2015年09月06日

あの日のように抱きしめて

 1945年、アウシュビッツ強制収容所から、ユダヤ機関に勤める親友のルネ(ニーナ・クンツェルドルフ)に付き添われ、ベルリンに戻ってきた、元声楽家のネリー(ニーナ・ホス)。奇跡的に生還した彼女だったが、顔に銃による大けがを負っていて、手術によっても、元の顔に戻ることはできなかった。ピアニストだった夫のジョニー(ロナルト・ツェアホルト)と再会することが何よりの望みであるネリーは、パレスチナへの移住を誘うルネの言葉に関心を示さず、夜の街を捜し歩いて、ついに、酒場で雑用係をしている夫を発見する。だが、ジョニーはネリーを妻だとは気付かないどころか、「死んだ妻に似ているから、妻を演じてくれたら財産を山分けする」と持ちかける。ネリーは、混乱しながらも夫の提案を受け入れた。

 ルネはジョニーについて、ネリーの逮捕の2日前に釈放され、その後も音楽家として普通に過ごしていた、と警告する。つまり、妻をナチに売った裏切り者だと。彼が役所から書類を盗む場面からも、ジョニーがルネのいうとおりクロであることは想像できる。だが、夫の愛情を堅く信じるネリーは、それが受け入れられない。一方のジョニーは、眼の前の女がネリーだとは分からない。二人は初め、互いの姿がまったく見えないのだ。

 ネリーが求めるのは、夫との以前の幸せな日々。彼女がジョニーの言うとおりにするのは、彼のそばにいたいためと、何より彼に、妻として発見されたいからだろう。収容所で心身をずたずたにされたうえに、顔を失くし、はじめ幽霊のようにおぼつかなかったネリーは、ジョニーの注文どおりに髪を染め、化粧をして、元のネリーをなぞっていくうち、皮肉にも元の自分を取り戻していく。それは、初めて夫と出会い、関係をやり直しているかのような、新鮮な喜びをもたらして、よけいにジョニーへの眼をくらませる。だが、生還の日のための工作でジョニーの指示通りに動くうちに、彼への疑惑が沸き起こってくるのだった。

 ジョニーはおそらく、かつてネリーを本当に愛していただろう。だから、彼女を守ろうとハウスボートに隠した。だが、ナチに尋問された恐怖で、自分の身の安全の方を選んでしまったのだ。卑怯だが、普通の小心な男なのだと思う。そして、自分の行為への後ろめたさから、それを責めるべき妻を、死んでしまったと思い込みたい。その上、落ちぶれた身の上から金が必要な彼は、彼女の財産に目をつけたなどと、本物の妻には知られてはならない。だから、目の前にいるネリーによく似た女は、どこまでもニセのネリーでなくてはならないのだ。
 だから、ネリーにそっくりに着飾った女を見て動揺したジョニーは、似ていると思うがゆえに、激しくそれを否定する。ジョニーの表情からも行動からも、彼の妻への思いは見えにくいが、彼はおそらく、自分に都合のいいように、妻への愛も罪の意識も、今の良心さえも抑圧しているのだ。

 収容所帰りの人々はみんな火傷や銃創でボロボロで、そのため誰も彼らを見ない、というジョニーの言葉がショッキングだった。そのため、ジョニーはネリーに、なりすましての収容所から生還の日に、赤いドレスを着るように言う。そして、彼の言ったとおり、出迎えた人々は、彼女の服装を不自然だとは思わず、収容所のことも訊ねない。かつて不正をした社会が、その犠牲者を受け入れる時の、奇妙なよそよそしさ。

 そして、ネリーが自分自身になりすまして彼の前に現れたまさにその日、もう彼の仕打ちに気付いていた彼女は、彼に自分の正体を人知れず気付かせる。彼への愛をよりどころに、強制収容所を生き抜いたネリー。愛は復讐に変わるのか。ミステリアスなラストが悲しかった。
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2015年09月01日

