2015年03月24日

パリよ、永遠に

 1994年8月25日の未明。ホテル・ル・ムーリスに駐留するドイツ軍の司令官コルティッツ将軍(ニエル・アレストリュプ)の部屋に、部下と建築技師が集まった。ヒトラーの命令で、ノートルダム大聖堂やルーブル美術館、オペラ座、市内33か所の橋など、パリ中の建築物を爆破するというのだ。戦略上は何の意味もなく、ただ、無傷のままのパリに対するヒトラーの嫉妬を満足させるため。爆薬はすでに仕掛けられていて、会議は地図上での最終確認。

 皆が去ったあと、一人になったコルティッツの前に、スウェーデン大使のノルドリンク(アンドレ・デュソリエ)が現れる。軍のいるロビーを通らずには入ってこれなかったはずだと驚く将軍に、大使は、この部屋が昔、ナポレオン3世の愛人が住んでいた場所で、一目を気にせず逢いに来れるよう、通りからの隠し階段があるのだ、と告げた。相手のふいを突く登場から、ノルドリンクの交渉術が、コルティッツを凌駕しているのが分かる。だが、ここからの二人の攻防は、息詰まるほどスリリングだった。

 大使が、わずか2000人のドイツ軍が300万人のパリ市民を抑えられないし、今や連合軍がパリに向かっている、と言っても、将軍は、十分な勝算をもった、恐れを知らない軍人としての反応しか見せない。自由フランス軍のルクレール将軍からの、無抵抗のままパリを無傷で開け渡せば、名誉ある降伏を約束する、という条件を知らせても、将軍は軍人としての義務を盾に、まったく岩のように動かない。

 大使が退室されかかった時、起爆装置が破壊された、というヘッゲル中尉からの電話が入る。大使が電話の相手の名前を口にしたことから、不安を覚えた将軍は、思わず大使を引き留めた。機会をとらえた大使は、すかさず別の角度から説得にかかる。ドイツの敗戦が明らかだという現実や、身の安全の損得に訴えても動かない相手に、今度は倫理に訴えようとする。
 君のこどもと同年代のこどもたちが多数犠牲になっても平気なのか。神の命令で我が子を殺したアブラハムのように、ヒトラーに言われれば自分の子供でも殺すのか。それでも、将軍は、一理はある反論で反撃する。だが、心のあがきは明らかだ。そこにヒムラーからの恣意的な命令が届き、上部への怒りが、将軍の心を大きく揺さぶった。

 この後、将軍は、自分が命令に背けない理由を語り始める。彼がパリに赴任する前日、親族連座法が成立し、自分が背けば家族が処刑されるのだ、というのだ。君ならどうする、と問われ、答えに窮する大使。そこへ、パリ郊外に連合軍が入ったという知らせが入る。ついに命令実行の時がやってきた。大使は、家族の海外逃亡を持ちかけるが、ゲシュタポに捕まる結末を恐れる将軍は、やはり命令の実行以外に選択肢はない、と決然と言い放つ。万策尽きた大使はついに去ろうとするが、その時将軍に発作が起きる。

 映画の冒頭でも、将軍は同じ発作を起こしていた。彼は異常な命令に従うことに苦しんでいたのだ。そんな将軍を大使は介抱し、戦争が終わったあとの5年後のパリを想像させる。そして、自分のもつ組織のルートで家族を逃す、と約束する。ドイツ軍に知られてはいけない組織の名前と、実は自分の妻がユダヤ人だという事実を聞かされた将軍は、ついに大使の説得に従う決心を固めるのだった。

 大使の予想どおり、将軍が降伏するとドイツ軍はパニックを起こした。彼は、パリを破壊すればドイツは思い十字架を背負い、戦後の世界でのけ者になるだろう、と警告したが、それも的中したことだろう。彼の説得がなければ、世界は全然違っていた。それに、説得している間に戦ったレジスタンスの活躍がなければ、時間は稼げなかったろう。
 ラストに映る、パリの輝く美しさ。本当によかった、と心から思った。
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2015年03月11日

