2016年07月26日

裸足の季節

 トルコのイスタンブールからはるかに離れた小さな村。両親を失くし、祖母と叔父のもとで暮らすソナイ、セルマ、エジェ、ヌル、ラーレの5人姉妹。学期が終わり、転任してしまう大好きなディレッキ先生と別れを惜しむラーレ。その後、海岸で男子生徒と騎馬戦をした彼女たちだったが、家に着くや、怒りで取り乱した祖母に折檻される。隣人が、彼女たちがみだらなことをしていた、と告げ口をしたのだ。叔父も激怒。姉妹たちは、家に閉じ込められてしまうのだった。

 姉妹たちは、パソコンや携帯の他、こまごました私物も捨てられ、ラーレが「クソの色」と呼ぶ暗い色の服を与えられ、料理や掃除などの花嫁教育を受けさせられる。そして、一人、また一人と、知らない男と結婚させられていくのだった。

 豊かな長い髪、のびのびした手足。家の外でも中でも、ふざけ合う姉妹たちは、ほとばしるようなエネルギーにあふれている。だが、周囲にとって、それは手に負えない危険なものでしかない。処女検査とか、初夜のベッドの血を身内に見せる風習とか、驚くような場面があったが、女性を一人の男のものとしか見ない社会では、少女たちの性を管理するために、彼女たちの一挙手一投足を、すべて性的なものにつなげているようだ。だから、ただ元気のよい遊びがセックスに連想され、普通の自己主張である服や、アクセサリーや化粧品が、男を誘惑するための不埒なものとして扱われるのだ。
 
 新学期が始まっても、姉妹たちは学校へも行けない。犯罪ではないのか、と思えるひどい仕打ちを、誰もおかしいとは思わず、正しいと信じている。親戚も地域も同じ考えだし、保護者の権限が大きくて、どこからも救いの手が届かないのが恐ろしい。

 それでも、彼女たちの自由を求める気持ちは抑えきれない。だが、苦労して抜け出し、みんなでサッカー観戦に行ったあとも、姉たちが次々と嫁がされ、ラーレが一人家を抜け出したあとも、それらが見つかるたびに、監禁状態は益々厳重になっていく。だが、外に出るチャンスをつかむ度、賢いラーレは、脱出のための収穫を得ていた。トラック運転手のヤンと知り合って、車の運転を教えてもらう。そして、枕に自分の髪を縫い付けたり、鍵の在処や、天井裏からの出口を見つけたりと、周到に計画。ついに、ヌルの婚礼の日、花婿をじらす慣習を逆手に取って、家に籠城するのだ。厳重な監禁が、娘たちに有利にどんでん返る痛快。だが、逃亡はまさに命がけだった。

 あまりにも生きづらい社会。だが、ヤンのような男の人や、ディレッキ先生のようにラーレを理解してくれる人もいる。ラーレの選択の先に、きっときっと、彼女の望む人生があることを信じたい。 
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2016年07月16日

帰ってきたヒトラー

 1945年4月30日に自殺したヒトラーが、なぜか現代のベルリンで生き返る。すっかり変わった街に驚き、いなくなった側近を探して官邸に向かう彼を、テレビ局をお払い箱になったフリーのディレクターのザヴァツキが見つける。ヒトラーを彼のそっくり芸人だと思い込んだザヴァツキは、復職のためのネタに使おうと、ヒトラーに遭遇した街の人々の様子を撮る番組を企画し、彼をドイツ各地に連れて行く。

 よみがえった当初、新聞屋にかくまってもらいながら、ソ連の諜報機関のワナだろうか、と混乱しながら頭をしぼるヒトラーと、周りのチグハグさが笑える。
 いざ各地の街に出て行くと、遠巻きに見る人や怒り出す人もいるが、近づいて話しかけてくる人も。似顔絵で商売を始めると大盛況だ。過激派でもなければ、反移民のデモに出かけもしない普通のおじさんたちが、移民に対する反感や、民主主義へのうんざり感や、強い指導者の出現を望む気持ちを口にするのだ。相手がヒトラーだから、本音が出たのか。若者はヒトラーと自撮り。これらは、実際の街でのドキュメント映像だそうだ。

