2015年05月26日

ホーンズ 容疑者と告白の角

 木漏れ日を浴びながら愛をささやき合う若い男女。その映像が突然裏返ると、さっきの青年は暗い部屋にただ一人。最愛の恋人メリン(ジュノー・テンプル)を何者かに殺されたイグ(ダニエル・ラドクリフ)は、容疑者としてメディアや自分をののしる人々に囲まれているのだった。

 子供時代が何度もフラッシュバックして、現在と交差する。恋人との幸せだった時間と現在の孤独と苦境も。イグが暮らしているさびれた街の風景と、イグとメリンが過ごした美しい森の中のツリーハウスも対照的。どこを切り取っても、明暗が際立つ映画だった。
 そして、何より強烈なのは、犯人捜しをするイグの頭に、突然角が生えてくることだ。

 奇妙なことに、誰もが、頭から突き出た角にさして驚かず、その代わり心の奥に隠す自分の暗部をさらけ出す。駆け込んだ病院の受付嬢や母親や、看護士や医者が、自分の不倫やら性欲やら、子どもへの憎悪やらを、イグに語り出す。その誰もが、おぞましくも滑稽。イグの犯罪を疑っていた両親。父はメリンに興味をもちイグに嫉妬していたと明し、母は、息子への嫌悪を露わにする。驚き傷つきながらも、相手の告白を誘う角の力に気付いたイグは、それを使って真犯人に近づいていく。

 子供の頃、ボス役の子と、兄のテリー(ジョー・アンダーソン)と親友のリー(マックス・ミンゲラ)、紅一点のベロニカ(ヘザー・グラハム)とで、いつも遊んでいたイグ。そこによその町からメリンが越して来た。メリンが落とした十字架を、リーが繕ってくれ、それをイグが返してあげた。川に落ちたイグを助けてもくれたリー。
 彼らは大人になっても同じ町で暮らし、弁護士になったリーはイグの苦境を助け、威張り屋のボスは警官に、日和見で気弱なテリーはそのままの大人になっている。人間関係の変わらない十数年。美しいメリンは誰もの注目の的だった。小さな町の限られた人間関係のなか、メリンを殺した人物は、ごく近くにいたのだった。

 メリンに突然別れを告げられたレストラン。傷心のイグを置き去りにメリンがそこから立ち去ったあと、彼女を車で送ったのに、それを黙っていたテリー。そして、レストランのメイドの偽証。保身のための卑怯さや身勝手な欲望。嘘で固められた状況に、イグは渾身の怒りで暴力をふるう。ついに見つけた敵を前にした姿は、悪魔そのものだ。残忍な仕打ちに対し、同じように残忍な力を見せつける。ホラーのような復讐譚。

 イグにより力を与えたのは、メリンの愛が最後まで自分にあったと知ったこと。「死ぬまで愛する」とイグが言い、「私が死ぬまででいいわ」とメリンが答えた短い会話が切なかった。理不尽にも、未来を絶たれた不幸な恋人たち。だが、二人以外も、殺伐として誰も幸せな人間がいず、無残な死体が累々だ。 
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2015年05月06日

ギリシャに消えた嘘

 パルテノン神殿を歩く、金持ち風の優雅な男女。ツアーガイドで稼ぐアメリカ人青年のライダル・キーナー(オスカー・アイザック)は、昨年死んだ自分の父親によく似たチェスター・マクファーランド(ヴィゴ・モーテンセン)に目をとめる。彼の妻コレット(キルスティン・ダンスト)に頼まれて二人のガイドすることになったライダル。その夜、コレットの忘れ物をホテルに届けに行った彼は、チェスターが、ぐったりした男を運んでいるのを目撃する。チェスターは、彼に大損をさせられた投資家の依頼で訪れた探偵に脅され、誤って死なせてしまったのだった。

 ライダルは、女子学生からカフェ代をごまかし、夫婦を案内しながらも、わざと違う金額を伝えて差額を懐に入れる。彼がチェスターを助けようとしたのは、親切心以外、おそらく彼が金持ちだから。偽装パスポートを友人に頼んた時も、巧みに報酬をつり上げていく。
 だが、組織に追われつつ、胡散臭い男に頼らざるを得ない苦しい状況のチェスターが、実は本物の犯罪者、詐欺師であることが、次第に明らかになっていく。男が死んでいたことを知らなかったライダルは、彼の犯罪に完全に巻き込まれていたのだった。