愛して飲んで歌って

 医者の夫コリン(イポリット・ジラルド)から、余命いくばくもない患者の話を聞き出した妻のカトリーヌ(サビーヌ・アゼマ)は、それが知り合いのジョルジュのことだと知ると、守秘義務もなんのその、すぐにジョルジュの親友ジャック(ミシェル・ヴュユイエルモーズ)に電話。ジャックの妻のタマラ(カロリーヌ・シオル)にも伝わり、ジョルジュのことは仲間うちの公然のことに。

 ジャックは動揺を隠さず、半泣きでオロオロ。だが、彼には愛人からしょっちゅう電話がかかってきて、親友を心配しつつ、お楽しみは変わらず続く。
 4人は素人芝居の団員で、急に欠員が出ると、ジョルジュに役を当てて、生きる目標を与えて元気を出させよう、とジャックが言い出し、全員が即賛成。余命いくばくもない人に無理をさせて大丈夫なのか、とは誰も思わない。
 ジャックのおせっかいは続き、ジョルジュから離れてシメオン(アンドレ・デュソリエ)と暮らすモニカ(サンドリーヌ・キベルラン)を訪ね、ジョルジュのもとに帰ってやってほしいとしつこく頼む。

 ジョルジュは意外にも元気に稽古に励み、恋人役のタマラとのラブシーンにも励む。二人の様子にヤキモキするジャックは、不安をコリンにぶつけ、コリンは、初恋同士の結婚だと思っていたカトリーヌが、実はかつて、ジョルジュの恋人だったと知らされる。もともとぎくしゃくと空回りだった二組の夫婦は、ジョルジュのおかげで、奇妙な5角関係になってしまう。いえいえ、モニカが戻ってきて参戦し、7角関係に突入だ。

 テネリフェ島への、人生最後の旅に出るというジョルジュ。彼から同行を頼まれたカトリーヌは、看護のために一緒に行くのは当然、とコリンの反対を封じてしまう。ところが、タマラもモニカも同じ誘いを受けていて、ジョルジュをめぐる女同士の争いが勃発。いそいそと身の周りの世話に通っていた女たちは、つかみ合いまで始める始末。

 若い頃からの恋心が再燃したかのように、ジョルジュに惹かれる女性陣。一方、妥協を重ねた自分たちとは違う、理想を追い求めたジョルジュの生き方に憧れを感じる男性陣は、妻たちの恋のパワーに全く無力。男も女もみな身勝手で、自分のための判断を相手のためだと言ったり、自分のことは棚に上げて言いつのったり。涙ぐましいドタバタは、おかしくもペーソスがある。
 そして結局、同情されているはずのジョルジュが、彼ら全員を振り回し、超プレイボーイ振りを発揮して、最後には、カトリーヌたちのような熟女とは違う、思わぬ女性を旅行に連れて出るのだ。多分、これぞフランス。まさに大往生。

 面白いことに、話の中心であるジョルジュは、一度も画面に出てこない。そして、登場人物たちがいる空間自体が、芝居の舞台そのもので、彼らは背後に垂れ下がった幕から出入り。場所の移動は実写だが、場所を示すのはイラストで、そのあと舞台が映って話が進むという具合。すごくユニークな映画だった。
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2015年03月08日

やさしい人

 パリから、トネールの父の家に戻って来たミュージシャンのマクシム(ヴァンサン・マケーニョ)。地元の記者メロディ(ソレーヌ・リゴ)がインタビューにやってきて、その後、マクシムが彼女の職場を訪ねて携帯の番号を聞いたあとから、二人の交際が始まる。

 冒頭、昼前にまだ寝ているマクシムを父親(ベルナール・メネズ)が起こしに来るが、中年前の男と老人だというのに、何かと世話を焼く父との関係は、まるでマクシムがまだ少年のようだ。そして、メロディに心を奪われたあとのマクシムも、初めて恋をする少年のように、初々しくあぶなっかしい。
 泉のそばで待ち合わせ、ワイナリーでデート。雪の降る日、ダンス教室で踊るメロディを窓越しに見つめていたマクシムは、教室に入っていって、女性限定だというメロディの言葉を無視して、一人で激しく踊り出す。外に出て、雪玉をぶつけ合ってはしゃぐ二人。マクシムが若いメロディに合わせているというより、メロディがマクシムの無垢さを面白がり、かつ困惑しているようだ。