 自撮りのおかげで、どんどん拡散されるヒトラー。テレビに出ると、番組の出演者たちをひきつけ、視聴率も瞬く間に上がっていく。ヒトラーは、街では人々の話を静かに聴き、番組内では、沈黙さえ操って人々の心を魅了していく。芸人としての素をまったく見せずに、徹頭徹尾ヒトラーになりきるすごみと生真面目さ。ソフトな口調が、突然鋭い演説に切り替わるギャップ。視聴者は、ヒトラーをあくまで芸人と思いつつ眩惑されていくが、1940年代のヒトラーも、ウソと巧みな戦術で国民を引きつけたのだろう。

 テレビ局の倫理のなさ。新局長の座についたベリーニ嬢は、自身の成功と権力欲のためにヒトラーを出演させ続ける。副局長のゼンゼンブリンクがそれを妨害するのは、反ナチだからではなく、ただ彼女を蹴落としたいから。自分が彼女のイスに座るも、番組の視聴率が急落すると、しらっとヒトラーを再登板させる。

 ヒトラーは人々の話を聴きながら、「貧困や失業は都合がいい」とうそぶく。ネットもテレビも、自分をスターにしてくれる。巷にあふれる反移民のデモ。憎悪や不満をくすぶらせながら、社会がどんどん不寛容になり、国粋主義に傾斜していくさまは、ヒトラーが現れたあの時代に似ているのでは。

 ヒトラーが放つある種の人間臭さを見ながら、最後に人々の前に現れた、実際のヒトラーの映像を思い出した。大きくても16,17歳の少年や、小さい子では13歳以下の少年たちの頬をさわり、手を握って、慈愛の眼差しでねぎらい、激励するヒトラー。不安げで優しそう。だが、彼が少年たちに命じていたのは、スパイ行為や脱走兵の密告や、それによる死だったのだ。ヒトラーに人間的な魅力があったかかどうかなどより、彼が何をした人物かが、決して忘れてはならないことだろう。映画では、一族を収容所で殺された老女が、一人ヒトラーに向かって叫び声をあげる。

 ヒトラーが芸人ではなく本物だと気付いたザヴァツキが、ピストルでヒトラーを追い詰める場面。現実の歴史では何度も失敗したヒトラー暗殺が起こるのか、と固唾を飲んだ。だが、ヒトラーは利益追求のテレビ局に守られ、一人真実を知ったザヴァツキには悲劇が待っている。
 反移民の旗がひるがえる大勢のデモの映像。それをほくそ笑むヒトラー。観たあとには全然笑えない、暗澹とした気持ちになった。
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2016年07月10日

フラワーショウ!

 カルト文化が色濃く残るアイルランドの田舎で育ったメアリー・レイノルズ(エマ・グリーンウェル)は、広大な自然の風景を深く愛する少女だった。だが、彼女が大人になった頃、手つかずの自然は、畏怖を感じない人々によって、娯楽の場になっていく。
 デザインが得意だったメアリー。著名なガーデン・デザイナーのシャーロットの事務所に応募すると採用され、自然との共存の大切さを訴えるための庭を世に出そうと奮闘するものの、さんざん利用されたあげくクビに。どん底のメアリーだったが、シャーロットのお供で行ったチェルシーで知ったフラワーショウに、自分も出展しようと思い立つ。

 メアリーの魅力は、世間知らずで何とも危なげな感じと、信念をもって夢に向かって行く、エネルギッシュな奔放さが、混じっていること。
 シャーロットのもとでデザインを盗まれても、放り出されるまでお人よしのまま。だが、いったんショーへの出展を決めると、金賞を取ることを疑わない。事務局長の取りつく島もない対応にめげずに電話をかけ続け、アレルギーに効くハーブを教えてあげて秘書と仲良くなって、締切りの直前に願書を入手。そして、独創的なコンセプトにより、2000人もの応募者中、たった8人に選ばれるのだ。

 だが、ショーに必要な大量の植物や石や、施工に協力してくれる人たちのあてがあったわけではなく、25万ポンドという資金をどうすればいいかも分かっていなかった。それでも、不思議なほど次々と縁に恵まれる。
 元クライアントの家で庭の石を積んでいた職人をアタックすると、彼らは自然保護団体のメンバー。団体の長の会議に出かけて行って説明すると、植物を用意してもらえることに。しかも、メアリーはその場所で、シャーロットの事務所で出会って以来ひそかに恋してる、植物学者のクリスティン(トム・ヒューズ)に再会するのだ。
 