 そんな中、チェスターと親ほど歳の差がある美しいコレットの存在が、ライダルとチェスターの関係を、さらに不安定にし、逃亡は困難と緊張を増していく。
 ライダルと妻の様子に嫉妬を覚えたチェスターは、次第に二人の仲に疑念を抱く。二人を探して言葉の通じない街をさまよい、泥酔し、カモにされ、悶着を起こすチェスター。夫から心が離れ、緊張から耐えられなくなったコレットは、やっと乗れたバスから一人降りてしまう。 

 宿を断られて野宿する波止場。夜明けまで来ないバス。風光明媚なアテネの街が、不便でなかなか抜け出せない場所になる。待たなければならない長い時間が、彼らを心理の渦に巻き込んでいき、その間に、チェスターの犯罪が報道され、捜査網が引かれていく。そして、コレットがバスから降りたせいで歩かなければならなくなった岩場の洞窟で、第二の殺人が起こってしまうのだ。

 登場人物はそれぞれ、自分の生い立ちや父親のことを語るが、それが本当のことなのか、互いに疑っているし、観客にも分からない。チェスターがコレットを愛しているのは確かだろうが、コレットがなぜ彼と結婚したのか、彼女の本名さえ分からない。つかみどころのないまま深まっていく葛藤と亀裂は、不安を掻き立てた。

 後半、飲んでくれていたチェスターは、手ごわい犯罪者の顔を取り戻し、ライダルは、ハメられた落とし前をつけようと、しつこいタカリを繰り返す。どこに行きつくのか先の見えない展開と、人間模様に引き込まれた。
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2015年05月04日

忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー 2015

 2日、渋谷公会堂で「忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー Love & Peace」を聴きに行った。

 自転車に乗って公会堂に向かってくる清志郎の映像に、もう胸がワクワク。
 最初にトータス松本が現れて、「今年も清志郎さんのすごさを、みんなで確認し合おう」と言って、「よーこそ」。それから、キーの高さに悩んで半音下げてもらったと前置きし、「ベイベー、逃げるんだ」と「ラプソディー」。歌詞の間に入れるガッタ、ガッタもそのままコピーし、全身全霊の歌だった。

 二人目はTOSHI-LOW。清志郎と共演したことはなかったけれど、いつも彼ならどうするだろうと考えている、といい、「地震が起きると戦争が起こる」という清志郎の詩を朗読して、「東の空が燃えてるぜ」と「ドカドカうるさいロックン・ロール・バンド」。

 三人目は曽我部恵一。清志郎に惹かれたのは中2の時で、「ハートのエース」が初めて買った日本人アーティストの作品だったそうだ。「九月になったのに」と「山のふもとで犬と暮らしてる」。ソロで歌うのをはじめて聞いたけど、すごくのびのいい、きれいな声で引き込まれた。

 次は浜崎貴司。「いいことばりはありゃしない」のあと、一時歌が歌えなくなった時に清志郎に「もっと明るい歌を歌っていいんだよ」と言われたといい、「明るいといえるかどうかわかんないけど、こんな時代だからこそ」と、「JUMP」を歌った。

 細野晴臣は、ひょうひょうとした感じでふら〜っと現れて、「しあわせハッピー」をにぎやかに歌ったかと思うと、またふら〜っと出て行った。ほんとにどの人も個性的。

 Charは清志郎と一緒に作ったアルバム「県立地球防衛軍」から「かくれんぼ」と「S.F.」。なぜかこの人が現れるとほっとする。特に親しい友人だったわけじゃなくても、正確な理解者な感じ。恩人でもあるし。

 奥田民生は「つきあいたい」と「スローバラード」。一曲目で疲れ切ったかに見えて、次の曲でもすごい声。もうこの2曲はこの人の十八番になったみたいだ。
 それからみんながコーラス隊で出てきて「トランジスタラジオ」。 

 チャボは「ベルおいで」と「エネルギー」。さみしい孤独な曲と、激しいロックの落差が大きい。それを照れるのが、彼らしい感じだった。
 彼が「やっと出てくれました〜!」の紹介で井上陽水が現れると、会場はすごい拍手。バックのミュージシャンがすべて消え、一人の弾き語りで「帰れない二人」と「楽しい夕べに」。