 旧監獄だという暗い地下道で初めてキスする二人の映像が、マクシムの部屋で愛を交わす場面につながる。ところが、マクシムの恋が成就したかに見えた次には、二人の関係に亀裂が感じられる場面が次々と現れる。
 
 人前でのキスをいやがり、近くの店に入るのもいやだというメロディ。マクシムはラグビー選手のイヴォン(ジョナ・ブロケ)という青年の存在に気付くが、今は別れたと思っている。メロディは「彼が知ったら怒り狂うわ」と言っているのに。
 ベッドにいながら触れられるのをいやがるメロディ。そして、旅に出ると告げ、部屋にも入れずそっけない彼女。メロディの心がまだイヴォンにあり、マクシムにただちょっと振り向いただけ、というのは明らかだ。だが、マクシムはそれに気づかない。
 花束を持ってホームで現れないメロディを空しく待つマクシム。携帯の留守番電話にも反応がなく、おまけにイヴォンからののしりのメールが届く。そればかりか、競技場で呼び出してもらっても、知らない人だと告げられる。だが、焦燥と怒りにかられながらも、マクシムはメロディの裏切りには気付かないのだ。

 やっとメロディから説明のメールが届くが、追い詰められ、嫉妬に狂ったマクシムは、競技場の駐車場で二人を襲ってメロディを拉致する。突然の暴力と急展開。だが、このマクシムの破滅的な行動は、意外な結果を導いていく。

 マクシムはなんと、イヴォンからメロディを救ったつもりだった。山小屋での一夜のあと、湖に佇む二人の姿は、それまでになかった落着きと信頼がある。逮捕されるまでの束の間の平穏は、奇跡のような時間。そして、そのあとの展開も、まるで奇跡のよう。父親のことを受け入れ、少し大人になったようなマクシムの表情は、やはり無垢で美しい。

 切れ切れな場面が説明なくつながれて、不安感と混乱を感じる作品だった。場面には登場しないいくつもの事件や、ストーリーとは関係しない人物の人生も、それぞれ重要に思える配置になっていて、見えない奥行を感じた。即物的な感じと抒情が混じっていて、独特だった。
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2015年03月07日

三人姉妹

 シアターBRAVAで「三人姉妹」。長いセリフ回しが端正で、本格的な古典劇がすごかった。

 両親を失くし、故郷を離れて田舎で暮らす、オーリガ(余貴美子)とマーシャ(宮沢りえ)とイリーナ(蒼井優)の三姉妹。誕生日のお祝いで、未来に心ときめかす三女イリーナのそばで、二女マーシャは暮らしに倦んで憂鬱そう。三姉妹の共通の願いは、かつて暮らしたモスクワに帰ること。
 将校たちやドクターのチェブトゥキン(段田安則)に遅れて長男アンドレイ(赤堀雅秋)も姿を見せるが、彼は、学問で身を立てるはずが、しがない役所勤め。噂の中佐ヴェルシーニン(堤真一)が現れると、たちまち場の中心になって、人間の運命について持論を語り始めるのだった。

 ほどなく、アンドレイは風変わりなナターシャと結婚するが、彼は志と異なる身上を嘆きつつ賭け事にのめり込んでいき、一方のナターシャは、三姉妹も暮らす家で我が物顔に振る舞いつつ、侯爵と浮気を始める。
 磊落で饒舌なヴェルシーニン。彼には、しょっちゅう服毒自殺を図る妻と二人の娘がいるが、夫との間に溝を感じるマーシャは、いつしか彼と恋仲に。独身のイリーナにはソリューヌイが求愛するが、彼女はオーリガの勧めを聞いて、男爵との結婚を決意する。だが、マーシャもイリーナも、相手との別れが迫る運命だった。