 出展者に選ばれた時点で、ショー開始までわずか80日。時間が刻々と迫るのに、展開が悠長で、このままで大丈夫なの?とヤキモキさせられた。メアリーはクリスティンに協力を求めるが、彼はショーの必要性を認めず、砂漠の緑の方が大切だ、とエチオピアに行ってしまう。それをメアリーははるばる追って行って、一緒にプロジェクトに参加しつつ説得し続ける。
 若過ぎるうえにイケメン過ぎて、全然学者に見えないクリスティン。恋多きはずの彼が、全然手を出してこなくて、結ばれそうでちっとも進展しない二人の関係も、同じく悠長。

 ラジオ出演が功を奏して、偶然出資者が現れるが、クリスティンが説得に応じてくれて、庭作りのための用意が本当に整ったのは、何とショーの20日前。会場に大量の材料を運び込んで、ここからやっと庭作りが開始。信念と情熱があれば奇跡が起こるのか。でも、こんなギリギリは、いくら何でも現実味がないと思う。そして、ここからまだまだ試練が起こっていくのだ。

 メアリーの作った「ケルトの聖域」は、無造作で一見雑然としてるのに、秩序と静けさが満ちていて、どこか日本の庭園に通じるところがあるかも、と思った。 
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2016年06月26日

スポットライト 世紀のスクープ

 2001年、ボストンの地元紙グローブに赴任した新編集長のコーティン・バロンは、神父ゲーガンによる長年にわたる児童の性的虐待疑惑を、特集紙面の「スポットライト」で取り上げるよう指示を出した。

 ボストンでは教会が力をもち、グローブの新しい局長が教会にあいさつに行くことが慣例になっているほど。教会が調査やスクープの対象とは考えられていなかった。

 被害者団体のメンバーに話を聞いたチームの面々は、加害者はケーガンだけでなく、ボストンには性的犯罪を犯した神父が13人いると告げられて驚く。自分は運のいい生存者だが、被害者の中には、酒やクスリに溺れたり、自殺したりする者が多いということにも。

 被害者宅を一軒一軒まわって聞いた話は、残酷なものだ。神父は、神の代理者としての権威と、偽りの優しさで巧妙に子供に近づき、欲望のために彼らの人生を破壊する。餌食になるのは貧しい家の子供たちで、それは、わずかな示談金で口を封じやすいから。

 加害者を教会の年鑑で調べてみると、彼らはみな、短期間で転任させられていることが分かった。その共通項を逆探知すると、次々と疑惑の神父が、大量に浮上。そして、教会が、性的虐待者を転任するという手法で、事件を隠蔽していたという、恐ろしい事態が明らかになっていくのだった。

 これは巧妙な犯人秘匿。全米にネットワークをもつカトリック教会だからできたのだろう。だが、犯罪者を罰せずに他の地域に送れば、そこでもまた同じことが繰り返されることは簡単に像できるのに、教会が恐れたのは、そんな危険性より、何より教会の権威が失墜だったのだ。

 調査では、教会がふるう政治的な力が大きな壁となって、行く手を阻む。裁判の原告側の弁護士は、教会から数々のいやがわせを受けて、誰にも用心深く、チームにも協力しようとしない。教会側の弁護士たちは、守秘義務を理由に、口を開こうとはしない。裁判所を通さない直接示談のために、資料がなかったり。

 刻々と動く状況に冷静に対処しながら、エネルギッシュに走りまわる記者たち。厚い壁にもめげず、何度も挑戦し、思わぬ近くに突破口を見つけたり。朝一で資料を手に入れるために、一晩中裁判所で待ったりも。彼らの心に火をつけたのは、重い過去を語ってくれた一人一人の被害者への共感だ。一方で、たえず他紙との競争にさらされてもいる彼らの競争心や焦燥も、リアルだった。

 「スポットライト」は、一つのことを何か月もかけて追いかける特集。2001年に記事にしてから、チームは神父による児童の性的虐待と教会による隠ぺいについて、なんと600回も連載している。地道な調査によって、巨大な権力による不正を暴き、声なき犠牲者に光を当てる。これぞ報道の真骨頂だろう。 
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2016年06月12日