 ラストは、全員で「雨上がりの夜空に」。天井から金色のテープがたくさん降ってきて、みんなそれをつかんで振りながら拍手していた。

 最後、清志郎の過去の映像が映されたのだが、2004年2月の渋谷公会堂での「ベイビー何もかも」の前のMCがすごかった。「世の中物騒だ。この国もおかしくなってる。戦争に加担する軍事政権を作ろうとしてるんだ。普通に戦争する国にしようとしてるんだ」もう11年も前なのに、清志郎が言っているのは現在のことにしか思えない。なんて敏感な人だったろうと思う。

 翌日、上野に行くと、「敬神尊攘」とか書いた街宣車が何台も集結していて、巻き舌のようなものすごい声が怖かった。公園内にも怒声が響き渡っていて、静かなはずの空間が台無し。さすがの広さで奥に進むと離れられると思ったのに、反対の出口に近づくと、そこからもまた怒声が聞こえてくる。観光客も外国の人もいるのに、あの轟音を放置してるのはなんでだろう。

 その日は、雑誌の旅行記事に惹かれて、上野から三ノ輪まで歩いたのだが、まったく無謀だった。上野公園から寛永寺までは楽勝で、公園内を弁天堂に寄ったり、上野東照宮のぼたん園を見たりして余裕だったのに、寛永寺を出てから子規庵にたどり着くまでが大変で、歩いていた道路が突然陸橋になった辺りから訳が分からなくなり、ラブホテルの集まったややこしい迷路のなかで迷って、すごく苦労した。
 そこから一葉記念館も、ものすごく遠くて、いろんな人に助けられたけど、道を間違えて引き返したり、ウロウロ迷ったりで、随分余分なキョリを稼いでしまった。道を聞くたびに「どこから来たんですか」と聞かれ、「大阪」というと驚かれた。たどり着いた記念館では「入谷駅から歩いたの?」と言われ「上野から」というとすごく驚かれた。
 説明員の人の話を聞いていると、自分がいる場所が昔の吉原のすぐ近くで、ほんのすぐ近くに、遊女が逃げるのを防ぐためのおはぐろどぶがあったことに気付き、たけくらべの世界が現実の吉原と重なった。

 一葉は龍泉寺界隈にわずか11か月しか暮らさなかったが、地元の人々はそれを顕彰し、お金を集めて記念館を建てた。それを含めて、台東区には6つもの区立の個性的な文化施設がある。地元に密着した、文化と自治の香を感じた。大阪都構想で新しい5つの区ができたとしても、地縁も歴史も共有しない、お上からの押しつけの分割区に、東京のような文化が育つとは思えないなあと、改めて思った。

 だけど、とにかくよく歩いた日だった。東京駅で空きのロッカー探しで歩き回ったのを含め、最後に新幹線に乗れるまで、朝の9時から夕方4時まで歩いてたと思う。  
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2015年04月30日

パレードへようこそ

 冒頭、連帯せよ、組合で共に闘おう、という歌がゆっくり流れる。悲壮感とか暗さより、心が開かれて高揚する感じ。緊張を含みながらも、そのさわやかさが最後まで続く映画だった。

 1984年のイギリス。サッチャーは20か所もの炭鉱の閉鎖を宣言し、それに抗議する労働者のストライキが起こっていた。警官たちが労働者たちに襲いかかるニュース映像を観たゲイのマークは、炭鉱労働者を支援することを思い立ち、仲間に提案する。
 マークは、いつも自分たちを迫害していた警官が街に少なくなったのは、彼らが炭鉱に動員されているせいだ、と気付いたのだった。炭鉱労働者をいじめている警官もサッチャーも、自分たちと同じ敵。彼は仲間と「炭鉱労働者支援レズビアン&ゲイの会」LGSMを立ち上げて、バケツを手に募金を展開する。

 ところが、集めた支援金を送ろうと労働組合に電話するも、ゲイの会だと名乗ると切られてしまう。手を差し伸べた相手からも差別されるのは辛いはずだが、全然あきらめない彼らの打たれ強さはさわやか。炭鉱に直接連絡してみようと、ウェールズの役場にかけると、あっさり了承される。
 誰もいないがらんとした部屋で鳴る電話器に、初老の婦人が怪訝そうにゆっくり近づき、訳の分からないまま返事をする線の向こうで、狭い部屋にひしめくマークたちが、飛び上がって抱き合う。ユーモラスで、切実で、思わず吹き出しながら胸が熱くなる場面。こんなシーンが満載だった。