 三姉妹の母への愛をひきずり、死なせてしまった患者への思いから飲酒癖が再発してしまったドクターなど、多くの人物の人生が屋敷のなかで交錯する。だが、アンドレイ夫妻が互いの行動に気付かないように、それぞれが自分のままならない人生に閉じこもっているかのよう。嘆きのセリフのすぐあとや、重要な告白の瞬間に、いつも乾いた笑いが用意されていて、どの人物も距離をもって描かれる。それでも、舞台にはずっと、悲哀や焦燥が張り付いていて、心が揺さぶられた。

 街で大火事が起こり、ヴェルシーニンの家族やドクターたちが屋敷に住むようになり、人物たちのかかわりはよけいに複雑になっていく。そこに帰りさえすれば、苦しみのないまっとうな人生があるかのように、イリーナが繰り返し口にする、モスクワへの思い。確執が深まり、暮らしの足元さえ不安になるにつれ、モスクワは希望の象徴のようになっていくが、同時にますます帰ることのできない遠い場所になっていく。

 ヴェルシーニンは、「我々の人生はやがて消え、時が経てば我々の人生すべてが忘れらる」とか、「未来の人々にはもっとよい人生があるかもしれない、云々」と滔々と述べる。それらは初め、軽いただの哲学談義のように語られるが、終盤の悲劇のなか、姉妹の「苦しみのなかでなぜ生きるのか」という問いや、「私たちの苦しみは次の世代の糧になるかもしれない」「未来は分からなくても、今を生きて行こう」という決意に結実していく。
 連隊が去っていき、三姉妹が新しい出発を意識するラストが、悲壮な希望に満ちて美しかった。
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2015年03月01日

おみおくりの作法

 牧師と自分以外いない教会に佇むジョン・メイ(エディ・マーサン)。ロンドンのケニントン地区の民生係であるジョンの仕事は、孤独死した人を弔うこと。死者の部屋に残された物から、宗教を判別し、歩んできた人生の片鱗を組み立てて、自ら弔辞を書き、身寄りを探して連絡する。事務的な処理で済ますことなく、仕事を大事に、考えうる限り丁寧に、見知らぬ死者に敬意を込めて見送り続けるのだ。

 猫と暮らしていた女性の部屋から、彼女あての娘からの手紙が見つかるが、それは実は彼女が自分で書いたものだった。大抵は、誰とも付き合いがなく、やっと見つかった身寄りさえ、長い疎遠の果てに葬儀への出席を拒否する。わずかな跡を残して消えてしまった人生。誰にも見向かれることのなかった者は、不在さえ認識されることがない。人生と死のむなしさ。だが、ジョンが踏み入れた部屋には、その人が生きた跡が確かに散らばっているのだ。

 一方、ジョン自身の生活も孤独で、律儀にアパートと職場を行き来するだけ。彼は死者の写真を自分用のアルバムにも貼るが、それが職場なのか自宅なのかが区別できないほど、彼のすることはいつも同じで、そしていつも一人きりだ。映っているのは、いつもきちんと片づけられた狭い空間。彼は孤独な死者にシンパシーを感じているのかも知れない。彼は無意識に自分の仕事に閉じこもっているのだ。

 ところが、市の業務が合併されることになり、ジョンは無情にも解雇されることになる。死後40日で発見されたのが、自分のま向かいのアパートの住人だったことに驚いた彼は、最後の仕事に精力を傾け、ビリー・ストークという名の男の身寄りを探しながら、乱暴で無茶だが、行動力も情愛もあったビリーの破天荒な人生に触れていく。そして、ビリーが一時一緒に暮らした女性や、戦友や、路上生活の仲間たちや、ビリーが大切に持っていた写真の主である、彼の最愛の娘ケリー(ジョアンヌ・フロガット)に出会うのだ。