ふたつの顔を持つ少年

 ナチから逃れ、ゲットーを脱出した8歳のユダヤ人少年スルリックは、森のなかで同じ境遇の子供たちと暮らすが、ドイツ兵に追われて一人になる。冬になり、雪原をさまよった末、パルチザンの家族を待つポーランド人女性に助けられた彼は、ユレク・スタニャンという名のポーランド人孤児としての偽りの身の上話と、キリスト教徒としてのふるまいを教えられる。だが、そこにもゲシュタポが近づき、夫人のもとを離れたユレクは、次の居場所を求めて旅をするのだった。

 冒頭、上着を盗んで捕まりそうになりながら、吹きすさぶ雪のなかを歩くだけでも、すごいサバイバル。ゲットーを出る場面では、もぐり込んだ荷馬車に、ナチが銃剣を何度も突き刺す。森での生活は、一緒に食べ物を盗んで仲間が捕まっても、見捨てて走り続けなければならない。一瞬の判断で生き延びるユレク。そんななか、夫人や、少年の存在を黙っている荷馬車の男など、心ある大人が彼を助けてくれた。あの時代に、ユダヤ人を助けることにどれほどの勇気がいったか、はかり知れない。悪に覆われたなかでも、良心の人々はいたのだ。
 農家に気に入られてしばらく過ごした時、遊んでいる時に近所の子供に割礼をはやされて、そこにいられなくなる。ポーランド人だと思って受け入れた家族だが、彼がユダヤ人だと分かったあとも、追い出すのではなく、逃がしたのだ。

 だが、親切な顔をして、金のためにユダヤ人を差し出す者も。ゲシュタポに引き渡されて、絶体絶命の場面、ユレクは、勇気と知恵で、一瞬の運をつかんで逃走。銃と犬による森での追撃も逃れて生き延びる。その後も試練は続き、大きな農場で働き始めるも、脱穀機に腕をはさまれる事故。ユダヤ人だからと手術を拒否されるが、翌日別の医者が執刀し、命を取り留める。たが、最初の医者が放置したことで、右手を失った。
 そして、手術を拒否した医者の密告でナチに追われるも、またしても、同室の老人や、農場の先輩や、見知らぬ船頭たちの助けにより、逃げ切るのだった。
 病院から連れ出してくれた男は、見つかれば自分も危ないのに、命がけで良心に従った行動をとる。

 たった一人の小さな少年も逃がすまいと追ってくる、ナチの執拗さは不思議なほどだ。もし、彼の体が大人のように大きかったら、荷台の中にもぐり込むのも、水辺に隠れるのも難しかっただろう。少年だったから、うその身の上話も短くてすむし、警戒もされにくい。それでも、固く扉を閉ざす人々。賢いユレクは、用心深く大人たちを引きつけて生き延びる。
 そして、少年だったからこそ、子供たちと仲良くなり、家族の一員として本当に愛されもしたのだろう。そうした経験が、過酷な経験のなかに、温かな違う記憶をすべり込ませ、心を休ませて生きる活力を注いだと思う。
 
 だが、追われるユレクが出会う人々は、必ず間もなく別れる相手。そして、その後はもう二度と会うことのない人々だ。助けてくれて、絆をつないだ人たちとの別れの切なさ。心もとなさ。それでも決して絶望せずに、次々と苦難を乗り越えて生き抜き、生き延びていく少年の姿に、深く胸を打たれた。 
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2015年08月29日

この国の空

 1945年、3月の大空襲のあとの東京杉並区。父が戦争に行き、母と暮らす19歳の里子(二階堂ふみ)。隣に住む銀行支店長の市毛(長谷川博己)は、妻子を田舎に疎開させて一人暮らし。おすそ分けを持って行ったり、配給の物資を届けたりの近所付き合いのなか、ひそかに市毛を慕う里子。二人の男女は次第にキョリを縮めていくのだった。

 親子二人でかつかつの暮らしのところに、横浜で焼け出された母の姉が転がり込むと、姉妹間の最初の驚きやいたわりが、たちまち敵意に変わっていがみ合う。配給の乏しい食糧。眠る間もなく響く空襲警報。不安で心もとない彼らの周りには、若い男たちの姿はない。そして、疎開のせいで、子供たちの声も、街からは消えている。

