2016年05月05日

さざなみ 

 結婚45年を迎えたケイト(シャーロット・ランプリング)とジェフ(トム・コートネイ)。長年連れ添った二人には、互いを大切に思いながら親密な日常を生きた、穏やかな雰囲気が漂う。45周年の記念パーティーを一週間後に控えた朝、ジェフ宛に、スイスで遭難したかつての恋人の遺体発見の知らせが届いた。

 手紙を読んだ瞬間から、ジェフは昔の恋人カチャに取り憑かれたかのよう。「僕のカチャ」といい、近所を歩くのもやっとなのに、スイスへ遺体確認に行きたそうにする。出かけたケイトが電話をかけても、留守電のまま。禁煙の約束も破ってしまう。ケイトはショックを受けながらも、初めは、様子の変わった夫を心配し気遣う余裕を見せていた。

 あろうことか、ジェフはケイトに、カチャと行ったスイスの6週間の旅行のことを、警察に夫婦だと言ったことや、ガイドを嫌っていたこと、山に咲いていた花のこと、そして不意に襲った事故に至るまで、詳細に語る。ジェフは多分、歳をとって妻に頼っている続きで、自分の思いを妻に受け止めて欲しいのだろう。妻は同志なのだから、すべてを分かってほしい。だが、なぜ出会った当時やもっと早くではなく、45年も経った今なのか。妻の気持ちを忖度しない彼の態度は、あまりに素朴で無神経だ。

 結婚前に別の恋人がいたなど、ありふれたことで、自分への愛とは関係ない。ケイトも最初はそう思う。だが、老いた自分と違い、発見されたカチャは若い姿のまま。その思い出に執着する夫の様子に、ケイトは嫉妬する。久しぶりのセックスも、夫が若い頃のように急に政治談議を始めたと聞くと、カチャが現れた影響を感じる。夫がスイス旅行を思いつくのも、温暖化についての本を読むのも、すべてカチャのため。

 追い詰められたケイトは、もしカチャが死んでいなかったら彼女と結婚していたかと問いただし、ジェフは肯定で答えた。この時彼女は決定的に、夫との生活がカチャの存在に浸食されているのを感じたのだと思う。
 夫の留守に自らロフトに上がったケイトは、カチャの写真を発見する。夫は自分の写真は撮らなかったのに、カチャのものは、彼女が撮られたと意識しないものまで大量。しかもケイトはその中に、子供を産めなかった自分とは違う、妊娠した姿を見つけるのだ。

 ジェフがケイトを撮らなかったのは、もしかすると、さかんに撮っていた恋人が死んでしまったからかもしれない。あんなに詳細に語ったジェフが、カチャの妊娠を話さなかったのは、ケイトを傷つけない配慮だったろう。それに、愛する恋人との結婚を考えるのは、ごく自然なことだ。だが、そのすべてがケイトには苦痛だ。そもそも、長年、カチャの思い出の品の下で暮らしていたなんて、ひどい。ケイトが今気付かなかったとしても、ジェフの死後に発見する可能性だってあるではないか。

 ケイトが船に乗っているシーン、もしローマ人がこの地域に鉱脈を発見していなかったら、この運河は掘られていなかった、というアナウンスが流れる。そして、彼女は、事故のために宙ぶらりんになったジェフの選択の先にあった自分の人生の空しさに覆われる。

 前日に妻の傷心にやっと気付いたジェフは、パーティー当日、朝からかいがいしくケイトに尽くし、スピーチでは、ケイトと結婚したという選択の正しさと、彼女への感謝を述べる。荷を降ろしたように、軽々と妻とダンスする姿には、単純なバカさと小狡さを感じた。仲直りできたつもりの夫のそばで、ケイトは完全に離れた心を抱いているのに。 
posted by HIROMI at 09:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年04月29日

アイヒマンショー 歴史を映した男たち

 1960年、ユダヤ人絶滅計画を推進したナチの将校アドルフ・アイヒマンが、イスラエル諜報機関によってアルゼンチンで逮捕され、翌年、エルサレムの法廷に引き出された。裁判のもようは37か国でテレビ放映され、ナチのすさまじい悪行を、世界中が知ることとなった。