炭鉱を代表してやってきたダンは、Lがロンドンの略だと思ったと驚くが、初めて会ったゲイに対して、偏見を持たない公正な人物。その夜のパーティーであいさつに立った彼の言葉が感動的だった。「自分よりはるかに強い相手と闘っている時、見知らぬ人たちが応援してくれると知るのは、本当に心強いこと。みなさんがくれたのは、お金ではなく友情です」。

 ウェールズで支援者への感謝のパーティが開かれるが、ゲイの招待に反対の声も上がるなか、委員長のヘフィーナや初期のクリフが彼らを温かく迎えるが、労働者たちの反応は冷たい。だが、興味を抑えきれない女たちの質問にメンバーが応えたりのなか、徐々に距離が縮まっていく。そして、ジョナサンが得意のダンス。
自然体で、自分を解き放っている姿は魅力的。セクシーなダンスに村の女たちが夢中になると、絶対踊ったりしない田舎の男たちが、モテたいがために、ダンスを教えてもらいたいと言い出す。

 それでも、ゲイに対する世間の偏見や差別は根強く、組合員や村の者にも、ゲイへの嫌悪を露わにする者も。ストライキに対する反感をあおる新聞は、ゲイの支援を受けていることを揶揄して書き立てた。記事によって、LGSMの事務所も投石される。だが、マークは即座にその危機を反転させる。いわく、「ゲイの伝統では、侮り言葉は大切に活用する」。マスコミを利用し、支援のためのコンサートを大々的に展開するのだった。

 コンサートの前、マークたちが二度目に訪れた時、寒い中ガスも止められ、困窮を深める街の悲しみ。それでも誇りを失わない労働者たちと、LGSMのメンバーは、強い絆で結ばれていく。
 そして、ゲイであることを家族に隠していたジョーが、自立していくまでの葛藤や、ゲシンが、自分を追い出した母親と再会して絆を取り戻すさまなど、メンバーの繊細な心の軌跡にも心を打たれた。

 悲しくも、運動の結果は希望とそぐわない。ゲイに対する根強い反発が、支援を打ち切りに向かわせ、ストライキ自体も勝利には終わらなかった。だが、失望と挫折に終わったかに見えた物語は、ラストに再び連帯と友情の素晴らしさを謳い上げる。自分らしく生きるために、仲間を大事にし、差別に抗して旗を掲げるって、何てカッコいいんだろう。今や古い言葉のように思える「連帯」が輝いていた。 
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2015年04月05日

京都市交響楽団 スプリング・コンサート

 京都コンサートホールで、京響のスプリング・コンサートを聴いた。
 今回初めての試みで、プロジェクションマッピングが使用され、正面のパイプオルガンや天井に、音楽に合わせて映像が映し出されて、美しかった。

 最初の曲は、アンダーソンの「舞踏会の美女」。浮き立つような軽快で美しいメロディー。正面には、影絵のようなシャンデリアが浮かび、くるくる回る光もワルツのよう。光が天井に届いて流れると、一気に春の気分が沸き立ってきた。

 次は、宮川彬良編曲の「ファンタジア!白雪姫」。ディズニー映画でおなじみの楽しい3曲だった。

 3曲めは、デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」。師匠の留守の間に試した水汲みの魔法を止めることができず、あわてふためく魔法使いの弟子を描いた曲で、音の強弱に合わせ、溢れて押し寄せる水の映像が、大きくなったり、小さくなったり。

 4曲めは、リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」から第1楽章「海とシンドバッドの船」。これはリアルな水の映像で、柔らかな演奏の時は穏やかな海の表面が映り、激しいメロディーに変わると、荒れ狂う嵐の海になって、そこに漂う小さな船が、シンドバッドの冒険を物語っていた。

 5曲目は、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。聞き覚えのあるメロディーで、タイトルと違って明るさのある典雅な響き。これも、とても春らしい感じのする曲だった。

 最後は、同じくラヴェルの「ボレロ」。延々と繰り返される同じメロディーが、次第に音量を上げていく。この曲にはどんな映像が付けられるのだろうと思ったら、花火のような、大きな花のような模様次々と浮かび、きれいだった。

 アンコールは、シュトラウスの「ラデツキー行進曲」のあと、指揮者の広川淳一氏が自ら電子ピアノ(キーボード?)を弾いて、菅野祐悟作曲の「感謝」を演奏した。京響は今年、クラシックのグラミー賞と言われるサントリー音楽賞を受賞していて、広川氏は、それについて、聴衆や関係者への感謝と、団員への賛辞を語っていた。