 親戚から送ってきたもちを市毛の家で焼いた里子は、突然泣き出して、市毛を動揺させる。市毛に言われて夜に家を訪ねると、市毛は妻子に送るための新聞の切り抜きを彼女に見せる。留守を頼まれて家に入ると、柱には子供の背の切り込み。近づいてもそこに見えるのは、他人のものである男の顔ばかり。だが、里子はひるまず、若さ一杯にたぎらせた恋のあこがれや、性への恐れを、一心に市毛に傾ける。

 兵隊検査が丙種合格だったために、徴兵を逃れた市毛。新聞記者の友人から終戦が近いと知らされるものの、赤紙が突然来るのを恐れている。克明でみじめは自爆のイメージ。そんな彼は、死とは対極の里子の若さに強く惹かれ、ついにそれを口にする。

 一旦スイッチの入った情動が、確実に前に進んでいくさまが、切なく暗い。後ずさりする里子を木の幹に追い詰める市毛。その夜、市毛の家に来た里子を、市毛は躊躇なく抱き寄せた。大きく歳の離れた道ならない関係が、息を飲むように切羽詰まったものに思われるのは、未来の見えない戦時下だからだろう。
 初めは市毛を警戒するように言っていた母が、終戦が確実なことを知らせに来た市毛のそばで彼の世話を焼く里子を見、雨のなか彼を送っていくように言う。大人の女としての娘の行き場のない思いを、見守るすべしかないのだろうか。すべて、戦争の真空状態のせいだ。

 始まったばかりの二人の恋。だが、戦争が終わって市毛の妻子が帰ってきたら、状況は変わるはず。男のずるさと、女の怖さがチラッと見えたラスト。里子は、これから自分の戦争が始まるのだという。茨木のり子の詩「私が一番きれいだった時」が、里子の声で朗読されても、詩の健全さとは裏腹に、抑圧された日常のねっとりした感じが、いつまでも残った。
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2015年08月16日

チャップリンからの贈り物

 刑務所から出てきたエディ・リカール(ブノワ・ポールヴールド)を迎えに来たオスマン・ブリシャ(ロシュディ・ゼム)は、エディを自分の家の後ろに置いたトレーラーハウスに住まわせる。いわくありげな男の友情は、ほんわかしてるけどノワールの香り。オスマンの家といえば、おんぼろで冷蔵庫も壊れてる。貧しいオスマンは、獣医になりたい娘の夢をかなえてやるどころか、入院中の妻の治療費もままならない状態だった。
 クリスマスの夜、エディはどこからか盗んできたクリスマスツリーとテレビをオスマンにプレゼント。折しも、チャップリン死去のニュースが流れ、それを見ていたエディは、チャップリンの遺体を盗んで大金を得ようと思いつく。

 墓地に忍び込んで棺を掘り出し、別の穴を掘って苦労して埋める。何だか間の抜けた感じだけど、セリフのない長いシーンは、ノワールの香り。首尾は完璧だと思ってるエディは、チャップリン夫人に電話して身代金を要求するも、相手は英語しか話さない。「フランス語で話せ!」とか「こっちはスイスの窃盗団だぞ」とか、身元がバレそうなセリフが笑える。
 困った二人は、警察に電話するが、本当に犯人かを疑われ、証拠に棺の写真を要求される。パニッくったエディは、要求額をいきなり半分に下げてオスマンともめる。そのドタバタが何ともオカシイ。それでも警察は二人に向かって動き始め、金の受け渡しまで事態が進むが、結局不発。
 初めから乗り気でなかったオスマンは、捕まりそうになったショックでエディを追い出すが、治療費支払に追い詰められ、結局エディに頼み込んで犯罪の続きを演じることに。切羽詰まったオスマンが、要求額をきっちり治療費まで下げて必死で脅すのが、可笑しくも切ない。

 世界のチャップリンの棺を盗むというのは、大それているけど、発想自体がユーモラス。エディは、読書好きで、オスマンの娘サミラ(セリ・グマッシュ)を可愛がる。何やらいかがわしいものの、どこかさみしげで憎めない人物だ。妻と娘を心から愛しながら、金に困る実直なオスマンの窮状は胸が痛む。エディは、「チャップリンは放浪者や貧乏人の友たち。彼に金を借りよう」とオスマンを説得したが、二人とも貧しい移民で、実際チャップリンの映画に出てくるような底辺の人々だ。