 裁判の中継を計画したのは、アメリカ人プロデューサーのミルトン・フルックマン(マーティン・フリーマン)。裁判の開始を知ると、すぐにイスラエル政府との交渉に奔走。監督にアメリカからドキュメンタリー作家のレオ・フルヴィッツ(アンソニー・ラパニア)を呼び寄せた。カメラが邪魔だという判事の許可を取るために、壁を改造したり、わずかな日数で完璧な準備を行う。そのフルックマンを度重なる脅迫が襲うが、決してひるまない姿勢には、正義感と同時に強力な野心が感じられた。

 いざ撮影が始まると、現実的に事を進めようとするフルックマンに対し、フルヴィッツの関心はアイヒマンに集中する。フルヴィッツは、アイヒマンが激昂したり泣き叫んだり、自分たちと同じような感情をもつことを映し出せれば、彼が怪物だからファシストなのではなく、誰もが状況によってはファシストになる可能性がある、と警告できると考えていた。

 だが、アイヒマンは、どんなに追及されようが身じろぎひとつしない。感情の爆発を待つあまり、証人が卒倒する瞬間に、カメラを向けられず、視聴率を気に掛けるフルックマンは、監督に怒りをぶつけた。折しもガガーリンが宇宙飛行し、キューバ危機が起こって、長々と続く単調な陳述よりも、人々の眼はそれらに引きつけられていた。

 だが、ホロコーストを生き延びた人々の証言が流れを変える。子供を殺されたあと、自分も撃たれた女性が、死体の山から這い上がって見たのは、見渡す限りの死体だった。トラックから死体を片づけていた男性は、ある日死体の中から妻子を見つけた。死体を焼却した灰を、滑り止めのために収容所の地面に撒かされた。等々・・。今まで知らなかったが、ナチスは、ガス室でのチクロンBによる殺人を思いつく以前、トラックに排ガスを引き込んでの殺人を行っていたのだ。そして、遺灰までをモノとして利用していた。

 ホロコーストの映像をアイヒマンに見せる場面では、立っているのがやっとの骸骨のような人や、おびただしい死体の山や、それらをブルドーザーで片づける様子など、きょっとする映像の数々が映された。第二次世界大戦の死者5千万人のうち、600万人がユダヤ人だった。その人々がどのような目に遭ったのか、凄惨な実態が明らかにされたのだ。裁判を見守っているような気持ちで観ていたが、すでに事実を知っていても、映像の衝撃はすごかった。

 アイヒマンは最後まで、保身の言葉以外口にせず、フルヴィッツは敗北を感じる。だが、フルックマンのいうとおり、何よりホロコーストの事実を世界に届けたことは、大きな功績なのだ。
 それまで、生存者が自分の体験を話しても、そんなひどいことが行われたはずがない、と誰も信用せず、そのため生存者は沈黙せざるを得なかった。確かに証言や映像は、普通の想像を超えている。この裁判によって、その状況が変わったのは、本当に大きかったと思う。
posted by HIROMI at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年04月19日

最高の花婿

 フランスのロワール地方に暮らすクロードとマリーのヴェルヌイヌ夫妻。4人の娘のうちの3人が、一年ごとに次々と結婚していったが、彼女たちの相手は、アラブ人にユダヤ人に中国人。結婚式もそれぞれの宗教にのっとって行われ、カトリック教徒の親にとっては異文化との遭遇。それが毎回で、何とも目まぐるしい。娘たちがすんなり夫の文化を受け入れているのとは対照的に、両親のとまどいは大きい。 
 だが、自分たちの伝統を継がない婿を残念に思っても、二人が娘たちの選択に反対した様子はなく、娘や婿が両親の反対と闘った風もない。ヴェルヌイヌ家の異文化間率が特に高いとはいえ、そうした結婚は当たり前のことなのだ。

 クロードは敬虔なカトリック教徒だが、同時に少々保守的な人物のよう。言葉の端々に、婿たちを外国人と思っているのが出てしまう。だが、きっとよくある普通の反応。それを婿たちに差別だと言われて、逆ギレしてしまう。次女の息子の割礼式のパーティーは、おかしくもヒヤヒヤだ。

