や爪を採取したり、「子供は好きですか?」と唐突な質問をしたり。何とか二人には妊娠を告げるものの、別の候補がいるとは言えず、会うたびにあたふた。本当は深刻で、笑いごとじゃないはずなのに、何度も笑わせるとびっきりの明るさ。ドジですっとんきょうで、場違いな発言で周りを引かせてしまうブリジッドは、これまでと変わらない。

 二人の反応は初めは微妙。だが、二人ともすぐに子供の父親として本気を出していく。相変仏頂面で、何を考えているのか分からないマークは、変わらないブリジッドへの愛に目覚め、自由に生きて女性にも多分モテモテだろうジャックも、思い切りの甲斐甲斐しさで、ブリジッドを支えようとする。10年も付き合ってダメだった男と、知り合ったばかりだけど魅力的な男が、彼女を巡って真剣なさや当て。しかも、弁護士と会社経営者という、どちらもリッチでビッグな男たち。これって、女性の妄想じゃないの?

 ブリジッドは終盤、自分がどちらを本当に愛してるのかと悩むのだが、結局子供の父親と結婚するというのは、意外にも普通の選択だった。ブリジッドはメデタシメデタシで完結していそうなのだけど、死んだはずのダニエルが生存してるという新聞記事が出たところ、このシリーズ、きっとまだ続くはず。
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2016年11月03日

グッバイ・サマー

 画家志望のダニエル。チビでかわいい顔のせいで、女の子に間違えられる彼は、クラスメートにからかわれてばかり。そこへ、家の手伝いのせいでガソリンの匂いを漂わせる風変わりなテオが転入してきて、孤独でマイペースな二人は意気投合。家の中でもモヤモヤを抱えた彼らは、遠くへ脱出しようと、スクラップを集めて作った車で、旅に出ることに。

 二人のキャラクターが魅力的。
 ダニエルは、外見とは裏腹に、好きなクラスメートのローラに相手にされず悩みながら、女の裸の絵を描いたりしてる、性に目覚めたいっぱしの男の子。機械に強いテオだが、ダニエルが弟とサッカーをしてると、音マネをしながら中継を始めたり、誰も来ないダニエルの個展に現れると、身分の高い人ですし詰めの会場に来たかのように振る舞って笑わせる。器用でひょうきんで、気が強くてしっかり者。

 家に擬態する車は、警察にも怪しまれず、パリをのろのろと南下していく。歯医者の庭に紛れ込んで泊めてもらうも、恐ろしげな道具に驚いて夜逃げしたり、長髪を切る決心をしたダニエルが、風俗店を兼ねた怪しげな店に入ってしまい、客のトラブルで途中で逃げたせいで、真ん中ハゲの落ち武者のような髪になったり。
 だが、スリルいっぱいのおかしな道中は、ロマの人たちの家を破壊する警察の非情な作業に巻き込まれ、車が燃やされてしまったことから、二人がケンカになって、空中分解してしまう。

 ダニエルは、人と同じことを嫌い、長髪にこだわりながら、女の子のような外見に悩み、テオに相談していた。どうしたら自分らしく振る舞えるかは、思春期の重大な問題だ。過干渉気味の母親も、彼にはしんどい。だが、それなりの愛情に満ちた普通なダニエルの家庭と違い、テオは、家で真面目に手伝っても、父に口汚くののしられる。病気の母も彼に辛くしか当たらない。そんな環境のなか、自尊心高く生きるテオは大物だ。だが、彼はダニエルに何かにつけてアドバイスしながら、本当は自分のことを、もっと聞いてほしかった。

 何とかパリに戻ってきた二人だったが、テオの父が引っ越しを決めていた。転入してきたばかりのテオだったが、もしかすると、今までも何度も転々とする生活だったのかもしれない。威圧的な父と兄の横で、大人びていたはずのテオが、急に小さく見える。抗えない突然の別れが、とてもとても切なかった。だが、二人の冒険は、きっと一生の宝物。ダニエルはテオから学んだことを、糧にして成長するだろう。
 
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2016年10月16日

歌声にのった少年

 ガザ出身の歌手ムハンマド・アッサーフの成功物語。
 姉のヌールや友達と、ガラクタの楽器でバンドを組んでいた、歌うのが大好きな少年ムハンマド。まともな楽器を手に入れようと、海で魚を獲って売った金を闇商人に渡すものの、だまされたと知って取り返しに行った彼は、袋だたきに。その後、ムハンマドは教会で歌ってお金を稼ぎ、バンドは中古の楽器で結婚式で演奏し始める。だが、その演奏中、突然ヌールが倒れるのだった。

 腎不全と診断されたものの、腎臓移植の金を用意できず、透析が始まる。ムハンマドは、歌のレッスンをしてくれた先生とCDを作って手売りしたり、結婚式で歌ったりして手術費用を稼ごうとするが、姉を救うことはできなかった。
 ヌールは、ムハンマドのことを「黄金の声」といって、絶えず鼓舞し、はげました。ただ楽しく歌えれば満足だったムハンマドは、いつしか姉の思いを自分の夢にしていくのだ。死んでしまった姉に寄り添い、自分に言ってくれていた「スターになって世界を変える」という言葉を、姉に繰り返す場面が切なかった。

 2012年、タクシー運転手として働くムハンマド。子供たちが走り回っていた時の街には、柵や壁が目についたが、大人になった彼が車を走らせる場所は、どこまでも空爆による廃墟が続いていて、ガザの状況は、深刻さが増している。