 特に印象に残っているのは、オスマンに追い出されたエディが、サーカスの女団長ローザ(キアラ・マストロヤンニ)に見込まれて道化を演じる場面。スーツを着た二人の男が、スローモーションで殺し合う舞台は、可笑しくもペーソスに満ちている。

 この話は実話だそうだ。でも、逮捕された後の二人の運命は脚色されているという。国外退去や5年の懲役が求刑された二人だが、チャップリン家が告訴しなかったこともあり、幸運にも放免。エディはサーカスに居場所を見つけ、ローザの愛も得るし、オスマンには、思わぬプレゼントが届く。チャップリンの映画のような、温かな結末がうれしかった。
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2015年08月14日

ボヴァリー夫人とパン屋

 パリでの出版社勤務の後、父のあとを継ぎノルマンディーの小さな村でパン屋をしているマルタン・ジュペール(ファブリス・ルキーニ)。「ボヴァリー夫人」フリークで、本をぼろぼろになるまで読み込んでいる彼の隣に、英国人夫婦が越してくるが、妻の名は何と、小説の主人公にGを足しただけのジェマ・ボヴァリー(ジェマ・アータートン)で、夫は、フランス語読みでは主人公の夫役のシャルルとなるチャーリー(ジェイソン・フレミング)。マルタンは、奇しくも小説と重なるかのような、ジェマの振る舞いにくぎ付になっていく。

 隣人とはいえ、マルタンはしょっちゅうジェマに出くわす。犬の散歩中の会話はともかく、彼女が美青年のエルヴェ・ド・ブレシニー(ニールス・シュナイダー)に声をかけられる場面を目撃し、彼女がエルヴェの大きな屋敷に入っていくところさえ目撃する。そればかりか、ジェマがもう一人の別の男パトリックとただならぬ仲らしいのも見てしまう。小説と同じ展開が、マルタンの予想と期待どおりに起こっていくのだ。

 ジェマの恋の観察者であるマルタンだが、彼自身もジェマに強く惹かれている。店を訪れ、パンのおいしさに興奮するジェマ。工房で、マルタンの横でパンをこねてみせるジェマの恍惚の表情。マルタンのそばにいる時の彼女からは息の音が聞こえ、若さと性が匂い立っている。だから、ジェマの身を案じて恋を妨害してしまうマルタンの心の中には、多分嫉妬が混じっている。

 ジェマは小説のエマと同じく、夫のそばで確かに退屈そうだ。そしてその相手は、小説の登場人物と同じく、快楽が目当ての薄情な誘惑者。どのみち母親の庇護から逃れられないエルヴェは、そっけないメールを残してパリに戻ったのだから、マルタンの介入がなくても、結局ジェマの恋は相手のせいで終わっただろう。皮肉にも、現実は小説のとおりに進んでいく。

 マルタンは、ジェマの恋を妨害することに邪悪な喜びを感じているが、彼の胸を不安で締め付けているのは、いつか訪れるかもしれない彼女の死だ。たびたびジェマに叫び声を上げさせるネズミ。そのために用意された殺鼠剤。小説のエマはそれを飲んで死んでいるため、マルタンはその薬剤に異様に反応してしまう。だが、ジェマを死に至らせるのは、そのヒ素でも、マルタンの眼の前で刺されて彼女が倒れた蜂のアナフィラキシーでもなく、意外にも、マルタンが彼女に贈ったものだった。

 ジェマはもちろん、小説とは違う自分の人生を生きていて、パトリックとは引っ越してくる以前に終わった仲。パトリックのずるさを見抜いて彼を拒否するし、エルヴェが去ったあとには、夫の誠実さを見直し、自分が本当に愛しているのは誰かに気付く。彼女には自殺願望などみじんもなかった。マルタンはジェマの日記を盗んで読むが、そこにはエマとは違う、ジェマの生き生きした決心や、独自の感情があったはずだ。

 だが、パトリックが引っ越し先に現れるのは、まるで物語に引き寄せられたかのよう。そして、マルタンがジェマに警告した「現実が芸術を模倣する」という奇妙なことに。三角関係の末のように見えた悲劇に、頭がクラクラした。