 春らしい曲の数々もよかったが、演奏者がみな穏やかで幸せそうな雰囲気で、それが会場にも伝わっている感じがして、いい演奏会だった。

 今日も、演奏会前に植物園に行ったのだが、雨に濡れた桜が美しく、いろんな種類の桜の群生は、まるで霞のようだった。まだ早いと思っていたチューリップも咲きそろっていて、とてもかわいくてきれいだった。
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2015年04月04日

忌野清志郎 OFF写真展

 清志郎の誕生日の前日の1日、愛知県新城市にある湯谷温泉の「はづ合掌」に、「忌野清志郎 OFF写真展」を観に行った。
 深い山合いにある合掌造りの建物は、高い吹き抜けの天井に、間接照明の美しい広い空間。落ち着いていて、かつとてもオシャレ。日本の伝統的な建物というより、ヨーロッパのような雰囲気だった。

 入口すぐに、清志郎の家族の名前の書かれた花と、三宅伸二からの花が置かれ、正面には、主催者からの、清志郎へのリスペクトと愛情のこもったあいさつのパネル。
 清志郎は、この温泉をとても気に入ってたびたび訪れ、ここで気持ちをリセットさせてはまたライブに出かけ、病気が発覚したあとは、療養にも来ていたという。

 好物の薬膳料理を前にしている写真など、宿でのスナップの中に、浴衣姿でうちわに絵を描いている写真があって、そのそばに、彼が絵とサインを入れた実際のうちわが、たくさん展示されていた。
 また、鳳来寺山を登って石段で休憩したり、鳳来寺や満来寺で手を合わせたり、阿寺の大滝の前に立ったり、鳳来峡の名所を巡っている写真もたくさん。それに、付近をサイクリングしている写真もあって、三宅伸二が一緒に写っていた。どの写真も、眼が優しくて、幸せそう。
 「個展」の時にも観た「奥三河の風景」と題された絵もあった。山と橋とフクロウ。そうか、ここの風景だったんだ。よっぽどこの温泉が好きだったんだなあ、と思った。

 着物姿の女の人と一緒に、ドラゴンズの応援に来ている写真もあったが、受付の女の人があでやかに着物を着ていたため、その写真の人が彼女で、パネルのあいさつ文を書いた本人だと、すぐに気がついた。
 2階に上がるとシアターがあって、完全復活祭のDVDを上映していた。チャボが「チャンスは今夜」を歌ったあと、何人かの人が舞台に現れて、清志郎とチャボに花束やレイを渡していたが、その中に、日傘をさして着物を着た女性が一際目立っていたのを思い出したが、その女性が受付の人だということにも気がついた。
 後で本人に話を聞いたら、あの場面で出てきた人は、スタッフの家族など、ごく親しい人たちだったそうだ。

 建物奥にある、緑が目に涼しい広いカフェの名前は、清志郎のアルバムタイトルと同じ「Rainbow Cafe」。普段は絶対コーヒーだけど、紅茶が好きだった清志郎を思って、アールグレイを注文した。

 前日は、少し離れた「はづ別館」に泊まったのだが、店の人に尋ねると、清志郎がいつも泊まっていた部屋を教えてくれた。露天風呂の近くの少し奥まった場所にあり、隠れ家のよう。部屋の前の飾り棚に、清志郎の印のように、小さなウサギの置物が置かれていた。
 写真展でも、復活祭の直後に、その部屋で山のような船盛りを前に、笑顔で映っている一枚があった。窓から宇連川を眺め、翌朝またサイクリングに出かけたのだろう。
 今度また来られたら、清志郎が愛した鳳来峡を、ゆっくり巡ってみたいと思う。 
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2015年03月29日

バベルの学校

 アフリカや中東、アジアなど、世界中からパリにやって来た、11歳から15歳までの子供たち。彼らが学ぶのは、フランス語を学ぶ集中トレーニングの適応クラス。数学や歴史も勉強するが、学力の基礎は何より言葉。このクラスでの学習が、彼らがフランスで生きていく力となっていく。