 異文化間の対立は、クロードと婿たちだけでなく、婿同士の間にも。ユダヤ系のダヴィドがイスラム系のラシッドに、割礼をユダヤ教が生後8日に行うのに、イスラム教では6歳で行うことなんてかわいそうだ、といちゃもんをつけ、そのせいで二人が言い合いになる。それにしても、同じ宗教の家族内ではなく、何でも親族全員が集まるのはスゴイ。そんな中、ちょっとしたからかいや皮肉が飛び交うバトルが展開。
 ラシッドは陰で、残りの二人をアラファト、ジャッキー・チェンと呼び、ダヴィドは残りの二人を、シャイロック、ブルース・リーと呼んで、それぞれの人種の典型的なキャラに当てはめて小バカにしてる。

 だが、彼らの誰も、人種のキャラにちっとも当てはまっていない。ダヴィドは商才に乏しくて事業に失敗しているし、ラシッドはイスラム法ならぬフランスの法律に携わる弁護士だ。それぞれ個性があり、イメージに当てはまらないのは当たり前のこと。そして、移民であっても、その子孫でも、皆フランス語を話し共和国に暮らす、同じフランス人。3人がフランス国歌を歌う場面の健全さは、それぞれの宗教や文化の違いが認められている背景があるからだろう。

 クロードとマリーが最後の期待をかけた4女ロールの相手は、待望のクリスチャンで、名前もフランス人っぽいシャルル。だが実は黒人で、それを知ったクロードは荒れ、マリーは鬱に。すると姉たちは、自分たちのことは棚に上げてロールの結婚に反対し始め、婿たちも団結。だが、最も強力に反対するのは、コートジボワールに住むシャルルの父だった。自分が受けた人種差別のために、フランス人に対する敵意を全身にみなぎらせた最も強烈なキャラ。そんな父とクロードが、結婚反対の共通項から、次第に男同士の友情を感じだすドタバタがおもしろい。

 この映画が作られたのは、昨年のパリのテロ事件より以前。今では移民に対する視線は変わったのでは、と寂しい思いがする。こんな明るいコメディー、これからも可能なのだろうか。
posted by HIROMI at 20:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2016年02月29日

みんなでつくる学校・とれぶりんかの朗読劇

 昨日、メセナひらかたで、みんなでつくる学校とれぶりんかの朗読劇「こどもたち・女たちのSOSが聞こえますか?!」を聴いた。

 施設で育ち、誰にも心を開かない少年。養父母に引き取られたが、二人は離婚し、養母はうつ状態のなか、彼に包丁を突きつけるようになり、彼は施設に戻るしかなかった。
 障害をもった女の子は、貧しい暮らしのなか定時制高校を卒業して住まい付きの仕事につくが、トラブルで追い出され、ホームレスになってしまう。
 母親の帰宅を幼い弟と二人で待つ少女。週に1回は帰ってきてお金を置いて行った母親が、男性と知り合って帰って来なくなった。高校に進学したいが、希望がない。もう食べるものもない。

 どれも心が痛む深刻な話だが、全部、会の代表が実際に出会ったこどもたちだという。3番めの例など、すぐにも保護が必要だと思われるが、案件のあまりの多さに、週一でも母親が帰ってきていることから、対応を後回しにされるという。

 現在、日本の子供の貧困率は、16.3%で、6人に1人が貧困ということになる。それはつまり親の貧困。ここ20年で急速に非正規雇用が増えるなか、女性の非正規雇用の賃金は、男性の正規雇用の4割り程度しかない。

 会の代表者の話に心を打たれた。
 「シングルマザーは、離婚に至るまでにすでに心の体力を使い果たしていて、父親からの養育費不履行が多い中、失業などで一気にうつ状態に陥るケースも多い。孤独のなか、人間不信になったり、理性的な判断を失ったりし、子供のしんどい状態に向き合えなくなってしまう。子供は、ネグレクトされても、母親と引き離されるのを恐れて母親をかばうなど、彼らの笑顔の下に隠された素顔がみえにくい。
 父親が自殺した家族は、元の家に住めなくなって他地域に越すが、起こったことを隠して知らない土地で孤立する。
 よく自己責任といわれるが、母親の追い詰められた状況や、社会的な背景にも目を向け、彼らの状況が、私たちと地続きにあることに思いをいたして欲しい。」