 この話はマルタンの眼を通して描かれているが、作品のユーモアをすべて担っているのも彼だ。チャーリーが去ったあとに越してきた隣人の名をアンナ・カレーニナだと息子に騙されたマルタン。早速隣人に近づく彼の背後、彼の壮大な妄想のように、ポーレシュカ・ポーレが壮大に鳴り響くラストに、思わず吹き出した。
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2015年07月31日

犬どろぼう完全計画

 ピザ屋だった父が失踪し、父の車の中で母と弟と暮らす小学生のジソ(イ・レ)。ある日、不動産屋で見た素敵な家を500万ウォンだと勘違いした彼女は、解決済みの「犬を見つけてくれたら500万ウォンを差し上げます」のポスターを見、犬を盗んで飼い主に返して500万ウォンをせしめようと思いつく。

 お金もないのに有名私学に通い続けるジソは、級友を招いて開くはずの誕生日パーティーが近づいてきて焦っている。服や靴を売ってしまった母(カン・ヘジョン)は、いつも同じサンダル履き。元カレのスヨン(イ・チョニ)を頼って、何とか高級レストランに就職すると、職場で子供に残り物やアイスを食べさせたり、子供の体を洗ったり。おっちょこちょいな母だけど、生きるためには必死。
 そこのオーナー(キム・ヘジャ)は、無名の画家の絵を途方もない金額で買う一方、人を遠ざけ、テリア犬のウォーリーを溺愛。ジソは、そのいぜいたく三昧の犬に目をつける。

 ジソの境遇を知っても離れない級友のチェラン(イ・ジウォン)。巻き巻き髪にリボンのお金持ちの娘だけど、親たちをクールに観察してる。一見アカンタレに見えるけど、実は頭のいい弟のジソク(ホン・ウンテク)。ジソは3人で力を合わせ、ウォーリー誘拐を実行する。その芸の細かいこと。執念深いこと。山あり谷ありで、思わず成功を祈ってしまう。
 一方、オーナーは遺言に全財産をウォーリーに指定。彼女の甥であり、本当は唯一の相続人のソヨンは遺言の内容に驚く。時にレストランの一帯は大規模開発が予定され、レストランを売りたいソヨンは、ウォーリーを亡き者にしたいと思う。こうして、ジソたちと大人たちとのバトルが展開。

 帰って来ない父を待ちわびるジソ。口論のあとに息子が出て行き、その後二度と息子に会えなかったオーナー。この映画は、家族を思いながらも再会がかなわない人たちの物語だ。ジソたちを助けてくれる不思議な放浪者デポー(チェ・ミンス)も、娘を思いながらも会いには行けない。そして、父の失踪の原因だとジソが思い込んでいる母も、本当は父を待っているのだ。

 ジソは、父がいなくなったのは母のせいだと思い、何度も母とぶつかってしまう。長引くみじめな車中生活。だが、親戚を頼るという現実的な選択を取らない理由は、実は母が父の「すぐ帰る」という言葉を信じているからだと知って泣く。マイペースでひょうひょうとしてるジソクが、いなくなった母を探して声を上げて泣く場面は、思わず涙が流れた。

 ウォーリーが戻ってきて、愛する者が自分のもとを去ることに対する、諦めの気持ちが変化するオーナー。その彼女の計らいで、ジソたちに思わぬプレゼントが届く。絆を深めたたくましい家族の姿に、幸せな気持ちが膨らんだ。
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2015年07月18日

ラブ&ピース

 ロックミュージシャンを目指すも挫折し、楽器の部品会社で働く鈴木良一(長谷川博己)。4畳半のアパートでテレビをつければ、東京五輪を論じているはずのコメンテーターたちが全員、良一のことをあざけり始める。通勤電車の中でも、乗客たちが全員、バカにした視線で取り囲む。あり得ない設定は彼の妄想なのでは?と思うも、会社で思いっきりバカにされる耐えがたさは現実。
 デパートの屋上で買った緑カメにピカドンと名付けた良一は、ロックスターになる夢を語り聞かせ、手作りの人生ゲームの上を、満員の日本スタジアムでライブするゴールまでを走らせる。