殿、利息でござる

 江戸時代、仙台藩の吉田宿。やせた土地で、百姓だけでは食べていけないため、商売もしながら暮らしていた町の人々だったが、物資を輸送する天馬役を負わされていたうえ、馬の購入や飼料代、人足の費用などが町の自腹だったため、人々は困窮し、夜逃げする者が続出。残った者たちの負担が益々増えるという、悪循環に陥っていた。

 お上のやり方に憤慨する造り酒屋の穀田屋十三郎(阿部サダオ)に、策を相談された茶師の菅原屋篤平治(瑛太)は、「藩に千両を貸し付ければ、その利息百両を天馬の費用に回せる」とひらめいた。
 あまりの大金だから、絵空事だと思ったのに、十三郎はそのアイデアに飛びつき、すぐさま叔父を賛同者にして連れてきた。町のまとめ役である肝煎りや、その上の大肝煎り。彼らは、藩の行政の下部役員でもあり、計画を打ち明ければ即反対し、迫害してくるかもしれない相手なのに、すんなり賛成してくれて、え〜!な展開。
 もうかる投資と間違えて仲間に入る両替屋(西村雅彦)や、煮売り屋のとく(竹内結子)にいいところを見せようと金を出す小間物屋(中本賢)など、欲や下心も人々を動かして、ごたごたがありながらも少しずつ仲間が増えていく。

 当時の千両は、今に換算すると何と3億。それを十三郎たちは、生活を切り詰め、家財を売って工面しようとする。自分の損得を抜きに、地域のために頑張っていくのだ。町全体に図って全員から集めることはかなわないので、志をもった者が、できる限りの力を尽くそうとするのがすごい。彼らは、今の状況の理不尽さを何とかしたいだけでなく、息子や、そのもっと先の未来の町の人々の繁栄を見据えていたのだ。

 十三郎たちは中町の人間だったが、噂を聞いた下町や上町の人足たちが、競争心から、それぞれの有力商人たちを説得にかかるのもおもしろかった。そうして、十三郎の弟の、造り酒屋の浅野屋甚平(妻夫木聡)が大金を出すことに。だが、それを聞いた十三郎は、突然計画から降りると言い出すのだった。 

 長男でありながら幼い頃に養子に出された十三郎は、出来のいい弟へのコンプレックスと、父(山崎勉)に愛されなかった思いを抱きながら、守銭奴の二人を憎んでいた。彼が、弟との確執を乗り越え、父が隠していた志を知るのがドラマチック。そして、軽い気持ちの言い出しっぺだった篤平治は、十三郎とのからみでどんどん本気になっていく。

 涙ぐましい努力と忍耐で目標額を達成するものの、願いをお上に聞き届けてもらうまでが、最大の難関だった。代官が味方になってくれてお上の耳に入れてくれたのに、出入司の萱場杢(待田龍平)が即却下。熱心だった大肝煎りは、出世欲から心を離しかける。そして、やっとのことでオッケーが出たかと思うと、小判へのレート相場が変わったせいで、さらに大金が必要に。それでもまげず諦めず、骨身を削って金を集める人々の、粘り強さと団結力に圧倒された。

 最初の計画から延々6年。みんなの願いが達成され、喝采したい気分で流れたRCの「うえを向いて歩こう」、最高だった。
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2016年05月10日

忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー

 7日、日比谷野音に「忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー」を聴きに行った。
 
 トップバッターは、黒猫チェルシーで、「わかってもらえるさ」、「僕の好きな先生」、「君を呼んだのに」、「多摩蘭坂」。ボーカルは、清志郎の高校時代を描いたテレビドラマで、清志郎と間違われる男子生徒の役を演じた人。「清志郎さんをすごく尊敬していて、いつかセッションできたらと思い、2009年の4月に神戸から上京したら、5月に亡くなってしまった。死んだら天国でセッションしたいけど、それまでは現世で歌います」。彼の若さが、清志郎の若い時の曲に合っていると思った。

 次はサニーデイサービスで、「ファンからの贈り物」、自分の長女の名前が春子だと言って「大きな春子さん」、「ヒッピーに捧ぐ」、「君は空を飛んで」、「僕の自転車のうしろに乗りなよ」。すごい声量で、絞り出すような歌い方だった。