 壁に閉じ込められ、一歩も外に出られない彼ら。ムハンマドはスカイプでオーディション番組に出ようとするが、停電で台無しに。自暴自棄になった彼を救ったのは、姉の入院中に知り合った患者ママルの賛辞だった。

 「アラブ・アイドル」のオーディションを知ったムハンマドが、脱出を決意してカイロに行くまでの旅路がスリリングだ。危機一髪で検問を逃れ、やっと着いた検閲所でビザを偽造だと悟られる。命の保証のない道程を、姉との約束を果たすために乗り切っていくムハンマド。そして、たどり着いた会場でも、神の加護としかいえない出会いに救われるのだ。

 ガザから来た出演者はムハンマドが初めて。見事予選に合格した彼は、ベイルートでの本線を次々と勝ち進む。彼の活躍はパレスチナの希望となり、民衆が熱狂。彼は自分に向けられた期待と責任の重大さに落ち込むが、それもはねのけて、ついに決勝の舞台に立つのだった。

 地区から出ることが許されないガザ。普通に夢を追って生きることが困難ななか、ムハンマドほどの才能があっても、世に出るチャンスを掴むのは、途方もないことなのだ。彼がただのアイドルでなく、パレスチナの誇りであり、彼らの希望を背負っている意味の大きさが、熱狂のなかから伝わってきた。

 歌詞に字幕が出ず、少年ムハンマドが歌う歌詞が分からなかったのが残念だったが、最後の方、本戦の舞台で歌う場面にやっと字幕がついた。強烈な望郷を明るいメロディーに乗せていて、とても切ない歌だった。
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2016年10月09日

ティエリー・トグルドーの憂鬱

 ハロ・ーワークの職員に、対応の不備を訴えるティエリー・トグルドー(ヴァンサン・ランドン)。クレーン操縦工の研修を受けて資格を取ったのに、作業員の募集に応募すると、建築現場の経験がないことを理由に採用されなかったのだ。経験が必須条件だと分かっていたのなら、なぜそんな研修を勧めて受けさせたのか。だが、職員は、履歴書作成の手伝いと、募集企業のリスト作成しかしていない、と繰り返すだけ。失業者の手助けをする機関が、自分たちのせいの無駄な努力や疲弊に無関心で、時間がない切羽詰まった事情にも冷淡なら、一体どうすればいいのだろう。

 工作機械の作業員として働いた会社でリストラに遭ったティエリー。同僚たちは、不当解雇を裁判に訴えようと集まっていたが、彼には、裁判と職探しを両立させる気力はなかった。会社から切られたこと自体が大きなショックで、もう社名さえ思い出したくないのだ。そんな傷ついた彼に、次々と試練が重なっていく。

 スカイプでの面接。相手は、不熱心な質問を重ねるうち、どんどん条件を下げてきて、ティエリーがそれを飲んでもいいと応じると、彼の履歴書には自己PRが足らない、と言い出し、前向きに検討すると言っておきながら、採用の確率は低いと思っていてくれ、と言う。要するに初めから雇う気などないのだ。ティエリーの緊張した疲れた表情は、面接にふさわしくないかもしれないが、相手の無礼さは、あんまりというものだ。

 ティエリーは、面接の映像を見て批評し合うグループコーティングに参加するが、参加者たちは、彼の表情や声の出し方などを次々と批判する。職を探す同じ境遇同士だというのに、相手の批判要素に気付かないと、自分の能力が低く見られるとでも思っているのだろうか。そもそもティエリーは、長い間仕事で能力を発揮してきたベテラン。妻子もちで、障害のある息子を愛する優しい父親として、立派に人生を歩んできた。それが、若造たちにまるで人格攻撃のような扱いをされるのだ。

 銀行の借入相談では、アパルトマンの売却を勧められ、あと5年になった返済を理由に断ると、生命保険の加入を勧められる。銀行員は淡々と業務をこなしているのだが、ティエリーにとっては、愛着のある家も自分の命も、お金として計算される。そこには、寒々とした現実の突きつけがあるばかりだ。

 ティエリーがやっとのことで得た職業は、スーパーマーケットの監視員だったが、そこも非情な場所だった。肉を盗んだ老人は、無一文で金を借りるあてもなく、料金を払えば釈放されるところを、警察に引き渡される。監視の目は職場の労働者にも及んでいて、ある日、勤続20年のベテランレジ係が、割引券の不正に集めていたことを発見され、解雇される。長い貢献が考慮されることも、家の事情を同情されることもない。彼女の自殺は、明らかに会社の冷たい対応のせいだが、会社は無関係を装い、カードを忘れた客のポイントを、自分のカードにスキャンしていたという店員が、またも事務所につれて来られるのだった。ほんの小さな不正も、従業員を切る大事な理由。追及する側の役員たちは、役得を利用したこと覚えなどないのだろうか。

 ティエリーは、役目を遂行するのみで想像力を欠いた相手に、侮辱を受け続ける。そこには、人への敬意や人間の尊厳がない。傷だらけの彼はみじめだが、ぎりぎりの矜持が感じられる。そんな彼が、はからずも同じように弱い人々を、攻撃する側の共犯者の立場に立たされるのだ。閉塞した出口のない状況。だが、寡黙に耐えるティエリーの目線に徹底して、この状況を描いていること自体には、希望が感じられると思う。
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