 愛情を一杯注ぎ、ピカドンをいつもポケットに入れていた良一だったが、会社ではやされ追い詰められて、何とピカドンをトイレに流してしまう。そして、罪悪感と寂しさに狂いそうになるのだった。

 だが、ピカドンは死なずに地下道をながれ、捨てられた人形やロボットやぬいぐるみや、ペットたちと暮らす老人(西田敏行)の元に流れ着く。おもちゃやペットが口をきくなんて、孤独な浮浪者の妄想なのでは?と思うも、人形たちを生き返らせる老人の力は現実。そして、老人の魔法と、良一の夢を背負ったピカドンのおかげで、良一はスター街道を走っていくことになる。

 自分は氷山で、今見えているのは本当の自分の一部にしかすぎない、と良一は言うが、プロデューサーの眼に留まったのは、たまたま看板の文字をつなげて作った歌詞だし、反骨の反戦歌手といっても、ピカドンが原爆のこととも知らず、カメを思って歌ってるだけ。彼に隠されたすごい才能など多分なく、みんな夢のようなラッキーなのだ。でも、見かけと雰囲気だけは、スターらしくカッコいい。

 大事なピカドンを捨ててしまった良一は、ピカドンが彼に歌を授けに帰って来てくれた時、大好きな寺島裕子(麻生久美子)が部屋に現れると、ピカドンのことを隠そうとする。本当は弱いままの、空っぽの彼。だが、ピカドンを頼りつつ恥じる彼の奥底には、変わらぬ愛情があり、それが何とも切なかった。
 そして、彼に捨てられたのに、愛情を注がれた思い出を大事に、ずっと良一の夢のために生きようとするピカドン。捨てられた人形たちもペットたちも、大切にしてくれる老人のそばにいながら、別れたかつての主人をずっと思っている。

 ラスト近く、巨大になったピカドンが、街を壊しながらスタジアムに迫る場面は、怪獣映画そのもの。そして、自分に語った良一の言葉を口にする。ピカドン自身として語らないのが、ショッキング。それほど良一の願望と一体化していたのだ。
 我に返った良一が、舞台を降りて裕子に近づいた瞬間、清志郎の「スローバラード」が流れ始める。この曲を聴くために観ようと思ったのだけど、聴く前からもう涙が流れていた。最後は振り出しに戻るのは、結局すべて妄想だったわけでなく、良一は再生してるはず。荒唐無稽な話なのに、強烈に抒情的。なんか意味わかんないけど、すごく切ないよ。
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2015年07月17日

ジェームズ・ブラウン 最高の魂を持つ男

 1985年、ジョージア州オーガスタ。事務所に帰って来たジェームズ・ブラウン(チャドウィック・ボーズマン)は、自分のと決めているトイレに他人が入っていたことに怒り、天井に銃をぶっ放して逃走した。
 映画は、彼の子供時代から青年時代、スターに上りつめた後までを、時代を行ったり来たりしながら描き、冒頭の場面は、映画のずっとあとに、逮捕されて投獄される場面に続く。どキモを抜く始まりだが、彼の生涯は、どの場面も強烈だった。

 森の中の掘っ立て小屋に住んでいた、極貧の少年時代。母が家を出、父はジェームズを親戚に預けるが、そこではわずかな報酬のために夜遅くまで客引きをさせられた。何とか命をつないで青年になった彼は、一着の背広を盗んだ罪で何年も服役することに。そこに慰問に訪れたゴスペルメンバーの一人ボビー・バード(ネルサン・エリス)と親しくなったジェームズは、彼の家に住まわせてもらうことになり、ボビーとともにライブに打ち込んでいく。生涯にわたって彼を支えるボビーの存在は本当に大きい。

 ライブの場面がすごく楽しかった。高速ですべるような足さばきは、マイケル・ジャクソンにそっくりで、マイケルが彼に大きく影響を受けていたのが分かる。舞台では誰もがジェームズと一緒に踊っていて、すごいノリ。曲の中では「イッツ・ア・マンズ・マンズ・マンズ・ワールド」が一番好きかも。
 清志郎が、自分のマントショーはジェームズ・ブラウンがやってたことだと言っていたけど、マントが清志郎のよりずっと地味だったこと以外は、くたびれた風でしゃがんでいる時の間奏も、去っていくフリの時の切なそうな目つきまでが、そっくりだった。