 3番目のJUN SKY WALKERは、RCの王道ソングを独り占め。「ロックンロールショー」、「キモちE」、「スローバラード」、「トランジスタ・ラジオ」、「上を向いて歩こう」。MCも、ガッタガッタも、マイクを空中でブンブン回すのまで、清志郎がやってたとおり。高校の時、今の壁がフェンスで、そこによじ登ってリハーサルを聴いてた頃からのファンだそうだ。 

 シアターブルックの佐藤タイジが「甲州街道はもう秋なのさ」を歌い終わると、梅津和時と片山広明のサックスが加わって、「ドカドカうるさいロックン・ロール・バンド」。佐藤タイジははじめは標準語だったのに、すぐに大阪弁丸出しになって、ガンガンにみんなを煽っていた。ちょっと暑苦しかったけど、ギターはめっちゃカッコよかった。

 TOSHI-LOが登場すると、会場から声援がいっぱい飛んだ。
 「地震のあとには戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVでデカいことを言い始めてる。国民をバカにして戦争に駆り立てる。いったいこの国は何なんだ。僕が生まれて育ったこの国のことだ。君が生まれて育ったこの国のことだよ。どうだろう、この国の憲法第9条はまるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか?戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言ってるんだぜ。俺たちはジョン・レノンみたいじゃないか。戦争はやめよう。平和に生きよう。そしてみんな平等に暮らそう。きっと幸せになれるよ。」と2000年の清志郎の言葉を紹介したあと、「明日なき世界」。
 それから原発について、「東北地震の直後、経産省に電話をかけて、メルトダウンしてますよね?と言うと何人もの役人が否定して、それでも粘ると、最後に出た人に、私たちがしてないと言っているのに、信じないアンタは頭がおかしい、といって切られた。あの事故までは、清志郎さんの歌を聴いてもまさか、と思っていたけど、今は、あの役人たちと清志郎のどっちを信じるかといったら、断然清志郎だぜ。」と語って、「日はまた昇る」を歌った。
 私の席は、会場の一番上の一番端だったので、会場がよく見渡せた。TOSHI-LOが登場した頃、日がかなり落ちていて、彼の言葉に拍手する人たちが光に浮かび上がって、波のようだった。

 チャボが登場すると、「RCサクセションが聞こえる」のサビを歌ったあと「あきれて物もいえない」。それから、「60年代の終わり頃に渋谷の青い森で出会って、遅いステージのあと、よく僕のアパートに泊まりに来ていた。その頃清志郎が作って聴かせてくれた曲」と言って「もっと落ち着いて」を歌ってくれた。初めて聴く曲だったが、メロディーラインが「夢をみた」に似てると思った。同じように切ない歌だった。
 「清志郎の曲のメッセージは、僕はここにいるよ、僕を見て僕を愛して、だと思う。」と語り、野音について、「今だから言えるけど、前日に彼女とケンカしてヘビーになってたことがあった」とか「龍平ちゃんをステージにつれてきた時、父親の顔だと思った」と思い出を話した。

 TOSHI-LOが清志郎のコスプレをして、マントまで羽織って出てきて、「よ〜こそ!」スーツ姿の山本シャブちゃんが懐かしかった。
 最後は全員で「雨上がりの夜空に」。それからチャボが「夜の散歩をしないかね」。
 それから、恒例のスクリーンで歌う清志郎。やっぱり彼を聴かなくちゃ。唯一無二の声。

 チャボが何度も「清志郎が聴いてるよ」、「清志郎が喜んでるよ」と言っていたのが印象的だった。若い歌い手たちが彼の歌を引き継いでくれてるのがうれしかった。なだらかな会場が、温かな谷間のような感じがした。
 
 

 
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2016年05月05日

さざなみ 

 結婚45年を迎えたケイト(シャーロット・ランプリング)とジェフ(トム・コートネイ)。長年連れ添った二人には、互いを大切に思いながら親密な日常を生きた、穏やかな雰囲気が漂う。45周年の記念パーティーを一週間後に控えた朝、ジェフ宛に、スイスで遭難したかつての恋人の遺体発見の知らせが届いた。