 「人間は未熟な状態で生まれるため、母親一人では育てられず、種として集団で子育てを行って生き延びてきた。それが本来の私たちのあり方のはず。みんなが少しずつ力を出し合って、取り組んでいくことに希望があると思う。」
 枚方市の保育園「みんなの里」での地域に開かれた「0円こども食堂」の取組や、東京都豊島区で、一人のお母さんから始まって、大勢のカンパで実現した受験サポートの取組などが紹介された。

 朗読劇には、二胡奏者の木場孝志さんが今回のために作曲した「いのちの陰影」と「HOPE」が流され、ラストは音楽部の二人の歌で締めくくり。会場には、イラスト部の男子が描いた数々の電車の絵が展示されていて、写真のような精巧さに驚いた。
posted by HIROMI at 20:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年02月27日

ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります

 ニューヨークのブルックリンに住むアレックス(モーガン・フリーマン)とルース(ダイアン・キートン)。新婚で移り住んで40年が経ち、田舎だと思われていた街はオシャレに変貌。一方、エレベーターのないアパートの最上階の住まいは、老境の身には不便になってきて、アレックスを心配したルースは、新居に引っ越そうとアレックスを説得。姪で不動産ブローカーのリリー(シンシア・ニクソン)が早速始動して、明日が家の内覧会となっていた。

 エネルギッシュで明るいルースと、ゆったりと落ち着いて寡黙なアレックス。白人と黒人間の結婚が珍しかった時代に結婚し、慰め支え合って生きてきた。大きく開いた窓から、街が広がる光が満ちるアトリエ。屋上には菜園もある落ち着いた住まいは、二人の幸せで温かな人生を、そのまま表しているようだ。

 思い出の詰まった部屋でも、リリーの眼にはあくまでも物件。アレックスが描きためた数々の絵は、内乱の邪魔になるガラクタ。及び腰のアレックスの中で、引っ越しへの疑問がつのっていく。愛犬ドロシーが急に歩けなくなったかと思うと、街にはテロ騒ぎが起こり、通院も大変。渋滞で移動が面倒な街に対して、家の中がさらに快適に見えてくる。

 他人がずかずかと入ってくる内覧会。電気のスイッチをパチパチする子供と、それを叱らない母親とか、訓練中という介護犬志望のおバカな犬連れとか。知ってる人の家では見せるはずのお行儀や遠慮が吹っ飛んで、値踏みしたり物色したりの本音丸出しで押し寄せるさまが滑稽だ。

 貧しかった二人が住んだアパートは、今や高値がつき、リリーが仕切る入札やオファーで買い手がつきそう。すぐにも新居が必要だと思った二人は、あわただしく新居探しに向かい、自宅に来た人たちと何度も遭遇しながら、とうとう気に入った家にめぐり会うのだった。

 自分の家に住む人を選ぶ時、ルースは値段よりも、養女を迎える予定だとか、メッセージの内容とかに惹かれていた。自分が今度住むことになる家の持ち主がどんな人物なのかも、同じように目に入るのだと思う。
 競争相手に勝つために、あわてて契約しようと訪れたところ、テレビにテロの容疑者が映し出される。怖くなって事故現場から逃げただけのように見える、大人しそうな犯人。画面の男に向かって、家の持ち主が吐き捨てる汚い言葉。値段に不満を言い募る不機嫌なその妻。不快に感じたアレックスは、突然引き返そうとするのだ。

 リリーの高飛車な指図に振り回されていた。だが、自分たちの暮らしは自分たちで決めるのだ。不安に思った老境も、このまま乗り越えられると、自分たちの力を認識する。これからもずっと恋人のままの二人が、とても素敵だ。
posted by HIROMI at 11:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年02月20日

愛しき人生のつくり方

 夫に先立たれたマドレーヌ。長男で郵便局員だったミシェルは、定年退職で所在ないが、彼の妻ナタリーは、まだばりばりの現役教師。独立心旺盛でおちゃめはマドレーヌのもとには、孫の大学生ロマンがしょっちゅう訪れるが、彼はまだ将来の目標が分からない。ある日、マドレーヌが倒れ、老人ホームに入ることになるが、ロマンはそこにも通って、彼女も新しい環境になじむ。ところが、友人の葬儀の帰り、自分の家に他人が住んでいることを知った彼女は、突然ホームから姿を消してしまうのだった。