 母国を離れた時の気持ちを先生に聞かれ、友達にさよならも言えずに悲しかった、とか、腹が立ったと話す子供たち。セルビアからきたミハイロは、母親がユダヤ人のため、ネオナチの迫害から逃れてきた。モーリタニアからのラマは、父親に引き取られた先で虐待を受け、13年離れていた母親に助けられて渡仏。ギニアからのシェナブーは、学習に身が入らないことを心配されるが、11歳の今、両親のいる故郷に帰れば、性器切除の危険が待ち受け、14歳には強制的に結婚されられてしまう。
 ラナやシェナブーと同じ黒人でも、イギリスから来たケッサの理由は、英語のほかにフランス語を話せるようになるといいと言われたから。ベネズエラからのミゲルも、音楽を学ぶために来ているが、故郷は危険だらけで、道を歩くこともできなかったと話す。

 保護者との三者懇談の場面が何度も映るが、両親が離婚し、フランスに渡った片親を追ってやって来た子供たちも多く、忙しい親のもと、一人で何日も留守番をしたり、狭い住宅に多人数で住んでいたり。また、子供がフランス語をどんどん習得していくのに反し、学校に通えなかった母親が読み書きができなかったり、フランス語が話せない親のために子供が通訳したり。移民である親たちの置かれた厳しい状況が浮かび上がる。
思春期の難しい時期の子供たち。ケンカになったりぶつかったりもするが、次第に心を通わせて仲間になっていく。急に引っ越すことになって、学期の途中でクラスを去るリビアからのマリナム。彼女は新しい土地でも適応クラスに入れるだろうか。留年することに抵抗し、処置を人種差別だと訴えたラナに、先生は懸命に説得し、次の試験で頑張ることに。
 子供たちの人生や将来を見つめた、担任の先生の粘り強い丁寧な指導が胸を打つ。それぞれが抱える状況や、互いの違いが大切にされる空間は、フランス社会の豊かさと、多様な民族や文化を行け入れた社会の、今後の大きな可能性をを表していると思った。

 この映画はドキュメンタリーで、学期の終わり、子供たちは普通クラス行きや進級が決まり、先生は学校を去ることが決まる。感謝と別れがたさでみんなが泣き、無口で大人しかった中国からのシンも、感情を爆発させて涙を見せる。子供たちはこの後も、絆を強めながらそれぞれ成長していくことだろう。心温かく、感動的な映像だった。
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2015年03月28日

女神は二度微笑む

 インドの大都市コルコタ。冒頭、カーリガーター駅で、地下鉄サリン事件を思わせる毒ガス事件が起きる。
 その2年後、一か月前から消息不明になった夫アルナブ・バクチを探して、ロンドンから妻のヴィディヤ(ヴィディヤ・バーラン)がやって来た。国際空港から警察に直行した彼女は、夫の捜索を依頼したのち、夫が滞在した宿に着くが、宿ではアルナブという客などいなかった、と言われ、2か月前からIT専門家として働いていたはずの、国家情報安全局(NDC)でも、夫の勤務記録はないと告げられる。さらに、夫の通っていた小学校でも、叔父の家でも、アルナブなど知らないと言われるのだった。
 ところが、NDCの人事課長アグネスが、アルナブが、かつて職員だったミラン・ダブジにうり二つだということを思い出す。

 ミランは夫と同一人物なのか。ミランとそっくりなために夫は事件に巻き込まれたのか。ミランのことが分かれば、夫の消息につながるはずだと考えるヴィディヤ。だが、情報局の司令官カーン(ナワーズッディーン・シッディーキー)も、ミランという男などいない、と断言。そして、DCNの上層部の者の指示により、アグネスをはじめ、ミランの情報に触れようとした人物や証拠が、次々と消されていく。

 国際空港に降り立った時から、美しいヴィディヤには客引きのタクシー運転手が群がった。新米警察官のラナ(バラムブラト・チャテルジー)も彼女に惹かれ、探索を共にしてどこまでも助ける。そして、彼女に手を差し伸べずにいられないのは、彼女が臨月まじかに見える身重の身だから。ラナの頼みにそっぽを向いていた情報屋も、ヴィディヤの懇願で重要な情報を与えてくれた。だが、その体は、敵の攻撃から自らを守るにはあまりにも弱く、危険にさらしてはいけないものだ。そんな彼女が、幾たびもの危険を危機一髪でかいくぐっていくシーンの連続に、ハラハラドキドキしどおしだった。