 手紙を読んだ瞬間から、ジェフは昔の恋人カチャに取り憑かれたかのよう。「僕のカチャ」といい、近所を歩くのもやっとなのに、スイスへ遺体確認に行きたそうにする。出かけたケイトが電話をかけても、留守電のまま。禁煙の約束も破ってしまう。ケイトはショックを受けながらも、初めは、様子の変わった夫を心配し気遣う余裕を見せていた。

 あろうことか、ジェフはケイトに、カチャと行ったスイスの6週間の旅行のことを、警察に夫婦だと言ったことや、ガイドを嫌っていたこと、山に咲いていた花のこと、そして不意に襲った事故に至るまで、詳細に語る。ジェフは多分、歳をとって妻に頼っている続きで、自分の思いを妻に受け止めて欲しいのだろう。妻は同志なのだから、すべてを分かってほしい。だが、なぜ出会った当時やもっと早くではなく、45年も経った今なのか。妻の気持ちを忖度しない彼の態度は、あまりに素朴で無神経だ。

 結婚前に別の恋人がいたなど、ありふれたことで、自分への愛とは関係ない。ケイトも最初はそう思う。だが、老いた自分と違い、発見されたカチャは若い姿のまま。その思い出に執着する夫の様子に、ケイトは嫉妬する。久しぶりのセックスも、夫が若い頃のように急に政治談議を始めたと聞くと、カチャが現れた影響を感じる。夫がスイス旅行を思いつくのも、温暖化についての本を読むのも、すべてカチャのため。

 追い詰められたケイトは、もしカチャが死んでいなかったら彼女と結婚していたかと問いただし、ジェフは肯定で答えた。この時彼女は決定的に、夫との生活がカチャの存在に浸食されているのを感じたのだと思う。
 夫の留守に自らロフトに上がったケイトは、カチャの写真を発見する。夫は自分の写真は撮らなかったのに、カチャのものは、彼女が撮られたと意識しないものまで大量。しかもケイトはその中に、子供を産めなかった自分とは違う、妊娠した姿を見つけるのだ。

 ジェフがケイトを撮らなかったのは、もしかすると、さかんに撮っていた恋人が死んでしまったからかもしれない。あんなに詳細に語ったジェフが、カチャの妊娠を話さなかったのは、ケイトを傷つけない配慮だったろう。それに、愛する恋人との結婚を考えるのは、ごく自然なことだ。だが、そのすべてがケイトには苦痛だ。そもそも、長年、カチャの思い出の品の下で暮らしていたなんて、ひどい。ケイトが今気付かなかったとしても、ジェフの死後に発見する可能性だってあるではないか。

 ケイトが船に乗っているシーン、もしローマ人がこの地域に鉱脈を発見していなかったら、この運河は掘られていなかった、というアナウンスが流れる。そして、彼女は、事故のために宙ぶらりんになったジェフの選択の先にあった自分の人生の空しさに覆われる。

 前日に妻の傷心にやっと気付いたジェフは、パーティー当日、朝からかいがいしくケイトに尽くし、スピーチでは、ケイトと結婚したという選択の正しさと、彼女への感謝を述べる。荷を降ろしたように、軽々と妻とダンスする姿には、単純なバカさと小狡さを感じた。仲直りできたつもりの夫のそばで、ケイトは完全に離れた心を抱いているのに。 
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2016年04月29日

アイヒマンショー 歴史を映した男たち

 1960年、ユダヤ人絶滅計画を推進したナチの将校アドルフ・アイヒマンが、イスラエル諜報機関によってアルゼンチンで逮捕され、翌年、エルサレムの法廷に引き出された。裁判のもようは37か国でテレビ放映され、ナチのすさまじい悪行を、世界中が知ることとなった。

 裁判の中継を計画したのは、アメリカ人プロデューサーのミルトン・フルックマン(マーティン・フリーマン)。裁判の開始を知ると、すぐにイスラエル政府との交渉に奔走。監督にアメリカからドキュメンタリー作家のレオ・フルヴィッツ(アンソニー・ラパニア)を呼び寄せた。カメラが邪魔だという判事の許可を取るために、壁を改造したり、わずかな日数で完璧な準備を行う。そのフルックマンを度重なる脅迫が襲うが、決してひるまない姿勢には、正義感と同時に強力な野心が感じられた。