 人々の何でもない暮らしが、可笑しくて寂しくて、愛しい。
 机にお菓子を並べただけの、ミシェルの質素なお別れ会。40年の思いが込められない不器用な短いスピーチ。ロマンとマドレーヌがホームの壁に飾られた絵に引きつけられるが、牛か馬かわからない作者の絵は、わざわざ訪ねて行って他の絵をもらっても、何の動物だか判別できない。マドレーヌが倒れた知らせに、沈痛なミシェルとロマンのそばで、ロマンのルームメイトのカリムの携帯が、間抜けた音を出す。シリアスなはずのシーンも、アルアルの間の悪さに思わず吹き出してしまった。

 レストランのメニュー選びにもぐずぐずするミシェル。母親をホームに預けたのも、家を売ったのも、望んでではなく状況に押し切られて。彼女の失踪を知ると、死んだと思い込んで落ち込むものの、無事だと知らされると、母の行動を迷惑だと言って妻にあきれられる。彼は、自分の不安定さが妻を苛立たせているとは知らず、妻の愛を求めてあがく。一方、ナタリーは、退屈な夫が今も自分を情熱的に愛しているとは知らず、うんざりのフリで彼の反応をためそうとする。そんな両親の間で、ロマンは冷静で優しい緩衝剤だ。

 そしてロマンもまた、まだ見ぬ運命の人を探す旅人。祖母の友人の葬式で一目ぼれした女の子とはそれっきり。だが、祖母を探して訪れた彼女の故郷の小学校で、またしても一目ぼれの相手ルイーズに出会うのだった。

 この映画、クロード・ルルーシュの「男と女と男」のコーヒーに砂糖を三つ入れる主人公が、同じだけ入れる女の子とやっと出会うのを思い出した。冒頭、ロランが墓地を間違えて祖父の葬儀に遅れ、最後、ルイーズもマドレーヌの葬儀に遅れて来るから。

 祖母に付き添った場所で恋人に巡り合った話を聞いたカリムが、めったに会わない祖母を連れ出して、あまり気のなさそうな彼女の職場を訪れる。「舌きりすずめ」とか「花咲かじいさん」の悪いおじいさんを連想してしまう。
 これは効き目がないようだったけど、繰り返しはもうひとつあって、ドライブインで2個入りのチョコを勧めた店主のアドバイスどおりにして成功したロマンは、妻との関係に悩む父親に、同じ男にアドバイスを受けるよう勧めるのだ。
 人生を前に進めてくれるのは、ふとした小さな助言だったりする。それがお守りになったり、本当の予兆だったり。心温まるいい映画だった。 
posted by HIROMI at 10:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年12月17日

母と暮らせば

 1945年8月9日の長崎。11時9分に原爆が投下されるまでの間に、21歳の浩二(二宮和也)は、母伸子(吉永小百合)に声をかけて玄関を出、人で鈴なりのバスに乗り、医科大の授業に出た。一日の始まりの一コマ一コマが、その後破壊された何万の人々の、それまでの普通の生活を象徴していると思う。インク瓶が一瞬で溶けて、爆風と轟音が響く場面が恐ろしかった。

 3年後、浩二の遺体や遺品を探し続けた伸子は、ようやく彼の生存をあきらめることを決心するが、その時、家の中で人の気配に振り返った彼女は、学生服の浩二の姿を見るのだった。

 陽気でおしゃべりな昔のままの浩二。彼は伸子の妄想ではなく、レコードに涙を落としたり、彼一人が写る場面も多く、亡霊として描かれる。そして今も、かつての恋人町子(黒木華)を愛している。
 町子も浩二を忘れられず、結婚前に浩二が死んだにもかかわらず、彼の妻として生きていこうと思っている。伸子は、町子の将来を案じて、彼女に浩二を忘れるよう、浩二には町子の自由を認めるように諭すが、二人ともから強い拒否を受ける。もし原爆が引き裂かなければ実っていただろう二人の思いが、本当に切なかった。