 インタビューで、今やどんな音楽にも自分の片鱗があると語る彼。実際、彼の音楽は最先端で、新しい時代を切り開き、後に続いた者たちに、多大な影響を与え続けたという。
 一方、強烈な自信は独裁になり、遅刻したり気に入らない者から罰金を取ったり、自分の気に入るリズムを追求するあまり、ギターやベースをドラムだと言わせたり。彼のスター人生は、初めから仲間の嫉妬や裏切りに満ちているが、それ以降も、まるで自分から自分のすぐそばに敵を作っているかのよう。横暴で破天荒で、問題の多い人物だったのかもしれない。

 それでも、どんな苦境にも負けず、貪欲にチャンスをモノにし、自分のスタイルを貫いていくさまは魅力にあふれている。彼の全盛期は、黒人運動と重なっていて、キング牧師が暗殺され騒然となるなか、周囲の反対を押してライブを敢行し、黒人たちに自制を求めて黒人としての誇りを訴える場面は、知的で落ち着いた本物のカリスマだ。黒人として発言すれば、白人から過激派と見られ、改善を訴えて大統領に会えば、黒人からは権力に近づいていると見られる、などジレンマも抱えていた。

 欠点が多く、たくさんの人に去られても、それ以上の多くの人々を引きつけてやまなかった人物。時々スクリーンの観客に向けて、「絶対に屈しない」とか「前進あるのみ」と気持ちを語ったり、「俺は音楽もビジネスもやるんだ」と説明したり。嫉妬で妻を殴ってしまったあとに、恥じらうような視線を向けたり。そんな演出も自然だったし、こちらを見つめる彼がチャーミングだった。 
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2015年07月05日

涙するまで、生きる

 1954年のアルジェリア。地元の子供たちを教えるフランス人教師ダリュ(ヴィゴ・モーテンセン)のもとに、いとこ殺しで捕まったアラブ人モハメド(レダ・カテブ)を、憲兵が連行して来て、裁判所のあるタンギーまで彼を送り届けるよう命令。拒むダリュにモハメドを残して去ってしまった。
 復讐にやって来たアラブ人に応戦したあと、モハメドを追い出したダリュだったが、彼らに殺されることを恐れてタンギー行きを願うモハメドに、ついに同行することに。

 それからの道のりは困難を極める。身を隠すことのできない一本道で、追手が迫ったために山を越えることになり、岩肌を登り、崖から足をすべらせ、砂嵐に遭い、大雨に打たれる。助け合ううちに、ダリュとモハメドに、友情のような連帯感が生まれていく。ダリュは初めからモハメドを客のように扱っていたし、二人ともがフランス語とアラブ語を話すことが、心の交流を助けたと思う。

 モハメドが処刑を望むのは、血の代償を要求する掟のため。自分が同胞に殺されれば、幼い弟が仇を取らねばならず、フランス人に処刑されれば、殺しの連鎖を止められるというのだ。フランス支配のなか、抑圧を受けるアラブ人が、不穏な掟によって互いを傷つけ合う理不尽。
 一方、ダリュの両親は実はスペイン人で、フランス人からはフランス人ではないと見られ、アラブ人にはフランス人だと思われる、帰属の不安な立場。彼がモハメドに親近感をもつのは、そんな疎外感からだろう。アラブの子供たちを教える彼には、多分、皆が平等に暮らせる社会が理想なのだ。だが、フランスの支配を憎むアラブ人から見れば、フランス人は、全員いなくなってほしい者たちなのだ。

 悪天候から逃れ、目的地に近づいたと思ったところで、二人はアラブ人ゲリラに捕まって捕虜になる。その中に見つけた大戦時の戦友。フランス支配の横暴に怒り、ゲリラ側につく者もいたのだ。だが、殺されずにすんだところを、突然フランス軍に攻撃される。耳をつんざく激しい銃撃。追い詰められ、投降する者も撃ち殺す非情さ。徹底的な弾圧は、「アルジェの戦い」を思い出した。