 自分の街から遠く離れたその旅で、ジョンの人生は静かに開かれていき、ケリーとお茶を飲み、再会を約束した別れ際、初めて何かに魅惑されたほほえみを見せる。今まで知らなかった幸せが、彼の目の前にあるように見える。だが、いつもと違うことをし、かたくなな習慣を一瞬忘れたことが、悲劇につながってしまう。何という皮肉。思えば、観ている方も、ジョンの過去を何も知らない。家族も生い立ちも。

 ジョンが奔走して知らせた人々が、ビリーの墓を囲むかたわら、誰にも知られず埋葬されるジョン。人生はむなしいのか。だが、ジョンの記憶は紡がれていくはず。ケリーに彼を探してほしい。彼のことをずっと気にかけて思ってほしい。
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2015年02月22日

THE 2・3'S LIVE 2015

 昨夜、奈良の白ちゃんハウスで、THE 2・3'Sのライブ「大人になってもTHE 2・3'S」を聴いた。初めて清志郎のライブに行ったのが2・3’Sで、思い出深い大好きなバンドだった。94年に解散したから、何と20年以上ぶり。あの頃のメンバーはすごく若かったけど、当時42歳だった清志郎の年齢を、今はみな大きく超えている。あの頃、清志郎はバックの若者たちと全然違わなくて、全員が20代に見えていた。毎年5月の集まりでも、2・3’Sの曲は聴けないので、昨年から活動を再開させていたとはうれしい。新聞記事で見つけた時、即聴きに行こうと決めた。

 はじめに出てきたのは、奈良出身というアランスミシーバンド。英語の曲がオリジナルだったらすごいじゃん。こんなバンドがいたのは知らなかった。
 続いて2・3’Sが現れると、互いを「ノリピー」「アッキー」「大島ちゃん」と呼び合って、コミックバンドのノリ。そういえば、清志郎がいた時もこんなだったっけ。
 山川のりおはプレスリーのような衣装。大島賢治はあまり変わってない感じ。神経質そうで無口だった中曽根章友は、性格がかなり丸くなって面白い人になっていた。

 清志郎がいないと、歌はどうなんだろうと少し不安だったけど、ノリピーのボーカルは、シャウトしててすごくよかった。「お兄さんの歌」「インデアン・サマー」「あの娘の神様」など2・3’Sの曲のほか、「涙あふれて」とか「スイート・ソウル・ミュージック」などRCの曲も歌っていた。
 大島ちゃんは、「あの娘が結婚してしまう」「この愛が可愛そう」「素敵なエンドーさん」。アッキーはシャイさを押して「芸術家」。

 みんなでコーラスする「死にたくなる」がなつかしい。一番うれしかったのは、社会派・清志郎の真骨頂、知性とパワー全開の「善良な市民」。もうライブで聴けないと思ってたので、イントロに大感激した。

 アンコールでは、全員鹿の角のついたカチューシャをつけて登場し、「アイドル」と「プライベート」と「お弁当箱」。やったー、この3曲ははずせないでしょ。
 ラストは、アランスミシーバンドも加わって、「デイ・ドリーム・ビリーバー」と「雨上がりの夜空に」。すごく盛り上がって、清志郎がいるときみたいだった。

 最後は、じゃんけんでプレゼントの争奪戦。アットホームで楽しい時間だった。次は、アッキーの「NERVOUS」とノリピーの「手紙」が聴きたいなあ。
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2015年02月12日

忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー The Film〜 入門編〜

 楽屋で化粧する清志郎。マントを着て進んで行く会場は、待ちきれない観客の拍手とどよめきが渦巻いている。あ、これは完全復活祭の武道館。「よーこそ」が始まると、画面は、同じ曲のまま84年の箱根に。こんな風に、時間をあちこち行き来しながら、81年の初めての武道館から、2008年の復活祭までのいろんな清志郎が歌っていた。

 84年の西武球場での「ベイビー!逃げるんだ」は、いつも左手でマイクを握っている清志郎が、ほんの一瞬ずつだけど、3回も右手でマイクを持っていて、珍しかった。
 もう一つの発見は、復活祭の「きもちE」で履いていた水色のスラックスが、この間観に行った手塚治虫記念館で展示されていたものだったこと。