 戦後3年経っても、まだまだ傷深く困難な世の中。充分な食糧がなく、伸子のもとには上海のおじさん(加藤健一)が闇物資を運んでくる。町子は父親の消息を探す教え子に付き添って、復員局で悲しい知らせを聞く。

 そんななか、伸子の仕事が助産婦なのは、これから再生していく社会の希望を表しているのだろう。だが、伸子の夫は結核で死んでいて、浩二を失うばかりか、長男もビルマで戦死しているのだ。たった一人になっ彼女は、町子と互いに支え合いながら、義母と娘のように寄り添って、浩二のいない時間を生き抜いた。町子までがいなくなる寂しさよりも、彼女の幸せを願う伸子の優しさ、芯の強さ。

 町子の気持ちとは裏腹に、伸子の願うとおり、若い町子には新しい出会いが起こる。親しい友人が死に、その母になじられて、自分が生き残ったことに罪悪感を抱くエピソードは、「父と暮らせば」と同じだ。苦しみながらも伸子に背中を押された町子は、自分の人生をもう一度生きようとする。そして、初めは町子が自分から離れて行くことに激しく動揺した浩二も、次第に彼女の幸せを願うようになっていく。死んでしまった何万人もの人々は、生き残った人々の幸せを願っているはずだ、という伸子の言葉に胸を打たれた。

 浩二は、町子を深く愛しているものの、彼女のもとにではなく、母のもとに現れ、母の言葉を通してしか町子の様子を知ることができない。彼の姿を見ることができるのも、母だけだ。恋人同士の悲しい別れの物語である以上に、母と息子の絆の物語なのだろう。
 浩二が納得しているといえ、町子の婚約者黒田(浅野忠信)が登場する場面は、奪われた人生の無念が迫ってくる感じがした。伸子は突然、なぜ浩二ではなく町子が幸せになるのか、と怒りだす。矛先が町子の恋人に向かわないのが不思議だった。嫉妬が、よく知らない相手ではなく、よく知っている身近な人物に向かってしまうのは悲しい。

 そして、町子が去った夜、原爆病に侵されていた伸子は、たった一人で死んでしまう。痛ましさにまた泣いた。だが、彼女には永遠に息子といられるという救いが待っている。そして、彼とともに死んだ何万人もの人々が、二人を待つのだ。戦後を生きた人たちの思いと、死んだ声なき人々の思いが、切々と迫ってくるようだった。  
posted by HIROMI at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年11月20日

尚衣院-サンイウォン-

 王室の衣服を作り管理する尚衣院。幼い頃からそこに勤めるチョ・ドルソク(ハン・ソッキュ)は、厳しい修行に耐えて頭角を現し、三代の王に仕えてきた。今や尚衣院長として新王にも気に入られ、貴族に加えられる日も近かった。宮殿に暮らす者にとって、衣服は規律と伝統を表し、地位の象徴であり、ドルソクは決まりに沿って厳格に仕事をこなしていた。

 一方、キーセンの宿にいりびたる若い服職人のイ・ゴンジン(コ・ス)は、華やかさや着心地を追求しながら、自由な発想で女たちの服を作っていた。たまたま官吏に服の直しを頼まれたゴンジンは、長い袖や裾を切って、活動的で見栄えよく改良してみせる。

 ある時、王妃つきの女官の失敗で、儀式に使う王の服が傷つけられ、翌日までに作り直さなければならなくなった。ドルソクは王の命令なしの作業を口実に断るが、ゴンジンはできると即答し、着心地よく作り上げて王の満足を得るのだった。 

 自分の思うままに好きな服を作っていたゴンジンには、もとよりドルソクに対抗する気持ちも、出世欲もなかった。彼が王妃の服作りに執着したのは、王妃の美しさに惹かれ、彼女の孤独に心を痛めたから。自分の才能のありったけで王妃を支えたいという、彼女への恋心がすべてだった。