 ダリュはモハメドに、何度も逃げるようにいう。支配と弾圧と死体の山。血の掟。そんななかでも、生きることを尊いと思い、意味を見出そうとするダリュ。かたくなに拒んでいたモハメドは、選択に迷い始める。希望の見えるラストに心が癒されたが、1954年は独立戦争が始まったころで、これから弾圧と殺戮が強まっていく。二人はどうなったろうか。
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2015年06月29日

奇跡の人 マリーとマルグリット

 19世紀末のフランス。ポアティエ近郊にある、聴覚障害をもつ少女たちを教育するラルレイ学院に、14歳のマリー(アリアーナ・リヴォワール)が父親に連れられてやってくる。学院長は、聴覚だけでなく視覚にも障害をもつマリーのことを、自分たちの手に負えないと判断し、父子を帰してしまうが、シスターのマルグリット(イザベル・カレ)は、マリーの教育係を申し出て、彼女を学院に連れ戻した。

 父親の荷馬車の上で、風に手をかざすマリー。音も映像もない暗闇に閉じ込められている彼女は、手のひらで精一杯世界に触れている。
 シスターたちの制止をきかず、庭を駆け回ったあげく木に登ってしまったマリー。彼女を降ろそうとマルグリットがマリーに触れた時、マルグリットは、マリーが自分を待っていたことに気付き、彼女のなかに隠された知性や人を求める心に気付く。そして、彼女の魂が放つ強い輝きに、一瞬に惹かれたのだった。

 マリーの家から学院までの長い道のり。父を途中で帰したマルグリットは、一人でマリーを連れてくる。互いの手首をつないだり、彼女を背負ったり、リヤカーに乗せたり。マルグリットに絶えず触れていたマリーは、学院に着いた時、シスターたちの顔に次々と触れていく。マリーひとりに対する愛着や信頼が芽生えなければ、周りへのこんな反応もなかっただろう。

 生まれつきの三重苦で、それまでしつけを受けなかったマリーは、食器も使えず、着替えや髪を解くことも風呂もいやがる。そんな彼女に生活の様々を教えるのは、苦難の連続だ。彼女にそっと触れていたマルグリットは、突然つかみかかったり、押さえ込んだり。まるで激しい格闘技のよう。
 食堂で大騒ぎの二人のまわりで、うろたえたり驚いたりしながらも、シスターたちは変わらず祈りをささげ、マルグリットの格闘に辛抱強く付き合っている。シーンにぴったりに流れる、寛容を説く聖書の言葉や、困難にひるまず前進するための祈り。洞察と慰めに満ちた、長い聖書の句が非常に美しかった。

 4か月を過ぎてもマリーの抵抗は激しく、むしろ後退していることにマルグリットは焦る。慣れ親しんだ場所から無理やり連れてきて、彼女には訳の分からないことを強いる毎日。だが、マリーの状態を思えば、4か月が長すぎるとは思えない。そして、マリーはきっかけを得て徐々に生活を学んでいく。
 ヘレンケラーのサリバン先生は、両親の反対を押して一人で格闘した。マルグリットも一人だったけれど、周りにいるシスターたちの存在も大きかっただろうと思う。マリーは集団のなかでも育っていったのだ。

 マリーが気に入って絶えず触っている小さなナイフ。マルグリットは手話を繰り返してその名前を教える。何度やってもやっても理解につながらない、徒労に思える繰り返しの果てに、ふと光が差し込んだようにマリーは単語を理解する。その天啓のような瞬間。それからは怒涛のように言葉を覚え、世界が広がっていくさまはドラマチックで感動的だ。

 実は不治の病を抱えていたマルグリットは、死ぬまでにマリーにすべてを教えたいと願う。そして、人が死ぬものであること、自分がもうすぐ死ぬことをマリーに教える。病に倒れて冷たくなったシスターのなきがら。墓地に立つ十字架。死んだのちに行く天国。あらゆるところにいて見守る神様。

 マリーを思うマルグリットの独白が、聖書の詩句のように美しい。そして、マルグリットの墓標の前で、天国の彼女に手話で語りかけるマリーの言葉も。感応する二つの魂の気高さと強さ。感動に震える素晴らしいラストだった。
posted by HIROMI at 20:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記