 観たことのないのもたくさんあって、89年の舞台の「エンジェル」と「上を向いて歩こう」の映像は、暗いけれど、独特の光がきらめいて、衣装も美しく、清志郎が放つエッジの深さが際立って見えた。

 88年の日比谷野音の「ラプソディー」のビジュアルが素敵。87年のレザーシャープの来日時の「キレル奴」は超カッコイイ。92年のMG'Sとの「トランジスタラジオ」は、憧れのバンドと一緒にやれる幸せが爆発している。

 83年、住之江の競艇場にボートに乗って現れ、「スローバラード」を歌いだす映像が、2007年の札幌の映像にリンクする。同じ年の「ジョン・レノン音楽祭」では「オノ・ヨーコから手紙をもらったんだぜ」と言って歌う「イマジン」が圧巻。会場を埋めるペンライトが一斉に揺れている。ガンを公表してから完全復活祭までの休養時にも、いろんなイベントに出ていたんだなと思った。

 「JUMP」は、復活祭の時の映像と、その直前にNHKで放映された「SONGS」のと、ゲリラ撮影のプロモーションビデオのミックス。暗い警告のような歌詞なのに、奮い立つような希望に満ちたメロディー。この曲で復活祭が開けた時、本当に幸せだったなあ。

 2005年のフジロックフェスティバルで「Baby何もかも」。「21世紀になったのに、戦争が終わらない。俺は35年もやってきたけど、その間、ベトナム戦争とかずっと戦争があった。でも俺はずっとベイベーとかイエ〜ィとか言ってたんだ、ザマアミロ!」。そして「愛し合ってるか〜い!」。2004年の舞台の「デイドリームビリーバー」でも、最後に「愛と平和!」。今だから、よけいに率直な言葉が心に響く。

 鼻にタバコを挿して機械をいじったり、へんな音を納得するまでしつこく出したり、ヒロシのものまねをしたり、おちゃめな映像がおもしろかった。なんかフニャッと脱力してる。2006年のふぁんくらぶ祭の時の質疑応答や、サイクリングの映像もあった。

 入門編だから、「ドカドカうるさいロックン・ロール・バンド」や、「雨上がりの夜空に」や、「君が僕を知ってる」も、もちろん入ってた。大好きな「世界中の人に自慢したいよ」が選ばれていて、うれしかった。

 ラストは、復活祭での「毎日がブランニューデイ」。これは、毎年命日に開催されるロックン・ロール・ショーの最後に、いつもスクリーンに流れる曲。今年も東京に行けるかな。
 エンディングに「Like a dream」。彼の音楽と生き方に出会えたこと、いっぱいライブを聴けたことは、本当に夢のような幸せだったと思う。
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2015年02月07日

みんなのアムステルダム国立美術館へ

 全面改修決まり、2003年に閉館したアムステルダム国立美術館。最初の開館目標は2008年。ところが、それが実現したのは、なんと10年後のことだった。美術館の変容の記録を撮ろうとしていたドキュメンタリーは、遅延に継ぐ遅延のごたごたに、長々と付き合うことになる。

 美術館の建物は、中央が通路になっていて、そこを来訪者のほか、観光客や市民、とりわけ自転車が通っていく。混雑きわまる様を何とかしようと、歴史あるゴシック式の建物に、歩行者用と自転車用の巨大なマークが貼り付けられているのが、笑ってしまう。

 スペインの建築家が設計を手掛けるが、エントランス部分が通りにくい、と市民が猛反発。サイクリスト協会が「通路を救えキャンペーン」を繰り広げた結果、地元の委員会は案を却下。エントランスのデザインでコンペに勝った建築家は困惑し、紛糾は収まらない。だが、民主主義は本来時間がかかる、面倒くさいものなのかもしれない。いつの間にかお上が決めたら、それでもう動かせない、という方がおかしいのだろう。

 内部の修復も、細部について意見が食い違いが目立っていく。すべてを決めてからその通りに進めるのではなく、やりながら考えている感じ。どんな小さな部分にでも現場の反応が採用されるのは、何とも効率が悪そうだけど、それほど丁寧だということかも。