 気が強く、賢いヴィディヤ。部下を完全に威圧しているカーンが、彼女の言葉の反撃に、思わずたじろぐ。相手が無意識に使った名前の呼び方から、ミランのことを知っていると判断したり、部屋に残されたお茶のコップから、屋台の少年の目撃情報にたどり着いたり。少しの手がかりから真実に大きく近づいていく。夫と同じくITの仕事に就いていて、ハッキングもお手の物で、NDCの何重もの防御壁を乗り越える。
 敵かと思った相手がそうでなかったり、思わぬ人物が敵の司令塔だったり、親身な手助けが策略だったり。それでも、夫が消えた悲しみと孤独に耐えて、戦い続けるヴィディヤの不屈な姿が胸を打つ。だが、真相に近づくということは、強力な悪の標的に定まっていくということだった。

 ドゥルガー神の祭りの準備で忙しいコルコタ。町は活気にあふれ、人々は、買い物をしたり話し込んだりしているほか、道端で歯を磨いたり、昼寝をしたり。公共の空間にまで生活があふれているよう。
 祭りの当日、女性たちは赤い縁取りのある白いサリーを着て、行進していく。そして、その祭りの最中、ヴィディヤが最大の危機に直面する時がやってくるのだ。夫がめでたい日に着て欲しいといっていたサリー。ラナが、夫が見つかったら着て欲しいといって贈ってくれたサリー。それを纏った美しい彼女。そして、すべてが裏がえる驚愕のラスト。数々の伏線を思い返しても、あまりの驚きに唖然とする。本当に面白い映画だった。  
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2015年03月24日

パリよ、永遠に

 1994年8月25日の未明。ホテル・ル・ムーリスに駐留するドイツ軍の司令官コルティッツ将軍(ニエル・アレストリュプ)の部屋に、部下と建築技師が集まった。ヒトラーの命令で、ノートルダム大聖堂やルーブル美術館、オペラ座、市内33か所の橋など、パリ中の建築物を爆破するというのだ。戦略上は何の意味もなく、ただ、無傷のままのパリに対するヒトラーの嫉妬を満足させるため。爆薬はすでに仕掛けられていて、会議は地図上での最終確認。

 皆が去ったあと、一人になったコルティッツの前に、スウェーデン大使のノルドリンク(アンドレ・デュソリエ)が現れる。軍のいるロビーを通らずには入ってこれなかったはずだと驚く将軍に、大使は、この部屋が昔、ナポレオン3世の愛人が住んでいた場所で、一目を気にせず逢いに来れるよう、通りからの隠し階段があるのだ、と告げた。相手のふいを突く登場から、ノルドリンクの交渉術が、コルティッツを凌駕しているのが分かる。だが、ここからの二人の攻防は、息詰まるほどスリリングだった。

 大使が、わずか2000人のドイツ軍が300万人のパリ市民を抑えられないし、今や連合軍がパリに向かっている、と言っても、将軍は、十分な勝算をもった、恐れを知らない軍人としての反応しか見せない。自由フランス軍のルクレール将軍からの、無抵抗のままパリを無傷で開け渡せば、名誉ある降伏を約束する、という条件を知らせても、将軍は軍人としての義務を盾に、まったく岩のように動かない。

 大使が退室されかかった時、起爆装置が破壊された、というヘッゲル中尉からの電話が入る。大使が電話の相手の名前を口にしたことから、不安を覚えた将軍は、思わず大使を引き留めた。機会をとらえた大使は、すかさず別の角度から説得にかかる。ドイツの敗戦が明らかだという現実や、身の安全の損得に訴えても動かない相手に、今度は倫理に訴えようとする。
 君のこどもと同年代のこどもたちが多数犠牲になっても平気なのか。神の命令で我が子を殺したアブラハムのように、ヒトラーに言われれば自分の子供でも殺すのか。それでも、将軍は、一理はある反論で反撃する。だが、心のあがきは明らかだ。そこにヒムラーからの恣意的な命令が届き、上部への怒りが、将軍の心を大きく揺さぶった。

 この後、将軍は、自分が命令に背けない理由を語り始める。彼がパリに赴任する前日、親族連座法が成立し、自分が背けば家族が処刑されるのだ、というのだ。君ならどうする、と問われ、答えに窮する大使。そこへ、パリ郊外に連合軍が入ったという知らせが入る。ついに命令実行の時がやってきた。大使は、家族の海外逃亡を持ちかけるが、ゲシュタポに捕まる結末を恐れる将軍は、やはり命令の実行以外に選択肢はない、と決然と言い放つ。万策尽きた大使はついに去ろうとするが、その時将軍に発作が起きる。