 ゴンジンはドルソクを尊敬し、二人の間には、同じ仕事で苦労してきた者としての同志のような感情や、親子や子弟のような情さえ通う。だが、斬新なデザインを次々と生み出すゴンジンの才能や、彼の服への人々の人気、さらには王がゴンジンに目をかけ始めたことが、ドルソクの嫉妬や怒りを掻き立てていく。そして、自分が守ってきた仕事への誇りと自負ゆえに、思わぬ一線を越えてしまうのだ。

 二人をめぐる宮廷の人間もようも複雑。先王である兄の死去によって王となった今も、兄に抑圧された記憶に苦しむ新王(ユ・ヨンソク)。元々王妃(パク・シネ)に惹かれていたのに、彼女が兄の花嫁候補の一人で、兄から譲られた女だという理由で、王妃を遠ざける。
 世継ぎができないことをいいことに、自分の娘を王に近づける重臣。王は王妃の廃位をめぐって臣下と対立する。王の気を引き、王妃にとって代わろうとする娘。

 権力と愛情をめぐっての女同士の戦い。儀式の場では、彼女たちの衣装が大きなパワーを発揮して、王の気持ちを引きつけたり、地位や威厳を思い知らせて、周囲を圧倒したりする。王妃にとっては、自信を取り戻し、王との関係に希望を灯すシーンとなったはずだった。
 なめらかな絹地のボリュームや、それにぎっしりと飾られた豪華な刺繍。目の覚めるような鮮やかな色彩。絢爛豪華な衣装にため息が出た。 
posted by HIROMI at 19:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年11月15日

顔のないヒトラーたち

 1958年のドイツ、フランクフルト。地方検察の若い検事ヨハン・ランドマンは、ジャーナリストのトーマス・グニルカから、元親衛隊だったシュルツが今も教師として働いていることを知らされた。同僚の検事たちは皆無関心。検察官の定例会議で報告すると、文部省に確認すると約束され、その後シュツルが免職になったと知らされるものの、実際にはシュツツは何事もなく学校に居続けていた。検事総長のバウワーに呼び出されたランドマンは、殺人の確固たる証拠なしには、戦争犯罪者を裁くことはできないと教えられる。

 ナチの犯罪と誠実に向き合ってきたドイツ。この国の戦争犯罪訴追が、戦後すぐではなかったことや、1958年当時には、国民の多くがアウシュビッツを知らなかったことは、衝撃だった。戦後のドイツは、アウデナー大統領のもと、経済復興にやっきで、重い過去にはふたをして、忘れ去ろうとしていたのだ。当時の政府機関には元ナチ党員が大勢いたままだった。

 ヨハンが目にした証拠の発端は、アウシュビッツからの生還者シモンが収容所から持ち帰った、実名入りの親衛隊員の名簿。バウワーから調査の指揮を任されたヨハンは、ナチの残した膨大な兵士の記録を辿る一方、イスラエルの団体の協力を得て、ようやく最初の被害の証言者に辿りつく。
 だが、アウシュビッツのことを何も知らなかったヨハンは、非人間的な状況下での大量殺人のために、殺された者の名前や、目撃した日時などの質問が意味をなさないことに、初めは気付かず、証言者に無知を驚かれる。そして、悲惨な体験にただ耳を傾けることにより、アウシュビッツでのおぞましい犯罪の数々を知ることになるのだった。

 点呼の時に顔を見たというだけで、相手の眼をつぶした者。相手が死ぬまでブーツで殴り続けた者。リンゴをもっていた少年の足をつかんで、壁に頭から打ちつけた者。それをやった男は、その後りんごを平然と食べた。帽子を取って投げ、それを取りに行った背中を撃った者。それはよく行われたことで、「逃亡による銃撃」として処理されたという。それらは、兵士として上官の命令に従った、という弁解が通じない、恣意的なものだ。そんな理不尽で卑劣で凶暴な暴力が、収容所での日常だった。

 もちろん、収容所内で権力をもっていた者たちによる犯罪もある。アウシュビッツでは、医師による生体実験が繰り返し行われており、双子の娘を医師メンゲルに惨殺されたシモンの証言は、悪魔の所業としか思えない、身の毛もよだつ恐ろしいものだ。