 いざ撮影が始まると、現実的に事を進めようとするフルックマンに対し、フルヴィッツの関心はアイヒマンに集中する。フルヴィッツは、アイヒマンが激昂したり泣き叫んだり、自分たちと同じような感情をもつことを映し出せれば、彼が怪物だからファシストなのではなく、誰もが状況によってはファシストになる可能性がある、と警告できると考えていた。

 だが、アイヒマンは、どんなに追及されようが身じろぎひとつしない。感情の爆発を待つあまり、証人が卒倒する瞬間に、カメラを向けられず、視聴率を気に掛けるフルックマンは、監督に怒りをぶつけた。折しもガガーリンが宇宙飛行し、キューバ危機が起こって、長々と続く単調な陳述よりも、人々の眼はそれらに引きつけられていた。

 だが、ホロコーストを生き延びた人々の証言が流れを変える。子供を殺されたあと、自分も撃たれた女性が、死体の山から這い上がって見たのは、見渡す限りの死体だった。トラックから死体を片づけていた男性は、ある日死体の中から妻子を見つけた。死体を焼却した灰を、滑り止めのために収容所の地面に撒かされた。等々・・。今まで知らなかったが、ナチスは、ガス室でのチクロンBによる殺人を思いつく以前、トラックに排ガスを引き込んでの殺人を行っていたのだ。そして、遺灰までをモノとして利用していた。

 ホロコーストの映像をアイヒマンに見せる場面では、立っているのがやっとの骸骨のような人や、おびただしい死体の山や、それらをブルドーザーで片づける様子など、きょっとする映像の数々が映された。第二次世界大戦の死者5千万人のうち、600万人がユダヤ人だった。その人々がどのような目に遭ったのか、凄惨な実態が明らかにされたのだ。裁判を見守っているような気持ちで観ていたが、すでに事実を知っていても、映像の衝撃はすごかった。

 アイヒマンは最後まで、保身の言葉以外口にせず、フルヴィッツは敗北を感じる。だが、フルックマンのいうとおり、何よりホロコーストの事実を世界に届けたことは、大きな功績なのだ。
 それまで、生存者が自分の体験を話しても、そんなひどいことが行われたはずがない、と誰も信用せず、そのため生存者は沈黙せざるを得なかった。確かに証言や映像は、普通の想像を超えている。この裁判によって、その状況が変わったのは、本当に大きかったと思う。
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2016年04月19日

最高の花婿

 フランスのロワール地方に暮らすクロードとマリーのヴェルヌイヌ夫妻。4人の娘のうちの3人が、一年ごとに次々と結婚していったが、彼女たちの相手は、アラブ人にユダヤ人に中国人。結婚式もそれぞれの宗教にのっとって行われ、カトリック教徒の親にとっては異文化との遭遇。それが毎回で、何とも目まぐるしい。娘たちがすんなり夫の文化を受け入れているのとは対照的に、両親のとまどいは大きい。 
 だが、自分たちの伝統を継がない婿を残念に思っても、二人が娘たちの選択に反対した様子はなく、娘や婿が両親の反対と闘った風もない。ヴェルヌイヌ家の異文化間率が特に高いとはいえ、そうした結婚は当たり前のことなのだ。

 クロードは敬虔なカトリック教徒だが、同時に少々保守的な人物のよう。言葉の端々に、婿たちを外国人と思っているのが出てしまう。だが、きっとよくある普通の反応。それを婿たちに差別だと言われて、逆ギレしてしまう。次女の息子の割礼式のパーティーは、おかしくもヒヤヒヤだ。

 異文化間の対立は、クロードと婿たちだけでなく、婿同士の間にも。ユダヤ系のダヴィドがイスラム系のラシッドに、割礼をユダヤ教が生後8日に行うのに、イスラム教では6歳で行うことなんてかわいそうだ、といちゃもんをつけ、そのせいで二人が言い合いになる。それにしても、同じ宗教の家族内ではなく、何でも親族全員が集まるのはスゴイ。そんな中、ちょっとしたからかいや皮肉が飛び交うバトルが展開。
 ラシッドは陰で、残りの二人をアラファト、ジャッキー・チェンと呼び、ダヴィドは残りの二人を、シャイロック、ブルース・リーと呼んで、それぞれの人種の典型的なキャラに当てはめて小バカにしてる。