 そして、工期の遅れに悩んだ館長が突然辞任してしまい、新しい館長が就任するが、この時点でもう2008年になっている。その新館長は、却下された最初のエントランス案に固執して騒ぎを蒸し返し、またも市民の反対にあい、妥協を強いられる。エントランスで行き詰るというのは、工事が進まない象徴のよう。

 内装はフランスの建築家に依頼するが、色を決めて塗ったあとに、館長はそれを過剰だ、といって納得しない。ヴィジョンもなく反対すると、建築家は困惑。館長は、遅延に継ぐ遅延を恥じだ、というが、自分もそれに加担している。気に入らないと頑として譲らないのは、みんな同じだ。

 長い年月、多くの物事を戦い、待ち、議論し、選び、くたくたになった人々。会議で居眠りをしたり、吐き捨てるようなセリフを言ったりなど、人々のあからさまな表情を、カメラはどこまでも追いかけて、何度も笑いを誘われた。

 一方、新しい美術館に飾るための絵の選定や修復は、着々と進められていく。レンブラントの「夜警」やフェルメールの「牛乳を注ぐ女」。それに、広い収納庫に並ぶ巨大な絵の数々。アジア館のために日本の寺から金剛力士像が運ばれる。これはどこのお寺だったんだろう。たくさんの人たちによる、いろいろな細かい作業が興味深かった。

 そしてやっと建物が完成し、たった55日で6千もの美術品を設置しなければならないため、一日に100以上のノルマというのに、一つを並べるのに、やれやれ、また議論が始まるのだ。
 
 出来上がった美術館に、一瞬爆破かと思ってしまった花火が打ちあがる。地味なファッションの女王は素朴で、市民に溶け込んでいて、王国なのに平等な感じ。お国柄がわかって、面白い映画だった。 
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2015年01月31日

忌野清志郎展 手塚治虫ユーモアの遺伝子

 早く書きたかったのに、インフルエンザでできませんでした。手塚るみ子氏プロデュースの、手塚治虫記念館開館20周年記念「忌野清志郎展 ユーモアの遺伝子」。体調くずす前に行けてよかった〜。

 2階への階段を上がって行くと、たくさんのレコードジャケットや、ライブのポスターで埋まったいくつもの壁。わ〜すごい。その先に進むと、舞台衣装の展示を背に、スクリーンで清志郎が歌っていた。懐かしさがこみ上げる復活祭の映像。DVDで知ってるブルーノートの映像も。迫力の歌声が響いていた。 

 そこからは、清志郎の絵の展示。高校時代に描かれて母校に寄贈された絵や、25周年の「ゆで卵」の表紙になっていた自画像、入院中に描かれた髪のない自画像、冬の十字架。それから、タッペイ君とモモちゃんを描いたたくさんの絵。「個展」の時にも観た小5の時の静物画や、雑誌「鳩」、高校の時のノートもあった。

 ひときわ目についたのは、清志郎が描いた髪がピンクのブラックジャック。1987年8月11日号の「ビックコミック スピリッツ」での、漫画家の浦沢直樹氏との紙上対談の時に即席で描いたという、黒だけのブラックジャックも、浦沢さんの描いたあしたのジョーと並んで展示されていた。

 手塚るみ子氏の「オサムシに伝えて」という本の、清志郎によるあとがき「俺はカブトムシとオサムシの子供なのさ。生き方にまで多大な影響を与えてもらったんだ、云々」がパネルで展示されていた。

 清志郎は子供の頃、本気で漫画家になりたいと考え、手塚治虫の「マンガの描き方」を買って練習したそうだ。白で修正しすぎてうまくできずに諦めたけど、手塚治虫記念館で本人の原画を観たら、白の修正の跡がすごくあって、あれでよかったのか、とやっとわかった、というような本人の言葉が紹介されていた。清志郎がここに来てたのか、と感慨深かった。