 映画の冒頭でも、将軍は同じ発作を起こしていた。彼は異常な命令に従うことに苦しんでいたのだ。そんな将軍を大使は介抱し、戦争が終わったあとの5年後のパリを想像させる。そして、自分のもつ組織のルートで家族を逃す、と約束する。ドイツ軍に知られてはいけない組織の名前と、実は自分の妻がユダヤ人だという事実を聞かされた将軍は、ついに大使の説得に従う決心を固めるのだった。

 大使の予想どおり、将軍が降伏するとドイツ軍はパニックを起こした。彼は、パリを破壊すればドイツは思い十字架を背負い、戦後の世界でのけ者になるだろう、と警告したが、それも的中したことだろう。彼の説得がなければ、世界は全然違っていた。それに、説得している間に戦ったレジスタンスの活躍がなければ、時間は稼げなかったろう。
 ラストに映る、パリの輝く美しさ。本当によかった、と心から思った。
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2015年03月11日

愛して飲んで歌って

 医者の夫コリン(イポリット・ジラルド)から、余命いくばくもない患者の話を聞き出した妻のカトリーヌ(サビーヌ・アゼマ)は、それが知り合いのジョルジュのことだと知ると、守秘義務もなんのその、すぐにジョルジュの親友ジャック(ミシェル・ヴュユイエルモーズ)に電話。ジャックの妻のタマラ(カロリーヌ・シオル)にも伝わり、ジョルジュのことは仲間うちの公然のことに。

 ジャックは動揺を隠さず、半泣きでオロオロ。だが、彼には愛人からしょっちゅう電話がかかってきて、親友を心配しつつ、お楽しみは変わらず続く。
 4人は素人芝居の団員で、急に欠員が出ると、ジョルジュに役を当てて、生きる目標を与えて元気を出させよう、とジャックが言い出し、全員が即賛成。余命いくばくもない人に無理をさせて大丈夫なのか、とは誰も思わない。
 ジャックのおせっかいは続き、ジョルジュから離れてシメオン(アンドレ・デュソリエ)と暮らすモニカ(サンドリーヌ・キベルラン)を訪ね、ジョルジュのもとに帰ってやってほしいとしつこく頼む。

 ジョルジュは意外にも元気に稽古に励み、恋人役のタマラとのラブシーンにも励む。二人の様子にヤキモキするジャックは、不安をコリンにぶつけ、コリンは、初恋同士の結婚だと思っていたカトリーヌが、実はかつて、ジョルジュの恋人だったと知らされる。もともとぎくしゃくと空回りだった二組の夫婦は、ジョルジュのおかげで、奇妙な5角関係になってしまう。いえいえ、モニカが戻ってきて参戦し、7角関係に突入だ。

 テネリフェ島への、人生最後の旅に出るというジョルジュ。彼から同行を頼まれたカトリーヌは、看護のために一緒に行くのは当然、とコリンの反対を封じてしまう。ところが、タマラもモニカも同じ誘いを受けていて、ジョルジュをめぐる女同士の争いが勃発。いそいそと身の周りの世話に通っていた女たちは、つかみ合いまで始める始末。

 若い頃からの恋心が再燃したかのように、ジョルジュに惹かれる女性陣。一方、妥協を重ねた自分たちとは違う、理想を追い求めたジョルジュの生き方に憧れを感じる男性陣は、妻たちの恋のパワーに全く無力。男も女もみな身勝手で、自分のための判断を相手のためだと言ったり、自分のことは棚に上げて言いつのったり。涙ぐましいドタバタは、おかしくもペーソスがある。
 そして結局、同情されているはずのジョルジュが、彼ら全員を振り回し、超プレイボーイ振りを発揮して、最後には、カトリーヌたちのような熟女とは違う、思わぬ女性を旅行に連れて出るのだ。多分、これぞフランス。まさに大往生。

 面白いことに、話の中心であるジョルジュは、一度も画面に出てこない。そして、登場人物たちがいる空間自体が、芝居の舞台そのもので、彼らは背後に垂れ下がった幕から出入り。場所の移動は実写だが、場所を示すのはイラストで、そのあと舞台が映って話が進むという具合。すごくユニークな映画だった。
posted by HIROMI at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記