 だが、彼らの誰も、人種のキャラにちっとも当てはまっていない。ダヴィドは商才に乏しくて事業に失敗しているし、ラシッドはイスラム法ならぬフランスの法律に携わる弁護士だ。それぞれ個性があり、イメージに当てはまらないのは当たり前のこと。そして、移民であっても、その子孫でも、皆フランス語を話し共和国に暮らす、同じフランス人。3人がフランス国歌を歌う場面の健全さは、それぞれの宗教や文化の違いが認められている背景があるからだろう。

 クロードとマリーが最後の期待をかけた4女ロールの相手は、待望のクリスチャンで、名前もフランス人っぽいシャルル。だが実は黒人で、それを知ったクロードは荒れ、マリーは鬱に。すると姉たちは、自分たちのことは棚に上げてロールの結婚に反対し始め、婿たちも団結。だが、最も強力に反対するのは、コートジボワールに住むシャルルの父だった。自分が受けた人種差別のために、フランス人に対する敵意を全身にみなぎらせた最も強烈なキャラ。そんな父とクロードが、結婚反対の共通項から、次第に男同士の友情を感じだすドタバタがおもしろい。

 この映画が作られたのは、昨年のパリのテロ事件より以前。今では移民に対する視線は変わったのでは、と寂しい思いがする。こんな明るいコメディー、これからも可能なのだろうか。
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2016年02月29日

みんなでつくる学校・とれぶりんかの朗読劇

 昨日、メセナひらかたで、みんなでつくる学校とれぶりんかの朗読劇「こどもたち・女たちのSOSが聞こえますか?!」を聴いた。

 施設で育ち、誰にも心を開かない少年。養父母に引き取られたが、二人は離婚し、養母はうつ状態のなか、彼に包丁を突きつけるようになり、彼は施設に戻るしかなかった。
 障害をもった女の子は、貧しい暮らしのなか定時制高校を卒業して住まい付きの仕事につくが、トラブルで追い出され、ホームレスになってしまう。
 母親の帰宅を幼い弟と二人で待つ少女。週に1回は帰ってきてお金を置いて行った母親が、男性と知り合って帰って来なくなった。高校に進学したいが、希望がない。もう食べるものもない。

 どれも心が痛む深刻な話だが、全部、会の代表が実際に出会ったこどもたちだという。3番めの例など、すぐにも保護が必要だと思われるが、案件のあまりの多さに、週一でも母親が帰ってきていることから、対応を後回しにされるという。

 現在、日本の子供の貧困率は、16.3%で、6人に1人が貧困ということになる。それはつまり親の貧困。ここ20年で急速に非正規雇用が増えるなか、女性の非正規雇用の賃金は、男性の正規雇用の4割り程度しかない。

 会の代表者の話に心を打たれた。
 「シングルマザーは、離婚に至るまでにすでに心の体力を使い果たしていて、父親からの養育費不履行が多い中、失業などで一気にうつ状態に陥るケースも多い。孤独のなか、人間不信になったり、理性的な判断を失ったりし、子供のしんどい状態に向き合えなくなってしまう。子供は、ネグレクトされても、母親と引き離されるのを恐れて母親をかばうなど、彼らの笑顔の下に隠された素顔がみえにくい。
 父親が自殺した家族は、元の家に住めなくなって他地域に越すが、起こったことを隠して知らない土地で孤立する。
 よく自己責任といわれるが、母親の追い詰められた状況や、社会的な背景にも目を向け、彼らの状況が、私たちと地続きにあることに思いをいたして欲しい。」

 「人間は未熟な状態で生まれるため、母親一人では育てられず、種として集団で子育てを行って生き延びてきた。それが本来の私たちのあり方のはず。みんなが少しずつ力を出し合って、取り組んでいくことに希望があると思う。」
 枚方市の保育園「みんなの里」での地域に開かれた「0円こども食堂」の取組や、東京都豊島区で、一人のお母さんから始まって、大勢のカンパで実現した受験サポートの取組などが紹介された。

 朗読劇には、二胡奏者の木場孝志さんが今回のために作曲した「いのちの陰影」と「HOPE」が流され、ラストは音楽部の二人の歌で締めくくり。会場には、イラスト部の男子が描いた数々の電車の絵が展示されていて、写真のような精巧さに驚いた。
posted by HIROMI at 20:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記