 清志郎は、TVブロスでもマンガを描いていたし、マンガを描くのだから、当然手塚マンガを読んでいたと想像できるのに、今まで二人のつながりを考えたことはなかった。でも、清志郎が訴えていた「愛と平和」は、確かに手塚マンガのテーマにつながっていると思う。1階の常設展示では、戦争中の体験を描いた手塚治虫の絵が、いくつもあった。ユーモアの精神もそうだし、反原発の清志郎は、環境問題を訴えていた手塚治虫の系譜なのだ。

 ショップで、ひょうたんつぎとヒトハタウサギがコラボになったハンカチと、清志郎が描いたイラストのキーホルダーを買った。彼がボーカルの「少年マルス」のCDも。いっぱい聴いてるのに、こんなのを歌ってるのは知らなかった。引き出しの多さに驚いて、そしてうれしい。
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2015年01月21日

ショーシャンクの空に

 日曜日、森ノ宮ピロティーホールで、ロンドン版「ショーシャンクの空に」を観た。

 
 ショーシャンクの刑務所に、妻と浮気相手を殺害したというアンディが収容されてきた。元銀行員で物静かな彼に、”調達屋”のレッドは他の者とは違う何かを感じるが、囚人たちが強盗や殺人など自分たちの犯罪を言い立てる中、アンディは自分は本当は無実なのだと主張するのだった。
 
 収監されたばかりのアンディを襲う、看守たちの屈辱的な手荒い扱い。囚人たちは看守たちに銃身で殴られ、首を絞められる。所長の恣意で懲罰房に入れられ、残酷な仕打ちを受ける。そうやって抑圧された囚人たちは、より弱い者を攻撃し、新入者を殴ってレイプする。鉄柵が光るが暗い舞台で繰り返される暴力がやりきれない。 

 だが、そんな暴力と絶望しかない場所で、アンディはかつてと同じ自分であろうとする。石を集めるのが趣味だったといい、映画好きで、妻に似たリタ・ヘイワーズのポスターをレッドに注文し、自分の房の壁に貼る。そしてこの二つが、最後の驚くべきどんでん返しの布石となるのだ。

 屋上掃除の朝、遺産が転がり込んだものの税金が大変だと話す看守に、アンディは知恵を貸す代わりに、囚人みんなにビールを振る舞わせる。青空のもと、何年振りかのビールの味。このあとアンディは、うわさを聞いた所長に裏金の操作と金融の管理を頼まれ、代わりに念願だった図書館の設置を約束され、その管理をして過ごすように。所長との取引で身を守るなか、仲間に嫉妬や不信をぶつけられたりするが、アンディは揺るがない。 

 レッドの語りで、時が3年8年と経っているのが分かるのだが、図書館のための知事への陳情書がどれほど粘り強いものだったか、刑務所内で生きるための位置を得るまでがどれほど遅々とした歩みだったか。

 35年ぶりに仮釈放された老人が哀れだった。刑務所以外で生きることが想像できない彼は、力を振り絞って抵抗するが、無慈悲に追い出されて、ふらふらと去って行く。

 妻と子供を残してやって来たトミー。綴りも満足に書けなかった彼は、アンディに助けられて高校の認定試験に励むように。逃げてばかりの自信のない彼は、アンディに励まされて戦う男に変わっていく。そのトミーが、アンディの事件の真犯人の情報を知らせてくれたのだった。

 アンディの冤罪を晴らす大きな可能性を、所長は握り潰そうとする。自分の秘密を知る者を放免するのは危険だから。そして、真実を話したいと思うトミーに卑劣なキバをむいた。この場面はあまりに辛いものだった。閉じられた施設内で、権力の不正は隠され、人権などはまったくないのか。

 所長は、アンディがトミーに不要な希望を植え付けたといって非難した。彼らが自分の命令に背かないよう、恐れと無力感のなかにいる方が都合よく、人間らしい希望は危険で邪魔なものだったのだ。だが、それこそがトミーを成長させ、アンディを最後まで支え続けた。アンディとレッドの友情も。
 
 いい舞台だったので、映画も観なくては、と思った。
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