 米軍のドキュメンタリーセンターには、60万人ものファイルがあり、そのうちアウシュビッツで働いていた8000人全員が容疑者と考えられた。ヨハンは、山のような文書と格闘し、ドイツ中の電話帳をたどって、元親衛隊員らの住所を突き止めていく一方、アウシュビッツの悪の象徴であるメンゲルの行方を追って行く。
 警察や他の関係機関が、及び腰ですばやい行動を取らず、上司や同僚の反発もあるなか、ヨハンは、検事総長の導きや、グルニカの協力により、果敢に粘り強く真実に迫っていく。イスラエルの諜報機関モサドもからみ、サスペンスのような緊迫感だった。

 そして、ついに1963年、ホロコーストに関わった者をドイツ人自身で裁く、フランクフルト・アウシュビッツ裁判が始まり、アウシュビッツで何が行われていたのかが、広く知られることとなった。

 ヨハンたちの努力に感銘を受けるとともに、ドイツと日本の大きな違いを、改めて考えさせられた。日本が海外で行った犯罪は、多くが闇の中で、731部隊は何も罪を問われていない。日本人自身に向けられた犯罪も、小林多喜二を拷問死させた特高たちは、それが誰だったかさえ知られていない。暗澹とした気持ちが残る。 
posted by HIROMI at 09:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年11月11日

マルガリータに乾杯!

 デリーの街を走るバン。冗談を言い合う家族の中で、身をよじるように笑う若いライラの輝くような笑顔が素敵。車が止まると、中から車いすが降ろされる。ライラは身体障害者なのだ。
 彼女はデリー大学に通う学生だが、校内の階段を上がるためには車いすごとの介助が必要だし、会話も、息切れしながら短いフレーズしか話せない。静かにしなければいけない図書館でも、声の抑制が難しい。でも、ライラはそんな不自由はものともせずに、ラインやスカイプでチャットをしたり、明晰な頭脳で路上のチェスでも無敵だ。幸せいっぱいのキラキラオーラに引きつけられた。そして、年頃の彼女は恋に憧れていた。

 同じく障害をもつ青年ドゥルヴとは友人だけど、彼は彼女が好き。パソコンでエッチな場面に刺激を受けたライラは、自分からドゥルヴに触れてキスをする。ところが、大学のバンドのイケメンボーカルのニムを見ると、たちまち彼に恋をして、自作の歌詞をほめられると、自分への好意と勘違いしてしまう。頭がいいのに早合点のライラ。コンテストで優勝するも、障害者の作品だったから、と評され傷ついたライラは、同時に失恋も味わって、大学が嫌になってしまう。

 インドは男性優位の社会かと思っていたが、ライラの母親は夫に代わって車を運転するし、夫の反対を押し切って、娘の新天地を開くために、ニューヨークへの留学を強力に援護。夫をおいて二人でアメリカにやって来る。

 そこでライラは、パキスタンとバングラディッシュの両親をもつ美しいハヌムと出会うが、騒然としたデモで叫んでいた彼女が、白い杖をもっていた場面は驚いた。ハヌムも、盲目なのに化粧もオシャレも自在な自由な人。彼女もライラに負けず、独特の存在感で魅力的。
 ハヌムは実はレズビアンで、ある時ライラはふと彼女の誘惑に応える。予想外の展開にびっくりだ。ライラはハヌムに惹かれていたと思うけど、強い好奇心と飛び切りの楽天性が、彼女を前に進めているのかもしれない。ともあれ、二人は本当の恋人に。

 一方、面食いのライラは、授業の記述の介助をハンサムなジャレードに申し込まれると、本当は全然必要ないのに、断らずに助けてもらう。彼が恋人でない女の子とディープキスするのを見てけげんに思うが、気楽に性を楽しむジャレードの姿も、彼女には新しい世界だったろう。そして、トイレ介助の時、二人は自然に体を合わせてしまう。ほんとの恋じゃなくても、これもアリ。ライラにはすべてがチャレンジのよう。

 恋人と暮らすための母親からの自立。浮気を告白したために、恋人とのいさかいと別れ。自分のセクシュアリティを告白して、母親と対立。自分らしくあろうと悩むライラの姿は、正直で力強くて、ハラハラさせられるけど、どこまでもさわやか。自分を信じて愛してるラストに、感動がこみ上げた。
posted by HIROMI at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記